Facebook に投稿しているベジタリアン料理の画像を見て、カラオケ仲間からツッコミが入りました。
「料理もだけど、器にも気を配った方がいいと思う。料理は器で食べるものだと教わりました。紙のお皿はありえない。よかったら、実家にある食器貰ってくれないかなぁ。」
ありがとうございます。
いいネタをふったていただきました。
以前にも、このブログで書いた記憶はありますが、せっかくですので、ここでまた取り上げさせてもらいます。
実は、我が家のお皿とコップは、すべて紙製。
食べたら、使い捨てです。
エコの観点から言えば、あまり褒められたことではないかもしれません。
しかし、それを犠牲にしても、節約したいものがありました。
そう、時間です。
これは、もう現役時代からの習慣です。
我が家には、かつて実家を整理した時に引き取った、大量の食器がありました。
キッチン棚に入りきらないほどの量でしたので、ダンボールに押し込んでいました。
現役時代は、いまほど、頻繁に料理はしていませんでしたが、一人暮らしでしたので、たまにはキッチンには立ちます。
家系のDNA由来で、とにかく食い意地は張っていますから、ササっと作って、チャッチャッと食べます。ああ、満腹。
さて、その後に何が残るか。
そうなんです。
とっ散らかった食材と、洗い物。
日々家事に勤しむ奥様たちには怒られそうですが、一度満腹になってしまうと、これを片付けるのがどうしても億劫になる。
面倒くさいわけですよ。
あとでやればいいと思いながら、マッタリしてしまうと、もういけません。
放置しておくと、それがたまっていく。
片付けは翌日になり、さらにその翌日になる。
そして、気がつけばキッチンシンクは洗い物でいっぱい。
これが飽和状態になると、まずは片付けから始めなければならない。
そうなると大変。
その日に片付けておけば、簡単に落ちる油汚れが、こびりついて落ちない。
おまけに、へんな匂いまでしてくる。
ああ、うんざり。時間も無駄。
恥ずかしながら、現役時代はそんなことを、幾度となく、繰り返していましたね。
そこで、ある日決心したわけです。
我が家から、洗い物をする時間をなくす。
まず、何をしたか。
我が家にある食器をすべて処分いたしました。
これは、ダンボールで6〜7箱になりましたね。
当時は、ヤフオクにハマっていましたので、全部売ってしまいました。
使ってはいなくても、年季の入った食器ばかりでしたから、もちろん二束三文。
でも確か、地方の老人ホームがすべて、買い取ってくれたと記憶しています。
そして、その次になにをしたか。
ペーパーディッシュの大量購入ですね。
確か当時は、会社で倉庫を担当していたので、デッドストックになっていた紙製品は、かなり拝借いたしました。
大量に買えば、やはりそこそこの値段にはなりますが、これを使うことで解消される「洗い物」の時間を、頭の中で現金換算いたしました。
大丈夫。
紙食器にかかるコストを考えても、充分にお釣りが来る。
以来、我が家での料理はすべて使い捨てのペーパーディッシュを使用。
各サイズ取り揃えて、切らしたことはありません。
定年退職後は、畑で取れる野菜を使って、毎日のようにキッチンに立つようになりましたが、やはりこの習慣はそのまま。
次に気持ちよくキッチンに立つために、調理器具だけは、きれいに片付けてから食卓に座ることにしています。
もちろん、食べ終わったら、食器はすべてそのままゴミ箱。
1分後には、テーブルの上には、食後のハーブティと、iPadだけ。
(時々、テレビのリモコン)
食後の洗い物は一切しません。
去年の暮れから年初にかけては、我が家でパーティも、何回か開催いたしましたが、宴会終了後の片付けは、どんなに大人数でも1分ほど。
これがほとんど快感になっています。
百姓を始めて以来、料理をする時間は確実に増えていますが、片付けの時間は、今も変わりません。
お洒落な皿に、美しく盛り付ければ、料理の味は、さらに引き立つでしょう。
でも、料理は楽しんでいますが、もともと盛り付けのセンスは皆無でした。
お腹に入れば一緒でしょというタイプです。
