フランス文学の翻訳物を読んだのが、本当に久しぶり。
おそらく、子供の頃、モーリス・ルブランの「怪盗アルセーヌ・ルパン」全巻(ポプラ社の子供向け編集版)読んで以来です。
iPadに収めた自炊書籍の順番は、かなり先まで決めていたのですが、今回はその順番を変更。
急遽この本を仕入れて、読み始めました。
大長編で、かなり重い内容でしたが、読み応えは充分。
1947年に出版された本ですが、今バカ売れしているそうです。
当然、その背景には、今回の新型コロナウィルス騒動がありますね。
日本では、過去にもこの本がブームになったことがあったそうです。
それは、東日本大震災のあと。
大災害に襲われた時、人々は一体、何を考え、どういう行動を取るのか。
本書は、それを、色々なタイプの登場人物を効果的に配置する事で、立体的に描いていきます。
作者は、アルベルト・カミュ。
言わずと知れた、フランスを代表するノーベル賞作家。
イラストを描くのに彼の写真を見ましたが、なかなかのイケメン。
残念ながら、46歳という若さで、事故のため、亡くなっています。
本書の舞台となるアルジェリアの出身。
ペストによってロックダウンされるオランは実在の街で、彼の故郷というわけです。
第二次世界大戦中、フランスのレジスタンスとして活動して戦いながら、本書の執筆を開始。
終戦後に発表して、大ベストセラーになりました。
この期間に彼が出会ったいろいろな人や、体験した様々なことを、一つの物語にするのに、第二次世界大戦をそのまま舞台にするのでは、あまりに生々しすぎます。
人類が経験した最悪の戦争を、ペストに置き換えるというアイデアが彼の中に生まれた時、この本の登場人物たちは、カミュの生々しい息遣いと熱い血、そして鼓動を伴って、作品の中を歩き出していきます。
当時の多くのフランス人たちが、この小説に共感を寄せた理由も、まさにそこにあるのでしょう。
もちろん、今この本を手にとっているほとんどの人は、第二次世界大戦を知りません。
しかし、人類が初めて経験するウイルスの猛威にさらされているのは世界共通です。
いろいろな不自由を強いられる環境の中で、このウイルスと、どう戦っていくべきか。
どう考え、どう行動するべきか。
その指針のヒントでも見つかれば、この長い小説を読んだ甲斐があります。
主人公は、ベルナール・リユー。
オランで暮らす医師です。
療養中の妻は、結核を患っています。
彼が、医師として、ペストに対峙する際の信念は「誠実さ」。
これに則って、彼はペストの危険性を市に提言し、患者の治療にあたり、封鎖されたオランの町で、自分の職務を全うしていきます。
ジャン・タルー。
ペストの流行以前から、オランのホテルに住む旅行者。
次第に、リユーと、友情を育組んで行きます。
封鎖された街の中で、ペストの保健隊を結成し、献身的に街に貢献。
死刑制度に対し、深い嫌悪感を抱いています。
ペストの終息宣言が出た後で、ペストに罹患。
リユーに、看取られて息を引き取理ます。
ジョセフ・グラン
貧相な風貌の市役所職員。
趣味で、小説を執筆しています。
保険隊の事務を引き受けることにより、次第に自分の居場所を見つけ、隠れたヒーローになっていく展開。
レイモン・ランベール
オランに一時滞在していたフランスの新聞記者。
町の封鎖により、オランから出られなくなってしまったために、本国にいる恋人に会えなくなってしまいます。
「自分は、この街には無関係」だと、幾度となく脱出を試みるが失敗。
しかし、封鎖が解除され、本国に戻ることが許された時に、彼は・・・
スペインの内戦に、義勇軍として参加。
戦争のヒロイズムを嫌っています。
コタール
密売人。警察に追われ、逮捕される事の恐怖でノイローゼ気味になっている。
しかし、このペスト騒動で、警察から追われることがなくなり、商売も利益が上がるようになり、次第に、元気を取り戻し、社交的になっていきます。
パヌルー神父
キリスト教の司祭。
教会での説教で、ペストの流行は、我々に与えられた、神からの罰だと説きます。
しかし、ある少年が、ペストで死に行く様子を見て、保険隊の仕事に参加。
やがて病に伏せりますが、医者の診断を拒絶。
一切の治療を拒んで、それがペストかどうかも分からぬまま病死します。
リシャール
オラン医師会の会長。
リユーからの、ペストの提言に対してこういいます。
「つまり我々は、この病気があたかもペストであるかのごとくふるまうという責任を負わねばならないわけだね?」
当然、これだけの長編ですから、まだまだ登場人物はいますが、概ねストーリーを紡ぐ上での主要キャラクターは、こんなところ。
