キャメロン・クロウの「ワイルダーならどうする?」を読破した勢いで、ワイルダー作品をもう一本。
「翼よ!あれが巴里の灯だ」です。
これもまだ見ていませんでした。
本作の原題は、「The Spirit of St. Louis」。
1927年に大西洋無着陸横断飛行を行ったチャールズ・リンドバーグの愛機の名前からとられています。
この邦題タイトルはなかなかの名訳ですね。
ビリー・ワイルダー作品の邦題というと「検察側の証人」という原題に、ネタバレにもなりかねない「情婦」というタイトルをつけてしまったいただけない例がありましたが、これは文学的センスがあふれていてなかなかよろしい。
本作は、リンドバーグがその愛機に乗ってニューヨークからパリまで、単独で大西洋を飛行する物語です。
映画前半は飛行機の製造やスポンサー探しの苦労が描かれ、後半は孤独な飛行の中で降りかかる困難と、回想を巧みに織り交ぜて、パリ到着の感動までが描かれています。
実在の空の英雄に扮するのは、ジェームズ・スチュアート。
本作で彼が演じるのは、33時間も座り続けるという飛行士の役ですが、思えばヒッチコック作品「裏窓」でも、車椅子から動けないというカメラマンの役を経験済み。演技の上では本作と通じるところ大だったかもしれません。
彼の演技で特筆されるべきは、リンドバーグの孤独で静かな挑戦を「座ったまま」の演技や上半身だけの動作で表現し、長時間単調で苦しい飛行の緊張感や心理的葛藤を非常に繊細に伝えたところでしょう。
一匹のハエを相手にするシーンなどは、動きが少なくならざるを得ないコックピットの描写にアクセントをつけようというワイルダー演出の妙。
ワイルダーはかつて、「ホールド・バック・ザ・ドーン」という作品で、主演のシャルル・ボワイエに、ゴキブリに話しかける演技を要求して実現できませんでしたが、ジェームズ・スチュアートは、このシーンの重要性を理解して、きちんとこなしています。
このシーンに限らず、彼は一人芝居の工夫を随所に見せ、観客を飽きさせない演技を披露し、見事アカデミー賞主演男優賞を獲得しています。
本作で彼が演じるのは、実在の空の英雄ですが、この役を彼以外のハリウッドのスター俳優(例えばゲーリー・クーパー、ジョン・ウェイン、グレゴリー・ペック、チャールトン・ヘストンといった「英雄」タイプの俳優)が演じたらどうだったか。ちょっとそんなことを考えてみます。
明らかに言えることは、そんなスター俳優たちと比べて、ジェームズ・スチュアートが演じるヒーロー像は、圧倒的に、庶民性と自然体が際立っているということ。
彼は感情表現を過度に誇張せず、静かな語り口と身振りでリンドバーグの内面を丁寧に表現します。
派手でヒロイズムな英雄像を作るのとは対照的。
穏やかながら芯の強い人物像、真剣さや清廉さを自然体で演じる「ジェームズ・スチュアートの誠実さ」が作品に圧倒的な存在感を与えています。
パリのル・ブルジェ空港に押し寄せた大観衆にもみくちゃにされるリンドバーグ。
感動のラストですから、ここはガッツポーズのひとつも見せたくなるところですが、リンドバーグを演じるスチュアートはニコリともしません。ただ観衆に担がれて、戸惑っているのみ。
この辺りの描写には、これみよがしの感動や感傷をよしとしないワイルダーの演出と、スチュアートの抑えた演技が見事にシンクロしています。
ビリー・ワイルダーが最もその本領を発揮したジャンルは、艶笑コメディでしょう。
この分野の傑作には、「アパートの鍵貸します」を筆頭に、「七年目の浮気」「お熱いのがお好き」「あなただけ今晩わ」などが目白押し。
しかし、本作はその意味では、ワイルダーの得意分野からはもっとも遠いところに位置する作品かもしれません。
それでも、誰もが認める一級の娯楽作品に仕上げてしまうあたりに、ワイルダーの監督としての懐の深さを感じます。
「ワイルダーならどうする?」によれば、ワイルダーは、リンドバーグと親交があったとのこと。
本作は、リンドバーグの回顧録が原作になっていますが、映画化に際しては、この原作から逸脱しないという暗黙のルールがあったそうです。
従って、家族のことや、あの有名な愛児有害殺害事件など、あの偉業の後に起こったことにはノータッチ。
映画を原作通りになぞれば、一点の汚れもない作品にならざるを得ません。
人間の業を肯定した上で、それを映画のストーリーに巧みに織り交ぜ、時には笑い飛ばすことで、ワイルダー・タッチを構築してきた彼としては、清廉潔白なだけのヒーロー譚では面白くないと思っていたことは確実。
ワイルダー自身が、こう語っています。
「リンドバーグの性格にあと一歩の踏み込みが足りなかった。壁があった。」
