いちにち雪模様だった昨日。
さすがに、畑仕事はできないので、終日読書と決め込みました。
先日、「青空文庫」からがっつりダウンロードした古典名作がたんまりあります。
その中から、選んだのがこれ。
明治の歌人・石川啄木の歌集「一握の砂」
収められている短歌は、551首。
31文字を、3行で表記していくスタイルです。
そこには、今からおよそ、110年前の、普通の人の「明治の暮らし」が、訥々と刻まれています。
私生活短歌ドキュメンタリーとでもいうべき歌集です。
石川啄木は、まず以下の2首は、中学時代の「現代国語」の教科書で知っていました。
東海の小島の磯の白砂に
われ泣きぬれて
蟹とたはむる
不来方のお城の草に寝ころびて
空に吸はれし
十五の心
その中でも、特に秀逸だなと思っていたのは、誰もが知っているこの歌。
ふるさとの訛なつかし
停車場の人ごみの中に
そを聴きにゆく
田舎から出てきた青年の孤独感を表現するのに、独りきりのアパートの部屋でもなく、客のいない居酒屋のカウンターでもなく、にぎやかな都会の駅の雑踏をわざわざ選ぶ感性はするどい。
石川啄木にはじめて触れて、当時、国語の成績だけはよかったマセた中ボーだった僕が思った感想です。
「この石川ブタキという歌人はなかなかいい。」
啄木をまだ、「タクボク」とは、読めずにいた頃のはなしです。
それから、彼の短歌で、もう一首忘れられない歌があります。
これも、有名な歌ですから、ご存知の方も多いでしょう。
はたらけど
はたらけど猶わが生活楽にならざり
ぢっと手を見る
実は、この短歌を初めて見たのは、なんと漫画でした。
当時は、大人気だった石森章太郎の「サイボーグ009」
コミックにすれば、おそらく第一巻だったと思います。
まずしい中国人という設定だったの006が、ポツリという台詞がこれだったんですね。
この漫画は大好きで何回も読んでいますから、この短歌は、そのビジュアルと一緒に覚えていました。
そして、月日は経って、大学受験を迎えた冬。
どこかで受けた模試の現国の問題の中にこんなのがありました。
「明治以降の短歌の中から好きなものを一首選び、感想を述べよ。」
この時に、僕の頭の中に浮かんだのがこの一首。
正岡子規、若山牧水、与謝野鉄幹などなど。
受験勉強中に名前を覚えた歌人は何人かいましたが、恥ずかしながら、詠んだ歌とはリンクしていません。
彼らが、明治以降の人かどうかも怪しい。
なので、どこか現代人感覚で理解できるこの啄木の短歌を選び、漫画で読んだイメージを膨らませて感想文を書きました。
模試ですから、後日添削されて回答が届いたのですが、これがなんと10点設定だったこの問題に関しては花丸つきの満点。
少年期の石川啄木ではありませんが、「俺は神童か。」と思ってしまいましたね。
さて、有名な短歌も多いこの「一握の砂」。
今まで、知らず知らず、あちこちでつまみ食いはしてきたわけですが、今還暦を超えて、はじめて一冊の短歌集として通読。
読むこちらの方も、すでに啄木の倍以上の齢を重ねてきています。
しがないトラックの運転手として、けして大きな成功体験を経験したわけでもなく、それなりの鬱屈とした想いも人並みに抱えてきた60年。
彼の人生を客観的に見ても、「おいおい、お兄さん、ちょいと人生なめてないかい。」と思うことや、「あなたいったい何様なの。」と思ってしまう部分も多々見受けられます。
父親も含め、友人達、そして妻と家族。
彼の周りにいた人は、終生彼に振り回されっぱなし。
彼が、友人達に重ねた借金は、今の金額で言えば、軽く1000万円は、超えると言います。
しかし、それでもこの石川青年は、憎まれなかった。
東京では、平然と浮気をしながらも、終生奥さんには愛され続けた。
このあたりが、石川啄木の面目躍如。
恣意的ではなく、天性の「人たらし」だったのでしょう。
もっとわかりやすく言えば、チャーミング。
この人の女性ファンが、今も数多くいるのは、これ故でしょう。
少年期に、神童といわれつづけたプライドを、ズタズタに切り裂かれていく、挫折だらけの人生。
自分の才能は、「特別」なのだと信じていても、世間からは一切評価されないという焦燥感、そして絶望感。
しかし、彼はそのやり場のない鬱屈した思いから逃げることはしませんでした。
最終的には、プライドをかなぐり捨て、虚飾を剥ぎ取って、そのあふれる思いを、みずからの文学として対峙。
そして、あの「不思議な夜」を迎えるわけです。
選んだスタイルは、小説でも詩でもなく、彼の原点でもあった短歌。
東京の一人きりの下宿で眠れなかった夜、机に向った彼の筆からは、堰を切ったように、短歌のリズムで、言葉が溢れ出てきました。
そして、わずか3日間で、生々しくも叙情的な、今までにはなかったスタイルの短歌が300首あまりも生まれていました。
時に、石川啄木22歳。
26歳の若さで、彼が夭折する4年前のことです。
ちょっと意地の悪い言い方になりますが、傑作「一握の砂」の方から逆算すれば、ここに至るまでの、彼の挫折続きの22年間は必須だったともいえます。
