さて昭和56年です。
レコードをあちこちから借りてくることで、カセットの本数を増やしていく音楽ライフを送っていた身にとって、強力な助っ人が現れました。
ちょうどこの前年あたりに産声を上げた「レンタル・レコード」です。
あの頃は、よくぞこの商売を始めてくれたもんだとワクワクしたものです。
FMでは、アルバムまるごとをノーカットで、MCをかぶせずにオンエアしてくれることはほとんどありませんでしたし、友人のレコードを借りるのでは、自分のコアな趣味まではフォローしきれません。
そのニーズを埋めてくれたのがレンタル・レコードでした。
一番最初に見つけたのは、通っていた大学の近くでした。
多分、それが黎紅堂だったと思います。
それから、通学途中の池袋で見かけ、あれよあれよという間に、そこそこの駅周辺には、雨後の筍のようにレンタルレコードが出来てきました。
僕は、京浜東北線の与野駅が最寄りでしたが、あの当時の学生定期は、途中下車OKでしたので、すぐに数件の店の会員カードをゲット。
一つ先の大宮には、かなり在庫の充実した「友&愛」があったので、車を飛ばして借りに行くくらいの元気がありました。
レコードは、大抵ジャンル別、アーティスト別に、立てて並べられています。
当然CDのように背表紙は見えませんので、目指すレコードを探すには、その列の前に立って、一枚一枚を指で掬い上げて、タンタンタンとチラ見していくわけです。
この技は、足繁くレンタルレコード店に通っているうちに自然に上手になりました。
借りてきたレコードを録音するときは、やはりかなり気を使います。
なにせ、アナログのレコードです。
傷でもつけたら、お店から何を言われるかわかりません。
とにかく、借りてきたレコードは、基本当日に録音したら、翌日には、さっさとす返すと決めていました。
音楽を楽しむのは、録音したカセットテープでしたね。
インターネットもサブスクもまだない時代です。
借りてきたレコードの収録曲は、すべてカセットのラベルに手書きでした。
本屋の息子の不思議なこだわりで、自分のコレクションは、印刷したラベルで並べたいという欲求が早くからありました。
ワープロが世に登場するのは、この2年くらい後でしたが、おそらく、かなり早い時期から、まだ高かったワープロを、かなり無理して購入した記憶があります。
これが、シャープの書院シリーズでした。
小橋克也氏の「ベストヒットUSA」は、この年にスタートしています。
洋楽の情報は、ほぼここからもらって、授業の行き帰りに、気になったアーティストの、アルバムをレンタルレコードで借りてくるというのがこの頃のルーティーン。
とにかく、気になればなんでも、借りてきて聞いていましたね。
アルバムを丸ごと録音したら、次は、ちょっと音のいいテープに、その中で特に気に入った曲を「BEST SELECTION」として抜き出して録音していきます。
これがカセット一本分になると、聞くのはもっぱらこっち。持ち出してウォークマンで聴いたり、車のカセット・ボックスに入れて、運転のBGMとして聴いていました。
この年は、寺尾聰の「ルビーの指輪」が大ヒットしましたが、この曲が収録されたアルバム「REFLECTION」も、大瀧詠一の「LONG VACATION」も、佐野元春の「SOMEDAY」も、もちろんレンタル・レコードで仕入れています。
山口百恵が前年に引退をして、それと入れ替わるように、歌謡界に彗星のように登場したのが松田聖子でした。
アイドル・ファンは既に卒業していて、特に彼女のファンということではありませんでしたが、彼女が歌う曲はどれも好きでしたね。
今回も全てきちんと覚えていました。
松田聖子は、歌謡曲におけるガールズ・ポップスの雛形を作ったという功績は評価していいと思いますね。
この後に出てきたアイドルは、みんな彼女のスタイルの亜流に見えたものです。
田原俊彦や近藤真彦あたりも、ヒット曲は多いのですが、まともに聴くのは、ちょっと辛くなってきたのがこの頃です。
さて、この年にヒットした曲で、歌えたのは以下の通り。
シャドー・シティ(寺尾聰)
出航-さすらい(寺尾聰)
ナイトライフ(佐野元春)
SOMEDAY(佐野元春)
ダウンタウン・ボーイ(佐野元春)
さらばシベリア鉄道(大瀧詠一)
I LOVE YOU(オフコース)
セーラー服と機関銃(薬師丸ひろ子)
もしもピアノが弾けたなら(西田敏行)
ウエディング・ベル(シュガー)
全45曲
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