時代劇は割と好きです。
ゴールデンタイムに放映されていた時代劇ドラマやNHKの大河ドラマはあまり見ませんでしたが、映画はよく見ましたね。
黒澤明の娯楽時代劇を筆頭に、忠臣蔵や丹下作善、座頭市、眠狂四郎といったシリーズ物が特に好きでした。
しかし、時代劇とはいっても小説となると、なかなか手は伸びませんでした。
記憶を辿る限り、本格的な時代劇小説を読んだのは、恥ずかしながら今回がはじめて。
司馬遼太郎、吉川英治、池波正太郎、山本周五郎などといった時代劇の大御所小説家の作品も、触手は伸びませんでした。
なので、今回本書を手に取ったのも、時代劇小説を読んでみようというよりは、ミステリー小説の変わり種として興味がわいたからというのが偽らざるところ。
いってみれば、日本ならではの特殊設定ミステリーという文脈から手に取った次第です。
そもそも、時代劇版のミステリーといえば、なんといっても我が国には、昔から定番の捕物帳がありました。
江戸川乱歩や松本清張など、本格的なミステリーを書いていた大作家たちは、捕物帳をミステリーとは呼ばないと、辛口批評を展開していましたが、確かにクローズド・サークルや、密室トリックは出てこなくても、庶民生活に寄り添った事件で、昭和のファンに愛されたことは事実。
「銭形平次捕物控」などは、テレビドラマにされたことで人気に火がつき、ドラマ史上最長の全888話という金字塔を打ち立てて、ギネスブックに堂々と載るに至るわけです。
しかし、時代劇や本格時代小説を愛したのは、基本的に我ら前期高齢者よりもひと回り上の世代。
時代劇は制作コストの高さ(セット、衣装、時代考証など)や、若年層視聴者の時代劇離れ、現代劇や韓流ドラマなど他ジャンルの台頭などが重なり、2000年代には、NHKの大河ドラマ以外、民放での定期放映時代劇ドラマ制作はほぼ姿を消し、不定期的な特別番組扱い枠でしか見られなくなりました。
但し、最近では、配信サービス系において時代劇コンテンツは復活の兆しを見せているとのこと。
これで若い人の支持が得られるようになれば、本作のような分野のミステリー小説も、増えてくるのかもしれません。
ミステリー作家の宮部みゆきも、江戸小市民モノ時代劇小説を次々と発表しています。
優れた書き手が、魅力的な時代劇小説を、どんどん発表してくれるようになれば、この分野の可能性はかなりあるのかもしれません。
さて、時代劇小説という体裁ではありますが、本作のカテゴリーは紛れもなくミステリー。
著者は米澤穂信氏です。
この方の著書は、これまでに2冊ほど拝読しています。
「インシテミル」」と「可燃物」。
前者はクローズド・サークルにおける連続殺人モノ、後者は警察を舞台にした犯罪捜査短編集です。
この両作を読んで、これが同じ作者によるミステリーなのかとその引き出しの多さに感心したものですが、この三冊目を手にしてみると、その感想はさらに広がりました。
そもそもが、編集者との雑談がきっかけで生まれたアイデアとのことですが、この著者、なかなか才覚のある方だとお見受けいたします。
作者が時代劇ミステリーの舞台として選んだのは、日本人なら誰もが好きな戦国時代。
銭形平次や中村主水は架空の人物でしたが、本作の主人公である荒木村重は、実在の人物です。
ちょっとAI に働いてもらいましょうか。
荒木村重は、摂津国の池田家の家臣として生まれました。幼少期から腕力があり、武術に長けていました。
彼は池田家の内紛を利用し、主家を掌握。後に織田信長に仕え、摂津国平定や石山本願寺攻めで活躍しています。 1573年に信長の味方となり、摂津守に任命。信長から高く評価され、摂津国を任されました。
しかし、信長の権力強化や秀吉の台頭により、信長から離反することを決めます。
村重は、 1578年に信長に対して謀反を起こし、有岡城に籠城しました。毛利家からの救援を期待しつつ、約1年間の籠城戦を戦いました。結果: 救援が遅れたため、籠城は失敗に終わり、村重は家臣や妻子を残して脱出。
後に毛利家に亡命しています。
本作において、この史実は設定としてそのまま活かされています。
そして、もう一人の重要人物として登場するのが、黒田官兵衛。
この人の名前は、もちろん知っていました。
なんといっても、その名を全国区にしたのはNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」でしょう。
主演は岡田准一でした。