簡単に言ってしまうと、リンドバーグは、ワイルダー流のユーモアを理解しなかったということ。
つまり、ワイルダーが「笑い」を入れようとすると、彼は自分がからかわれたり、おちょくられていると勘違いしてしまったようです。
リンドバーグは石頭だったとワイルダーは語っていますが、英雄としては、少々度量が狭かったことは否めないかもしれません。
ワイルダーが、当時ロングアイランドで待機していた記者から仕入れた、面白いエピソードがあったそうです。
リンドバーグが飛び立つ飛行場の近くの小さな食堂に、可愛いウェイトレスが一人いたんですね。
彼を知る何人かの男たちが、彼女にこういいました。
「君にお願いがある。あの男はまだ女を知らない。こうしてくれないか?あいつの部屋に行きドアをノックする。あの男は眠れなくて起きているはずだ・・」
事情を察したウェイトレスは、男たちに言われた通りにします。
このシークエンスを挟んだうえで、ラストシーン。
紙吹雪が舞い、大観衆が歓声を上げる五番街。
その群衆の中、彼に向かって必死に手を振るあのウェイトレスの姿。
しかし、今や神となった彼は、彼女に気がつきません。
カメラは彼女を捕らえ、静かにフェイドアウト。
ワイルダーは、このシーンが撮れれば、映画に生気が吹き込まれただろうと確信しています。
しかし、こんなタブーに触れれば、彼が激怒するのは火を見るよりも明らか。
あの映画には、そんなふうに諦めたシーンがいくつもあったようです。
しかし、そんな縛られた条件の中で、ワイルダーは映画を成功させるために、最大限の努力をしたことには異論なし。
映画では、ウェイトレスのシーンは撮れませんでしたが、飛び立つ直前に、小さな鏡が必要になったリンドバーグに、手持ちのコンパクトを提供する美しい女性が一人登場します。(演じているのはパトリシア・スミス)
その彼女が再び登場するのは、電車の中。
化粧を直そうとして、コンパクトがないことに気がついた彼女は、ニッコリと笑って、電車に備え付けの鏡に向かうというシーン。
これがウエイトレスのシーンの代替えになっていたのかどうかはわかりませんが、女っ気のまるでないこの映画に、一服の清涼感を与えていたことは事実です。
原作はかなり膨大です。
ワイルダーはこの中から、映像にインパクトを与えるものだけを効果的にセレクト。
もし原作を単純に時間軸通り映画化していれば、飛行シーンは非常に単調になった可能性がありますが、原作の語り口をふまえて回想や小道具を省いた映像演出が施されたことで、物語にリズムと抑揚が生まれています。
リンドバーグの生涯には、この映画では語られることのなかったダークサイドが存在します。
彼は第二次大戦前にアメリカの「参戦反対運動(アメリカ第一主義委員会)」の象徴的な存在となり、ナチス・ドイツの航空力を称賛する側、演説等でユダヤ人がアメリカを戦争へ導こうとしていると発言し、国内のユダヤを非難しています。
リンドバーグは、第一次世界大戦の惨禍を目の当たりにしており、アメリカが再びヨーロッパの戦争に巻き込まれることに強く反対していました。
彼は、アメリカの国益はヨーロッパの紛争に関わらないことで守られるべきだという「孤立主義」の 支持者でした。
飛行家として、リンドバーグは1930年代に複数回ドイツを訪れ、その急速に発展する航空技術、特にドイツ空軍(ルフトヴァッフェ)の力に深く感銘を受けて帰国します。
彼は、強力なドイツがヨーロッパにおける共産主義(ソビエト連邦)の拡大を防ぐための重要な「防波堤」になると考えていました。この地政学的な観点から、彼はドイツの軍事力をある程度容認すべきだと考えていた節があります。
事実上、ドイツの政策を支援する立場をとってしまったリンドバーグですが、リンドバーグは、公の場で反ユダヤ主義的な発言をしています。これが物議を醸しだしました。
彼は、1941年9月のデモインでの演説で、アメリカを戦争へと推し進めている勢力として「イギリス、ルーズベルト政権、そしてユダヤ人」の3者を名指して非難しました。
彼は、ユダヤ系の人々がメディアや政府内で大きな影響力を持ち、アメリカを参戦させようとしていると主張しました。この発言は、アメリカ国内で激しい非難を浴びることになります。
そしてもう一つの危ない発言。
彼は白人の優位性や純血を信じるような発言もしており、ナチスの人種イデオロギーに共感する部分があったと考えられています。
1938年、リンドバーグはナチスの高官であるヘルマン・ゲーリングから「ドイツ鷲勲章」を授与されました、
これは彼がナチス体制を容認しているという印象を世界中に与える決定的な出来事となりました。
アメリカ国内では、この勲章を返還すべきだという声が高まりましたが、彼はそれを拒否しています。
