社会人をやっていたまるまる40年間の間、ミステリー小説からは遠ざかっていました。
定年退職をしてからは、その空白を埋めるように、この間に発表されたミステリーの傑作といわれている作品を、読書系YouTuber の動画などを参考にしながら作品をチョイスしてきました。
とにかくハマりやすいオタク気質であることは重々承知しているので、どんなに気に入った作家に出会えても、まずはそのすそ野を広げる方が優先ということで、とりあえず一作家一作品限定をルールにして読み進めてきました。
そしてここにきて、ハタと気が付いたのは、この大物作家のミステリーをまだ未読だということ。
それが東野圭吾です。
この理由は明らか。この作家はあまりにヒット作が多くて、なかなか最初の一冊が絞れなかったということです。
「ガリレオ」シリーズは福山雅治主演でドラマや映画になっていますし、「容疑者Xの献身」では直木賞も受賞しています。
この人は、映画やドラマなどの脚色に対して寛大ということもあり、映像化の原作としてはひっぱりだこ。今でも引く手あまたです。
他にも、映画やドラマになった作品は目白押し。
「白夜行」「祈りの幕が下りる時」「麒麟の翼」「ある閉ざされた雪の山荘で」「分身」「レイクサイド・マーダー・ケース」などは、個人的に映像作品として鑑賞済みです。
しかし小説を読むなら、なるべくまっさらな状態で読みたいというこだわりがあるもので、東野氏の作品の入門編としてこのタイトルは最適だろうと思った次第。
すでに多くのファンを確保しているミステリー界の雄・東野圭吾の小説を読むミステリー・ファンとしては、まさに「新参者」です。
ただ、このタイトルで、本当にミステリー小説なのかという不安はありましたが、読んでみれば問題なし。
確かに従来の本格ミステリーと比較すれば、だいぶ毛色の違ったタッチのミステリーではありますが、きちんと殺人事件は発生します。
本作はそれまでのトリック重視の本格ミステリーとは、完全に一線を画しています。
より人間ドラマに重きを置いた作品となっているのは、作品の舞台を日本橋人形町に設定したあたりでも明らか。
日本の伝統工芸や文化のテイストを色濃く残す街の住人達の日常を、作者は生き生きと活写していきます。
本作が巧妙なのは、本作を連作短編形式を採用していること。
様々な市井の人々の物語を、それぞれの視点から丹念に描き出し、その真ん中にこの街の空気とは明らかに異質な殺人事件をおくことで、通常の本格ミステリーにはない不思議なテイストが醸造されることになります。
では、本作は通常のミステリーとはなにが違うのか。
これは明確です。
とにかく、このミステリーには、完全なるヒールが登場しないんですね。
もちろん犯罪もどきのことは頻繁に発生します。
憎たらしいキャラクターや、怪しげな人物も登場はするのですが、すべては動機の部分で回収されてしまいます。
結局みんな憎めないんですね。
では、本作の殺人事件の犯人はどうなのか・・・
そのあたりは是非、本作を読んでご確認ください。
そんなわけで、本作はピカレスク・ミステリーとは正反対の作品といえます。
ジョーカーやヴェノムのようなダークヒーローは一切登場しません。
登場するのはみんな下町の人情味あふれる庶民たちばかり。
いっいみれば、葛飾柴又の帝釈天参道の商店街で、殺人事件が起きるような話なわけです。
しかしそんな異世界同士のハイブリッドを、みごとに一本のミステリーとしてまとめ上げた作者のプロット構成力にまずは脱帽です。
物語は、加賀刑事が日本橋管内に異動してくるところから始まります。
彼は型破りな捜査方法で知られる変わり者の刑事。
しかし、その独特な洞察力と、人々の心に寄り添う姿勢で、地域に暮らす人々の信頼を徐々に得ていきます。
舞台となる日本橋は、老舗の商店が立ち並び、伝統と現代が交錯する街。そこで起きる様々な事件の裏には、必ずその土地に根付いた人々の人情や葛藤が隠されているのです。
加賀刑事は、登場人物の一人にこんなことをいいます。
「事件によって傷ついた被害者がいるのなら、そういう被害者を救う手立てを探し出すのも刑事の役目です。」
ミステリーを読み終わった後に、あの「男はつらいよ」シリーズのラストで、山本直純氏のテーマ曲が流れて「終」のエンドマークを見たときと同じ爽快感が得られるわけですから、ミステリー小説を読んでいたつもりの読者としては、やはりビックリしてしまいますね。
Wiki によれば、編集者から「人形町を舞台にしたミステリー」と依頼された作者は、人形町界隈を散策しながら、小道具として使えそうなものをチェックしつつ、まず作品冒頭の二章を構想したそうです。
その時点では、作品のコアとなる殺人事件の設定は、なにも決めていなかったといいますから、これはちょっとビックリ。
第四章くらいから、物語のスタイルは変えずに、核となる殺人事件のあらましを構想した上で、徐々にエピソードをそちらに寄せていったといいます。
そんなふうに、パッチワークみたいにエピソードを紡いで、最後には芯の通った一本のミステリーにしてしまうわけですから、やはりこの作者はミステリー作家としてただものではなさそう。
本作が発表された2009年は、リーマンショック後の経済低迷期でした。
伝統ある商店街でも、後継者問題や経営難に直面する店が増えていた時代です。
東野圭吾は、そんな時代の空気を背景に、それでも変わることのない人情の機微を、あえてミステリーの中心に添えたわけです。
本作は、発表当時から、ミステリーファンだけでなく幅広い読者層から支持を集め、2010年には連続ドラマ化も実現。
文章は平易で読みやすく、各章が独立した短編となっているため、するすると読み進められます。
ミステリーは何といっても、人がバンバンと死ななければ面白くないというハードボイルド指向の同輩にも、本作は是非勧めてみたい一冊ですね。
そんな生っチョロいミステリーなんて、面白かねえ!
なんて、乱暴な言葉で悪態をついているあなた。
そこは是非ともケイゴを使われますよう。
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