一連の新型コロナウィルス関連ニュースの中にこんな記事がありました。
帰省していた女性が、味覚や嗅覚の異常を感じ、帰省先でPCR検査。
そして、その結果が陽性である通知を受け、実家での自粛要請を受けたにもかかわらず、彼女は東京に戻ってしまう。
まあ、これだけのことがニュースにも取り上げられるわけですから、今の新型コロナウィルスの感染者増加の問題は、それほど深刻なのだといえます。
また、パチンコ店に対しては、現在行政より休業要請が出ているのはご承知の通り。
しかし、これは補償を伴わない単なる「お願い」ですから、これを無視するパチンコ店も街中には散見。
彼らにとってみても、これは死活問題ですから、一概には責められません。
もちろん、ちゃんと言うことを聞いて、営業しないパチンコ店も多いのですが、そんな中で、営業しているパチンコ店の駐車場はほぼ満車。
中に入ったわけではありませんが、これだけの人が店内に入っていつもどおり遊んでいるわけですから、どれだけ「密」の状況になっているかは察しがつきます。
みなさん、自粛とは言われても、自宅にはじっとしていられず、感染のリスクを承知の上で、営業しいるパチンコ店に足を運んでいるわけです。
そして、各言う僕自身も、正直申せば「ステイホーム」はしていません。
毎日、乗用車で畑に出かけておりますし、出掛ければ、必要なものを買い物しに、ほぼ毎日ホームセンターにいきます。
そして、このホームセンターも、行けば買い出しの人たちでいっぱい。
むしろ、いつもよりも買い物客は多いほどで、みなさん開店前から並んでいます。
店内のレジ前は、2m間隔で並ぶようになっていたり、レジと客の間には飛沫感染シールド。
レジ係も、是全員ゴム手袋着用。
それなりの感染防衛策はされていますが、もちろん厳密な感染リスクを考えれば、どれも完全ではありません。
言葉はよくないかもしれませんが、これらはすべて、営業をするための免罪符と言ってもいいでしょう。
このままで、感染拡大が進めば、我が国も、諸外国のようにいつかロックダウンされる可能性もあり。
そう考えれば、生活必需品の確保をしておきたいと言う気持ちも理解できます。
新型コロナウィルスの感染拡大を阻止するために必要なことは、不特定多数の人との接触を避けること。
そのためには、家から出ないこと。
これが基本中の基本。
そして、これを忠実に実行してきた国の感染者がピークアウトを超えて、終息しつつあることもまた事実です。
日本は、どう贔屓目に見ても、これがうまくいっていないことは周知の事実。
政府はこれを、言うことを聞かない国民のせいだと言うのだろうし、国民は、補償を約束しない政府のせいだと言う。
「責任はとることからは極力回避」「前例のないことは出来ない」
我が国積年の悪しき文化が、これほど最悪な形で可視化されている状況は、僕の生きてきた60年間では、ありませんでした。
それだけ、今回のウイルス騒動は、未曾有の様相を呈してきました。
今後どうなるのか、誰にも正確に予想できない状態です。
ここで、偉そうにモラリストを気取る気持ちはありませんが、それでも、今の日本の状況を見ていると、不安ばかりが頭をよぎります。。
こんな騒動でも、自分一人くらいが、言うことを聞かなくてもたいした影響はないだろう。
普通にマスクして出歩いていれば、たとえ感染者とすれ違っても大丈夫だろう。
たぶん自分だけは大丈夫。
なんの根拠もなしに、誰もがどこかで勝手にそう思っている。
これは確かにちょっと怖い。
芸人の志村けんさんが、このウィルスのために亡くなりました。
女優の岡江久美子さんも、63歳の若さで亡くなりました。
目には見えない新型ウィルスに、場渡的なトンチンカンな対応をしているうちに、この天災は次第に人災になりつつあります。
今までは、今回の騒動をどこか、人ごとのように捉えていたことは否めません。
でも、ここまでくると、そうも言っていられなくなりました。
やはり、感染がここまで深刻な社会問題になってきた以上、自分が感染したらどうすると言うことは、考えずにはいられなくなりました。
大変、前置きが長くなりました。
ということで、取り出してきたDVDが、黒澤明のこの一枚。
昭和24年製作の「静かなる決闘」。
