理系ミステリーというジャンルの一冊。
作者森博嗣氏は、名古屋大学の工学博士というゴリゴリ理系の作家です。
本作は、その筆者の小説デビュー作。
発表されたのは1996年で、この年から始まった講談社主催のメフィスト賞の第一回受賞作品です。
この作品メチャ推しのYouTuberがかなり多かったので、どんなもんかと手に取った次第。
実は、筆者の作品としては、すでに短編集「どちらかが魔女」は読了済み。
他に「スカイ・クロラ」を仕入れ済みだったのですが、本作の評価があまりに高かったので、まずはこちらからと判断し、今回電子書籍版を購入した次第。理系ミステリーとははたしてどんなものか。
ちなみに申し上げておきますと、僕個人はコテコテの文系です。
学生時代は、理科系の科目で、平均点以上の成績を収めたことは一度もありません。
但し、このコンプレックスがあったためか、「相対性理論」「量子論」といった理系分野の入門書はちょくちょく購入して、読んでいましたね。
読んだ直後くらいは、ちょっとはわかった気になったものですが、いざ語ろうとすると、結局何もわかっていないということの繰り返しでした。おそらく理系の知識を理解するセンスが欠けているのでしょう。
故に、理科系に対する憧憬の念は昔からありました。
本作には、1990年代当時の最先端IT技術の描写がふんだんに登場します。
理系オンチではあっても、世間平均に比べて、かなり早い時期からパソコンは使っていました。
その理由は、理系コンプレックスを少しでも埋めたいという気持ちがどこかにあったからかもしれません。
今でも覚えていますが、はじめてIBMのデスクトップのパソコンを購入したのは1993年でした。
当時は、シャープの書院というワープロも持っていました。
ただ日本語入力をするというだけなら、ワープロの方が使い勝手が良かったのですが、パソコンのワープロ・ソフトが次第に充実していくにつれ、自然とパソコン・ユーザーにシフトしていった記憶です。
一番最初のパソコンに入っていたOSは、Windows 3.1 でした。
今とはくらべものにならないほどスペックは小さいパソコンでしたが、遅いなりにもインターネットはやはり魅力的でしたね。
当時は、電話回線とネット回線を切り替えて使っていたので、かなり不便でしたが、世界とつながっているワクワク感はありました。
そして、1995年に鳴り物入りで登場したのが Windows 95 です。
これが自分のパソコンで起動した時は、こちらから歩み寄っていかなければいけなかったパソコンの世界が、向こうから一気に近づいてきたという印象がありました。
難しいコンピュータ言語はほとんど使わないでも、直感的にいろいろな機能を操作できるようになったことは、僕も含む理系オンチを一気に、パソコン・オタクに押し上げてくれましたね。
本書が執筆された1996年は、まだIT黎明期です。
当時のインターネット普及率は3.3%でしたが、筆者は大学の研究部門にいたというわけですから、日常的に最先端のインターネット環境で仕事はしていたはず。
本書には、今ではあたりまえになっているVRや、音声認識、チャットなどが登場しますが、果たして、もしもこの小説を発表当時に読んでいたとしたら、当時の自分がこれを素直に受け入れられたかどうか。
もしかしたら、ミステリーではなく、近未来SF小説でも読まされていると思ったのではないかと思ってしまいます。
筆者が、はじめて小説を書いたのが39歳の時だといいます。
当時はまだ、研究者と小説家の二足の草鞋を履いていました。
筆者は特に小説家志望というわけではなく、あくまで大学勤務の副業として小説を書き始めたのだそうです。
きっかけは筆者のお嬢さんがミステリー・ファンだったこと。
彼女が読んでいた本を読んだ筆者が、これくらいなら自分にも書けると思ったのだそうです。
(誰の作品かは興味のあるところ)
そして、最初の3作を一気に書き上げ、講談社に応募。
さらに、構想中の作品の内容を編集者に説明したところ、これから書こうというこの作品を、その編集者には「それをデビュー作にしましょう」と強力プッシュされたそうです。
そうして、彼の小説家デビュー作となる本作が世に出ることになったわけです。
そんな事情ですから、本作がちょうどこの年から講談社主催でスタートした、新人作家の登竜門となるメフィスト賞に選出されたのは大いに納得です。
そして、その後の筆者の小説量産体制が半端ではありません。
どこからそのアイデアが湧きだしてくるのか。まさに驚愕。そのひとことです。
長年にわたる研究者稼業で築き上げた理系リテラシー、多彩な趣味から得たコアで専門的知見の幅広さ、
そして、最先端IT技術を使いこなしてきた彼の職業体験が、理系ミステリーという新しい分野で開花したわけです。
綾辻行人の登場により一気に開花した日本での新本格ミステリーのブーム。
これまでにも、何冊か読ませてもらっていますが、彼らは例外なく海外古典ミステリーを読み込んだうえで、
自分なりの新しいスタイルを確立しています。
ですから、読んでいて古典ミステリーに対するオマージュを随所に感じるのですが、この人の作品にはそれがさほど匂いません。
これはYouTubeのインタビュー動画で聞いたのですが、筆者は実は文章を読むのが苦手だとのこと。