もしも、啄木が、詩でも小説でも成功していたとしたら、この傑作は絶対に生まれていません。
この551首の短歌から、滲み出て来る生活感と自己の内面と真摯に向き合ったリアリズムは、到底フィクションで書けるものではありません。
この当時、決して豊かな国ではなかった日本。
彼のように、生活の底辺で喘いでいた人たちはたくさんいたでしょう。
けれど、それを、綺麗事ではない、誰にも理解できる言葉に出来たのが、石川啄木だけだったということかもしれません。
とにかく、そこにあるのは、足し算も、引き算もない、ありのままの人間の営み。
そして、悲しみ。
彼はこう言っています。
「僕が、母を愛し、妻を愛し、遠く離れている父を慕い、故郷を愛する詩を書くのは、実は心のどこかで、母を憎悪し、妻を愛さず、父を嘲り、故郷を足蹴にしたいほど腹を立てているからかもしれない。」
この相反する感情と、きちんと向き合えるかどうかが、概ね一流の文学と、二流の文学の境目となるところ。
こことちゃんと向き合わずに、負の心を包み隠して綺麗事を並べればウソ臭くなるし、綺麗事を排除して、感情に身を任せれば、抜身の刀のように痛々しくなる。
ともすれば、見苦しく、自分の正当化に転がってもおかしくないような日常の素材を、彼の文学に対するプライドが、瀬戸際で芸術におしとどめた。
そのギリギリ感が、この短歌集「一握の砂」の本当の魅力かもしれません。
今回読んで、ドキリとした短歌がありました。
どんよりと
くもれる空を見てゐしに
人を殺したくなりにけるかな
「良い子」たちには、絶対触れさせたくないような短歌です。
でもあるんですよ。
白状してしまいますが、サラリーマン現役時代には、何回もこんな日がありました。
幸い、百姓をやるようになってからはありませんが。
それから、驚いたのが、ピストル。
明治時代の歌集なのですが、けっこう出てくるんです。ピストルが。
いたく錆びしピストル出でぬ
砂山の
砂を指もて掘りてありしに
こそこその話がやがて高くなり
ピストル鳴りて
人生終る
誰そ我に
ピストルにても撃てよかし
伊藤のごとく死にて見せなむ
調べたら、明治時代のこの頃は、日本でもまだ護身用として、ピストルの保持が認められていたんですね。
最初の短歌。
「あれ」と思ったら、案の定、石原裕次郎の大ヒット曲「錆びたナイフ」の元ネタでした。
3つめの「伊藤」というのは、ハルピンで暗殺された伊藤博文のこと。
彼の短歌には、桂首相のでくるものもありますので、新聞記者もやっていたという石川啄木は、時事ネタも歌の素材にしていたわけです。
それから、もうひとつけっこう出てくるのが「キス」。
明治時代の短歌ですから、「接吻」「口づけ」なんて言葉を使いそうなものですが、啄木が好んで選んでいるのが「キス」。
本歌集の恋愛シリーズにけっこう頻繁に登場するのですが、これが妙にイロッぽい。
かなしきは
かの白玉のごとくなる腕に残せし
キスの痕かな
つくづくと手をながめつつ
おもひ出でぬ
キスが上手の女なりしが
やや長きキスを交して別れ来し
深夜の街の
遠き火事かな
啄木青年とて、二十代の若者。
妻も子供もいる身ではあっても、単身赴任ともなれば、羽は伸び放題。
ましてや、痩身でイケメンの色男。
けっこうお盛んです。
SNSのご時勢であれば、たちまちバッシング炎上ということになるのでしょうが、当時は、これしきのことに突っ込む野暮な人もいません。
ちゃんと、彼もまた、そんな色恋事を、自分の芸の「肥やし」にしているのですからさすがといえばさすが。
そして、そんなあれこれを、不問にする奥様もたいしたものです。
啄木青年、考え様によってはいい時代に生まれたかもしれません。
当時の石川啄木と同じように、今自分の生き方を見失って、都会の片隅で、悶々としている若者達は多いかもしれません。
ある人は、ブラック企業に捕まって、身をすり減らして働かされているかもしれません。
ある人は、パワハラやセクハラで、いわれのないイジメに、苦しめられているかもしれません。
ある人は、明日の保障もなく、いつ切られるかわからない不安の中で、非正規労働者として働いているかもしれません。
僕には、故郷はありませんが、すでに故郷に居場所はないという人もいるかもしれません。
しかし、今それぞれが抱えている様々なストレスや苦悩は、見方によっては、それぞれの財産になるかもしれない。
それを変な発散に転化せず、行儀よく溜め込んでさえおけば、石川啄木に訪れたあの「不思議な夜」が、ある日突然あなたに訪れないとも限りません。
少なくとも、今我が世の春を謳歌している「幸せ者」には、そんな夜は、絶対に来ないだろうなあ。
満ち足りた、なんの不安もない社会や生活では、少なくとも優れた芸術の萌芽はない。
まあ、貧乏人の負け惜しみとして、これくらいの事は書かせてもらいましょうか。
最後に、オリジナルの短歌など。
春の雪明治の歌集読みながら畑を思う老後の嗜み
おそまつ。