今からもう70年以上も前の映画です。
東宝争議で、会社では映画が作れなくなった黒澤明が、大映で撮った1本目がこの作品です。
彼の作品の中では、なかなか渋い一本ですが、黒澤監督らしいヒューマニズムに溢れる佳作です。
野戦病院で、梅毒罹患の兵士の手術をした際に、指の傷口から感染してしまった医師の苦悩を描く物語。
医師を演じるのは、若き日の三船敏郎。
その父親役に、志村喬。彼のフィアンセに三條美紀。
梅毒に感染したことを隠して、フィアンセに結婚できないことを告げる医師。
それを受け入れられずに、それでも医師の病院に通う彼女。
「僕には、彼女の青春を奪ってしまう勇気はない。」
苦悩する医師。
やがて、彼女が違う相手と結婚すると告げに来た日。
彼女が帰った後で、医師の苦悩は爆発します。
ここは、この映画の最大のクライマックス。
見ていない人は必見。
しかし、今回この映画を何十年ぶりに再見して、改めて気づかされたのが、看護婦を演じた千石規子の存在。
この映画は、実は、医師に対する感情の変化と対になった、彼女の看護婦としての成長の物語になっているんですね。
この作品での彼女が、ずっとのちの黒澤映画の集大成と言われた名作「赤ひげ」に登場する、心を病んだ12歳の少女おとよ(演じたのは、二木てるみ)のモデルになっているとハタと気がつきました。
女性を描くのは苦手とされていた黒澤明。
先日見直した「わが青春に悔いなし」の原節子もそうでしたが、なかなかどうして、女性を輝かせる手腕も一流ではありませんか。
野戦病院で、医師に梅毒を感染させた患者と、医師は偶然出会います。
男は、梅毒の治療を放置して、普通に暮らし、結婚し、妻を妊娠させていました。
その妻は、臨月になって、男の元を逃げ出し、医師の病院に避難してきます。
胎児は、すでに呼吸がない状態で分娩。
そこに酔った男が乱入してきます。
そして、摘出された胎児を見た男は発狂。
そこにあったのは、映画のセリフを借りれば「スピロヘータに、脳髄を食い潰された赤んぼ」
今のホラー映画の技術があれば、それを実写化するのは可能でしょう。
例えば、デビット・リンチ監督くらいなら、あるいは堂々とそれをクリーチャーとして描いたかもしれません。
しかし、黒澤監督は、この映画をホラー映画にはしませんでした。
そこは、観客の想像に任せる巧みな演出。
むしろ、梅毒感染の恐怖は、こちらの方が伝わったかもしれません。
ちなみに、この映画の元ネタは、千秋実の劇団の舞台だそうです。
タイトルは「堕胎医」。
千秋実は、この映画には出ていませんが、この後の黒澤映画で、常連になっていくのはご承知の通り。
面白いのは、この舞台では、最後に発狂するのは、医師の方だそうです。
三船敏郎は、この後、「生きものの記録」「蜘蛛巣城」で、最後に発狂する演技を見せてくれますが、この映画では、最後まで聖人医師を演じ切ります。
この作品で、最後に医師が発狂してしまったら、ちょっと救いがなかったかも知れず。
最後に、父親役の志村喬が、息子さんは聖人として評判だという町の噂を伝える駐在に、笑ってこう告げます。
「息子が結婚して、普通に幸せに暮らしていたら、案外俗物になっていたかも知れませんよ。」
図らずも、ウイルスに感染してしまった者が背負うことになる、社会への責任とは何か。
改めて、考えさせられる作品でした。
そうそう、映画の冒頭の野戦病院のシーンで、日活黄金期の悪役で有名だった高品格が、兵士の一人として出演していたのに気がつきました。
当時彼が大映に所属していたところまでは、プロフィールで確認しましたが、クレジットは確認できず。
誰かご存知の方、いらっしゃいます?
それからもうひとつ。
映画では、医師も、その父親もタバコを吸うのですが、二人ともシガレット・ケースを持っていました。
僕は、タバコをすいませんが、わが家系はみんなヘビー・スモーカー。
確か、父親も祖父も、けっこう洒落たシガレットケースを持っていましたね。
ちょっと思い出して、懐かしくなってしまいました。
今はほとんど見かけません。
こういうのも、映画の楽しみ方の一つです。
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