リンドバーグの行動は、名を成した人の言動としては熟慮を欠いていると思われても仕方ないでしょう。
彼の一連の言動は、「ナチスのイデオロギーそのものを全面的に支持した」というよりは、「強力な反戦・孤立主義」「ドイツの軍事力への畏敬と戦略的評価」「そして根底にある反ユダヤ主義・人種差別的思想」が組み合わさった結果と言えます。
ゆえに、彼自身は愛国者であると信じて行動していましたが、その言動は結果的にナチス・ドイツを利するものであり、多くの人々からはナチスの同調者、あるいは支持者と見なされることになりました。
かつてのアメリカの英雄は、この一連の言動によって、その名声を大きく揺るがせることになります。
そして、この人の人生を語る上で忘れてならないのは、なんといっても、偉業達成から5年後に起きた、愛児誘拐殺害事件。
リンドバーグの生後20ヶ月の長男がニュージャージー州ホープウェルの自宅から誘拐され、殺害され痛ましい事件です。
「世紀の犯罪」と称されたこの事件は、当時のアメリカ社会に大きな衝撃を与え、その後の捜査や裁判、そして被告の死刑執行に至るまで、多くの謎と論争を残しました。
1932年3月1日夜、リンドバーグ家の2階の子ども部屋から、ベビーベッドで眠っていたはずの長男が姿を消します。部屋の窓の下には手製の粗末なはしごが残され、窓辺には身代金5万ドルを要求する脅迫状が置かれていました。
事件はただちに全米の注目を集め、警察による大規模な捜査が開始されました。
リンドバーグ自身も、アル・カポネのようなギャングにまで協力を呼びかけるなど、あらゆる手を尽くして息子の行方を追いました。
そして事件発生から約2ヶ月半後の5月12日、リンドバーグ邸からわずか数マイル離れた森の中で、トラック運転手によって幼児の腐乱した遺体が発見されます。
遺体は、誘拐時に着ていた服や歯並びから、リンドバーグ家の長男であると断定。
検死の結果、死因は頭蓋骨骨折であり、誘拐直後に殺害された可能性が高いと結論づけられました。
警察の威信をかけた大捜査の結果、逮捕されたのは、ドイツ系移民の大工、ブルーノ・リチャード・ハウプトマンでした。
男のガレージからは、身代金の一部が発見され、複数の脅迫状の筆跡が、ハウプトマンのものと酷似していると鑑定されます。
しかし、ハウプトマンは逮捕当初から一貫して無罪を主張。
身代金は友人から預かったものだと述べ、全ての容疑を否認しました。
1935年に始まった裁判は「世紀の裁判」として、メディアによる加熱報道の中で行われました。
そして、陪審団はハウプトマンに有罪の評決を下し、死刑が宣告されることになります。
ハウプトマンは一貫して無罪を訴え続けましたが、控訴は棄却され、1936年4月3日に電気椅子で死刑が執行されました。
ハウプトマンの裁判における証拠の一部には、後年になって信憑性を問う声も上がっており、現在でも冤罪説を唱える研究者や作家は少なくありません。
この悲劇的な事件は、誘拐を連邦犯罪と定め、FBIの管轄権を拡大する「リンドバーグ法」の成立を促しました。
また、国民的英雄の家庭を襲った悲劇と、加熱するメディア報道、そして多くの謎を残した裁判は、アメリカの犯罪史において決して忘れられることのない一章として刻まれています。
個人的には、アガサ・クリスティの傑作ミステリー「オリエント急行殺人事件」の背景として、この事件が効果的に使われていたことを思い出します。
そんなわけで、大西洋横断無着陸飛行だけでは、到底収まりきらない出来事がこの人の人生には詰まっています。
本作が作られたのは1957年。
リンドバーグはすでに55歳になっていましたが、その劇的な人生の清濁、悲喜交々を含めて、名匠ビリー・ワイルダーに預けるという気にはならなかったかと悔やまれます。
もちろん極上のエンターテイメントを世に送り出してきた天下の職人監督が、彼のダークサイドを、ことさらスキャンダラスに取り上げることはなかったでしょう。
そのあたりは、チクリと彼独特の皮肉の効いた演出で流しておき、前述したような、監督お得意のシモネタで観客をニヤリとさせ、このヒーロー譚をもっと深みのあるモノにしてくれたはず。
存命中の天下の有名人の実録映画を撮るわけですから、ワイルダーも細心の配慮をしたことは想像に難くありません。おそらく、彼に言い出せなかったワイルダー一流のアイデアはいくつもあったでしょう。
それが実現しなかったことは、ワイルダー・ファンとしてはなんとも悔やまれるところ。
願わくば、リンドバーグの頭がもう少し柔らかかったらと思わずにはいられません。
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