衝撃の安倍晋三銃撃事件で日本中が動揺している中、自分では何も積極的に行わず、波風を立てないことだけで政権維持だけを考えていた岸田首相が、こともあろうに、国会の承認を経ずに、閣議決定だけで決定してしまったのが安倍晋三氏の国葬です。
岸田首相は当初から、国葬と言う呼称はせずに、「国葬儀」などという、微妙な言い回しをしていましたが、面倒臭いので、以下は国葬と呼ぶことにします。
銃撃のタイミングが、参議院選挙最終盤という、大変デリケートな時期だったため、事件背景の公表については、メディアも野党も与党も、発言には大変慎重でしたが、その裏にあったものが、銃撃犯人である山上容疑者の個人的怨恨であり、人生を滅茶苦茶にされた統一教会という反社会集団への復讐のための一撃が、日本の最大権力者である総理大臣でありながら、同時に広告塔にもなっていた安倍氏に向けられた事実があきらかるなるに連れて、国葬反対の声はみるみるうちに膨らんできました。
「国葬反対」の意志は、本ブログでは、二週間後という比較的早い段階で述べさせていただきましたが、
結局国葬が政府によって強行されてしまった今になって思えば、結論として、これは案外それでよかったのではないかと思うようにもなりました。
なぜなら、岸田首相が当初目論んでいたはずの国葬効果は、結局は全てが裏目に出る結果になったからです。
今回の国葬で、岸田政権は完全にダメージを膨らませてしまいました。。
岸田氏が国葬を決めたのは、政府内において決して頭の上がらない麻生太郎氏に「こういうのは、理屈じゃねえんだよ。」と何度となく脅された末のことだったとされてていますが、少なくとも岸田氏にも多少の皮算用はあったはずです。
どんなに反対されても、既成事実さえ作ってしまえば日本国民は、最終的にさほど目くじらを立てなくなる。
これは、強行した去年のオリンピックで、すでに彼らは学習済み。
国葬という国家イベントを粛々と執り行う映像が巷に溢れれば、多少の波風など飲み込んでしまい、政権の支持率は上がるはずだと岸田首相は踏んでいたはずです。
国葬のメリットとして、彼がことあるごとに説明していたのは弔問外交です。
これが完全にズッコケました。
予期せぬエリザべス女王の崩御があったからです。
イギリスのエリザベス二世の国葬が、奇しくも安倍氏国葬の直前に行われたことで、弔問外交効果は完全に有名無実になってしまいました。
天皇陛下が、皇居から目と鼻の先の武道館で行われる安倍氏の国葬には参列せず、イギリスで行われるエリザベス女王の国葬に参列するという訳ですからすでにこの時点で勝負アリです。
しかも国葬直前には、ニューヨークで国連総会も開催されたわけで、安倍氏の国葬を重要視する外国首脳は最終的には皆無。天は岸田氏を完全に見放しました。
送られた招待状に対して国葬不参加を申し出る人も多い中、結局召集された人たちの大多数は平均年齢が80歳にも成りそうな老人ばかり。しかも、そのほとんどが男性だったそうです。
こんな参列者たちの光景が、アメリカのハリス副大統領などの目には、果たしてどう映ったか。
「日本という国は、時計の針が止まっている」
そう思われても致し方のないところでしょう。
国葬の体裁だけは整えようと、招待状を出しまくった結果がこれです。
結局G7に名を連ねる国のトップで、国葬に参列した国家元首クラスは1人もなく、ホスト岸田首相の見せ場はありませんでした。
そして、自民党議員と統一教会との底なしのズブズブ関係も、予想以上の広がりを見せました。
しかも、のっぴきならないその関係は、政府の中枢に行けば行くほど、切っても切れない利害関係となって絡まっていることが明白になっています。
自民党がどう繕って、統一教会との関係を清算すると述べても、安倍氏本人や大物議員たちへの調査を封印して保護しようとしている姿を見せられてしまっては、統一教会との訣別が、政府の口先だけであることは明白。小手先で繕おうとすればするほど、政府の魂胆は国民の誰にも見透かされています。
オーム真理教事件以来、日本国民の間で燻っていたカルト・アレルギーが、この安部襲撃事件で一斉に吹き出して来たことは、先日の沖縄県知事選でも、明白な結果となって現れています。
結局、国葬が終わって残ったのは、国民の圧倒的フラストレーションと、落ちるところまで落ちそうな勢いの政権支持率です。
10月3日からは、国会が召集されていますが、政府自民党が、針の筵に座らされること必至の状況。
岸田氏が「統一教会解散」でもぶち上げない限り、政権の支持率が上がるという要素は、今のところまるでありません。
