ヘレディタリー 継承
しばらく、ホラー映画を見ていませんでした。
本作は、アリ・アスター監督の長編デビュー作。
順番は逆になりましたが、二作目の「ミッドサマー」は、一昨年映画館で見ています。
その頃から、このデビュー作の評判は耳に入ってきておりましたね。
「ミッドサマー」もそうでしたが、この監督のホラー演出は、ジックリジワジワ型。
ショック演出は、サプライズというよりは、生理的嫌悪感の急所を責め立ててくるので、「いやーな感じ」がボディブローのように効いてきます。
ラストのカタルシスのための伏線が、本編中には、丁寧にばら撒かれていきますので、段々と目が離せなくなってきます。
主演の母親役アニー・グラハムを演じたトニー・コレットは大熱演でした。
ホラー映画のヒロインは、ただ絶叫していればいいというものではないということを教えてくれます。
ヒロインが真相に近づく過程が、家族から見れば、ただ彼女が崩壊していく過程に見えてしまうというのが、この脚本のミソ。
彼女の家族は、一人一人死んでいき、最後に残ったのは・・
このアリ・アスター監督の二本もそうですが、ジョーダン・ピール監督の「ゲット・アウト」や「アス」などのホラー映画でも率直に感じたこと。
とにかく、脚本が見事に練られていて驚きますね。
そのおかげで、ヒッチコック作品にも通じるようなミステリーの味わいもあり、いたずらにショック演出のビジュアルだけに頼らない「話し運び」が、作品のクゥオリティを確実にあげています。
今のアメリカでは、これくらい脚本がしっかりしていないと、ホラー映画も撮らせてもらえないのかもしれません。
ただ、個人的には、あのラストのラストは、いかにもアメリカ映画としての、無難な「落とし所」だったような気がしています。
純粋なホラー映画としてなら、あの前にも、エンド・マークのタイミングは、いくつもあったように思います。
脚本に気合を入れすぎてしまうと、書き手としては、実はどうしても「答え」を用意したくなるものです。
出来すぎた脚本の陥る罠がこれです。
本当に怖い映画には、「答え」は入りません。
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