第二次世界大戦を体験していない身としては、集団に襲いかかる不条理を、ペストではなく、やはり、今回の新型コロナウイルス騒動に置き換えてしまいますね。
まず、リユーの提言に対して、なかなかそれを認めようとしない医師会の対応は、まさに日本の行政のそれ。
特に、日本の場合は、今夏開催のオリンピックという、大きな利権をもたらすイベントがありましたから、周知の通り、政府も東京都も、この新型コロナウイルス騒動は、なんとしても大事にしたくなかった。
そこで、彼らが意図的に実行したのは、検査数を増やさない事。
これが、日本のウイルス感染を、世界各国の対応と比較してみても、明らかに拗らせてしまいました。
この日本特有の隠蔽体質が、今になって、さらにことを大事にさせてきています。
おっと、閑話休題。
しかしオラン市は、町をロックダウンする決断をします。
陸路も、海路も封鎖され、街の人々は一斉に監禁状態に。
そんな中で、保健隊を組織し、連帯して献身的にペスト感染と戦う者。
ひたすら、逃げようとするもの。
逆にこの騒動で、羽振りが良くなるもの。
暴動を起こし、略奪するもの。
何もすることがなくなって、酒場に入り浸るもの。
オペラを観劇して、ペストを忘れようとするもの。
ペストになった家族を、ただ見つめるもの。
神にすがるもの。
封鎖されたこの港町に起こる様々な出来事が、「筆者」と名乗る人物の視線で、ドキュメンタリータッチで描き出されていきます。
そして、物語の最後で、その「筆者」は、リユーであることがわかります。
これを書きながら、気がつきましたが、主要登場人物達は、みんなこのペストにより閉ざされた空間の中で、良くも悪くも劇的に変わっていくんですね。
これが、この物語をとても、面白くしています。
誰が、何をきっかけにどう変わっていくのか。
これから、この本を読もうという方は、是非その辺りをお楽しみくださいませ。
本作の中で、とても印象に残るシーンがありました。
それは、リユーとタルーが、この騒動の中で、二人の友情の証に、月夜に海水浴をするシーン。
なかなか難解で、哲学的表現の多いカミュの文章。
もちろん、その流麗な文体に、魅せられる読者も多いのでしょうが、僕のような凡人には、なかなかハードルが高い。
いちいち、小説の世界を、頭の中で映像に置き換える作業をしないと、頭に入ってこないもので、本書を読み終えるまでには、あちらこちらの資料を当たらねばならず、かなり四苦八苦しました。
しかし、このシーンだけは、その光景が、自然に浮かびました。
とても、美しいシーンです。
タルーが、リユーにこう言います。
「もちろん、人間は犠牲者たちのために戦わなきゃならんさ。
しかし、それ以外の面でなんにも愛さなくなったら、戦ってることが一体なんの役に立つんだい?」
悲惨な描写の多い本作の中にあって、唯一幸福感に満ち溢れたシーンです。
このペストという状況下にあって、二人の友情が硬く結ばれていきます。
今回のコロナ騒動の中でも、いろいろな立場の方がいると思います。
日夜、医療現場で、ウイルスと戦っている方。
休業を余儀なくされ、経済的に行き詰まっている方。
自分が、ウイルスに感染しているかもしれないと疑心暗鬼の方。
様々な不安や苦労に、目を背けるわけにはいきませんが、それに押しつぶされてしまっては元も子もありません。
こんな不条理に襲われても、そんな中で、ささやかな「幸福」を見つけながら、ウイルスと闘い、粛々と嵐が去るのを待つしかないという気がします。
さて、こんな騒動の中で、百姓はどうか。
実は、百姓は、コロナ以前も、以後も、その生活はほとんど変わっていません。
時々、種や苗を飼いにいく以外は、ほぼ畑と自宅の往復の毎日。
毎日顔わ合わせるのは、10m離れた、隣の畑のお母さんだけ。
食事は全て、畑で取れた野菜で自炊。
世間の皆さんには、申し訳ありませんが、このコロナ騒動の中でも、野菜作りに勤しむ百姓は、ゴーイング・マイ・ウェイ。
そんなキャラクターが、本作のキャラクターに一人だけいました。
リユーの患者である、喘息持ちの爺さん。
彼だけは、この騒動の中にあっても門外漢。
ゴホゴホしながらも、エンドウ豆を選り分けながら、誰とも会わず、日々変わらない日常を淡々と続けています。
僕は喘息持ちではありませんが、畑仕事だけでも充分に忙しい毎日です。
雨が降って畑に行けない時は、自宅で読書をするのみ。(時々ネットカラオケ)
これで案外、不幸だという気はしていませんから、救われていますね。
もしも、この騒動がまだまだ続くというのであれば、市役所の職員ジョセフ・グランよろしく、ゆっくりと小説でも書きますか。
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