Amazon プライムでこのタイトルを発見したのですが、やはり「ヒッチコック」という名前を見てしまうと素通りは出来ません。
世界中が、covid-19 の騒動で右往左往していた時に、こんな心躍るドキュメント映画が作られていたとは知りませんでした。
作ったのは、マーク・カズンズという人。
AI 調べによると、北アイルランド出身の映画監督、作家、映画史家であり、特にドキュメンタリー制作において多大な功績を残している人物です。
いろんな賞も取っていて、中にはスタンリー・キューブリック賞なんてのも受賞しています。
とにかく、大学生の頃はヒッチコックの映画は、片っ端から見ていた記憶です。
ヒッチコックの映画を知らずして、映画マニアを名乗るなかれというくらいのノリでしたね。
脂の乗り切った1950年代から60年代の作品から見始めて、徐々に時代を遡り、イギリス時代のレアな作品まで追いかけていきました。
映画監督のフランソワーズ・トリュフォーが、ヒッチコックとのロング・インタビューを一冊にまとめた『映画術 ヒッチコック/トリュフォー』も、当時で4000円以上した本でしたが無理して購入。
この本から学習した、ヒッチコックの映画技法における蘊蓄を友人たちに語れることを、無上の喜びにしていたものです。
これにとどまらず、ヒッチコックという名前がタイトルに刻んであれば、どんな本でも片っ端から購入。
ヒッチコキアンとして、よりコアな情報を収集していきました。
この本をベースにして2015年に作られたフランス/アメリカ合作映画「ヒッチコック/トリュフォー」も、もちろん見ています。
ヒッチコックの映画術を学習できる映画としては、これが決定版でしょうと思っていたら、今回また違ったアングルから、このテーマを深掘りしてくれるドキュメント映画に出会えたのはなんともうれしい限り。
久しぶりに映画マニアの虫がムズムズと頭をもたげてくれて、本作を興味深く拝見させていただきました。
このドキュメンタリーの最大の特徴は、アルフレッド・ヒッチコック自身が語っているかのような形式です。
見始めてしばらくは、実際にヒッチコック自身が生前に残した録音テープを、うまく編集して使っているのだと錯覚してしまいました。
しかし、その語りの内容に「携帯電話」など、ヒッチコックが亡くなった後に登場した文化が語られるに至って、この語りがフィクションであることが分かってきます。
このヒッチコックのナレーションの脚本を書いたのは、監督のマーク・カズンズ自身。
そして、このシナリオを、生前のヒッチコックの独特の語りに寄せて、演じているのは俳優のアリステア・マクゴーワン。
彼のポストモダン的な語り口が、今は亡きヒッチコックが、現代の視点から、自分の作品を語るという不思議な体験をさせてくれるわけです。
これにより本作は、ヒッチコックの親密でユーモラスなトーンを獲得し、彼の皮肉やウィットに富んだキャラクターを上手に反映することに成功しました。
本作は、ヒッチコック作品を「逃避」「欲望」「孤独」「時間」「充足」「高さ」という6つのテーマに分けて掘り下げています。
このテーマごとの構成は、明らかに従来のヒッチコック研究でよく取り上げられる「ブロンド嗜好」や「ボヤリズム(覗き趣味)」といったヒッチコックの作風のネガティブなトピックを避け、より高尚な映画的で普遍的な視点を提供しています。
カズンズはヒッチコック全53作品から各テーマを語るのに最適なクリップを選び出し、それらをテーマごとに再構成しています。
広く世間に認知されている有名なシーンだけでなく、初期のサイレント映画やあまり知られていない作品にも焦点を当てることで、ヒッチコックの幅広いキャリアを網羅的に紹介しています。
まだ未見の初期イギリス時代の作品にも数多く言及しており、そんな作品のいくつかは、Amazon プライムにもラインナップされていました。これはファンとしてはうれしい限り。
この辺りをマメに鑑賞していけば、生きているうちに、ヒッチコックの全作品を鑑賞できることも可能かなと思い始めています。ヒッチコキアンとしては、ありがたい限りですね
そして、このような監督のアプローチは、本作を単なるドキュメント映画ではなく、「映像エッセイ」にまで昇華させているという印象です。
マーク・カズンズ監督が掲げた、ヒッチコック作品を6つのテーマの詳細は以下の通り。
逃避(Escape)
ヒッチコック作品に登場するキャラクターたちが、追跡者や状況から物理的に逃げる様子を描くだけでなく、『裏窓』や『鳥』などで見られるように、自分自身や内面的な問題から逃れようとする試みも掘り下げています。
「北北西に進路をとれ」で有名な、見渡す限りのコーン畑で、ケイリー・グラントがセスナ機に襲われて逃げるシーンは当然ここで登場。
閉所に追い詰められるのでなくてもサスペンスは作れるという、従来の常識をひっくり返した逃避シーンでした。
僕が一番最初に見たヒッチコックの映画は、1971年の「フレンジー」でしたが、この映画で一番記憶に残ったシーンもこのセクションで登場。
絞殺魔と一緒に部屋に入っていく女性。カメラはその手前で止まり、後はゆっくりと登ってきた階段を上がってきたのと同じスピードで下がっていきます。そしてついには建物の外に出て、カメラの前を通行人が通り過ぎるまで下がり続けます。
つまりヒッチコックは、直接的殺人シーから「逃げて」、部屋から遠ざかってゆくカメラの目を観客に見せることで、二人が入っていった部屋でどんなシーンが展開されているかをたっぷりと想像させるというわけです。