つまり、この結果を見て思うことは、岸田首相が、お得意の「聞く力」で、多くの国民の要望に耳を傾け、国葬中止に踏み切った方が、結果はまだ今よりなんぼかマシだったろうということ。
岸田首相は、国葬を強行したことで、むしろ自身の政権の寿命を縮めてしまいました。
「何も決めない」はずの彼が、唯一例外的に自分で「決めた」ことが完全なるジャッジミス。
おそらくは、国葬反対の世論の盛り上がりを見て、誰よりもその決定を後悔していたのは岸田氏自身であったかもしれません。
しかし、一度決めたことを覆す決定力は、彼にはありませんでした。
これで万事休すの場合、オールリセットの解散総選挙と言う最後の手段を決定する権限が岸田氏には残っていますが、この逆風の中、自民党にとっても一か八かになるその決定を、果たして彼が出来るかどうか。
「何もしない」ことしかすることのない、岸田政権はいよいよ風前の灯となってきました。
さて、話を安倍晋三氏に移しましょう。
今回の国葬は、ある意味で非常に「安倍晋三氏」らしい葬儀ではなかったかとも思っています。
つまり、この国葬が、まるで中身がなく、歴史を無視している内容であったこと。
ただ体裁を整えただけの、ハリボテな葬儀であったこと。
これはまるで、安倍晋三氏自身を象徴しているようにも思えてなりません。
どれだけ、安倍氏と自民党政権に忖度するマスコミが、この国葬を過大評価しようと、もはや国民の目にはそうは映りません。
「裸の王様」は、最後まで取り巻きたちだけに持ち上げられたままで、多くの国民たちには、その「裸っぷり」を嘲笑されたまま三途の川を渡って行くことになりました。
その意味では、これくらい安倍氏に相応しい締めくくりはなかったかもしれないとも思わけです。
将来の歴史の教科書に、安倍晋三がどのように取り上げられるかは興味津々。
ちょっと見てみたいものです。
とにかく、エリザベス女王の崩御で、図らずも世界中のメディアが伝えた正真正銘の「国葬」とのレベルと品格の違いが、残酷なほどに可視化されてしまい、安倍氏が常に望んでいた、自身の神格化は、最後まで果たせぬまま、彼の一生は終わりました。
残酷な言い方をしますが、安倍氏は、親族の七光という以外、特に政治的な武器を持てなかった非常に稚拙な政治家であったと思っています。
国会での答弁を思い返しても、彼は公式の場で自分の感情をコントロール出来ずに、総理大臣らしからぬ野次を連発していました。
つまるところ、用意された答弁に、多少の振り付けが出来る程度のスキルで、総理大臣らしい姿を演出していただけのパフォーマンス政治家だったと思っています。
歴代の総理大臣を遡ってみても、その政治能力は最低レベルでしょう。
では、そんな彼がなぜ、歴代最長の総理大臣在職記録という、ほとんど唯一の勲章を獲得出来たのか。
それは、一にも二にも、安倍氏が群を抜いて選挙にだけは強かったという事実が挙げられます。
もちろん、それは現在の野党のどうしようもないほどのテイタラクに助けられてきた部分はあります。
しかし、彼は選挙に勝つために、とっておきの裏技を用意してしました。
それが統一教会です。
悪名高い統一教会に政治的便宜を図ることとバーター取引の結果得た、選挙協力関係が次々と明るみに出てきました。
統一教会は、宗教団体としては日本トップの創価学会員よりもはるかに少ない会員数であるにも関わらず、自民党の国会議員の選挙応援をしたり、秘書として奉仕することを無償で行う直接的なアプローチや積極的なロビー活動で、次第に持ちつ持たれつの利害関係を構築して、政権中枢に大きなパイプを通し、絶大な影響力を与えるようになっていったわけです。
安倍晋三氏は、この活動を側面から、サポートし続けてきました。
選挙に勝つために、彼は政治家としての使命感や信念を売り飛ばして、この悪魔と契約を結んだわけです。
それのみが、政治家としてなんの能力も力量も持たない彼が、日本の政治の中で権力を確保し維持するための、唯一の方法だったからです。
そのために彼は、統一教会の霊感商法を黙認し、信者から信じられない額の献金を巻き上げて、家庭を崩壊させていく彼らのやり口に見て見ぬふりをしました。
いや、もしかしたら、初めから目にも入れていなかったのかもしれません。
彼のような超エリート育ちには、市井で暮らす下々の国民の不幸など、爪の垢ほどの関心も持てないのでしょう。
彼の興味は、権力の座に居座ることのみ。そして自分の支持者や縁故者にのみ便宜を図り、権力の甘い蜜を吸うだけ吸って、わが世の春を楽しむことだけ。
彼には、我が国の未来に対する憂いも、社会の底辺で疲弊していく国民に対する責任感もありません。
