1. カタカナ表記:スーザン・ジョージ
2. 英語表記:Susan George
3. 出身国:イギリス
4. 生年:1950年生まれ
5. 現在の年齢:72歳
70年代初期から、映画を見始めている、僕らの世代の映画ファンには、忘れ難い女優がスーザン・ジョージでしょう。
彼女のキャリアの極め付けと言ったら、なんといっても、1971年の「わらの犬」にとどめを指します。
監督は、バイオレンスの巨匠サム・ペキンパー。
暴力を嫌悪する数学者デイビッド・サムナーを演じるのがダスティン・ホフマン。
その妻エミーを演じたのがスーザン・ジョージでした。
この時の彼女は21歳。
暴力に塗れたアメリカの喧騒を逃れて、エミーの故郷でもあるイギリスの片田舎に夫婦は引っ越してきます。
しかし、静かなはずのその田舎町も・・・
ラストで、自らの暴力性に目覚めていくダスティン・ホフマンの演技も圧巻でしたが、それよりもなによりも凄まじかったのが、映画中盤で、エイミーが町の男たちにレイプされてしまうシーン。
当時中学生だった僕は、間違いなく有楽町スバル座の切符売り場で、生徒手帳を見せて、中学生料金で入場していたはずなのですが、本当にこの映画を中学生が見てもいいのかと自分でビックリしてしまったほどでした。
何か見てはいけないものを見てしまったような、後ろめたいような衝撃がありましたね。
今ならR指定が間違いないところですが、どう考えても、保護者同伴で見れるわけのない映画が「わらの犬」でした。
サム・ペキンパー監督の十八番であるハイスピード撮影によるスローモーションも初めてこの映画で体験しました。
とにかく、中学生の自分が驚いてしまったのが、レイブされているはずのエイミーの腕が、次第に犯している男の肩に絡まってゆくシーン。
そして、極め付けは、その彼女の目から、一筋の涙が伝うんですね。
「えーっ!」
これは、中学生の頭では、到底理解不能なシーンでした。
その後、大人になって以降も、アダルト・ビデオは山のように鑑賞しています。
もちろん、レイブものもそれなりに見ていますが、「抵抗しながらも感じていく的」な演出シーンは数あれど、女優の目から喜びの涙が伝うというシーンにはお目にかかったことがありません。
いや、待て待て。あの涙は、果たして喜びの涙なのか。
これは、ちょっと軽率なことは言えません。
もしかすると、自分の身に降りかかった悲劇に嘆く悲しみの涙なのもしれません。(いや、違うなあ)
あるいは夫に対する申し訳なさが流させた涙なのか。
その疑問に対する答えは、残念ながらこの年齢になっても明確には持てません。
おそらく、サム・ペキンバーもそう作っているはずです。
人間の本能に宿る暴力性は、加害者にとっても被害者にとっても、単純に理性だけで測れるものでもなければ、感情だけ語れるものでもないというお話です。
ただ、言えることは、スーザン・ジョージのそのシーンの演技には、強烈な説得力だけはあったということ。
誤解を恐れずにいえば、あの涙は、レイプの場面においても、状況次第では、「あり」なんだということだけは理解できました。
ところが、サム・ペキンパー監督はこれで終わらせないんですね。
この監督は、暴力に対しては、とことん容赦がない。
なんとリビングのソファーの上で体を重ねる二人の背後には、ライフルを構えた、もう一人の男が・・・
いずれにしても、普通に考えて、レイプされている女性が、その行為を喜んで受け入れていると取れるようなシーンなど、今の倫理観でいえば完全にNGです。
性暴力が何かと社会問題になってきている昨今、いくら映画が好きでも、この映画に鵜嫌悪感を持たない女性は皆無でしょう。
男としても、ここは迂闊なことは言えません。
男性が男性の立場で、B級バイオレンス映画に対するようなノリで、安直に軽口でも叩こうものなら、女子からのバッシングは免れません。
その点、いくらバイオレンスの巨匠とはいえ、レイプまで描いてしまったサム・ペキンパーのこの映画に対する評価は、なかなか難しいところ。
いくらなんでも「絶讃」とまではいい難いところではあります。
しかしそんな、映画の倫理性はとりあえず横に置くとしても、この映画で見せたスーザン・ジョージの演技だけは、当時の男子には強烈な印象を残したことだけは間違いのないところ。
ここだけは理屈ではありません。
以後、スーザン・ショージの作品は、追いかけるように何本か見ていますね。
チャールズ・ブロンソンと共演した「おませなツインキー」は、「わらの犬」以前の作品ですが、この映画のヒット後に、公開されていましたね。
ヘンリー・フォンダと共演した「ダーティ・メリー・クレイジー・ラリー」も見ました。
しかし、「わらの犬」の彼女の魅力を再見したかったファンにとしては、1975年公開の問題作「マンディンゴ」では、再びドキリとさせられました。
黒人問題を扱った映画でしたが、これも、見たくない人にとっては絶対に見たくない映画の一本でしょう。
スーザン・ジョージは、なぜか問題作に出演すると、不思議な輝きを放つ女優のようです。
我が家には、家の壁中に、お気に入りの女優の写真が所狭しと貼ってありますが、多くは女優はみんな笑顔であるにもかかわらず、スーザン・ジョージの写真だけは、なぜか不機嫌そうなんですね。
不思議とこれがしっくりくる。
最後に、本当に個人的な見解を申し上げさせてもらいます。
全てはあの唇なんだよなあ・・
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