年間に読む小説は数冊にも満たないのだそうです。
そのかわり、学者という仕事上、参考文献や論文は読まざるを得ません。しかし、これはあくまでも仕事。
書く方も同じです。
研究の予算をとるための説明文書や論文も、仕事の上で書かざるを得ないので書いていたもので、これも決して好きで書いているわけではなかったとのこと。
小説執筆は、あくまでその延長と割り切って書いてきたのだそうです。
しかし、そのモチベーションで、これだけの著作を生み出し、本日現在累計1400万部以上を売り上げているわけですから、やはりこの人は天才なのかもしれません。
というわけで、本作の話に参りましょうか。
このミステリーは、まさにその天才たちの推理バトルといっていい内容です。
登場する天才は3人。
一人は犀川創平。クールでヘビースモーカー。三十代の大学助教授で、ある意味では筆者の分身です。
もう一人は、彼の教え子である大学生・西之園萌絵。
3桁以上の掛け算を瞬時に暗算してしまう頭脳の持ち主。犀川にはほのかな恋心を抱いています。
そして、プログラムの世界では、神とも崇められている超天才が間賀田四季。
28歳の彼女は、14歳の時に両親を殺したという驚くべき過去があります。
天才プログラマーの四季は、事件以来、孤島に建設された研究施設の地下に幽閉されており、そこでソフトウェア開発の仕事に携わりながら、施設の職員とも直接接触することなく暮しています。
この理系の天才に犀川が興味を持っていることを察した萌絵は、この島でゼミ合宿することを提案。
一同が島に到着したその夜、間賀田四季に面会するため犀川と萌絵が研究施設に出向いたその面前で、事件は起きます。
研究施設を管理するサブシステムのデボラが、突如暴走。
そして、普段は開かないはずの四季の部屋の扉が開き、中からはワゴン型ロボットに乗ったウェディング・ドレス姿の四季が。
しかし、その顔には生気がありません。
四季の部屋には、彼女しかいないわけですから、居合わせた職員たちは、彼女が自殺したと思うわけですが、医師がその死体を見て一堂に言います。
「これは自殺なんかじゃない。殺されている。」
ウェディング・ドレスの下の死体には、両手両足がありませんでした。
ミステリーの出だしとして、これくらい強烈なインパクトのあるシーンはなかなかないでしょう。
いつものように、このシーンを脳内シアターにて映像変換してみますが、これくらいになると、ミステリーというよりはもはやホラーですね。
ミステリー冒頭では、読者への「つかみ」はもちろん大切ですが、ここまでショッキングなシーンで風呂敷を広げてしまって、はたしてこれを理系ミステリーという枠内で、読者が納得のいく解決へ収集することは可能なのか。
少々心配になってしまいました。
しかし、案ずることなかれ。
筆者のミステリー執筆作法が、Wiki にこう書いてありました。
筆者は、ミステリーを面白くするために、事件の導入部から、謎が謎を呼ぶ展開部分までは、解決策のことは一切考えずにおもいきり風呂敷を広げてしまうのだそうです。
そして、そこで読書の心を掴む魅力的な謎が提示出来たら、そこからはじめて解決策を練り始めるとのこと。
当然ハードルは高くなりますが、その方が、より魅力的なミステリーになるというわけです。
解決編でどうしても辻褄があわないようなら、その部分へ戻って、展開部分を修正したり、伏線を追加するという手法です。
プロット云々よりも、まずミステリーに不可欠なのは、魅力的な謎というわけです。
どんな難解な謎でも、最後は納得のいくロジックで解決させるという自信がなければできない手法です。
やっぱりこの人天才かも。
ちなみに、謎よりも先に、まず、面白そうなタイトルを決めて、そこから物語を発想していくこともあるとのこと。
この人のバイオグラフィを眺めていると、ダブルミーニングを仕込んだニヤリとさせられるタイトルがいくつかありますね。
「すべてがFになる」。なるほど、このタイトルもどこか理系ミステリーを感じさせる絶妙なタイトルではあります。
理系ミステリーですから、数学的な蘊蓄はたびたび登場します。
冒頭の間賀田四季と西之園萌絵とのオンライン面談で出て来る、掛け合わせると555555になる3桁と4桁の数字。
気になってAIに確認してみたら、これは素因数分解によって出てくる素数の組み合わせで無数にできることが判明。
素因数分解自体は、遠い昔の数学の教室に置き忘れてきてしまいましたが、理系オンチのナンチャッテ蘊蓄としては使えそう。
例えば16進法なんてのも出てきました。
16進法は、本作のタイトルにも連動する重要なキーワードです。
これはコンピューター科学やプログラミングの分野で頻繁に用いられる数表現方法なんですね。
その理由は、16進法と、コンピュータの計算動作のベースとなる2進数との相性が非常にいいということ。
コンピューターが内部的に扱う2進数を、16進法は、人間にとってより読み書きしやすい形で表現できるからです。
2進数と比較して、16進数はより少ない桁数で同じ値を表せるため、数値をコンパクトに表現出来るという利点があるわけです。
しかし、16進法を使うには、事実上15個の文字が必要で、数字の10個では足りません。
ではどうするか?