あるのは、如何にして自分を祖父岸信介と肩を並べる政治家として世間に評価させるかという見栄と欲だけ。
権力を手に入れた彼が、その維持のために駆使した武器は、人事権でした。
安倍氏は菅官房長官と結託して、内閣人事局を、徹底的に自分の政権の権力保持のためだけに、悪用しました。
人事を握られれば、官僚たちは黙っていても、内閣の方向性に忖度するという性質を見抜いた上で、確信犯的に、官僚、検察、警察、公安という司法、行政分野をイエスマンだらけにし、本当に力量ある人材を闇に葬ってきました。
こうして、権力の長期維持の基盤を作ると、その次に安倍氏が使うようになった禁断の武器が、嘘、隠蔽、改ざんです。
「嘘つきは、安倍晋三の始まり」という見出しが、文藝春秋の紙面を飾りました。
実は、このウソという武器は、岸一族という日本屈指のサラブレッド家系の中で生きていくために、決して優秀ではなかった彼が、子供の頃から本能的に鍛えざるをえなかった必修スキルだったと推測されます。
父親の安倍晋太郎氏が、「あいつの嘘は、いつでも迫真に迫っていた」というようなことを言っていたそうです。
政権末期、自分の病気をアピールするために、公用車を何台も連ねて慶応病院に横付けさせた光景が思い出されます。
この人は自分の嘘を信じさせるために、それくらいの演出は平気でする人だということです。
おそらく、彼の虚言癖は、子供の頃から培われてきた彼なりの処世術であり、ある意味では特殊技能であったのかもしれません。
国会において、彼は虚偽答弁を118回繰り返したという、ちょっと笑えない、安倍氏ならではの公式記録が残っていますが、もしかすると、彼は自分で口から出まかせを言いながら、本人自身それを嘘だとは思っていない可能性すらあると、個人的には思っています。
なぜなら、権力を手中にした彼にとっては、ただそれを口にさえすれば、あとは、取り巻きたちが、その嘘を勝手に捏造してくれるという仕組みが、長期政権の中で完全に出来上がっていたからです。
アベノミックスによる経済政策の失敗、トンチンカンな外交、憲法を無視した集団的自衛権の法制化などなど、安倍氏の政治における「やらかし」は、スキャンダルも含め、数限りなくあります。
しかし、この人が本当の意味で日本社会に、もっとも致命的な打撃を与えたのは、官僚機構を事実上崩壊させてしまったことにあると思っています。
自分のイエスマンたちで周囲を固めるために、彼は何をやったか。
安倍氏がとった手段は、先にも述べた通り、官僚人事に徹底的に介入していくことでした。
官僚機構では、その人望や能力から見て、次にトップに立つ人物は、暗黙の了解で、事前に省内で決まっているのが通常のようです。
しかし、このトップの任命権を持つ安倍内閣では、それを完全に無視しました。
彼がとった手段は巧妙です。
本命の人物をあえて黙殺して、もっと格下の官僚を、省内の順番を飛び超えていきなりトップに任命するということを頻繁に行いました。
官僚の世界は、役職イコール・ステイタスですから、こういう人事をされると、その任命者は、黙っていても、安倍政権のポチに成り下がっていきます。
そして、官僚の性として、一度トップに立ったものは、決して自分よりも優秀な人を重用しようとはしません。
優秀な人材は、こうして官僚ヒエラルキーの中から、優秀な順に消えていくことになります。
しかも、この破壊的人事を、安倍政権は確信犯的に8年間も続けたわけです。
普通に考えて、その結果現在の官僚機構がどうなっているのかは、推してしるべし。
自民党の村上誠一郎議員が、安部氏を指して、「官僚機構を崩壊させた国賊」と断じていましたが、まさにそれはこのこと。
時々、野党合同調査会で、官僚が野党議員の質問に答えている姿を見ることがありますが、その答弁を聞いても、覇気のある出来そうな官僚を見た試しがありません。
彼らは、マニュアルで決まっている官僚答弁をただ繰り返すだけ。
彼らが必死に守ろうとするものは、いつでも省益。そしてそのために必要不可欠なものは、政権への忖度です。
デジタル大臣の他、国家公務員制度担当大臣も兼任する河野太郎氏が言っていました。
エースと言われる実力ある官僚たちが、次々と辞職を申し出ているそうです。
国家の舵取りをするんだと言う大志を持って国家公務員になった官僚たちが、理想とは程遠いこのアンフェアで理不尽な政治を目の当たりにして、夢も希望をなくしていく姿は想像に難くありません。
経済大国も、ジャパン・アズNo. 1も、今は遠い過去の栄光。
経済成長できずに足踏みをしてもたもたしているうちに、世界はおろか、アジアにおいても、中国に抜かれ、韓国に抜かれ、今や二流から三流国家に成り下がっている日本。
