スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け
さあ、ついにエピソード9まで、全て鑑賞終了。
スピンオフ企画や、テレビ・シリーズ、コミック、小説などなどの派生シリーズも入れれば、とてつもないメディア・ミックスのコンテンツに膨れ上がっている「スター・ウォーズ」シリーズですが、まずは正史である本シリーズだけを、公開順に一気に追っかけて来ました。
とにかく、コアなファンの多いのが、このシリーズです。
YouTube を検索すれば、プロからアマチュアまで、今や、いろいろなファンがその感想を動画発信していますが、まずは60才のオヤジの感性だけでどこまで、受け止められるかを知りたかったので、ネタバレ予防も含め、あえて、これらはスルーしてきました。
チェックしてきたのは、ストーリーと固有名詞をきちんと確認するための、Wiki の解説のみ。
今回で、一応全部鑑賞は終了いたしましたので、ネット上のネタバレ解説や感想も解禁。
まずはファンの評価をザザッとチェックしてみることにしました。
すると、今のところ、常識となっているのが、旧三部作がシリーズの原点。
若いファンで、旧作はチャチイという感想もあるかもしれませんが、これに文句を付けるファンは、基本見当たらない。
特に優れているのは、「帝国の逆襲」かな。
それから16年後に、ジョージ・ルーカスが全て監督した新三部作は、旧三部作からのファンたちから見ればどれも、評価は微妙。
期待が大きすぎたのと、お待たせが長すぎたことが原因かも。
また、ストーリーが、アナキンがダークサイドに落ちて行く経緯を描いたものなので、旧三部作のようなカタルシスを描くのは難しかったかもしれません。
全編フルCGの画面構成も、評価の別れるところ。
オジサンとしては、それはそれで面白かったけどね。
そして、その12年後に、ディズニーが権利を買い取って、製作されたのが続三部作です。
ルーカスの手を離れたことが、吉と出るか、裏目に出るか。
まず、「フォースの覚醒」は、30年前の「ジェダイの帰還」から、旧キャストも上手に使って、ストーリーを無難につなげて合格。
心憎いファンサービスで仕上げた一本でした。
続くエピソード8は、かなり攻めた脚本で、賛否両論分かれましたが、コアなファンたちの間では、概ね良好な評価。
でも、興行としては「スターウォーズ」レベルとしてはイマイチ。
これを受けて、エピソード9は、再びファンサービスを徹底しました。
これもまた賛否両論。
ネット上で、エピソード9の感想の詳細をチェックしてみると、皆さん、それぞれに思い入れがありすぎるようですね。
熱の入り方も半端じゃなく、その指摘はかなり細かい。
「俺のスタ・ウォーズは、こうでなければいけない」熱が溢れていました。
確かに、すべてのファンを納得させる最終回を作るのは、至難の技。
ただ、聞いていると、このエピソード9を酷評しているファンたちのほとんどが、どなたも短期間に複数回見た上で感想を述べていらっしゃる。
嫌いだという映画を、お金を払ってまで、繰り返し見るのですから、嫌い嫌いも好きのうちというところでしょうか。
つまりは、本作にダメ出しをするファンも、基本的にはこのシリーズを愛して止まないからで、酷評も、彼らなりの立派な愛情表現なんだと理解することにします。
さて、とりあえず、何度も繰り返し見る体力もないオジサンとしては、リアルタイムで見た旧三部作以外は、すべて一回見ただけの感想で心苦しい限り。
従って、細かいロジックに突っ込む余裕などはなく、とりあえずは、今まで見てきたたくさんの映画と同じまな板の上に載せて、検証することにいたします。
ズバリ。まず結論から申せば、これまでのエピソード同様、今回も充分に面白い作品でしたよ。
この世紀のシリーズの大円団としては、頑張ったんじゃないでしょうか。
我々オールドファンにも、たっぷり配慮していただいて、J.J.エイブラムス監督には、感謝しないといけませんね。
これまでのシリーズ同様、日本文化に対するリスペクトも多々感じられ、また随所に過去の傑作映画のエッセンスも上手に取り込んでいて、古き良き時代からの映画ファンとしては、ニンマリ。
レイが砂漠の惑星で、背後から戦闘機に狙われるシーン。
あれを見て、ヒッチコックの「北北西に進路をとれ」だと気がついた人もいるんじゃないでしょうか。
あのラストのレイの決め台詞も、よかったなあ。
伏線が途中にあったので、予想はつきながらも、涙腺は崩壊。
なんのかんのといっても、この監督。
やるべきことはきちんとやってくれたと評価することにいたします。
さて、まずは、この映画の製作前に亡くなっていたキャリー・フィッシャー問題がありました。
これは、エピソード7での、未使用のカットを上手に脚本に取り込むという方法でクリアされていました。
クレジットには、アーカイブ出演と記されていましたね。
そう言われてみれば、やはりセリフのやりとりが、ちょっと不自然かなという気もしましたが、そこを突っ込むのは映画ファンとしては野暮というもの。
ここは、代役などを使わずに、ファンが一番喜ぶ方法で、上手に処理してくれたと評価するのが筋でしょう。
若き日のルークと、レイアがライトセーバーの訓練をしているシーンもありました。このシーンで、レイアを演じていたのが、実の娘のビリー・ラードだそうです。
顔だけは、CG合成かな。
さて、本作までに解明されていなかった謎が、レイの出自問題でした。
いったい彼女の持っているフォースは、誰から引き継いだものなのか。
ここは、作り手としては、旧三部作と同様のサプライズを仕掛けたいところだったでしょう。
でも、ここまで、一度も登場していないキャラをいきなり持ってくることを、ファンが受け入れるかどうか。
だとすると、誰がいるだろう?
