さて、Part 2 です。
Part 1 は、ジョージの突然のグループ脱退で、テレビ・ショーの計画に暗雲が立ち込めたところで終わりました。
さあ、ビートルズはどうなるのか。
残された三人は、リンゴの家で緊急ミーティングを開いたわけですが、Part 2 では、その結果報告からスタートします。
しかし、次の月曜日にやってきたのは、リンゴとポールだけ。
気が気ではないスタッフは、詰め寄りますが、結論は出なかったと告げるリンゴ。
後からジョンもやってきますが、ポールとのやりとりは、花瓶に仕込まれた盗聴音源のものでした。
ですから、会話には、嘘も飾りも一切ありません。
このあたり、出来る限り、当時の正確な状況の再現に努めたピーター・ジャクソン監督の姿勢が伝わってきます。
この時代のビートルズを取り巻く状況は、これまでも色々な資料から情報は得ていて、そこそこ知っているつもりにはなっていましたが、やはり実際の映像を見ると、少なからず「刷り込み」や「思い込み」もあったことに気がつかされます。
おそらく、この膨大な素材をチェックしたピーター監督にも、同じ思いがよぎったかもしれません。
もちろん、その映像はたとえリアルな現実であったにせよ、それをどう編集するかによって、映画には如何様にも監督の「想い」は反映されてしまうものです。
その辺りは、重々承知の上としても、ピーター監督は、出来る限り事実は事実として、正確に描こうと努めたことは伝わってきます。
実際に、この現実を、8時間の鑑賞に耐えるエンターテイメントにしたのは、何本もの映画実作で積み重ねてきたビーター監督の作劇技術の賜物でしょう。
しかし、そういったある程度の映画としての演出部分は差し引いた上でも、本作からしっかり伝わってくるメッセージは、最終的な判断は、見るものに委ねるという姿勢ですね。
判断の材料となる映像は、偏見なく提示するので、全てはそれを見て判断してくれればいいということなのだと思います。
マイケル・リンゼイ=ホッグ監督による映画「LET IT BE」は、今から思えば、「崩壊していくバンドの最後の輝き」という演出テーマがあったように思います。
この人は元々が音楽プロモーション映像が専門の人でした。
「ペイパーバック・ライター」や「ヘイ・ジュード」「レボリューション」などの映像作品を監督した実績を買われてこの作品の監督に抜擢されています。
ですからこの人の手腕は、物語よりも、音楽をどう見せるかというところで発揮されるわけです。
マイケル監督が長編劇映画を撮るのは「LET IT BE」が初めてでしたが、やはりここでも彼が試みたのは、映画の後半を占める完成作品映像を如何に効果的に見せるか。
ですから、ビートルズというバンドの最後の輝きを際立たせるための効果として、映画前半には意図的にギクシャクしている彼らの様子が並べられていたような気がします。
少なくとも、最後のルーフトップ・コンサートに至るまでの、プロジェクト全体の紆余曲折やドラマ性、そして、そんな状況の中でも、意外に陽気に和気あいあいとしていた彼らの様子は排除されていました。
というよりも、そこまでの内容を詰め込むのは、90分の映画サイズではほとんど不可能だったのでしょう。
しかし、今回再編集を任されたピーター監督は、「音楽」ではなく、「物語」の専門家です。
彼は今回の再編集に対して、特にここにこだわったような気がします。
つまり、マイケル監督が作った映画「LET IT BE」の二番煎じではなく、劇映画の専門家として、この1969年1月の一ヶ月間を、極力正確に再構成することで、「LET IT BE」とは違う、ストーリーのある物語としてエンターテイメントしたいと考えたのが本作かなと思います。
そう考えれば、今回の長尺は大いに納得。
というよりも、そうしなければ、監督の意図は伝わらないと思われます。
ですから本作は、一本の映画というよりは、むしろ極上の連続ドラマとして、楽しむべきかもしれません。
これは、「ロード・オブ・ザ・リング」という壮大なサーガを、三本の作品に首尾よくまとめ上げた、ビーター監督のキャリアが大いに発揮されたところでもあるわけです。
例えば、スタジオ録音風景ではなく、このすべて映像を使って、”LET IT BE”という楽曲の、4分のブロモーション・ビデオを作れということであれば、マイケル監督の方が案外いい仕事をしたかもしれません。
さて、これを踏まえると、今回のPart 2 は、個人的には、Part 1 よりもかなり楽しめました。
音楽そのものよりも、かなり物語性を重視して、ディスカッション・シーンが多く使われてるのがPart 2です。
そのせいもあってか、Part 2 は、三部作の中では最長の2時間56分。
けれど、これにより、この一ヶ月の状況はかなりわかりやすく把握できました。
まず、当初予定されていたテレビ・ショーは、キャンセルされたこと。
トゥイッケナム映画撮影所から、サビル・ロウにあるアップル・スタジオにセッションの場所が変更になったこと。
テレビ・ショーに代わる新しいライブの企画が検討され始めたこと。
セッション・メンバーとして、キーボード奏者のビリー・プレストンが加わったこと。
そしてなによりも、ジョージがグループに戻ってきたこと。
Part 1 では、いったいどうなるかと思わせて終わった「ザ・ビートルズ : Get Back」ですが、Part 2 ではいよいよルーフトップ・コンサート実現のクライマックスに向かって大いに期待感を膨らませるという心憎い編集になっていました。