しかも、年季の入った筋金入りの一人暮らしプロフェッショナル。
自分にとって、無駄なことは徹底的に排除できる恵まれた身分です。
自分で作った野菜を無駄なく使って料理をする事には執心しますが、器や盛り付けで料理を楽しもうという粋な嗜みがありません。
従って、我が家に招待するゲストには、暗黙の了解で、このあたりはお含み置き願っております。
しかし幸いかな、どちら様もそんなことは、はなから期待していないご様子。
その点、気は楽です。
その代わり、食べきれない場合は、この器ごとテイクアウトしてもらう事にしています。
それからもうひとつ。
ペーパーディッシュに対する個人的な思い入れがあったりします。
我が実家は本屋で、同時に大家族でした。
伯父家族の他に、地方からの住み込み店員なども抱えていました。
いつでも働く者が中心だった我が家。
その慰労に、年に何回かレクリエーションがあって、そのときは決まって、今は亡き母親が料理に腕をふるいます。
僕と弟の運動会に、全員で応援に来てくれたこともありました。
そして、そんな時、母親の手作り料理が乗ってくるのが、ペーパーディッシュだったんですね。
正確に言えば、タッパーからとって、ペーパーディッシュに乗せて食べる。
お稲荷、海苔巻き、おにぎり、唐揚げ、卵焼き。みんなそう。
いつも食べている当たり前の家庭料理なのですが、これが、なぜかこういう楽しいイベントでみんなと一緒に食べると、いつもより美味しい。
確かに、ペーパーディッシュは、器としては安っぽいですが、不思議と美味しいものを食べた記憶と結びつくんですね。
お祭りの屋台然り。
仲間とのバーベキュー・パーティ然り。
もちろん、勝負のかかったデートでは、三つ星レストランで、奮発して高級料理を食べたこともあります。
皿のデザインも当然洗練されていました。
しかし、これは当たり前すぎて、案外美味しいという記憶に結びついていない。
やはり、美味しかった記憶は、断然ペーパーディッシュで食べた料理。
つまり、根っからのB級グルメ嗜好なんでしょう。
自分の作る料理も、かなりB級テイスト。
綺麗な皿に盛ると、皿に怒られそうすです。
代官山の小洒落たレストランのランチセットよりも、お祭りの屋台の焼きそばが好きなんですね。
要は、自分が作る料理には、紙皿の方がしっくりくるということ。
なので、我が家でパーティをする時に、ゲストに必ずこれを申し上げております。
「我が家では、室内でアウトドアです。」
先日、「アラビアのロレンス」を見ました。
ブログを書くのに、映画のトリビアを検索していたら、晩年のロレンスに、こんなエピソードがありました。
生涯独身を通した砂漠の英雄ロレンスが、晩年を過ごした田舎の小さな家には、食器が一切なかった。
彼は、ピクニック用の使い捨ての紙食器を愛用して、自宅での食事でもこれを愛用していたといいます。
歴史には、偉大な足跡を残したロレンスですが、晩年にはそのキャリアの全てに背を向け、何も持たずに隠遁生活を選んだ彼。(バイクは持っていました)
この偉人と自分を比べるつもりなど毛頭ありませんが、今定年退職して、農業で暮らしていこうと考えている身になってみると、少しはこの偉人の晩年の心境が理解出来るような気もします。
なにせ、こちとら、これからは鍬一本で生きていく百姓です。
せっせと自分の食べるものを、自分で作る。
残りの人生。余計なものは一切持たない。
どこまで、不必要なものを捨てていけるか。
どこまで、暮らしをシンプルに出来るか。
この想いが、今はグルグルと頭を巡っています。
そうはいっても、捨てられないものはまだまだあります。
どこまで、断捨離を敢行できるかはまだまだこれから。
なにしろ60年間、世俗の垢にまみれた身ですから、すべて捨ててさっぱりというのも、なかなか難しいかもしれません。
でもまあ、徐々にやってまいりましょう。
というわけで、我が家では、お皿は使わない取り組み中。
キッチン棚に揃えるつもりも、今サラない・・ということで。
お粗末。
お心遣い、ありがとうございました。
ちなみに本日の朝食はこちら。
オール畑野菜。
オール・ペーパーディッシュです。
コメント