心配していたら、冒頭のオープニング・ロールで、のっけからパルパティンの復活宣言。
エピソード6で、ダース・ベイダーことアナキン・スカイウォーカーによって原子炉シャフトに投げ落とされて絶命したはずのダース・シディアスこと元銀河帝国皇帝パルパティンが、実はクローンの肉体を借りることで生き延びていた・・
いきなりこう説明されました。
ははあん、そうくれば、レイの血筋は、おそらく・・
というわけで、ファンなら、誰もがピンとくる展開で映画はスタート。
さあ、このパルパティンがいるシスの巣窟が、銀河の地図にも載っていない惑星エクセゴルです。
彼はここで、単体で惑星を破壊できるスター・デストロイヤーを搭載した、ファースト・オーダーをはるかに凌ぐ大艦隊ファイナル・オーダーを指揮下に置いています。
そして、カイロ・レンに、この大艦隊を指揮させる代わりに、レイを抹殺しろと迫ります。
一方、ファースト・オーダーにいるスパイ(これが如何にもの人物でニンマリ)から、パルパティンが生きていることを知ったレジスタンス。
レイは、レイアの元で、フォースの修行を続けていましたが、ルークの残した古い書物から、ウエイファインダーを見つければ、惑星エクセゴルに行けることを知り、仲間たちと一緒に砂の惑星パサーナに向かいます。
さて、この惑星パサーナで登場したのが、嬉しいあの人。
そう旧三部作で、登場したハン・ソロの盟友ランド・カリジアン。
演じるビーリー・ディー・ウィリアムズは、この時82歳。
このシリーズは、よくよく高齢の御大たちを働かせます。
いやいや、この人も頑張ってくれました。
一行はここで、ウェイファインダーの在り処を示したタガー・ナイフを発見。
但し、このナイフに刻まれたシス語は、C3POに設定されていたプログラムでブロックされており、記憶はできるが解読不能。
そこへ、レイとのフォースを感じながら追ってきたレン騎士団。
レイとレンの一騎打ちの間に、チューバッカが捕らえられ、タガー・ナイフも敵の手に落ちてしまいます。
そして、レイたちは、C3POのメモリーにあるシス語を解読するために雪の惑星キジーミへ。
この惑星の名前も、どこか日本テイスト。
何かと日本文化に触発されていた原作者ジョージ・ルーカスの好みが反映されていそうなネーミングです。
ひょっとしたら、木島さんとか、小島さん由来かもしれません。
ちなみに、オビ=ワンは、「帯」から来ていますし、ジェダイも「時代劇」からインスパイアされているのは有名な話。
さて、C3POの記憶が全て消去されるという犠牲を払って、ナイフのシス語は解読されます。
そして、ウェイファインダーの在り処を示す宇宙座標が判明。
もちろん、ここにもレン騎士団は追ってきます。
しかし、一行はポーの昔のガールフレンドらしきゾーリ・ブリスの協力を得て、ファースト・オーダーの艦内に潜入。
チューバッカを救出しようとしますが、ここでまたレンとレイの対決があります。
さあそして、いよいよここでレイは、レンの口から自分の祖父がパルパティンであることを告げられます。
そりゃそう。だよねえ。
次に一行が向かうのが、惑星エンドアの「海の月」ケフ・ビァ。
おっ、ここで再び惑星エンドアの名前が。
オールドファンは、これには反応します。
えっ、もしかしたら、あのイウォークが・・
そんなことでも、胸はバクバク。
ここに、あの爆破されたデス・スターの巨大な残骸が。
ナイフに刻まれたシス語のメッセージには、ウェイファインダーは、そこにあることを示しています。
この惑星で登場するのが、フィンと同じく、元イトームトゥルーパーだったという黒人女性ジャナとその一団。
彼女から提供された船で荒れ狂う海を渡るレイ。
たどり着いたデススターの残骸の中で、レイは再びカイロ・レンと対峙。
レイはそこで、ダークサイドに落ちた未来の自分の姿を見てしまいます。
レンは、パルパティンを葬って、二人でファイナル・オーダーを支配しようと、レイに手を差し伸べます。
しかし、それを拒否するレイ。
再び二人の、ライトセーバー対決。
しかし、レイアの最後のフォースで、次元を超えて呼び掛けられたレンの一瞬の隙をついて、レイのライトセーバーが、レンの体を突き刺します。
おっ、カイロ・レンはこれで絶命か。
しかし、レイは、自らのフォースでレンを再び蘇らせます。
戦いに勝利したレイは、レンの戦闘機で、ケフ・ビァを脱出。
