映画「安城家の舞踏会」
1947年といいますから、昭和22年製作の映画。
新憲法の成立に伴い、華族制度が廃止された、まさにその年に公開された映画です。
この華族制度のスタートは明治維新です。
この時、版籍奉還が行われ、日本中の大名は、殿様を廃業。
爵位を与えられることになります。
爵位には、五段階ありますが、これを全部ひっくるめて華族というわけです。
一番各式が高いのが公爵。
五摂家や徳川宗家。
その下が侯爵。
家格が上位の公家。徳川御三家。大名の中でも有力なもの。
そして、「国家に勲功のあるもの」に相当する明治の元勲。
大久保利通がここにあたります。
その次が伯爵で、この映画に登場する安城家の当主も、伯爵の地位にありました。
このクラスが、全国で、一般大名だったクラス。
絵画として飾ってあった肖像画の祖父が、軍服を着てカイザー髭をはやしていたので、「国家勲功のあるもの」でもあったようです。
伊藤博文や、山縣有朋がこのクラス。
次の子爵は、ちょっと格下の大名。大名家の分家や、諸侯クラス。
そして、最後が男爵。
ここになると、家老クラスの家でも認められていました。
華族たちの間には、すでに主従関係はもちろんありませんが、封建時代の名残りはまだ色濃く残っていました。
華族たちには、事実上の政治力は既にありませんでしたが、国から「名家」としてのお墨付きだけはもらっていたということでしょう。
財産だけは、そこそこあったはずですから、それを元に起業して、経営者となって成功していた華族もいたでしょうが、そのプライドから、市井にまみれることを潔しとせず、ただ財産を食い潰しながら、殿様生活を続けて、結果没落していった家もあったと思われます。
そして、この華族制の廃止により、財産をすでに売り払ってしまった華族は、たった一つの財産とも言える爵位も失うということになるわけです。
この映画の安城家の当主忠彦(滝沢修)は、新興成金の新川(清水将夫)に、自分の名をバックにさせて商売を成功させていましたが、最終的には、その財産のほとんとが、抵当に入ってました。それでも、新川をあてにする忠彦ですが、「名前」の切れ目が縁の切れ目。
伯爵ではなくなった安城家は、もはや用はないというわけです。
安城家の財産は、今や、すべて新川のものになろうとしていました。
しかし、安城家の元運転手だった遠山(神田隆)が、運送業で財を成し、安城家の次女敦子(原節子)の要請を受けて、安城家の財産を買い取ろうと名乗りを上げます。
しかし、元運転手に買い取られることを、プライドが許さないのが、忠彦と長女の昭子(逢染夢子)。
長男の正彦(森雅之)は、そんなお家の没落を、どこか斜に構えて、他人事のように振る舞いながら、女中のキクに手を出したり、その裏で、新川の娘と婚約までしたりています。
崩壊寸前の安城家の中で、一人気丈な敦子は、最初は反対していた舞踏会を開くことを決断。
映画は、ここからラストまで、この舞踏会の中で、物語が進行していきます。
舞踏会の参加者に、かつて名士が集って華やかに開催された舞踏会の映画を語る忠彦の姉。
新川に最後の懇願をするも冷たく断られ、拳銃を向ける忠彦。
婚約を破棄されることを新川から聞き、その娘(津島恵子)を、酔わせて犯そうとする正彦。
昭子に思いの丈を告げるが、拒絶され、泥酔する遠山。
その遠山の持参した現金で、安城家を彼に売り、新川に借金を突き返す敦子。
忠彦の愛人を舞踏会に招待し、参加者の前で忠彦との結婚を発表する敦子。
そして、「お幸せに」と告げて家を出て行く遠山を、身につけた宝飾品を脱ぎ捨てて追いかけていく昭子。
そして・・・
まあまあ、よくもこの一幕の中に、これだけのドラマを、小気味よく、次から次へ詰め込めたもんだと感心していたら、この脚本を書いたのは、達人新藤兼人でした。
監督の吉村公三郎と彼は生涯における盟友ですが、彼のキャリアを見る限り、脚本家としては、本作が出世になっていますね。
見事でした。
ただ、個人的感想を一つ。
遠山(悪役ではない神田隆は実は初めて見た)は、安城家で運転手をしていた時から、ずっと長女の昭子に想いを寄せていて、彼女が嫁いだ時に、いたたまれずに安城家を飛び出したということになっているのですが、なんで、思慕するのが、妹の原節子ではなかったのか。
もちろん人の趣味には色々あっていいのですが。
まあいいか。
それくらい、この作品での原節子は、綺麗に輝いていました。
ちょっとご一緒に、踊りたくなるくらいにね。
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