ライムライト 1952年アメリカ
チャップリンの映画の有名どころは、ほぼ見ている気になっていましたが、よくよくフィルモグラフィを眺めてみると、本作が未見であることに気づきました。
新しい映画も見たいところですが、やはり当たり外れはあります。
そこへいくと、評価も定着している往年の名画は、安心してみられます。
映画マニアを自称する以上、やはり「見ておかなければいけない作品」は、見ておきたいところ。
まだまだ、見逃している傑作はありそうです。
さて本作は、1952年製作。
この映画を見ているうちに、なぜか黒澤明監督の「夢」を思い出していました。
「夢」といえば、黒澤監督の、最晩年に作られた作品。
スティーヴン・スピルバーグの協力を得て、作られたオムニバス映画です。
映画のテーマは、まさに黒澤明監督が見た「夢」そのもの。
もちろん、それなりのクゥオリティもあり、楽しめた映画でしたが、やはり往年の傑作と比べると「老いた」という印象は残りました。
そして、それと同時に思ったことは、この「夢」という映画が、黒澤監督の残した30本の作品の中では、最もプライベートな作品であるということ。
それはそうですね。
自分の見た夢を映像化しているわけですから、考えてみれば、これは究極のプライベート作品と言っていいでしょう。
自主映画ならまだ知らず、そんじょそこらの監督では、どこもお金を出さない企画のはず。
何が悲しくて、他人の見た夢なんか楽しめますかという話です。
しかしもちろん、そこは天下の黒澤明。
最終的には、きちんと、万人が楽しめるエンターテイメントに仕上げていますが、考えてみれば、映像作家として、これくらい贅沢な作品はないのかもしれません。
黒澤監督の、揺るぎないキャリアがあったればこそ、この映画は成立したといっても過言ではないと思います。
「ライムライト」も、ここが同じ。
映画史に残したチャップリンの輝かしい足跡があったことが大前提で、成立した映画かなという気がしました。
つまり、本作は、黒澤明監督の「夢」同様、極めてチャップリンの「私的映画」という側面が強い作品だということです。
チャップリンといえば、「モダン・タイムス」で、来るべき機械化社会を予測して痛烈に批判し、「独裁者」では、ヒットラーの全盛期にも関わらず、とことん茶化すことで溜飲を下げ、「殺人狂時代」では、戦争を痛烈に皮肉って、最後は赤狩りでアメリカを追放されてしまった反骨の映画作家。
彼は、極め尽くしたパントマイム芸と、「笑い」という最強の武器で、何者にも忖度せず、「おかしいものはおかしい」と、作品を通じて、言い続けてきた人です。
その彼が作った本作は、明らかに、これまでの作品とは毛色が違いました。
風刺は封印し、極めてセンチメンタルに、主人公カルベロに、チャップリン自らの人生を投影させて作ったプライベート作品。
そんな気がしました。
言葉は多少悪くて申し訳ありませんが、本作にはチャップリンの「個人的言い訳」が、色濃く反映されている気がしましたね。
つまり、本作を傑作にすることで、自分の人生そのものも肯定したかったというモチベーションが働いていたと思うわけです。
前置きが長くなりました。
つまり、それが当時63歳のチャップリン演じた落ち目の老道化師カリベロと、当時21歳のクレア・ブルームが演じたバレリーナとの切ない恋愛物語になったというわけです。
「申し訳ない。今回の作品は、自分の好きなように撮らせてもらいます。面白くするから許して。」
チャップリンのそんな声が聞こえてきそうでした。
チャップリンといえば、その生涯で、4度の結婚をしていますが、その相手全てが、チャップリンとは、20歳近くも年の離れた「少女」たちであったことは有名。
最初の妻ミルドレッド・ハリスは12歳違いでしたが、結婚当時チャップリンは29歳で、彼女は17歳。
その次の妻リタ・グレイは、結婚当時16歳。年齢差は、19歳。
3番目の妻は、「モダン・タイムス」で共演したポーレット・ゴダード。
共演時に彼女は25歳でしたが、年齢差は21歳。
4番目の妻ウーナ・オニールは、チャップリンの死を看取った最後の夫人でしたが、彼女がチャップリンと結婚したのは18才の時。
その時チャップリンはすでに、55歳でしたから、その年齢差は37歳ということになります。
チャップリンのこの少女趣味を、どうのこうのと論じるつもりはサラサラありません。
なんと言われようと、最後の妻ウーナとチャップリンは、スイスで34年間の幸せな余生を過ごし、たくさんの子宝にも恵まれたけです。
最終的には、最愛の伴侶を得たチャップリンですから、愛に歳の差は関係ないことはしっかり彼自身が証明したわけで、これはこれで「めでたしめでたし」。