欲望(Desire)
登場人物の欲望や執着心がストーリーを動かす力としてどのように機能しているかを分析します。
ヒッチコック自身も「私はダーウィンがミミズを研究したように欲望を研究した」と語るほど、このテーマは彼の作品に深く根付いています。
ヒッチコックは、ラブシーンを撮るのがうまい監督でした。
僕が好きだったのは、「白い恐怖」で、グレゴリー・ペックとイングリッド・バーグマンが初めてキスをするシーン。
二人の唇が合わさるの映像にディゾルブされるのが、いくつも重なって並んだドアが次々と開いていきます。
二人の「欲望」を映像的なメタファとして表現するという憎い演出でした。
キスといえば「汚名」で登場する映画史上最も長いといわれるバーグマンとケーリー・グラントのキスシーンもありました。
「裏窓」では、グレース・ケリーの登場が、車椅子のジェームズ・スチュワートに、いきなり彼女がドアップでキスを迫るシーンでしたね。。彼の描く欲望に美女は欠かせません。
孤独(Loneliness)
ヒッチコック映画では、登場人物が孤立し、疎外感を抱く場面が多く見られます。
このテーマは特にパンデミック時代の観客を意識していたのかもしれません。
「間違われた男」や「私は告白する」の主人公が味わう孤独感は印象的でした。
この映画で初めて知りましたが、ヒッチコックは「サイコ」の上映の際、最後のクレジットが出た後はカーテンを閉め、30秒は場内を暗くしてほしいと依頼したそうです。
もちろん観客に、映画館で「孤独」を味わってもらうためですね。
時間(Time)
時間の流れや制約が物語にどのような緊張感を与えるかを探ります。
ここで語られるのは、時間の相対性原理です。つまり、状況によって時間は長くも短くも感じられるということ。
「ダイヤルМを廻せ」では、外出先でアリバイを作っているレイ・ミランドが、妻の殺人を計画した正確な時間に、なかなか電話がかけられないというサスペンスがありました。
「レベッカ」では、今は亡きレベッカが、いかにもまだそこにいるように、無人の部屋をカメラが移動していきます。現在の時間と過去の時間を同期させる演出を、ナレーションは「カメラがタイムマシーンになっている」と説明します。
充足(Fulfillment)
登場人物が目標や願望を達成する過程、そしてその結果として得られる満足感や空虚感について検討しています。ヒッチコック作品では、この達成感がしばしば不完全であることが特徴です。
しかし、このセクションは個人的には、ピンときませんでした。
語られているのは、ヒッチコックと妻アルマとの充実した夫婦生活で、それが映画にも影響を与えていたというところでしょうか。
ヒッチコックは「鳥」「マーニー」のヒロインを演じたティッピ・へドレンと、ヒト騒動やらかしているのですが、もちろん本作ではこのスキャンダルには触れていません。
マーク・カズンズ監督がこれを無視して、ヒッチコック夫妻の夫婦愛を強調しているあたりは、彼のヒッチコック愛が感じられるところではあります。
高さ(Height)
高所恐怖症や物理的な高さを利用したシーンだけでなく、高さそのものが象徴する緊張感や視点の変化についても考察されています。
これは、ヒッチコック・ファンならいくつも思い当たるシーンがあるでしょう。
ヒッチコック(のナレーション)は、場面を俯瞰することで、カメラはすべてを知っているという印象を観客に与えたいのだと語っています。
「汚名」ではあの有名なシーンがありました。
パーティ会場全体を俯瞰しているロングショットから、カメラはクレーンで、イングリッド・バーグマンの後ろ姿に次第に近づき、最後はその手が握っている鍵をアップで捉えるまでのワンカット。
この真逆のカットは「疑惑の影」にありました。
テレサ・ライトが手に持っている指輪のクローズアップから、カメラは次第に上昇して、図書館(?)を一人で去って行く彼女を天井の高さから捉えます。ヒロインの孤独と恐怖感が巧みなカメラワークで表現されます。
「高さ」を恐怖の演出に使った映画としては、高所恐怖症の主人公を描いた「めまい」が白眉ですが、僕が最もヒッチコックらしいと思っているのは「鳥」で使われた演出でした。
鳥の襲撃で火事になったガソリンスタンドを空中から俯瞰した映像に、飛んでいる鳥たちが不気味な鳴き声と共にフレームインしてきます。
いわゆる「神の目」といわれる有名なショット。
音楽を一切使わずに、効果音だけで、場面の恐怖を盛り上げていました。
おっと、このままでは映画のモチーフを全部語ってしまいそうです。
このへんでやめておきましょう。
ヒッチコックが映画監督になったのは、1922年でした。(最初の映画は未完だそうですが)
ですから、本作が作られた2022年は、まさにアルフレッド・ヒッチコックが監督デビュー100周年であったわけです。
今の若い映画ファンの方々に彼の作品がどう映るのかは興味があるところですが、彼らが魅力を感じる映画がもしもサスペンス映画であるなら、それを作った監督たちが、大なり小なりアルフレッド・ヒッチコックの影響を受けているのは間違いのないところ。
CGもVFXもない時代に、このサスペンス映画の神様が、アイデア一つで、どれだけの映画的興奮を観客に与え続けてきたかを学習するには、最適なドキュメントだと確信いたします。
久しぶりにヒッチコック作品を見返したくなりました。
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