若尾文子といえば、大映の看板女優だった人ですね。
大映といえば、僕らの世代ではなんといってもガメラ・シリーズ。
それから「大魔神」を代表とする時代劇特撮シリーズ、そして「座頭市」「眠狂四郎」シリーズといったあたりは、映画館で見ていた記憶はあります。
しかし、それらのヒット・シリーズでは、この人にお目にかかることはありませんでした。
これらの大映映画を子供向けとすると、この人の活躍した映画は、いわば大人の映画部門。
「女が愛して憎むとき」「獣の戯れ」「悶え」「帯をとく夏子」などなど。
ざっとタイトルを拾っただけでも、あきらかに成人男性をターゲットにしたお色気系メロドラマがホームグラウンドだった女優です。
肌の露出や、きわどいベッドシーンに頼らずに、当時の男性映画ファンを虜にしたのは、彼女のその美貌に匹敵するくらいに魅惑的な声だったと思います。
彼女の女優としての声は唯一無二。これだけで大女優の資格ありと思う次第。
しかし、彼女が出演した映画は、自分でも意外なほど見ていません。
パッと思い浮かぶのは、寅さんシリーズ第六作「男はつらいよ純情編」。
そして、川島雄三監督のブラック・コメディ「しとやかな獣たち」くらいのもの。
彼女が、その美しさで、男性ファンのハートを鷲掴みしていた絶頂期に、自分がまだ子供だっことがまず悔やまれます。
後に、これだけのスケベおやじになるわけですから、もう少し早く生まれていて、思春期ド真ん中で彼女の映画を映画館でみていたとしたら、おそらく大ファンになっていたことは想像に難くありません。
彼女の出映画作品は、テレビ放送で見た記憶はありません。
かなり刺激的なタイトルの作品が多かったので、テレビで放送されることはなかったのだろうと推察します。
本作も、これが若尾文子の代表作の一本であることは承知していました。
いつかは見ようと思ってDVDは持っていたものの、ずっと引き出しの中で眠っていたわけです。
まだまだこういう映画がたくさんありますので、長生きはしたいもの。
さて、若尾文子は、1933年生まれ。
この映画が撮影されたときの彼女は28歳でした。
これは、DVDの特典映像のインタビューでも本人自身が語っていましたが、この映画が彼女の女優人生の転機になったとのこと。
女優の28歳といえば、もう娘役は難しい年齢。
大人の女性を演じられる女優にならなければ、その後の女優人生は厳しいものになる。
彼女にしてみれば、そう思い始めていたタイミングでめぐり逢ったのが本作だっそうです。
この役をちゃんと演じられなければ、今後の自分の女優人生はない。
そう思った彼女は、これを千載一遇のチャンスととらえ、この台本をもらった時から、抱えるようにして読み込み、この薄幸のヒロインに、自分の女優人生を賭けたと語っていました。
監督は増村保造。
この人は、大映入社後、イタリアに渡り、ルキノ・ビスコンティやフェデリコ・フェリーニに師事して帰国したというエリート監督で、若尾文子とのタッグ作品は全部で20本。
全盛期の大映の屋台骨を支えていた監督です。
もちろん、女優としての彼女の力量を誰よりも熟知していた監督ですから、娘役からの移行期を迎えていた彼女の苦悩もそれなりに理解していたのでしょう。
華やかな彼女の容姿を、本作では、地味な黒系の着物で包み、実年齢よりも年上に見えるように演出したのも彼の計算でした。
28歳の彼女にこの役を用意し、「愛にすがりつく女の情念」を見事に引き出し、大人の女優として開花させたのはこの監督の業績でしょう。
本作以後1960年代の彼女は、川島雄三監督などにも鍛え上げられ、女優として様々な映画賞を総ナメにしていきます。
美人女優が、演技にも開眼したら、もはや向かうところ敵なし。
彼女は、大映の看板女優として、京マチ子や山本富士子と肩を並べ、日本の映画界を代表する大女優として、絶大な人気を誇ることになります。
しかし、個人的には、リアルタイムの彼女は、かろうじてソフトバンク・モバイルCMの白戸家のおばあちゃんのイメージがあるのみ。
彼女が増村監督とコンビを組んだ作品群には、まだまだ見ておきたい彼女の全盛時代の佳作がたくさんありますので、美人女優には目がない映画ファンとしては、Amazon プライムのラインナップに期待したいところです。
さて、本作の原作は、円山雅也の小説「遭難・ある夫婦の場合」。
断崖絶壁を、ザイルで結ばれた一組の夫婦と青年の三人が登っていきます。
足元を滑らせ落下する夫、それに巻き込まれるように絶壁に宙づりになる妻。
青年は、岩にしがみつき、必死で二人を支えます。
しかし、宙づりになった二人を引き上げるのは困難。
このままでは、青年はいずれ力尽きて、三人もろとも崖下に転落かるしかありません。
この時、妻の手にはナイフが一本。
ザイルの上部を切れば、夫婦はそろって転落。
ザイルの下部を切れば、夫だけが転落。
この切迫した状況の中で、妻が選択したのは後者でした。
果たして、この妻に夫殺しの殺人罪は成立するのか。
映画はこの事件の裁判のシーンからスタートします。
この裁判で争われるのは、いわゆる「緊急避難」。
緊急避難条項が定められている法律は、主に刑法です。
