5月3日は憲法記念日。
たまには、まじめに憲法について考えてみようという気になりました。
日本国憲法は1947年の施行以来、一度も改正されていません。
その背景には、改正における極めて高いハードルがあります。国会で「総議員の3分の2以上の賛成」を得た後、国民投票で過半数の支持が必要とされる「硬性憲法」の仕組み。与野党の対立や「不磨の大典」と考える国民意識、解釈改憲という現実的な対応が、この「不変」を80年間支えてきました。
他国を見れば、アメリカは27回、ドイツは60回以上改正し、社会の変化に憲法を適応させてきました。一方、日本では今、自民党が緊急事態条項や自衛隊明記など「改正4項目」を提唱していますが、しかし、実現には超党派の合意と国民的な議論が不可欠です。
どうして、日本は憲法を変えたがらないのか。
日本国憲法は、第二次大戦敗北後に連合国軍総司令部(GHQ)主導で作成されたのはご存じの通り。
この「押しつけ憲法」論は改正反対派の定番の主張ですが、同時に、「戦後民主主義」の象徴として、特に平和主義(第9条)や基本的人権の保障が「戦前の過ち」への反省として、まるで腫れ物に触るように、神聖視される傾向がある気がします。
第9条は日本の「非軍事国家」としての国際的イメージと深く結びつき、改正は「戦争への回帰」と受け取られるリスクが常に意識されることになるわけです。
戦争体験の記憶が風化する一方で、広島・長崎の原爆や沖縄戦の悲劇は、「二度と戦争をしない」という集団的記憶として教育やメディアを通じて継承され、憲法改正への心理的抵抗を生んでいることは事実でしょう。
憲法96条は改正発議に「衆参両院で3分の2以上の賛成」を要求し、さらに国民投票で過半数の承認が必要です。この厳格な手続きは、与党が単独で改正を推進することを困難にしています。
現在の石破政権は、少数与党ですからなおさらです。
自民党は長年「自主憲法制定」を綱領に掲げるものの、野党(特に立憲民主党や共産党)が「護憲」を旗印に反対し、国民の意見も二分されるため、けしてゴリ押しはしません。
野党の反対も、自民党に対抗するためだけの看板を掲げているだけで、よりよい憲法にするという前向きな姿勢は感じられません。
これまでも、我が国の政治は、 憲法改正を避けつつ、政府の解釈や特別法で現実の課題に対応してきました(例:自衛隊の存続、集団的自衛権の限定容認)。この「抜け道」が機能してしまった結果、憲法改正の緊急性が薄れてしまったことは否めないでしょう。
日本人の協調主義や、チームワークの良さ、民度の高さはよく世界から称賛されます。
しかし、日本のこのような集団主義的傾向は、憲法改正のような大きな変化に対しては、「波風立てずに回避」する方向に働きます。
国民の間でも「改正すべき」との意見はありつつも、それよりはむしろ「現状が崩れる不安」が現状維持を選ばせる傾向が高いように思われます。
若年層の政治離れや「憲法改正は自分とは関係ない」という意識が広がる一方、高齢層は戦後体制へのノスタルジーを抱きがちです。この二極化により、国民的な議論が深まらないという状況が続いています。
日本国憲法制定時には、米国が強く関与したことは周知の事実。にもかかわらず、冷戦期以降アメリカは、手のひらを返したように、自国の都合から「日本の防衛力強化」を求める姿勢を見せています。
しかし、日本国内では「アメリカの要求に従うための改正」への反発は依然根強く、「自主性」と「従属性」のジレンマが改正を阻む要因となっています。
近隣諸国の影響もあります。
中国や韓国などが日本の憲法改正を「軍国主義復活」と警戒するのは当然かもしれません。
ゆえに、外交的配慮から我が国の政府は改正に慎重にならざるを得ないという側面もあるかもしれません。
日本国憲法が改正されない理由は、単に手続きの難しさだけでなく、戦後日本が築いた「平和と繁栄」の物語と不可分です。
改正論議は常に「戦前への回帰か、新たな国家像か」というイデオロギー対立を喚起し、国民の間に「変えるべきか、守るべきか」という逡巡を生み出しています。
今後も、国内の世代交代や国際情勢の変化(台湾有事リスクなど)が改正の動きを加速させる可能性はありますが、日本の「集団的無意識」に刻まれた戦後体制の重みは、簡単には消えそうにないというのが実情といっていいでしょう。
「安定性」と「時代適応性」のバランスをとって憲法を運営していくというのが今や国際標準です。
憲法施行以来、一度も手を加えていないという国は、先進国の中ではもはや日本だけ。
他国が憲法を「生きている文書」として運用することが常識になっている以上、日本も民主的手続きに基づく改正議論を無視すべきではないでしょう。
