密室トリックのミステリーとしては、古典中の古典です。
発表されたのが、1907年といいますから、今からもう100年以上も前。
ミステリー黄金期のアガサ・クリスティやエラリー・クイーンが登場するはるか以前の作品です。
これも読み逃していたクラシック・マスターピースの一冊。
ミステリーがこの世に産声を上げたのが1841年。
エドガー・アラン・ポーの短編小説「モルグ街の殺人」が世界初の推理小説というのが定説ですから、本作発表はそれから66年後ということになります。
その後、イギリスでコナン・ドイルが発表した名探偵シャーロック・ホームズ・シリーズの第一作「緋色の研究」が発表されたのが1887年。
そして、フランスでモーリス・ルブランが「アルセーヌ・ルパンの逮捕」を発表したのが1905年。
本作の発表はその2年後ということになります。
ガストン・ルルーは、フランスのミステリ作家。ルブランとはほぼ同時期に活躍した作家です。
本作の舞台はパリ郊外の田舎町ですが、その情景が懐かしく思えたのは、小学校高学年から中学生にかけて読みまくっていた「怪盗ルパン」シリーズの記憶があったからでしょう。
当時は、ポプラ社から出ていた南洋一郎氏翻訳の児童向け「怪盗ルパン全集」全20巻をほぼ読破していましたので、
パリの街並みや、城や塔などの古い建築物が残る片田舎、どこまでも続く鬱葱とした森、そんなフランスの風景は、アルセーヌ・ルパンの活躍と共に記憶の片隅に残っていたようです。
ガストン・ルルーは、弁護士資格取得後、法廷記者として活躍し、ロシア革命の際には、そのルポルタージュにも取り組んでいます。
その後は怪奇小説でデビューしますが、本作で挑んだのは本格ミステリー。
これがフランスで高評価を得て人気作家となり、モーリス・ルブランと人気を競うことになります。
本作を傑作たらしめているのは、なんといってもその秀逸な密室トリック。
デックスン・カーも、「この種のものとしては最高傑作」と評価しています。
作者自身も、それなりの自信があったのでしょう。
小説内でコナン・ドイルの「まだらの紐」や、ポーの「モルグ街の殺人」を引き合いに出して、密室トリックとしてはまだ設定が甘いとかなり挑戦的です。
「黄色い部屋」で起こった事件は以下の通りです。
舞台となるのはスタンガーソン博士父娘が住むパリ郊外グランディエ城の離れ。
夜中の零時半に、マチルダ嬢の寝室である黄色い部屋から「人殺し!人殺し!」という悲鳴が聞こえる。
驚いた父親と老僕が部屋の前に駆け付けると、ドアは中からカギがかけられカンヌキが。
そして、響く二発の銃声。格闘する物音。中からは「助けて!」という悲鳴。
ドアの外には門番も加わり、必死の体当たりでドアを破壊して部屋に突入する三人。
部屋の中には、負傷して倒れているマチルダ嬢。
三人はすぐに犯人の姿を探すが、犯人はどこにも見当たらない。壁には、血糊のついた手形がべっとり。
部屋にたった一つある窓には鉄格子がはめてあり、そこから脱出するのは不可能。
いったい犯人は、どうやってこの部屋を脱出したのか。
この謎に挑む本作の探偵役は、ジョゼフ・ルールタビーユ。腕利きの新聞記者です。
過去にもフランスを賑わせた難事件を、新聞記者として解決に満ちびいた実績を評価され、この事件の取材レポートを任されます。
その相棒になるのが「わたし」こと弁護士のサンクレール。
彼の目線で事件は語られます。
ルールタビーユは、冒険心旺盛でやや自信家。
作品中、推理に没頭するシーンでは、シャーロック・ホームズよろしく、しばしばパイプたばこを燻らせて、沈思黙考。
新聞記者という職業上、予審判事や警察関係者からは疎まれますが、持ち前の行動力と人懐っこさで、事件関係者に取り入る術にはたけており、パリ警視庁の名刑事とラルサンと一緒にグランディエ城に滞在されることを許されます。
ルールタビーユはしばしば、ラルサン刑事に対して対抗意識を燃やします。
彼の行動は取材の範疇を超え、もはや捜査になっているのですが、このあたりは今の感覚でいえば完全にやり過ぎ。
そうして事件に頭を突っ込んで真相解明に導いた過去の成功体験記事を読者が喝采したということになっていますが、これは今の感覚でいえば完全に記者の仕事を逸脱しています。
しかし一世紀以上も前の作品を、今の感覚で語るのはルール違反かもしれません。
ちなみに、ガストン・ルルーといえばかの有名な「オペラ座の怪人」を執筆したことでも有名な小説家です。
ご存じのように「オペラ座の怪人」は、ミステリーではなく、本格ゴシックホラー作品。
彼は推理小説だけでなく、怪奇小説の書き手としても有名な人でした。
その他、SF、ファンタジー、歴史小説、政治小説など幅広くエンタメ作品を量産しています。
しかし、その彼が、本作品において徹底的にこだわったのはあくまでも本格ミステリーです。
彼が目指したのは、絶対脱出不可能と思われる密室からいかに犯人を論理的に逃亡させるか。
それを理詰めで解き明かすことです。
ルールタビーユには、しばしばこんなことを言わせていますね。
「論理の輪」をつくるには、まず絶対に動かせない事実を中心に小さな輪を描き、その輪の中に、互いに矛盾しない事実や物証を入れて広げていく形をとります。大切なのは「論理」。
本作には、しばしば「黒い幽霊」やら「神さまのしもべ」と呼ばれている巨大な猫といった怪奇色の濃いものが登場しますが、これはあくまで小説の味付けで、真相解決には、こういった超常キャラは一切関与させていません。