レイは、ダークサイドに落ちてしまう自分の運命に恐怖を感じ、ルークが隠匿した惑星オクトーに身を隠そうとします。
しかし、そこにルークの霊体が現れて・・
一方、レイとの戦いに敗れたレンの前に現れたのが、父親ハン・ソロの幻影。
(ソロはジェダイではないので、霊体ではない)
もちろん、エピソード7に引き続き、ハリソン・フォードの登場です。
エピソード7では、この展開で、ハン・ソロにライトセーバーの一撃を炸裂させて、命を奪ったレンですが、父親の声に、ライトサイドのベン・ソロを取り戻します。
そして、そのライトセーバーは、海に投げ捨てられます。
その頃、レジスタンスの基地では、レイの残した座標から惑星エクセゴルを特定。
ポーたちの部隊が攻撃に向かいます。
そして、パルパティンと最後の対決をするべく、レイも惑星エクセゴルへ。
今はベン・ソロを取り戻したカイロ・レンも、この対決に加わります。
レンとレイの一対のフォース・パワーで、自らのフォースを増大させたパルパティンは、その巨大になった力で、レンを奈落の底に突き落とし、レジスタンスの部隊にも、強力なフォースライトニングで襲いかかります。
しかし、ルークとレイアの残した二つのライトセーバーで、パルパティンを撃破したレイ。
しかし、彼女は、フォースを使い果たし、そのまま力尽きてしまいます。
パルパティーンが死んだことで、フォースの攻撃からは逃れた反乱軍ですが、ファイナル・オーダーの攻撃に、次第に追い詰められていくレジスタンス部隊。
しかし、そこへ現れたのが、ランド・カリジアン。
彼は銀河の無数の人民援軍部隊を引き連れていました。
これで、息を吹き返したレジスタンスは、一気に反撃。
お約束通り、ファイナル・オーダー艦隊の弱点をついて、壊滅させます。
一方、奈落の底から這い上がって来たレンは、最後のフォースの力で、レイを蘇生。
二人はキスを交わしますが、レンはそのまま力尽きます。
とある惑星に集結して、勝利を祝うレジスタンス部隊と援軍部隊。
レイと、ポーと、フィンも互いの検討をたたえあって抱き合います。
ワンカットだけですが、期待していたイウォーク族のウィケットも登場。
ありがとうございます。
めでたしめでたし。
さあそして、いよいよラスト・シーン。
レイは、ルークの故郷惑星タトゥーインに飛び、ルークとレイアの二つのライトセーバーを、布に包んで砂の中に埋めます。
通りかかった老婆に、名前を尋ねられるレイ。
「あなたの名前は?」
「レイ。」
「どちらのレイ?」
「レイ・スカイウォーカー!」
本来ならレイ・パルパティンである彼女は、最後にしっかりとそう答えて、スター・ウォーズの9部作が締めくくられます。
佇むレイの向こうには、タトゥーインの二つの太陽が・・
タイトルの「スカイウォーカーの夜明け」に、無事つながったところで、映画は終了します。
映画は、目まぐるしい展開なので、終わってからゆっくりと、ストーリーを自分なりに咀嚼してみて、納得できたことも多々。
展開をこうやって文章にしてみると、確かにご都合主義かなと思われる点もあります。
しかし、本編の流れの中では、ほぼ違和感はありませんので、僕個人としては、あまり突っ込もうとは思いません。
J.J.エイブラムスの選択は、明らかにロジックよりも、エモーション。
そして、我々オールド・ファンに対する徹底したサービス精神。
そう作っておくほうが、興行収入は上がるというディズニーのマーケット・リサーチに基づく最終判断でしょう。
ジョージ・ルーカスが、このエピソード9に対して、公式なコメントを寄せていないのが、何を物語るのか。
しかし、製作側がそう舵を取ったなら、観る側が、あれこれ細かいところを突っついて、ケチをつけるのも野暮というもの。
ファンサービスが過ぎるという声もありましょうが、もちろん、映画では、このシリーズのからの主要キャラたちも、みんなそれなりに魅力的に描かれています。
本作からシリーズを見始めることになる新ファンも、ちゃんとそれなりに楽しめる作品になっているんじゃないでしょうか。
旧三部作のような、今まで見たこともないワクワク感求めたファンには、やや物足りない感はあったかもしれませんが、そのリスクは敢えて取らずに、ここまでのスター・ウォーズはきちんと総括したという意味では、合格のような気がします。
さて、全て見終わって、ハタと気がついたことがひとつ。
全ての謎は、映画的には全部解明されたとばかり思っていましたが、一つ残っていました。
そういえばあれはどうした?