刑法第37条1項には、「自己又は他人の生命、身体、自由又は財産に対する現在の危難を避けるため、やむを得ずにした行為は、これによって法益を侵害した場合でも、罰しない。」と規定されています。
これはどういうことか。
つまり、自分の命や他人の命、身体、自由、財産が今まさに危険にさらされているときに、その危険を避けるためにやむを得ず他の法益を侵害した場合、この行為は法律では罰せられないということです。
この緊急避難が認められるためには、以下の要件を満たす必要があります。
まさに今現在の危難があること。
要するに、それが 未来の危険ではなく、今まさに危険が迫っている状態であることを意味します。
そして、避難の意思があること。
危険から逃れようとする意思がなければならないこと。
最後に、補充性の効かない要件であること。
つまり、他の方法では、この危険を回避できない場合に限られること。
法律を文章で聞いても、なかなかピンとこないと思いますので、緊急避難の例を挙げてみます。
例えば、火災現場から人を救出するために、他人の家を壊す行為。
理由もなく他人の家を壊す行為は、通常器物損壊罪に問われますが、そこに火災現場から人を救出するという正当性があれば、この行為は罪に問われないということです。
暴漢から身を守るために、相手を殴る行為も、正当防衛と同様に緊急避難が認められる可能性があります。
また、溺れている人を助けるために、他人の土地に無断で侵入するような行為も、緊急避難が認められ、罪を問われないケースがあります。
ならば、本作のケースは、どう判断されるか。
裁判が進むにつれ、この夫婦の間にはすでに情愛はないことが明白になり、この登山の前に、夫に対して生命保険がかけられていたことが判明。
しかも、青年と妻の間に、情交があったことが疑われます。
自分の命を守るために、夫とつながっているザイルを切ったことは、果たして殺人なのか。
それともやむを得ない「緊急避難」にあたるのか。
裁判では、妻に「無罪」の判決が下ります。
青年には婚約者がいましたが、彼は心身ともに疲弊した妻に寄り添ううちに、この妻を愛するようになり、二人は結婚の約束をします。
しかし・・
映画は思いもかけないラストを迎えますが、この妻が青年に捨てられたくない一心で、雨の中、ずぶぬれで青年の会社に現れるシーンが圧巻でした。
まさに、若尾文子が演技開眼した瞬間を目撃したような衝撃でした。
実は、彼女のインタビューによれば、このシーンは、映画の撮影にクランクインした初日のファーストカットだったとのこと。
台本を読み込んできた彼女の気合も、まさにマックスだったろうと想像します。
映画を見終わって冷静に考えてみると、この映画のヒロインはあまりに薄幸で、彼女のような華やかな美貌の女優が演じるのはリアリティに欠けるという思いはありました。
ちょっと嫌味ではないかという気にもなってしまうわけです。
生活苦から、30歳以上も離れた父親のような男と結婚し、子供を産むことも拒否され、愛情のない結婚生活を送り、心から愛した男も・・・・
こういう境遇の女性をもっとリアルに演じられる庶民的女優(容姿もそこそこ)は、当時の大映にもそれなりにいたはずです。
しかし、映画というものは不思議なもので、このドラマに下手に説得力を持たせてしまうより、この美人女優をとことんサディスティックに追い詰める方が、映画的には魅力的になるものなんですね。
思い出してしまったのは、カトリーヌ・ドヌーヴの1966年出演映画「昼顔」。
ルイス・ブニュエル監督は、この作品で、ドヌーヴをサディスティックに攻める演出をしているのですが、やはりこれも、彼女が絶世の美女だからこそ、観客(特に男性)は、ゾクリとしたわけです。
本作のあのシーンも、彼女以外の女優が演じていたとしたら、普通にホラーだったかもしれません。
ちなみに、本作で妻の弁護を担当したの弁護士を演じたのが根上淳。
この人は、「帰ってきたウルトラマン」で、MATの二代目隊長伊吹竜を演じていた人。
そして、強面の検事を演じたのが高松英郎。
この人は、小学生の時に夢中になったスポ根ドラマ「柔道一直線」で、一条直也の師匠・車周作を演じていました。
ヒロインと愛し合う青年を演じていたのは川口浩。
この人は、大好きだったTBSドラマ「キイハンター」にも顔を見せていましたが、後に「水曜スペシャル」の「川口浩探検隊」で、お茶の間の人気者になった人。
クラシック映画を見るときの楽しみは、こういう知った顔に会えることです。
当時は五社協定がありましたから、大映作品に登場するのは概ね大映の専属俳優たちです。
見たことはあるけれど、名前が出てこないという顔も多々あり、なんの映画のどのシーンに出ていたのかを思い出すのは、なかなかいい脳のトレーニングになりましたね。
青年の婚約者を演じたのは馬渕晴子です。
個人的には、1975年「祭りの準備」での、主人公の母親役の印象が強いのですが、本作ではキリッとした会社重役令嬢役。
彼女は本作ではなかなかのもうけ役でした。
青年に裏切られたにもかかわらず、裁判では妻を無罪に導く重要な証言をします。
そして、本作の最後は彼女のこの一言。
「結局あなたは、誰も愛してなんかいなかったのよ。サヨナラ。」
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