東京都内では、戦後、吉原に次ぐ歓楽街として栄えた洲崎を舞台にした色街群像劇です。
社会の底辺で蠢く、根なし草のようなカップル蔦江と義治。
演じるのは、三橋達也と新珠三千代です。
まるで甲斐性のない義治に、ほとほと愛想をつかしながらも、なぜか別れられない蔦江。
結局二人は、蔦江が以前娼婦として働いていた洲崎パラダイスのネオンの輝く大門の前に立ってしまいます。
洲崎の大門入口で営業している飲み屋「千草」に転がり込む二人。
店を切り盛りしているお徳は、亭主に逃げられて、幼い子供二人を育てている中年の婦人。
演じるのは、轟夕起子。
この時は、多少貫禄がついていましたが、かつては、原節子と並ぶ美人女優として鳴らした人です。
蔦江は、お徳に頼み込んで、住み込みで働かせてもらい、義治の働き先も世話をしてもらうことに。
その蕎麦屋で働いている玉子を演じるのが、当時21歳の芦川いずみ。
ちなみに、清楚な人妻役が定番だった新珠三千代が、こんなハスっぱな汚れ役を演じのを見たのは、今回が初めてでした。
多少崩れかかってはいても、酸いも辛いも知り尽くした大人の女の色気がムンムン。これがなかなかよろしい。
イライラするくらいのっぴきならない男と女の道行きなのに、なぜか次第に引きこまれていくとい展開は、あの成瀬巳喜男の傑作「浮雲」を見た時の感じに似ていましたね。
それだけしっかりと、男と女の心の機微が丁寧に描かれていたと言うことでしょう。
この映画は、「浮雲」の翌年に作られています。
とにかく、ほとんどがロケーションで撮影されている映画ですので、クラシック映画マニアとしては、昭和30年代当時の、東京の様子や風俗がたまりませんでした。
映画の舞台となったのは、現在の江東区東陽町あたり。
冒頭と映画のラストに登場するのは勝鬨橋です。
近くには築地市場もあり、この映画の撮影された当時は、まだ眼前に東京湾が広がっている風景でした。
お徳の飲み屋は、川遊び用の貸しボート屋もやっていましたね。
僕が生まれたのは、この映画が作られた3年後ということになります。
僕が、育ったのが東京都大田区平和島。
やはり、ダウンタウンで、当時はまだ、洲崎と同じように、住んでいたところからすぐのところに海岸線もありましたので、映画に登場する風景には、どこかノスタルジーをそそられてしまいました。
実は我が故郷平和島界隈も、戦前は、料亭が連なっている色街でした。
芸妓を派遣する「置き屋」と、男性客が芸妓と遊ぶ「待合」と、そこに料理を仕出しする「料亭」。
この「三業」がそろう花街を「三業地」と呼びますが、平和島の隣の大森海岸あたりは、都内でも人気の歓楽スポットだったようです。
僕が子供の頃に過ごした平和島の記憶では、すでにそのイメージはありませんでしたが、叔父や叔母たちの話によれば、まだ潮の匂いが漂う海岸には、色っぽい着物姿のオネエサンたちが、磯遊びをしていることがよくあったそうです。
こういう風景が東京から消えてしまったのが、いわゆる売春防止法が施行されて、赤線が法律上消えることになった昭和33年以降ということになります。
つまり本作は、赤線末期の色町の風俗をカメラに収めた、貴重な文化の記録ともいえるわけです。
イタリアの、ネオリアリズモではありませんが、カメラを持って街に出ることで、スタジオ撮影では掬い取れない、時代のありのままの現実と空気を映画のフィルムに収めたことが、本作の魅力にどれだけ貢献していたことか。
僕の世代は、まだギリギリ、この映画の風景の記憶を辿れますが、それを知らない若い人たちにも、是非とも本作を通じて、昭和の空気を体感してもらいたいところ。
ところで、ネットの時代になると、昔では想像もできなかったロケ映画の楽しみ方が増えました。
それは、映画の中の電柱や看板に映り込んでいる番地の案内から、ストリートビューを使って、ロケ地を特定し、今の様子を確認できること。
ちなみに、洲崎という地名は、現在は地図上には残っていませんでした。
居酒屋千草のあった交差点は、現在では「東陽3丁目」になっていると思われます。
映画では、たびたび象徴的に登場していた「洲崎パラダイス」のネオンがあるのは、ここから入ってすぐの洲崎橋の入口にあったようです。
この通りは、現在は「大門通り」という地名になっていて、当時を偲ばせます。
ここから一本入った路地には、当時の面影を忍ばせる街並みがまだ多少残っていて、映画にも登場した洲崎弁天は、名前こそ洲崎神社になっていましたが、まだ健在でした。
監督の川島雄三は、あの「幕末太陽伝」を監督した人です。
天才肌の監督ですね。
彼は、この映画を軽喜劇ならぬ、重喜劇と呼んで、自分の監督作品の中でも、特に気に入っていたそうですが、この路線は、本作で助監督についていた今村昌平にしっかり受け継がれていきますね。
お徳の二人の息子がやっていたメンコ。
蕎麦屋の、もりかけ25円の看板。
黒電話。
氷の配達。
万世橋を走る都電。
店頭にラジオが積み上げられた秋葉原の電気街。
まだボンネットのあるトラック
都営バスの女車掌。
丸い穴の取っ手の電話ボックス。
成金ラジオ商の乗っていたスクーター。
旅回り一座にお捻りを投げる客。
リヤかーを自転車で引っ張る屋台の雑貨屋。
真空管ラジオ。
缶ピース。
今では、もうお目にかかれない昭和の風物詩がいちいち懐かししくてたまりませんでした。
後の時代に、この時代を歴史として勉強する人たちにとって、この映画は、教科書よりも数段優れたA級の歴史資料になると思われます。
息子が雨の中、立ち小便に出ていくシーンがあるのですが、しょうがないわねと言う顔をしながら、お徳が何をしたか。
傘を差し出すでもなく、タオルをかけるでもなく、なんと自分も雨の中出ていって、息子の頭を前掛けで包み込むんですね。
さりげないシーンですが、ドッキリしました。
実は僕も、同じことを祖母にしてもらった記憶があります。
ほんのりと刻んでいたネギの香りも覚えています。
祖母も、普段から着物の人で、襟元にはいつも上手に手拭いを挟み込んでいました。
蔦江も全編通して、終始着物姿なのですが、これで何度となく駆け出すシーンがあるんですね。
この後ろ姿がなかなかよろしい。
今の女性たちは、着物を着てシャナリシャナリと歩くことはできても、下駄履きのまま着物の裾を跳ね上げて、走り出すことは出来ないのじゃないでしょうか。
うちの祖母などは、僕がイタズラをすると、よく着物の裾をたくし上げて、追っかけてきたものです。
着物がまだ普段着だった頃の「小股の切れ上がった女」を、実地見聞したい女子は、是非とも本作の新珠三千代の所作を研究されたし。
昭和の粋な女は、髪を振り乱して、走る姿がなかなか絵になります。
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