そう、エピソード8の、ラストシーン問題です。
物語とはなんの関係もなく、突然奴隷の子供たちが出てきて、伝説のジェダイ騎士ルークたちの人形で遊んでいると、それを見つけた主人に怒鳴られます。
「遊んでないで働け!」
少年の一人が、外に出て箒で掃こうとすると、なんとその箒が少年の手にスイっと空中移動。
そう、この少年はフォースを使うんですね。
そして、銀河の空を見上げる少年の指には、レジスタンス部隊の指輪が・・
これが、エピソード8のラスト・シーンでした。
こんなエンディングは、スター・ウォーズ史上初めて。
いったいあの少年は何者?
ところが、このシーンについて、エピソード9では、全くのノータッチ。
一切説明がされていませんでした。
ランディ監督が投げた球を、なぜJ.J.は、シカトしたのか。
すでに、製作が決まっているエピソード10からの、新しいヒーローが彼なのか?
そういう話になっていルのだとすれば、エピソード9で、触れないのはちょいと不自然。
ジェダイの騎士たちを、憧れのヒーローにして遊んでいた奴隷の子供たち。
あの箒の少年は、今までの物語の誰と繋がっていて、あの指輪をしていたのか。
それとも誰とも、繋がっていないのか。
あれは、エピソード8の中だけのお遊びだったのか。
これが非常にモヤモヤしてきました。
どこかに、解説はないものか色々と調べてみましたが、解答はなし。
ところが、映画評論家の町山智浩氏が、ランディ・ジョンスン監督にインタビューしたという記事を読んで、その謎が氷解しました。
その記事にはこう書かれていたんですね。
「監督は、ミステリー好きで、特にアガサ・クリスティのファン。彼は、彼女の書いたミステリーの中でも特にデビュー作の『アクロイド殺人事件』が好きなんだそうです。監督は、エピソード8は、僕にとっての『アクロイド殺人事件』なんだと言ってました。」
ミステリー好きの元本屋の息子が、この有名すぎる推理小説を読んでいないわけがない。
「アクロイド殺人事件」は、いわゆる叙述ミステリーと呼ばれるジャンルの推理小説の代表作。
叙述ミステリーとは、読者にあえて情報を伏せ、事実を誤認させるトリックを使ったミステリーのことです。
先入観などを利用し、事実を誤認させる手法のミステリーですね。
古典の有名過ぎるミステリーですから、ネタバレでいきますよ。
「アクロイド殺人事件」の場合は、物語の手記を綴っていた書き手が、実は犯人だったというもの。
まだ、叙述トリックが知られていない頃のミステリーでしたから、ファンの間ではビックリと同時に賛否両論。
推理小説としては、邪道だと非難するミステリー・ファンも多くいました。
さあ、ランディ監督のエピソード8が、このミステリーをなぞっているのだとしたら、ラストシーンの意味するところは、わかります。
このスター・ウォーズの壮大な物語は、実はすべてこの奴隷の子供たちの妄想だったんだよというオチ。
これは、原作者であるジョージ・ルーカスには、ちょっと思いつけなかった発想でしょう。
子供の頃から、この「スター・ウォーズ」のファンだったというランディ監督ならではの視線です。
そうなんですね。
世界中のファンたちをヒートアップさせているスター・ウォーズですが、元はといえば、ジョージ・ルーカスの妄想が、映画という媒体を通して、大きく膨れ上がったおとぎ話。
ですから、お気に召さないところや、納得のいかないところが多少あっだとしても、その辺はサラリと流して、どうか肩の力を抜いてお楽しみください。
あの奴隷の少年のように、この銀河の伝説の物語を、友達に伝えてください。
そうすれば、あの少年のように、あなたにもフォースが・・
というわけで、長々と書いてきましたが、最後はヒッチコックが、イングリット・バーグマンに言ったというあのセリフをもじってあえて一言。
「たかが、SFですよ。」
なんて言ったら、やっぱり、コアなファンには怒られるかな。
失礼しました。
本当にご馳走様でした。
ああ疲れた。
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