内閣法務局の怪しげな憲法解釈は、国民を煙に巻くばかり。そんな茶番をいやというほど国会中継で見せられてしまうとやはり、現状に沿った憲法改正に、国民は目を背けるべきではないという気がします。
我が国が法治国家である以上、その根幹にある憲法は、常に実効性を優先するべきだと思います。
憲法改正イコール戦争という固定観念はそろそろ捨てて、現状に沿って、あるべき憲法とはどういうものかを考えるのは、ある意味では国民の義務であると考えて良いと言う気がします。
1. 「環境権」の明文化
近年、地球規模で気候変動や生物多様性の危機が深刻化しています。私たちの生活基盤である環境を守ることは、現代に生きる私たちの責務であり、未来世代への大切な贈り物です。しかし、現行の憲法には、環境保護に関する明確な規定がありません。
そこで、環境権は憲法に明記してはどうでしょう。
例えば、ドイツ基本法のように「将来世代への責任」を明記し、自然環境の保護を国家と国民の義務として定める国もあります。さらに、原子力発電の問題にも触れ、「持続可能なエネルギー」という概念を盛り込むことも視野に入れるべきでしょう。
これがきちんと憲法に明文化されれば、我が国の中途半端な原発再稼働の動きにもストップがけられるはず。あの大事故を起こしておいて、原発再稼働が推進されていいわけがありません。
【改正案のイメージ】
(新設案)第○条〔環境の保全〕
「国家および国民は、健全な環境の確保と自然との共生を図る責務を負う。
国は、現在および将来の世代のために、気候の安定、生物多様性の保全、ならびに持続可能なエネルギーの確保を含む環境の保護に努めなければならない。
その実現のために、法律の制定その他の適切な措置を講ずるものとする。」
2. 「緊急事態条項」の整備
予期せぬパンデミックや大規模な自然災害は、私たちの社会に大きな混乱をもたらします。2020年のCOVID-19対応では、法的根拠の不明確さから、政府と専門家の連携、地方自治体間の協力に課題が見られました。
このような事態に迅速かつ適切に対応するため、緊急事態条項の整備は緊急の課題と言えるでしょう。
ただし、その内容は、フランス憲法のように大統領に強大な権限を与えるのではなく、私たちの民主主義の根幹である議会制民主主義に沿ったものでないと危険です。また、緊急時における人権制限の範囲を明確に定め、地方自治体間の連携を憲法上で保障することも重要だと思います。
但し、政府はこの「緊急事態条項」の悪用をもくろんでいる節があります。ここは、是非とも慎重にいきたいところ。
【改正案のイメージ】
(新設案)第○条〔緊急事態の対処〕
1 内閣は、自然災害、感染症のまん延、その他の重大な緊急事態に際し、公共の安全と国民の生命・健康を保護するため、法律の定めるところにより、必要な緊急措置を講ずることができる。
2 前項の措置は、国民の権利を制限する場合にあっても、必要最小限度に限られ、かつその期間および範囲は明確に限定されなければならない。
3 内閣が緊急措置を講ずるときは、速やかに国会の承認を求めなければならず、国会がこれを承認しないときは、直ちにその効力を失う。
4 緊急事態に際して、地方公共団体相互の協力体制および国との連携については、法律の定めるところにより、地域を越えた柔軟な対応が可能となるよう措置されるものとする。
3.「デジタル社会対応の基本原則」
インターネットやAI技術の進化は、私たちの生活を大きく変えています。
2025年が、80年前には想像すら出来なかった社会になっている以上、これをあやふやな憲法解釈でお茶を濁すのは適当ではありません。
当然ながら、現行憲法の「通信の秘密」は、デジタル監視社会の進展に十分に対応できているとは言えません。
AI開発とプライバシー権の衝突、仮想通貨やメタバース空間における権利関係など、新たな課題が生まれています。
そこで、デジタル社会に対応した基本原則を憲法に加える必要はあるでしょう。
EUの一般データ保護規則(GDPR)を参考に、デジタルプライバシー権を新設したり、サイバー空間における表現の自由を再定義したり、AI開発・運用に関する倫理的な基本原則を定めることが考えられます。
【改正案のイメージ】
第○条〔デジタル社会における権利と原則〕
1 すべて国民は、サイバー空間その他のデジタル領域においても、表現の自由および通信の秘密を保障される。国は、その自由が不当に制限されないよう最大限の注意をもって保護しなければならない。
2 すべての国民は、自己に関する個人情報を自ら管理する権利(デジタル・プライバシー権)を有する。国および事業者は、その収集、保存、利用にあたり、明確な目的に基づき、本人の同意を要し、適正に取り扱わなければならない。