僕はこの大河ドラマを見ていたわけではありませんが、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康という三人の天下人に仕えた
軍師ということは承知していました。
本能寺の変を聞いて取り乱す秀吉に向かって、官兵衛は冷静に「中国大返し」を進言。
秀吉の天下取りに大きく貢献した人物として歴史にその名を残した人物というくらいの知識はありました。
しかし、荒木村重と、黒田官兵衛に、歴史上の接点があったということは、本作を読んで初めて知った次第。
本書の最後には、著者が本書を執筆するにあたっての参考文献がズラリと並んでいました。
もちろん、この小説の時代背景に関する歴史資料ばかり。
作者は、この小説のプロットを考案するにあたり、入念に史実や登場人物たちのプロフィールを精査したと思われます。
本書を読み進めながら、村重の家臣の名前や、重要人物が登場するたびに、その名前は一応調べてみましたが、ほぼ検索にヒット。
雑賀衆や足軽といった末節な登場人物になるとさすがに創作キャラもありそうですが、概ね歴史的事実は踏まえた上で登場人物たちを配置し、ミステリーとして成立するように構成されています。
アイデアというものは、このように、ある程度制約された条件が与えらている方が、意外に効率的にひねり出せるような気もいたしますが、とにかく史実をきっちり踏まえたうえで、フィクションを構築する作者の技量はやはり鮮やか。
時代は天正6年。織田信長は、天下布武の目的に向かって、着々とコマを進めています。
しかし、その無慈悲で強引なやり方に対して疑問を抱き、謀反を起こした村重は、毛野元就からの援軍があることを想定して、有岡城に籠城します。
鉄壁の防衛体制を敷いた村重ですが、信長軍はジリジリと四方を包囲。
にらみ合いが続きます。
布陣は固めた村重ですが、城は守れても、毛利の援軍がなければ、勝利はありません。
この状態が続き、いつか蓄えた兵糧がなくなれば村重の運命もつきます。
このような状態の中で、信長から村重の説得交渉役に命ぜられたのが黒木官兵衛でした。
もちろん、説得とは降伏勧告のこと。
一言でも言葉を間違えれば、相手を激怒させ、その場で切り捨てられることも十分あり得る難しい役目です。
どれだけ口が立つものがあたったとしても、戦の大局観や、鋭い人間洞察力がなければ勤まる任務ではありません。
官兵衛は死さえも覚悟して、単身有岡城に出向きます。
天守閣の広間にて、官兵衛と向かい合う村重。
村重はそんな官兵衛の降伏勧告に応じることはありませんでしたが、官兵衛の話術の巧みさと状況分析の鋭さには感服。
自分の勧告が受け入れられない場合は、死を覚悟していた官兵衛でしたが、このキレモノを織田側に黙って戻すのは、荒木側としてはやがて大きな損失を被る可能性があると判断した村重。
そう確信した彼は、官兵衛を殺すことも、返すこともせずに、城の地下牢の中に、問答無用で幽閉することを決めます。
ここまでは、ちゃんとした史実です。
殺されるか、織田側に戻されるかは想定していた官兵衛でしたが、殺さずに監禁されることは想定外でした。
官兵衛は狼狽して「殺せ! なぜ殺さぬか。」と絶叫します。
それはなぜか。こうされることで、信長のもとに預けられた我が子・松寿丸が、官兵衛が村重に取り込まれた可能性があるという理由で殺される可能性があったからです。
官兵衛の地下牢への幽閉は1年近く続きますが、この間に有岡城では城を揺るがすような事件が次々と発生。
城主としてその解決に当たらねばならない村重は、事件が壁にぶつかるたびに、地下牢へ下りていき、事情を説明して官兵衛の意見を聞きます。
敵方の武将ではあっても、これほど頭の切れるものは、自分の配下にはいないと、村重自身も認めているわけです。
官兵衛は、牢に入れられる前の事前情勢と、村重の説明だけで事件の核心に肉薄。
村重は、その進言をもとにして真相にたどり着きます。
考えてみれば、織田軍勢に囲まれた籠城中の城の中で起こる事件なわけですから、この設定はクローズド・サークルといっていいでしょう。
そして、村重からの情報だけで、事件を推理していく官兵衛は、言ってみれば安楽椅子探偵です。
城内で起こる最初の事件は、密室殺人。
この閉鎖空間でのミステリーで、官兵衛の推理力が初めて試されます。
二つ目の事件は、敵将の大津伝十郎の首級を取ったものの、どれが本物か分からず、高槻衆と雑賀衆の間で手柄争いが起こるという問題。
