本作はアメリカの推理作家S・S・ヴァン・ダインによって1929年に発表された長編推理小説です。
古典本格派ミステリーの代表作として、名前だけは知っていたので、図書館で探したところ、一般書棚にはなく、閉架書庫から1977年版の年季の入った文庫本を引っ張り出してもらいました。
クラシック大好きなミステリー・ファンとしては、もうこれだけでワクワクです。
本作は「僧正」というくらいですから、「ブラウン神父」シリーズよろしく、教会や寺院を舞台にした宗教色の強いミステリーかと思えばさにあらず。
登場人物の中には、宗教関係の人物も、敬虔なクリスチャンも一切登場しません。
「僧正」というのは、実はチェスの駒の一つであるビショップのことでした。
物語は、高名な物理学者ディラード教授の邸宅周辺で起こる連続殺人事件を描いています。
最初の被害者は、教授の妹に思いを寄せていた弓術選手ジョーゼフ・コクレーン・ロビン。
彼は心臓に矢が突き刺さった状態で発見されます。
そして殺された状況は、マザーグースにある散文詩と不気味なまでの合致を見せ、現場の郵便受けには、この散文詩に「僧正」と署名された、挑発的な書付けが入れられています。
本作がミステリー小説として圧倒的な魅力を放っているのは、なんといってもこの見立て殺人でしょう。
この手法は、後のミステリー作家がこぞって使うようになります。
個人的に思い浮かぶのは十代の頃に愛読した横溝正史作品。
「獄門島」では、マザーグースの散文詩の代わりに、俳句がつかわれていましたし、「悪魔の手毬唄」では、作者によって手毬唄が創作されていました。
本作においては、マザーグースの散文詩に誘発されるかのように、第二第三の見立て殺人が起こっていきます。
容疑者は絞られているのに、捜査陣はなかなか真犯人にたどり着けません。
犯人は一体何のためにこんな手の凝った殺人を繰り返すのか。
最後まで、フィロ・バンスたちを悩ませたのが、犯行の動機でした。
犯人は、引き続き、警察に挑戦をするかのように、犯行直後に「僧正」のサイン入りのマザーグースの散文詩を送り付けてきます。
なぜリスクを背負ってまで、そんなパフォーマンスにこだわるのか。
まるで、自分の知性と優秀さを自慢しているかのようにも見えます。
なるほど、ならば犯人はかなりの知識人か?
ところが、本作に登場する容疑者たちのほとんどが、それぞれの分野で名を馳せた知識人の面なんですね。
物理学者、数学者、大学講師、チェスの棋士などなど。
とにかく誰も彼もがそれなりに頭の出来はよろしい。
つまり、見立殺人をやらかすような人物としてはかなり怪しいわけです。
さてそこで、読者としては、一旦読書を中断して、AI にこんなことを聞いてみました。
21世紀のミステリーファンならではの楽しみ方です。
「見立て殺人なんて愚行をやらかそうとする犯人の心理を分析して?」
AI の解答は以下の通り。
犯罪心理学的な視点から、見立殺人の加害者に見られる主な特徴として以下が挙げられます:
1. 支配欲求と優越感
- 自身の知的能力を誇示したい欲求
- 捜査当局との知的な駆け引きを楽しむ傾向
- 他者を操作することで得られる満足感
2. 演出への執着
- 犯行を芸術作品のように演出する
- 細部へのこだわりが強い
- メッセージ性を重視する
3. 心理的特性
- 共感性の欠如
- 誇大性パーソナリティ傾向
- 反社会性パーソナリティ障害の特徴を持つことがある
4. 犯行の動機
- 社会への不満や怨恨
- 自己顕示欲
- 存在証明の欲求
なるほど。
鮮やかな分析です。しかしながら、こちらとしてはさらに混乱してしまいました。
なぜなら登場人物の誰もが、これに当てはまってしまうんですね。
頭を抱えながら再び小説に戻ります。
(ちなみに、このブログの2つの画像は2枚ともAIに作成してもらいました。)
ここで作者について少々。