3 人工知能その他の先端的情報技術の研究、開発および利用は、人間の尊厳と基本的人権を損なうことなく、倫理的かつ持続可能な形で行われなければならない。
4 国家は、サイバー空間における安全性と公正を確保し、個人、企業、地方公共団体がその利益を享受できるよう、必要な措置を講じなければならない。
4. 「地方分権強化」
東京一極集中の是正や、それぞれの地域が特色を生かした発展を遂げるためには、地方分権の強化が不可欠です。
現行憲法の「地方自治の本旨」という規定はかなり抽象的であり、具体的な制度設計は法律に委ねられています。
我が国では、国家を仕切る官僚たちに様々な権限が集中しすぎています。
スイス憲法にあるような「補完性の原則」を明記し、国と地方公共団体の役割分担を明確化することは喫緊の課題といえます。
「補完性の原則」とは、できるだけ下位のレベルで意思決定を行うべきという考え方。自治体の条例制定権限を拡大したり、広域連合の憲法上の位置付けを明確にすることも重要だと思われます。
地方自治体が行政を行い、そこで出来ないことを国が補完するという大前提が、憲法に織り込まれていれば、有事の際に、確実にスピード感が増すはず。
【改正案のイメージ(一部)】
(改正案)第92条(補完性の原則と地方自治の本旨)
①国と地方公共団体の関係は、補完性の原則に基づくものとする。国は、地方公共団体が効果的に処理できない事務のみを行う。
②地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基づいて、法律でこれを定める。
③地方自治の本旨とは、住民自治及び団体自治を意味し、地方公共団体の自主性及び自立性が十分に発揮されることを保障する。
5. 「家族制度の現代化」
「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立」とする現行憲法24条は、LGBTQ+の方々の権利や、生殖補助医療技術の進展、単独親権制度の見直しといった現代的な課題に対応しきれていません。
家族制度を現代化するためには、「両性」という表現を「個人」へと改め、家族の多様性を認める規定を設ける必要があります。
日本会議とべったりの与党政治家たちの苦虫を吐いたような顔が浮かびますが、憲法は時代の流れに抗うべきではありません。
また、子どもの権利条約との整合性を強化し、子どもの最善の利益を最優先に考慮する原則を明確にすべきでしょう。
【改正案のイメージ】
第24条改正案
第24条 婚姻は、当事者間の自由な意思と合意のみに基づいて成立し、当事者が平等の権利を有することを基本として、相互の尊重と協力により、維持されなければならない。
2 家族は多様な形態を取りうるものであり、いかなる家族形態においても、個人の尊厳が尊重されなければならない。
3 子どもは、その最善の利益が優先的に考慮され、適切な保護と支援を受ける権利を有する。
4 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、親子関係、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と平等の原則に立脚して、制定されなければならない。
6. 「財政規律の強化」
国の財政状況は厳しく、GDP比で260%を超える債務残高は、将来世代への大きな負担となっています。
現行憲法83条の「財政民主主義」が十分に機能しているとは言えません。また、社会保障費の自然増に歯止めをかける憲法上の制約もありません。
そこで、ドイツの「債務ブレーキ」のような規定を導入し、世代間の公平を担保する財政原則を憲法に定める必要はありそうです。また、特別会計の透明性を確保する規定も重要となります。
【改正案のイメージ(一部)】
第85条
1. 国費を支出し、又は国が債務を負担するには、国会の議決に基くことを必要とする。
2. 国の債務負担は、自然災害その他の非常事態への対応又は景気循環による税収変動の調整を除き、国内総生産の0.35パーセントを超えてはならない。非常事態における例外的な国債発行については、その償還計画を併せて国会の議決に付さなければならない。
3 . 前項の規定に関わらず、国の債務残高の対国内総生産比率については、漸減させることを基本とし、法律の定める一定の割合を超えてはならない。
7. 「憲法裁判所」の設置
現行の憲法訴訟は、具体的な事件が起こってから最高裁判所が判断を下すという事後的なものに限られています。
そのため、違憲審査が十分に機能しているとは言えず、人権救済の迅速性にも課題があります。
韓国の憲法裁判所のように、専門の憲法裁判所を設置することで、より迅速かつ専門的な違憲審査が可能になり、国民の権利救済が促進されることが期待できます。
