野生のエルザ
中学校の頃(70年代初め)だったと思いますが、学校推薦の映画というのがあって、それを上映している映画館の割引券みたいなものが配られたんですね。
定番だったのは「サウンド・オブ・ミュージック」とか、「ウエストサイド物語」「南太平洋」といった「明るく楽しい」ミュージカル。
「ミクロの決死圏」「猿の惑星」といった60年代の傑作冒険活劇。
「小さな恋のメロディ」なんかもありましたね。
ディズニー・アニメも、もちろんありましたが、ディズニー製作の映画としては、「砂漠は生きている」や「灰色グマの一生」のような教養系ネイチャー・ドキュメントも多数あった記憶です。
この流れで、本作「野生のエルザ」も、よく取り上げられていました。
しかし、当時の僕は、中二病真っ盛りの、かなり怪しげなマセガキでしたので、自分の小遣いで見にいく映画は、絶対にエロいシーンが盛り込まれているものだけと決めていました。それゆえ、例え割引があったとしても、その可能性がほぼない「学校推薦」の映画群には、目もくれませんでした。
その代わり、「卒業」「フレンズ」「愛の狩人」「わらの犬」などといった、キワドイ映画群は、何度見たかわかりません。
そんなわけで、本作も、これだけの傑作でありながら、ちゃんと見たのは、恥ずかしながら今回が初めて。
それなのに、本からの情報だけの知識で、友人には、「実話は重みが違う。あのラストは泣けた」なんて映画マニアを装ってもっともらしいことを言ってきたわけですから、このオヤジもなかなか大したもんです。
しかし、本作は映画自体は見ていなかったものの、ジョン・バリーの作曲による主題歌「ボーン・フリー」は、中学生の頃から大のお気に入りでした。
中学時代は、レコードを買う小遣いはないので、FM放送のエアチェックをマメにしていました。
そんな中で、60年代のオリジナル・サントラを集めたTDKの90分カセット・テープは、ヘビー・ローテーションで聞き込んでいましたので、この主題歌は、完全に耳に焼き付いてしまっています。
インストゥルメンタルのバージョンと、マット・モンローの歌うバージョンがありましたが、アンディ・ウィリアムスも歌ってました。
本作は、ジョイ・アダムソンが、アフリカで実際に体験した、ライオンとのふれあいがそのまま原作小説になっています。
両親を殺されたライオンを引き取った夫婦が、そのライオンをやがて野生に戻すというだけの実に単純なストーリー。
しかし、一度人間に飼われてしまったライオンが、サバンナの弱肉強食の大地で、生きていくための「本能」を取り戻すというのは、並大抵のことではありません。
満身創痍で戻ってくるエルザを、優しく抱きしめながら、再びサバンナに置き去りにする夫婦の葛藤。
やがてエルザは、次第に野生の本能を取り戻していきます。
イボイノシシを独力で捉え、ライオンの群れにも順応していくようになります。
夫婦は、野生に戻ったエルザをしっかりと見届けて、本国イギリスに戻ります。
一年後、再びケニアにやってきた夫婦は、広大なサバンナの草原で、エルザを探します。
しかし、エルザは見つかりません。
野生に戻ったエルザは、もう会えないのかと思ったその時、一匹の雌ライオンの鳴声が。
3匹の子ライオンを連れて、夫婦の前にゆっくりと歩いてきたのはエルザでした。
わかってはいても、もう号泣でしたね。
中学生の時には、見向きもしなかった映画でしたが、還暦を超えたジジイになった今頃、しっかりと泣かせてもらいました。
野生に戻っても、夫婦に育ててもらった恩を忘れずに、しっかりと「挨拶」に来たエルザ。
そんなにエルザに頬擦りをする夫婦ですが、小ライオンたちを抱き上げるのは、グッと堪えます。
野生の中で生きている彼ら(彼女?)に、安易な愛情は禁物であることを、夫婦は学習していました。
丘の上から呼ぶ雄ライオンの雄叫びに応えるように、踵を返してゆっくりと去っていくエルザは、明らかにかつてのエルザとは違っていましたよ。
アカデミー主演動物賞といのがないのが、残念なくらいの名演技でした。
ライオンはともかく、犬でも猫でも、動物はけつして嫌いではありません。
けれど、今までにペットを飼ったことはありません。
一人暮らしですので、ペットと暮らすことも考えなくはないですが、やはりこんなマンションで飼うのは、ちょっと可哀想という思いがあります。
百姓で食べていける目処がついたら、どこかの田舎に引っ込んで、古民家をゲットするというのが、今のところの目標。
そうなったら、パートナーとして考えてみてもいいかなと思っています。
やはり、動物なら、少しでも、野生に近い自然の中の環境で育ててあげたいという思いはあります。
本日も、野菜畑を横断する野生のイノシシの足跡がくっきりと残っていましたか、彼らは彼らなりに、なかなか大変のようではありますが。
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