そんな彼が、そのキャリアの最終番で、初めて自分の内側に、カメラを向ける気になったのは、映画作家としてやるべきことは、すでにやったという彼なりの自負があったからこそ。
そんな気がしました。
本作には、それを象徴するシーンがあります。
自分のパントマイム芸が観客にまるでウケず、うなだれて楽屋に戻ったカリベロが、呆然としたまま、鏡の前で、ピエロのメイクを落とします。
今まで、顔に濃い白粉を塗りたくって放浪紳士を演じてきたチャップリンが、初めてスクリーン上で、その「素顔」を晒した瞬間でした。
チャップリンといえば、映画のトーキー化ムーブメントにも、最後まで抵抗した人でした。
「映画は、言葉がなくてもちゃんと伝わる。」
これが、終生彼の信念であったと思います。
世の中すっかりトーキーの時代になっていた1936年に作った「モダンタイムス」でも、彼がトーキーを取り入れたのは、キャバレーで自らが歌うシーンだけ。
しかも、その歌詞は、どこの国の言葉ともわからない、チャップリンのデタラメ造語でした。
「独裁者」においても、チャップリンの仕掛けたギャグは、ほとんどがサイレント。
そして、そのラストにおいて、当時の世界の映画人の誰もが避けた、独裁者ヒットラーに対する痛烈な批判だけを、7分半にわたってしゃべり倒しました。
1952年に作られた本作は、さすがに普通のトーキー映画になっていましたが、それでも、「お笑い」のシーンは、「ノミの調教」にしろ、盟友バスター・キートンとの無言のコンビ芸にしろ、やはりパントマイムには拘っていました。
バスター・キートンとのシーンは、この映画のハイライト。
世の中どう変わろうと、自分たちが極めてきた芸はこれなんだという、チャップリンの強い信念が、ヒシヒシと感じられました。
当時、金銭的に苦しかったキートンに、この映画へオファーへすることで、助けの手を差し伸べたあたりもチャップリンらしいところ。
わかっていても笑ってしまう「可笑しさ」の裏には、彼らの永年のキャリアに裏打ちされた至極の芸があります。
僕ら世代が、子供時代に熱狂したドリフのギャグの原点も、ここにあることは痛感しました。
ホストが、ゲスト・タレントをいじりまくるトークで、笑いと視聴率をとるだけの、昨今のチープなバラエティ番組には、申し訳ないが「芸」のかけらも感じられません。
老齢のカリベロが、若いテリーを励ます、プラトニックな愛が核となる本作には、チャップリンならではの宝石のような人生の名言が、散りばめられています。
「人生はすばらしい。怖れの気持ちさえ持たなければね。人生で必要なものは、勇気と、想像力……そして少しばかりのお金なんだよ」
“Yes, life can be wonderful, if you're not afraid of it. All it needs is courage,Imagination, … And a little dough”
「人生は美しく、高貴なものだ、たとえクラゲであってもね。」
“Life is a beautiful, magnificent thing. Even to a jellyfish.”
正直に申しますと、本作を若い頃に見なくて良かったなという気がしています。
もしも、テリーに近い年齢でこの映画を見ていたとしたら、いかに、チャップリンといえども、「それはないだろう」と思ったかも。
しかし、個人的には、来年になれば、チャップリンがこの映画を作った時と同じ年齢になります。
こうなると、勝手なもので、感情移入も、多分にカリベロの方に傾きます。
今なら、チャップリンが、プライベートにおいて、「少女のように若い妻」たちに何を求めたのかも、理解できるような気がしますね。
自分に、もしもカリベロのように、妙齢のお嬢さんから間違って愛されるような事件が起こったら、どうなるか。
果たして、自分はその時に、「映画の中の」カリベロのように、自分を律して、プラトニックを貫けるか。
クラゲよりは、多少は高等であるという自負はありますが、恥ずかしながら、その自信は、まったくありません。
マイケル・ジャクソンは、チャップリンのようにはなれませんでしたね。
「あなたにとっての最高傑作は?」と記者に問われて、チャップリンはこう答えています。
「ネクスト・ワン!」
もしこの質問が、本作の前にされていたとしたら、どうだったか。
チャップリンは、こう答えた後で、おそらく彼は「次はちょっとご勘弁を」と、照れ臭そうに笑っていたかもしれません。
それでも、完成させてみれば、本作を立派な傑作に仕上げてしまうあたりは、やはりチャップリンです。
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