また、法令の違憲判断だけでなく、政党の解散や国と地方公共団体の権限争議など、憲法に関わる重要な問題を包括的に解決する役割を担うことが考えられます。
政府の意向に沿った見解しか述ることの出来ない内閣法務局に、憲法の番人はけっして勤まりません。
【改正案のイメージ(一部)】
第九章 憲法裁判所
第七十六条の二
この憲法に違反する法律、命令、規則又は処分(以下「法令等」という。)に対する違憲審査権は、最高裁判所の外、憲法裁判所が行う。
8. 「天皇制度の位置付け」
皇位継承資格者の減少や女性宮家の創設問題、国事行為と公的行為の区別の曖昧さなど、天皇制度を取り巻く課題は少なくありません。
皇族の範囲を柔軟化したり、性別中立的な継承ルールを検討したり、象徴天皇制の現代的な定義付けを行う必要があるでしょう。皇室の財産や活動についても、国民の理解と支持を得られるよう、より透明性の高い規定を設けることが求められます。
【改正案のイメージ(一部)】
第二条
皇位は、世襲のものであって、性別にかかわらず、皇室会議の議により、国民の承認を経て継承される。
***********
とまあ、憲法9条以外にも、見直すべき必要のある憲法の条文は、ざっと考えただけでもこれくらいはありました。
どれも、与党の国会議員たちが聞いたら、眉間にしわを寄せたくなるような改正案ばかりです。
どうしてか? 答えは簡単。
どの改正案を挙げてみても、彼らにとって直接メリットになるものがほとんどないからです。
でも、それで当然です。
そもそも、憲法というものは、政治家のためにあるものではありません。
そうではなくて、国民の権利を、政治家たちに守らせるために存在するものだからです。
憲法改正は、決して簡単な道のりではありません。
より良い社会を目指すために、一人一人がこれらの課題から目を背けることなく、真摯に向き合い、議論を深めていく必要があります。
今回挙げた憲法改正案の内容は、あくまでもほんの一握りのアイディアです。
どちら様も、それぞれの立場から、真剣に憲法について考え、忌憚のない意見を発信していくことが、何よりも大事だと思われます。
ハッキリ言って、日本国政府は、日本国民をなめていると思わざるをえません。
どれだけイジメても、搾り取っても、結局は唯々諾々と政府の言うことに従っているのは、諸外国から見れば、あまりに異様な光景でしょう。
日本国民が、けっして逆らわない従順な国民であることは、世界中が認知しています。
政治家の多くは、とりあえず、選挙の時だけ頭を下げていれば、後は好き放題にしていても問題なしとたかをくくっています。
どれだけ現状に不満があろうと、その現状をガラリと変える変革はけっして望まないというのが、基本的な日本人の体質です。
憲法改正なんて、一部の暇人が言っているだけのことで、そんなこと本気で臨んでいる日本人なんていないと誰もが思っています。
そしてそれは、政治家たちにとっても偽らざる本音でしょう。
だから、彼らにとって憲法改正なんてものは、都合のいい時にだけ利用させてもらうお囃子みたいなもの。
どの政治家たちにとっても、憲法改正は、都合のいい時に使える手札でしかありません。
つまり大切なことは、憲法改正はいつでも国民目線で考えるということ。
そして、それを大前提にした上で、政治家たちを動かすこと。
国民に成り代わって国会で議論するからこそ「代議士」です。
国民のために働かない代議士は不要です。
日本国憲法は、80年近くも前の「現実」に沿って練り上げられた条文です。
いかに未来を見越した内容であろうとも、2025年の現実を予測できていたわけがありません。
現実にそぐわないのは当たり前。
むしろ、無理やり拡大解釈することで、制度疲労を起こしていると考える方が自然です。
よくこう言っている人がいます。
日本国民のための憲法なのだから、日本人の手で、初めから作り直せ。
しかし、個人的には、この奇跡の平和憲法は、むしろ、アメリカに押し付けられたからこそ出来上がったものだと考えています。
日本人が、日本人のために作った憲法であったとしたら、おそらくここまでストイックな憲法は出来上がっていなかったような気がします。
日本国憲法を改めて読んでみると、他国のどの憲法に比べても、大変よく出来ていると感心します。
この憲法のある国の国民であることは、世界に誇れると思います。
我が国の憲法は、けっして「不磨の大典」などではありません。
国民がこの国に生まれたことにプライドを持つならば、この憲法はさらに成長するはずです。
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