戦国時代ならではの事件ですが、これによ城内での政治的緊張が高まり、官兵衛の知恵が再び必要とされる展開。
三っ目の事件は、村重が信長との和議を謀ろうと、密書を託した使者が殺害されるという事件。
村重の精神状態が次第に追い詰められてきて、官兵衛との心理戦も激化してきます。
次々と起こる事件で、城内での疑心暗鬼が頂点に達し、村重と官兵衛は最後の事件に直面します。
そして、すべての事件の背後にいた意外な人物。
全ての事件の真相が明らかになり、物語が大円団へと向かいます。
城内で起きた事件はいずれも作者の創作ではあるものの、その真相や関わった登場人物のその後が、史実にのっとっているという構成がまた見事。
その伏線回収が、すべて歴史的背景を活かしたものになっているところが、なかなかのカタルシスでした。
歴史的事実を曲げることなく、ミステリー小説としての要素を十分に詰め込んだうえで、本作のプロットを構築する作業は、案外楽しかったのではないかと推測する次第。
戦国時代という魅力的な歴史背景とミステリーの融合が鮮やかでした。
まあとにかく、今から500年以上も前の時代の話ですから、今では使わない日本語の言い回しもふんだんに登場します。
黙ってスルーするのも癪なので、iPhone を横において、いちいち検索しながら読んでおりました。
干戈(武器)、平仄(つじつま、筋道)、韜晦(本心、才能、地位などを隠すこと)、烏滸(滑稽、馬鹿げている)、剣呑(危険、不安な様子)、逐電(逃げ去ること)、払暁(夜明け)、下知(指示、命令)などなど。
干戈は「かんか」と読み、平仄は「ひょうそく」と読むわけですが、たとえば、これをそのまま時代劇のセリフとしてシナリオに書いて役者に読ませても、観客はこの音だけからは、いったいなんのことだかわからないでしょう。
ですから実際にはシナリオには使われない気がするわけです。
少なくとも、これまで見てきた時代劇映画では、どの言葉も、役者のセリフとして聞いた記憶はありません。
これらの言葉を使うとしたら、おそらく、それは小説の中くらいでしょう。
作者はこの時代の雰囲気を醸成するために、意識的にこれらの歴史用語を散りばめたようにも思えます。
しかしながら、主従関係に支配された戦国時代の武将たちのやりとりを読んでいると、これがなかなか癖になるんですね。
おもわず、声に出して言ってみたくなる衝動に何度も駆られました。
スタンリー・キューブリックは、「時計じかけのオレンジ」の中で、近未来の若者の生態を表現するのに、若者言葉のスラングを自由に創作していましたが、歴史モノとなるとその資料が文字として残っているので、この演出もそう迂闊には出来ません。
読んでいると、本編の中では普通に聞こえる戦国武将たちの会話も、おそらくは一言一句が時代考証のまな板に載せられ綿密に精査されているはず。
そう考えると、その面倒さゆえ、なかなかこの分野の小説が量産されないのもわかるような気がします。
しかし、エンターテイメントの醍醐味が、日常からの脱出だと考えると、本作が読者に提供してくれる歴史トリップは、まさに極上のエンターテイメント。
古今東西、歴史には未だ明かされていないミステリーが山のように眠っています。
その謎に包まれた部分は、歴史的事実さえ曲げなければ、どう想像するかは自由です。
そう考えると、この分野のミステリーのネタは、まだまだいくらでもありそうです。
有岡城に籠城した後の、荒木村重がどういう運命をたどったのか。
もちろんネタバレは致しませんが、但し、これはこの時代の歴史に詳しい方であれば誰もが承知していることではあります。
しかし、そんな歴史オタクの方であっても、本作は本格特殊設定ミステリーとして十分に楽しめますので、ご心配なく。
やはり、第166回直木三十五賞や第22回本格ミステリ大賞などの受賞作であることは伊達ではありません。
歴史は言ってみれば壮大な大河ドラマのようなもの。
年代や事件を丸暗記する学問だと考えていた学生時代はかなり憂鬱でしたが、映画や小説的視線で登場人物の心情を想像したり、ドラマを思い描くとなかなか楽しいとエンターテイメント思えるようになったのはここ最近のこと。
「おぬし、齢を重ねたな。是非もない。」
「御意。」
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