Part 1 では、彼らの演奏は、ほとんどジャム・セッションに近いものでしたが、Part 2 後半ともなると、僕らがビートルズの公式版で耳馴染んできたお馴染みのアレンジに次第に近づいてきます。
この辺りもワクワクさせられるところです。
実は、大学時代の友人で、ビートルズの海賊版だけで、当時およそ2000枚近く持っていたというかなりツワモノのビートルズ・マニアがいました。
彼のおかげで、当時の僕はビートルズのアルバムを一枚も買うことなく、全作品をカセット・テープに録音して所持していました。
もちろん、遊びに行くたびに、仕入れたばかりの海賊版コレクションも聞かせてもらうわけですが、ビートルズの海賊版の中で、圧倒的に多かったのが、この時期の録音でした。
「Sweet Apple Tracks」「Black Album」などなど、数々の海賊版を覚えています。
もちろん、ダビングが繰り返された音質の悪いものが多かったのですが、それでも、レコードとは別テイクの録音や、未完成状態のデモが聞けたりすると、かなり興奮させられたものです。
ですから、この時代の非公式録音は、普通のビートルズ・ファンよりは、かなり聞き込んでいたのですが、
そんな音源が、映画品質にデジタル・リマスターされ、ステレオ録音になり、しかも実際のその演奏風景がビジュアル化されて、ちょいとちょいと、その音源を聴きまくっていた頃の記憶を刺激してくるわけです。
そんな海賊版の音源が、全てここにあるわけですから当然です。
マニアの方でないと理解不能でしょうが、これはなんとも快感でしたね。
ビートルズ•ファンを続けてきた積年の妄想が、一気に現実化されていくプロセスは、Part 1 から引き続き、今回もしっかり堪能させてもらいました。
アルバム「LET IT BE」を聴くと、プロデュースしたフィル・スペクターが、スタジオ録音の臨場感を出すために、意図的に挿入したメンバーのダイアログがいくつも聴けます。
これが、実際にはどんな場面で出たセリフなのかがわかるのも楽しい瞬間でした。
例えば、ジャム・セッション・ナンバーである”Dig it”の最後で聞けるこのセリフ。
That was “Can You Dig It” by Georgie Wood, and now we'd like to do
“Hark The Angels Come”.
これは、スタジオにジョージの細君であるパティが現れて、ツツツとジョージに駆け寄り、キスするシーンを横目で見ながらジョンがおどけていっているんですね。
まさに、”Angels Come”で、思わずニヤリです。
その他、個人的には”LET IT BE”のアレンジが始まると、ジョンの目つきが変わる辺りも見逃せません。
「おっ、これはいい曲だ。でも僕にはできない。俺はどう参加する?」
そんなポールの才能に対する羨望や、自分の役割に対するジョンのリアクションは興味深いもの。
あるいは、ジョージの持ってきた”FOR YOU BLUE”に対する、ジョンとポールの関わり方も面白かったですね。
ジョージのアイデアに対して、ピアノ線の上に新聞紙のようなものを敷き詰めて、ラグタイム・ピアノ風の音に加工して参加するポールに対して、スライド・ギターで応じるジョン。
少しでも、バンド活動をかじってスタジオ・ワークを経験したことのあるものにとっては、この辺のクリエイテイブなシーンは、もうたまりません。
僕がバンドをやっていた時代に作った曲のほとんどは、まず作詞ありきでした。
ただ女子にモテたいためにやっていたバンド活動でしたので、とにかくウケ狙いの作詞をしてから、ギターでポロポロとやって、メロディーをつけ、コードを拾っていくという作り方です。
アレンジこそあまりこだわりませんでしたが、「自分で作った曲」と言えることが大事だったので、曲自体はほぼ出来あがった状態でメンバーには聴かせていましたが、ビートルズはそうではありませんでした。
もちろん、ベースになる部分は、ある程度まで各自が作ってくるわけですが、それはセッションをしながら、どんどんメンバーのアイデアが取り入れられて、形になっていくんですね。
詞が先でもなく、メロディが先でもなく、言ってみれば、演奏と同時進行しながらの「音」が優先されて、だんだんとビートルズ・ナンバーになっていくという過程がよくわかります。
もちろん、過去にはそうではないナンバーもたくさんあったとは思います。
前作「ホワイト・アルバム」は、2枚組の大作ではありましたが、事実上は、当時の録音技術を駆使したメンバー4人のソロ作品を集めたような作品になっています。
常に進化と変化を繰り返してきたビートルズは、これを作り上げた後は、再びデビューのように、一切のオーバーダビングをせず、4人の演奏だけによる一発録音にこだわり、ロック・バンドとしての原点に戻ろうというトライで、このセッションを始めています。
言ってみれば「レノン・マッカートニー」の曲作りの原点が、彼らのキャリアをぐるりと一周して、再び戻ってきたとも言えます。
そんな、名曲が誕生するまでの楽屋裏までもが、かくも克明にドキュメントとして記録され、それが作品としても楽しめるというのは、やはりビートルズならではのことだと思いますね。
ビートルズに影響された世界中の音楽関係者が、もっとハイレベルの次元で膝を叩きながら、目を皿のようにして、この作品を食い入るように見ている姿が目に浮かびます。
いよいよ、Part 3 が楽しみになってきました。
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