実はこの人もかなりの知識人でした。泣く子も黙るハーバード大卒業のエリートです。
美術評論家として執筆活動に専念していましたが、第一次世界大戦による世情不安の中で、神経衰弱を煩い療養生活を余儀なくされます。
医者から仕事も学術書研究も禁じられますが、唯一許されたのが軽小説の読書でした。
それならばと、インテリの彼が選んだのがイギリスの本格ミステリー。
そうとなれば療養中の身、時間だけはたっぷりあります。
何といっても根が学者肌なので、彼は、療養生活の2年間で7000冊以上のミステリーを読破します。
そして、アメリカ人の彼は考えます。
ミステリーの生まれた国はアメリカなのに、英国ミステリーとの差は歴然。
とにかく、知的レベルが違いすぎる。わが国のミステリーのなんと陳腐なことよ。
そこで彼は一念発起します。
英国ミステリーにも劣らぬ、知的レベルの高いミステリーを書いてやろう。
休養充分の彼の頭は再びフル回転。たちまち数本のミステリー小説のプロットを練り上げます。
そして、病気療養を終えた1926年に、満を持して彼が発表したのがミステリー長編デビュー作「ベンスン殺人事件」でした。
これは、博学素人探偵フィロ・バンスの初登場作品でもあります。
そしてこれに続く「カナリア殺人事件」「グリーン家殺人事件」「僧正殺人事件」で、彼はインテリ・ミステリー小説化としての地位を確立。
元祖アメリカのミステリー小説のレベルを、イギリスの本格ミステリーと肩を並べるところまで押し上げることに成功します。
エラリー・クイーンやディクスン・カーなどの著名な米国推理作家たちは皆、ヴァン・ダインの背中を見ていたわけです。
とにかく本作における作者の知的レベルに対するこだわりは相当なものでした。
僕のような頭の回転の遅いミステリーフリークとしては、展開される犯罪トリックを理解するだけでいっぱいいっぱいになってしまうんですが、本書には本筋とは関係のない知的会話がふんだんに出てきます。
そのどれもが、1929年当時としては最先端の知見なんですね。
アインシュタインの一般相対性原理が予言した時空の歪みを観測したエディントン・チームの話題や、量子論の問題が、登場人物たちによって日常的に会話の話題にされています。
その意味では、殺人事件の舞台となったディラード家は、さしずめ、知的文化人たちによる学術サロンになっていました。
個人的には、つい先日物理系の入門書を読んだばかりだったので、まだ脳みその端っこに残っていた知識も微かに反応してうれしくなってしまいました。
アメリカのミステリーは、ハードボイルドだけではないぞと言う作者の気概が伝わってくるわけです。
物語の終盤、名探偵フィロ・ヴァンスが、この時代の科学的知見を全開にして、この事件の真犯人は絶対に数学に明るい人物であると言う推理を展開するくだりがあります。
正直、あまりに難解でついていけない論理展開なのですが、ミステリー小説を読んでいるのに、学術書を読んでいるような少々くすぐったい知的な快感はありました。
そうはいっても、これで事件が解決と言われてしまうと、煙に巻かれたような気がしてしまうのですが、その辺はご心配なく。
最終章では、僕程度の知的レベルでも、十分に理解できる納得の大円団が待っています。
チェスにおけるビショップの動きは、将棋でいえば角と似ています。
盤上を斜めにのみ移動することが可能で、そのルートが空いていればどこまでも駒を進めることができます。
その意味では、柔軟で強力な武器になる駒がビショップ。
そんなわけで、タフな私立探偵や、妖艶な謎の美女が登場しないこの知的なアメリカ製本格ミステリーを楽しみむ現代のミステリーファンの方におかれましては、視線を少々傾けて「斜め」目線から楽しまれるのがよろしいかと。
ヴァンダーイン!
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