1965年のワールド・ツアー。
ボブ・ディランは、フォーク・ギターを、エレキ・ギターに持ち替えて、ロック・スタイルで聴衆の前に立ちました。
すると、それに不満な観客の一人からヤジが飛びます。
「ユダ!」(裏切り者!)
しかし、ボブ・ディランは、「お前は嘘つきだ。」と言ってそのファンを一蹴。
大音響で「ライク・ア・ローリング・ストーン」を演奏し始めます。
フォークの弾き語りこそ、ボブ・ディランの真の姿だと信ずるこのファンには、ボブ・ディランが、流行に迎合した裏切り者に思えたのでしょう。
メタルのファンには、こういうタイプが非常に多いというわけです。
本書の中で、著者はこう言っています。
「メタルは、「俺たちは決して裏切らない」という強いメッセージを発信する様式の音楽だと考えられます」
ボブ・ディランは、あえて、ファンを裏切る選択をすることで、後には、ノーベル賞を受賞するまでになるビッグな存在になりました。
しかし、メタルのミュージシャン達は、それをしないことで、ファン達の信頼を勝ち得ているというわけです。
彼らが、ちょっとでも売れ線狙いをしたり、耳障りのいい歌詞に逃げたりすれば、ファン達からは、即座にこう叩かれます。
「日和ってんじゃねえ!」
本書曰く、
「メタルファンが持つこの「不寛容性」は、メタルファン内部における社会性の高さの裏返しだ。」
「メタルファンには裏切りに対する恐怖心というものが根強くあって、信頼できるものをどうしても探してしまう傾向がある。そうした指向性を持つ人たちが、まるで磁石のように、メタ ルという音楽ジャンルに引き寄せられるのかもしれません。」
僕の世代は、メタルが音楽シーンに登場してきた80年代後半は、もうそこそこの大人になっていましたので、本書の中で著者が言うように、「騒がしい、攻撃的な」ジャンルという印象で、ちゃんと聞くことは敬遠していました。
ファン達の過激なファッションや、ライブでの危なそうなノリも、正直眉をひそめていましたね。
僕らの年代にもハードロックやグラムロックというジャンルはありましたが、メタルロックと明らかに違うのは、そのネガティブで過激な歌詞。
本書を読みながら、YouTubeで、メタリカやアイアンメイデンも聴いてみましたが、あの歌詞を、大音響とストレートでヘビィな演奏で脳みそに叩きつけられたら、変な洗脳をされてしまうのではという懸念を感じるのももっとも。
ところが、ところが・・
著者はこう言います。
「メタルは攻撃性の緩和に使えるジャンルの音楽」
どうして、そうなるのかといえば・・
「人は深い苦痛を発散できなければ、心身症やノイローゼ、暴力や自殺などさ まざまなかたちで負の現象が表れます。彼らはメタルを聴くことで、心のなかにある不安やイ ライラや怒りなどを浄化している」
なるほど。
考えてみると、メタルが受け入れられてきた背景には、心に闇を抱えた内向的な若者達が世の中に増えてきたことと呼応するところがあったかもしれません。
平たく言えば。、いわゆる「オタク」と言われている人たち。
実は僕もかなりのオタクでした。
僕の少年時代にははまだ、オタクという言葉はありませんでしたが、何かに没頭すると、友達と一緒に遊ぶよりは、何時間でも「ひとり遊び」しているタイプではありました。
ただ当時は、オタクという言葉はない代わりに、ネクラという言われ方があって、そう言われるのは心外だったんですね。
なのでクラスの友達の前では、率先しておチャラケ・キャラで通していました。
幸い、オタクでありながらも、ミーハーでノーテンキではありましたので、内向的に不安やストレスを溜めてしまうタイプではなかったようです。
しかし、自分の内面や趣味嗜好を肯定的には捉えられず、普通のコミュニケーションも出来ないような不器用な子達が、確かにどのクラスにも、教室の隅にごく少人数はいました。
メタルファンにはそういう、一握りの変わりものか多かったはずだと著者は言います。
彼らはよくこう言われていました。
「何を考えているのかわからない。」
ところが、どっこい。実は、彼らはちゃんと考えていたんですね。
ある意味では、僕のようなミーハーよりも、遥かに深く、真剣に。
彼らは、人間社会の澱が溜まっていく中で、徐々に自分殻に閉じこもり、その鬱屈としたものを外に吐き出せずに、そのストレスを溜めるようになってきてしまった。
そこに登場したのがメタルという音楽だったわけです。
「おお、ここに、自分たちよりも、もっとネガティブで破壊的な世界があった。」
そんな彼らが、メタルの世界にシンパシーを感じて飛びついたというのは理解できる気がします。
確かに彼らにとっては、耳障りのいい流行りのポップスは、あまりに嘘臭くて、ストレスが溜まるものだったのでしょう
悲しみを癒すためになにをすればいいかというと、実は明るく前向きな音楽に浸ることではなく、反対にもっと「悲しい音楽を 聴くこと」だということは、心理学的に明らかになっいるそうです。
メタルに飛びついた若者達は、自分たちを肯定してくれるこのシンプルで重厚な音楽に身を委ねながら、次第に心身のバランスを取るようになっていったという訳です。
「人間が愛と平和の存在であるとする確証などほとんどなく、むしろわざわざ美しいことを言わなければ社会を保てないほど、人間は凶暴な存在。」
これは、絶え間なく戦争を繰り返してきた人類の歴史を見ても明らかなこと。
誰もが、状況次第では、人を殺すことも厭わなくなる凶暴性を秘めているというのは、戦争体験者の話を聞を聞くたびに身につまされます。
その本能をコントロールするために必要なものは、耳障りのいいヒーリング・ミュージックや、ジョン・レノンの「イマジン」のような直接平和を訴えかける楽曲ではなく、実はその本能を鷲掴みにして、揺り動かすメタルのような音楽だというのが、本書の骨子。
「欺職に満ちた社会に対して、暴力によら ずに音楽の力で強烈な一撃をくらわすこと、それこそがメタルの存在意義なのです。」
なるほど。
メタルのファン達は、その外見とは裏腹に、もしかすると、僕のようなミーハーに比べれば、はるかにデリケートで、センシティブで、前向きな人たちなのかもしれません。
「天才は残酷な音楽を好む」
個人的には、ビートルズだって、音楽の力で世界を変えるぞと言いたいところですが、そこは天才ではない凡才の悲しさ。
ここまで立派な論考を立てられないので、とりあえずギブアップ。