訃報 田中邦衛
先月の24日に、田中邦衛さんが、老衰のため、亡くなっていたことが、今月になって報道されました。
田中邦衛さんといえば、日本中ほとんどの方が、「北の国から」の黒板五郎を思い浮かべることでしょう。
年配の方であれば、「若大将」シリーズの、青大将でしょうか。
このシリーズの役名は、石山新次郎でした。
もちろん、「仁義なき戦い」の5作にも出演。
味とクセのある脇役として、映画にも、ドラマにも、数えきれない作品に出演されていた彼が、初めて主演したドラマが、倉本聰脚本による「北の国から」。
これで、国民的役者になったのは、ご承知の通りですが、彼のフィルモグラフィを見ながら、僕が一番初めてこのの人を見た作品は何かと辿ってみました。
テレビなら、1966年のフジテレビ製作の「若者たち」でしょうか。
ドラマの中身は、まるで覚えていませんが、あの有名すぎる主題歌は覚えています。
あの頃のテレビは、まだ一家に一台の時代。
我が家は、住み込みの店員さんもいた本屋でしたので、夜7時からの1時間は、子供にチャンネルの優先権がありましたが、それ以降は、大人の時間でした。
このドラマは、月曜夜8時からの放送でしたので、まだ子供が寝る時間には早く、アニメを見た流れで、そのまま一緒に見ていたこともあったかもしれません。
田中邦衛の特徴のありすぎる顔は、山本圭の顔と一緒に、微かに記憶があります。
YouTubeで、動画を確認しましたが、意識こそしていませんが、おそらくそれが、俳優・田中邦衛との初対面だったと思われます。
映画ですと、1965年からの「網走番外地」シリーズ。
そして、もっと古いところでは、1960年製作の黒澤明監督作品「悪い奴ほどよく眠る」で殺し屋を演じていたのは、ハッキリと覚えているのですが、これは両作品とも、実際に見たのは、大学生になってからの名画座にて。
ですから、1978年以降ということになります。
さらに、たどっていったら、はっきりと小学生の頃に、映画館で見た記憶のある映画の中に、彼の出演作品を見つけました。
「ゴジラ」シリーズではありません。
この人は、東宝の作品には数多く出演しているのに、なぜか特撮怪獣映画からはお声がかかっていないんですね。
それは意外にも、松竹作品でした。
当時大人気だったポップス歌手の黛ジュンが主演した「夕月」という映画です。
この映画で、黛ジュンの相手役として抜擢されたのが、つい最近まで、千葉県知事だった森田健作。
彼は、ボクサーの役でした。
この映画で、田中邦衛は、青年医師の役でした。
但しこれは、後に録画したDVDで確認したことで、恥ずかしながら、映画館で見た記憶には、まるで残っていませんでした。なにせ10歳でしたからね。
とにかく、主演の黛ジュンばかり追っかけていた記憶です。(この人の歌は、好きでした)
大学生だった頃に映画三昧をしていた頃には、スクリーンの中では、田中邦衛を俳優として意識し始めていましたが、1981年に初放送された「北の国から」は、実はリアルタイムでは見ていません。
僕が、「北の国から」に、ハマったのは、後のスペシャル・ドラマ「北の国から’84夏」を見てから。
ラストで、ラーメン屋のあの名シーンがあるやつです。
そこからは、特番があるたびに追っかけ始めましたが、レンタル・ビデオ・ショップが街にぼちぼちと出来始める頃になってやっと、最初の全26話の連続シリーズを一気に見たというながれですね。
「定年退職したら、田舎へ行って農業をやりたい」と漠然と考え始めるきっかけになったのが、このドラマであったことは、ほぼ間違いありません。
冬の北海道をグルリと一周してきたのも、間違いなくこのドラマの影響。
去年は、酪農研修で、実際に北海道に一週間滞在してきました。
今現在、僕自身は、定年退職して、予定通り、まずはそろそろと農業の真似事みたいなことを始めていますが、あの「北の国から」というドラマの五郎役を、もしも高倉健、藤竜也、中村雅俊といったスター俳優が演じていたら、おそらく、こんな老後にはなっていなかったと思われます。
これは単に、田中邦衛という役者が、黒板五郎という役に与えたリアリテイと存在感の賜物でしょう。
脚本の倉本聰が、黒板五郎という役に、「候補の中で一番情けない男」田中邦衛を抜擢してくれたことに、今は心から感謝申し上げる次第。
この名優の逝去に、心からの哀悼を捧げたいと思います。
ご冥福をお祈りいたします。有難うございました。そして、お疲れ様。合掌。
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