来週から忙しくなるので、今のうちに映画をまとめて見ています。
本日鑑賞してきたのは、サム・メンデス監督の最新作。
「1917 命をかけた伝令」
戦場の臨場感を出すために、全編ワンカットに見えるカメラワークで撮影。
これがウリです。
映画オタクは、こういうのに弱いんですね。
戦争映画も、大好物ですが、まずは、メンデス監督の映画技術的な挑戦に敬意を表します。
最初のうちは、悲しき映画オタクのサガが、ムクムクと頭をもたげます。
さあ、いったいどこで、カメラを切り替えているのか。
このシーンの仕掛けは、いったいどうなっているんだとか。
そうそう、ネズミですよ。
どうしたら、あの長回しの撮影の中で、ネズミに、あんな注文通りの、動きをさせられるのか。
そんな撮影技術の方にばかり目がいっていました。
しかし、それも最初のうちだけ。
二人の兵士たちと、同じ目線で、あの戦場を前進しているうちに、いつか、ワンシーンワンカットも、カメラワークも、どうでも良くなってきました。
ここは、この映画の臨場感にどっぷり浸かるべき。
いつしか、こちらの気持ちは、緊迫の西部戦線を突き進む兵士たちに、完全に同化していました。
メンデス監督の術中にまんまとハマっていくわけです。
何分かのワンシーンワンカットでも、撮る側のエネルギーは相当なものです。
それを映画一本まるまるワンカットで撮ろうということになれば、その苦労たるや並大抵のことではありません。
しかし、あえてその労力を費やしてでも、得られる効果は十分にあったといえます。
映画全編ワンカットという試みは、今から70年も前に、すでに、アルフレッド・ヒッチコック監督が試みています。
しかし、当時はカメラも超大型。
組まれたセットの中を、水平移動するのが精一杯でした。
ところが、、この映画の舞台は戦場。
ある時は、戦闘真っ只中の市街。
ある時は、鉄条網が張り巡らされている草原。
ある時は、死体が転がる川の中。
ある時は、兵士たちが乗るトラックの荷台の中。
極め付けは、滝壺の真上から。
これらの場面をシームレスにつないでいくわけですから、その苦労たるや尋常ではありません。
通常の台本のほかに、カメラの導線だけをビッシリと書き込んだ、カメラ専用の台本もあったといいます。
かつて、大映の名カメラマン宮川一夫氏がこういっていました。
「カメラだって、演技するんや!」
まさにそれですね。
まるで、カメラ自身が自らの意思で、ドローンにでも乗って、縦横無尽に、戦場を飛び回っているようでした。
ちなみに、ちょっと気になって調べて見たら、撮影監督のロジャー・ディーキンズが使っていたカメラはこちら。
アレクサ・ミニLFという機種だそうです。
ちょっと大型のビデオ・カメラくらいの大きさです。
それでも、おそらく、目の玉が飛び出るような値段なのでしょう。
でもこれなら、撮影現場でもいろいろな機動性を発揮してくれそうです。
歴史上、初めて映像のカメラが向けられた戦争が第一次世界大戦です。
歴史オタクですので、NHKの「映像の世紀」は、録画したものを、時折見ています。
当然モノクロの映像ですし、まだ音声はありませんから、あくまでも歴史の資料としての映像。
そこから、イメージを膨らませるわけです。
その後に、第一次世界大戦を舞台にした映画の名作も、数多く作られました。
ルイス・マイルストン監督の「西部戦線異常なし」
ドルトン・トランポ監督の「ジョニーは戦場へ行った」
どちらも傑作です。
しかし、あの戦場を、ここまで圧倒的なリアリズムを持って、再現したという意味では、この作品も大傑作。
戦争映画として、見るべき価値のある一本です。
戦場を駆け抜けた二人の俳優。
ジョージ・マッケイ。
ディーン=チャールズ。チャップマン。
彼らを、僕は知りませんでした。
でも、これがまたよかった。
これを顔の知れた俳優がやってしまったら、やはりここまでのリアリズムは出なかったと思います。
その意味では、この映画の真の「主演」は、演じている俳優ではなく、カメラ自身と言えたかも知れません。
見ているうちに、ハタと気がつきました。
この映画から伝わる緊張感は、ちょうど遊園地のアトラクションのお化け屋敷を、ソロリソロリ進むあのドキドキ感ですね。
僕は、ゲームはほとんどやりませんが、ロールプレイング系ゲームの面白さもそれでしょう。
それに、一億ドルもの予算をかけて映画にすれば、面白くないわけがない。
第一次世界大戦の、歴史の勉強をするなら、もってこいの映画です。
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