あるいは人物の人間性などの情緒的判断も徹底的に排除すること。
真実の判断には、あくまでも確実な事実のみを積み上げて論理的に判断すること。
ミステリーの意味には、超常現象や怪奇趣味的要素といったものも含まれるわけですが、本格推理小説はあくまで客観的事実に基づき、揺るぎない論理の輪の中で構築されること。
ルールタビーユは、これを徹底的に自分に言い聞かせて真相に近づいていきます。
さあ、ここまでハードルを上げてしまって、はたして黄色い部屋の秘密は、読者の納得のいく形で解決されるのか。
しかも、僕のように本作が発表されてから、一世紀以上もたった2024年に本作を読んでいる読者にもです。
部屋には、実は秘密の抜け道があった。
マチルダのベッドに隠れる場所があった。
父親が共犯で、一人になったすきに犯人を逃がした。
読者にも考え付きそうなトリックは、捜査の段階で次々とその可能性がつぶされていきます。
ルールタビーユが独自の捜査で得た証拠や証言で、じりじりと真相に近づいていることはわかるのですが、読者視点からは謎は深まるばかり。
読み進めながら、この謎だけでこの長編ミステリーを最後まで引っ張るのだろうかと思い始めたとき、第二の事件が起きます。
狙われたのはまたしてもマチルダ嬢でした。
危険を感じた彼女は違う部屋に逃げていて今回は大事には至らず。
しかし、城内にいるはずの犯人を、ルールタビーユたちが、三方から挟み撃ちにして追い詰めたはずが、三人がぶつかった廊下から忽然と犯人が消えてしまいます。
またもや人間消失です。
種も仕掛けもある人間消失マジックのネタならいくつか知っていますが、廊下には秘密の抜け穴も、暗転する背景も、等身大の鏡も置いてありません。
高解像度のホログラム技術が、この時代にあるはずもありません。
起きた事件はショッキングで、インパクトも絶大ですが、はたしてこの謎を、20世紀初頭の常識とサイエンスで、論理的に解決できるのか。
超高レベルの「ハウダニット」がこの時点で二つも提供された訳ですが、確かに筆者が提供した謎は双方ともに、魅力的です。
後は、この謎にどうオトシマエをつけるか。
そして、さらにマチルダ嬢は三度襲われることになるのですが、真犯人はそこに意外な死体を残して、またしても忽然と現場から姿を消してしまいます。
しかし、我らがルールタビーユは、もうこれでマチルダ嬢が襲われることはないと自信たっぷりに言い残して、アメリカにわたってしまいます。
サン・クレールがその理由を聞くと、ルールタビーユはこう答えます。
「真犯人のもう一つの顔を探しに。」
しかし、パリ警察は、マチルダ嬢の婚約者ロベール・ダルザックが、三度にわたるマチルダ嬢襲撃の際のアリバイがないことを理由に彼を逮捕。
重罪院で彼の裁判が始まります。
ここから舞台は法廷に移ります。
筆者の前職が法廷記者だった経験が、ここでは如何なく発揮されています。
裁判において提示される状況証拠のすべてがダルザックには不利。
しかも、ダルザックはかたくなに何かを隠しています。
このままでは、彼の断頭台行きは確実。
陪審員たちの心象が、彼の有罪に傾きかけたとき、傍聴人席で声が上がります。
そこには、アメリカから帰ってきたばかりのルールタビーユの姿が。
彼はこの難解な事件の論理の輪を完成し、すべての謎の真相にたどり着いていました。
ここからは、正式に喚問された証人でもない彼による真相解明がはじまり、傍聴席は大喝采。
事件は大円団を迎えることになります。
法廷記者をしていた筆者が、実際の法廷でこんな光景を目撃したとはちょっと考えられませんが、ミステリーのクライマックスとしてこんなシーンを夢想したことはあるのでしょう。
このあたりには、アルセーヌ・ルパン・シリーズにも通じる、前時代的な仰々しい「芝居っ気」を感じなくもありません。
少なくとも今の感覚でいえばアウトでしょうが、やはり一世紀以上も前の法廷の空気を知らないものが、それを言うのも野暮というもの。
ここは、そんな時代の雰囲気も含めて楽しみましょうというところかもしれません。
ミステリーとしての骨格がぶれていなければ、多少の「あり得ない」は、目をつぶるのがお行儀のいいクラシック・ファンというもの。
さて、それでは、肝心の事件の真相は・・・
これは三つの事件それぞれが、人間の深層心理の盲点を突いたという点では、よく出来ていたということだけは申し上げておきましょう。
まだ本作を読んでいない方は、是非ご自分の目でご確認ください。
一世紀以上にわたり、傑作と評価されてきただけの読み応えはあります。
本作におけるルールタビーユの活躍は、当時のフランスでは人気を博し、彼の活躍するシリーズは、この後8作が執筆されます。
アルセーヌ・ルパンには及ばないものの、それ相応の人気キャラクターにはなっていたようです。
ただこの人物についてはどうしても一言だけ。
本作を読んでいて、物語の最初から「それはあり得ない」と思ってしまったことがありましたね。
それは、この主人公の年齢です。
日本ではこんな18歳は絶対に「あり得ない」!
(そういえば、「鉄人28号」の正太郎少年もあり得なかったか・・・)
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