しかしそのことよりも、これからの日本を背負う人材たちが、そもそも安倍政権によって根こそぎ奪われている言う現実の方が、今はとても重くのしかかっているように思えます。
何せ、日本をリードしていくべき官僚に人材がいないのですから、日本がそう簡単に立ち直れるわけがありません。
政治家も官僚も、すべてのツケは未来に回して、とりあえず今は、我が世の春だけを謳歌させていただこうという刹那的でさもしい魂胆が見え隠れするのが、自民党政治の悲しい現実です。
元々実力も素養もない見栄と権力志向だけの政治家が、ズルとインチキで手中にした権力で、国家を私物化した結果、誰にも予想がつかない形で天誅を下され、最後はハリボテの国葬で、天下に恥を晒した。
安倍氏の一生をそのように総括すると、国葬強行の暴挙も、不思議と腹が立たなく成りました。
非業の死にはご冥福を祈りつつも、人間調子に乗り過ぎると、どこかで思わず足を掬われ、天罰が下るものだと、今回の銃撃事件を通じて教えられた気がします。
山上容疑者を弁護するつもりはありませんが、彼の一撃は結果として、世界の潮流を無視して、時代おくれの昭和政治を持ち込み、日本と言う国から進歩することを奪った安倍晋三政治を、誰にも予想できなかった方法で強制終了させました。
日本社会を上から押さえつけていた安倍晋三という大きな蓋が突然予期しない形で外された今、我が国にどんな変化が起こってくるのかは、僕のような百姓にはまるで想像もつきません。
新しい蓋がすぐにかぶされて、また同じ日常が続くのか。
圧力から解き放された社会に、新しい秩序が生まれるのか。
新しいものにはアレルギーを示し、大きな変化は望まず、喉元過ぎれは熱さを忘れ、どれだけ搾取されても現状を受け入れる耐性をもち、政治には無関心だけれど、決められた事に文句は言わないのが日本国民です。
政権与党は、この「ものわかりの良過ぎる」主権者をいいことに、オモテヅラだけはいい格好をしながら、裏では好き放題をしてきました。
統一教会問題や、オリンピック賄賂疑惑は、どちらも安倍晋三氏の残していった置き土産です。
これを背負わされた岸田政権は、いまのところ、打つ手もなく、政権支持率は、回復の見込みもなし。
岸田首相は何も出来ずに、ただ嵐の過ぎ去るのをじっと耐え忍んでいます。
問題山積の自民党政治にはノーを言いたいけれど、それに代わる政党がいない。
結局現状を耐え忍ぶしかない。そう思っている人は相当数いるのでしょう。
しかし、長期政権は必ず腐敗していくというのは、世界の歴史が物語っています。
今の自民党に、自浄能力は望むべくもありません。
野党恐るるに足らずの今、政府が一番神経をすり減らしているのは、なんのかんのと言っても「国民の声」のみです。
たとえ野党に期待は持てなくても、自分達の利権を守ることだけにしがみついて、国民生活を蔑ろにし続けてきた自民党政治には、とことんノーを言い続けなければいけないことだけは確かです。
その結果何が起こるのかは予想もつきませんが、諦めてしまっては現状が何も変わらないことも事実。
僕自身、政治には無関心なのが、クールでかっこいいという思っていた時代も確かにありました。
恥ずかしながら、若い頃はそんなふうに気取って、選挙などにいった試しはありません。
自分が一票を投票しようとしまいと、世の中は変わらないとどこかで思っていました。
ですから、日本という国をここまで落ち目の国にした責任は、安倍晋三氏と自民党政権にあると、簡単に片づけるのは、やはりフェアではありません。
なんのかんのと言っても、彼らに政権を任せ続け、放置してきた、こちらの責任も問われるべきでしょう。
とにかく、黙っていれば、どんどん自分達の首は締まっていくばかりなのが、紛れもない現実なのですから、せめて現政権に、ダメなものはダメと、しっかりノーを突きつけないと、最終的なとばっちりは、間違いなく自分達に降りかかってくることになります。
自民党に鉄槌を下すのに、なにも山上容疑者のように、自分で散弾銃などを作る必要などありませんよ。
あの手段は我が国にはそぐわないので、やめておきましよう。日本はそんな国ではないはずですから、どちら様も決して真似することのなきよう。
大丈夫です。そんなことをしなくとも、我々には、納得がいかなければ、政治家の一人や二人簡単に殺せる散弾銃を、有権者であれば、一人が一台ずつ持っていることだけはお忘れなく。
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