おっと、ネタバレになりそうなので、ここまでにしておきます。
パソコンのヘビーユーザーとしてこれを熟知している筆者は、この16進法をメイントリックに巧みに流用しているわけです。
パソコン・オタクとしては、この研究施設の最先端技術がなかなか興味深いものでした。
一番驚いたのは、今では当たり前になっているVRシステムが、この施設では当たり前に使われていること。
複数の登場人物が同時に仮想空間に入り込み、コミュニケーションをとるわけです。
仮想空間内で登場人物は皆カートに乗っており、映像データの足りない人物の顔は人形のようだったりのっぺらぼうだったりと非常にリアルに描写されており、現実世界との区別がつきにくい状況が臨場感たっぷりに描かれています。
複数のユーザーが同時にアクセスし、交流できる仮想空間という概念は、今でいえばメタバースでしょう。
この単語は小説には出てきませんが、完全に未来を先取りしています。
VR端末というと、僕らは自然に専用のヘッドセットを連想してしまいますが、 小説では端末機を示す具体的な装置名は出てきません。
果たしてヘッドセットなのか。それともゲームセンターにあるようなマシンなのか。
本作はすでに、ゲーム、ドラマ、アニメなどに映像化されているようですから、これは確認したいところです。
いずれにしても、この当時すでに、離れた場所でのコミュニケーションとして、 仮想空間を利用するというアイデアは、あったということでしょうから、これはまさに現代のテレワークやオンライン会議に通じます。
小説では、仮想空間内の表現や操作性が非常に高度に描かれていますが、当時のネット環境を考えればさすがにこれは無理がありそうです。
予想するに、登場人物の動きはかなりカクカクしていたはずですし、風景の解像度もアニメーション以下だったはず。
とにかく当時のネット環境は当然のことながら5Gではありません。
2000年初頭に登場したADSLでさえ、動画の再生はかなり怪しいものでした。
その意味で、発表された当時にあっては、本作はまさに近未来SFであったのかもしれません。
但し、著者が描いたその世界が、2024年の今現在読んで、まるで古さを感じないし、違和感もないのですから、これはたいしたものだと感心する次第。
本書が現代の若き読者にも読み継がれているという現実が、このミステリーの先見性と現代性を証明しています。
本作には、マイクロソフトのWindows こそ登場しませんが、サーバーなどでよく利用されたOSであるUNIXは出てきますし、昔のパソコンでよく見かけた「READ ME」というフォルダーも、重要な場面で出てきます。
こういったパソコン周りの細やかな描写は、当時からのパソコン・オタクにとっては懐かしい限り。
誰もが Line を使うようになった今では当たり前のチャットも、本作では施設内のコミュニケーションで普通に使われていますし、音声認識で動くシステムも当たり前に描かれています。
日進月歩のIT技術ですが、今から30年近く前の最先端の描写を、現代の読者が違和感なく読めるというのは考えてみればやはり凄いこと。
当時のリアルタイムの記憶がある、僕のようなパソコン・オタクにとってはなおさらです。
施設内には大人数が集まるスペースがなく、基本的に施設職員たちは、自分の個室で仕事をし、食事をし、寝るという、今でいうところの引きこもり的暮らしぶり。
施設内での個人的挨拶は、たとえ隣にいても基本はメール。
IT社会の弊害といわれたこんなシーンも、ある意味では、研究施設の合理化を極めた結果として描写されますし、主人公の犀川もこれになんら違和感を覚えていません。
当時の非常識は、いまや常識になっているわけです。
僕自身も、この時代に、手書きの年賀状はやめて、すべて電子メールに切り替えましたが、やはりまだこれに眉を顰める年配の方はそこそこいらっしゃいました。
いまでは、電子メール年賀状すらやめて、Line による一斉送信になっています。
ミステリーは、その登場から現代にいたるまで、常に世の中の最先端技術や社会背景を反映してきました。
当時からの目線で、IT技術の未来をかなり的確に予想していた本作ですが、この作品にはまだスマホは登場していません。
いまでは誰にとっても当たり前になったスマホを、単なるファッションや便利グッズとしてではなく、理系ミステリーという見地から本格的にトリックに組み込んだミステリーがあれば、個人的には是非読んでみたいところです。
本作には、天才プログラマー間賀田四季が設計したOSのレッド・ドラゴンが突然暴走し出す描写があります。
パソコンで管理された空間では、これが最大のパニックを引き起こします。
1960年代であれば、ジェームズ・ボンドしかもてなかったような最先端の秘密兵器を、いまや世界中の老若男女が一人一台ずつ持つ時代です。
もしも、Apple が世界支配を目論んで、スマホのプログラムに、とんでもない時限装置付きの「トロイの木馬」を仕掛けていたとしたら・・
.というわけで本作は、後の筆者の作品群において重要なキャラになっていく、犀川創平、西之園萌絵、真賀田四季がはじめてそろい踏みする重要な作品です。
これから森博嗣氏の作品を読もうという方には、まずは本書を手に取られることをお勧めいたします。
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