「ニッポンの里山 ふるさとの絶景に出会う旅」
NHKならではの、紀行番組で、オンエア当時は見逃しているのですが、朝の7時から
再放送しているものをエアチェックしています。
10分ほどの番組ですから、ブルーレイに録画すると、かなりの本数がはいります。
まとめて鑑賞中ですが、かなり癒されますね。
ここ最近は、自分でも「山歩き」などをするようになりましたから、
以前であれば、見過ごしてしまうような番組だっかもしれませんが、今は
この番組は、妙に染みてきます。
僕も、このブログで紹介させていただいているように、「山歩き」の様子は、
動画に編集して、YouTube にアップしていますが、かなり参考になりますね。
さて、このイラストは、岐阜県郡上市の清流・和良川(わらがわ)での漁を生業とする
漁師さんのカット。
秋、清流にすむアジメドジョウ漁を始める前に、川に向かって、深々と一礼をする姿が
印象的で、おもわずイラストにしてしまいました。
iPad お絵描きギャラリーはじめての風景画です。
曰く、
安倍政権は完全にチームで動いており、小泉政権時よりもいっそう進 化した体制をとっている。言ってみれば、「騙しのテクニック」すなわち「詐術」が装置化され、政権内の仕組みとして定着している。
曰く、
安倍総理は、「外との闘い」では勇ましい言葉を並べたてるが、「内なる闘い」の相手、つまり既得権には立ち向かおうとしない。
どうも、なにかおかしいと直感的には思うのだけれど、うまく説明できない。
安部政権発足からの、政治劇場を見ていると、そう思わされることがままあった。
しかし、その「なにか」がわからないので、まあしょうがないのかなと思ってしまう。
原発再稼働しかり、消費税しかり、汚染水しかり。
しかし、その「なにか」を、ここまで明快に説明してもらうと、普通に「やっぱりそうなんだ」と、正気に返る。
もちろん、こちらには、古賀さんのような明晰な頭脳はないが、少なくとも、「あなたの直感は間違っていませんよ」と、肩を押される快感で、一気に読めてしまった。
今の政治を取り巻く状況が、巨大なミステリーだとすると、その謎解きの解決編を一冊の本にしてくれたような著書である。
政治も、マスコミの報道も、僕らよりも優秀な人たちが、僕らよりもたっぷり時間をかけて練ったことを発信して来てくれるのだから、間違いはないだろうと、安易に思ってしまうことが、実はおもいきり安易だということに気付かされる。
私利私欲のために、影でコソコソと何をやっているわからない連中に、ちゃんと仕事をさせようと思うなら、ちゃんと見ていないといけないということ。つまり、こちらはちゃんとお見通しだぞという世論のプレッシャーが、彼らへの抑止力になるんだということ。
そう考えると、彼らにそれを許してしまっている最大の原因は、実は我々の「無関心」かもしれない。反省。反省。
西暦で言えば2001年。
この年の9月には、あの衝撃の同時多発テロがありました。
日本では、小泉総理が誕生。
西では、ユニバーサル・ジャパン。東では、ディズニーランド・シーがグランドオープン。
iPod が登場したのもこの年でした。
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平成十三年九月
病院食「ゆっくり食べろ」とその昔言われた父に言っている今日
女子高生携帯メールで泣き顔にその中身などちょっと気になり
扇風機エアコン切ってサッシ開け九月の空気部屋に招きいれ
台風が去った日本は雨上がり海の向こうは飛行機が降る
回復を伝える今日の天気予報遠い異国の雲行き思う
ゲームしてバラエティ見た画面から米軍隊の出撃届く
あたりまえに過ごす僕らの日常が突然そうでなくなる怖さ
基地の町いつも見慣れた空軍の低空飛行にギョッとしており
ハリウッド映画のヒーローヒロインに全アメリカ人がなっているよう
ライオンや象虎猿が手を組んで鼠一匹退治しにゆく
さて、1981年といいますと、昭和56年。
僕は、22歳になっていますので、大学の4年生。
文京区白山のキャンパスに通っていましたね。
この頃になっていますと、もう歌謡曲は卒業しておりまして、ニューミュージックと洋楽を浴びるように聞いていた頃です。
大学生とはいっても、講義なんてほとんど出ないで、アルバイトに明け暮れておりましたので、ちょうど出始めた頃のレンタルレコード屋に足繁く通っては、小林克也さんの「ベストヒットUSA」で気に入ったアーティストの楽曲を仕入れては、カセットテープに録音しまくっていた頃ですね。
そして、録音したカセットを聞くのは、もちろん当時の必需品ウォークマン。
まだCDは出初めの頃で、借りたのはもっぱらレコードでした。
というわけで、レンタル専門でしたから、レコードは、ほとんど買った記憶がありません。
新宿の「さくらや」で、アルバイトをしていましたので、ここでのバイト代は、カセットテープやレンタルレコード、それから、情報誌「ぴあ」を片手の名画座まわりで、ほとんど消えていました。
さて、1981年といえば、ジョン・レノンが自宅マンション前で、ファンに射殺されたのが前の年の暮れ。
これは衝撃でしたね。
ちょうど、ジョンの遺作となったアルバム「ダブル・ファンタジー」が、巷に流れていたのが1981年の年頭。
この時のアメリカの大統領は、ロナルド・レーガン。
2013年の日本では、アベノミックスが盛り上がっていますが、この当時は、レーガノミックスの時代でした。
ピンクレディの解散もこの年で、海の向こうのイギリスでは、チャールズ皇太子とダイアナ王妃の結婚セレモニー。
この年に勇退した近鉄の西本監督と、時の総理大臣・鈴木善幸氏の顔が、ほとんど同じに見えたものでした。
神戸で開催されたポートピアもこの年。
そして、単位が足りず、僕の大学の留年が決まったのもこの年でした。
それでは、1981年の洋楽カラオケ10連発。
洋楽カラオケの年度しばり。
1971年でやってみました。
さて、僕は1959年生まれですから、1971年といえば12才。
中学一年ですね。
僕が、洋楽に目覚めるのは、中学二年の時ですから、この1971年という年は、その前夜。
ですから、どの曲も、リアルタイムで聞いた記憶はありません。
どの曲も、洋楽開眼以降に、さかのぼって聴いて曲ばかり。
1971年といえば、昭和46年ですから、日本の出来事で言えば、万博のあくる年。
マクドナルドの1号店が銀座にお目見えしたり、
日清のカップヌードルが登場したのもこの年。
サイクリングで行った高麗川の河原で、友人とはじめて食べたカップヌードルの記憶は鮮明。
確か、一緒に飲んだのが、やはりこの年に発売された、コカ・コーラ社の「スプライト」でした。
歌謡曲で言えば、大ヒットしたのは、欧陽菲菲の「雨の御堂筋」やら、南沙織の「17才」。
この頃の僕は、むしろこちらの方の記憶が鮮明ですね。
そうそう、忘れてならないのは、天地真理。
ピンキーとキラーズのピンキーに続く、僕の2番めのアイドルが彼女でしたね。
1971年は、ローリングストーンズよりも、ビートルズよりも、僕にとっては、まだ歌謡曲でしたね。
実家は本屋でしたから、「明星」や「平凡」の付録の「うたぼん」をお店からこっそり
部屋へ持ってきては、覚えたものです。
ですから、ここで歌う10曲は、ずっと後になってから、遡って覚えた曲ということになります。
今から、十三年ほど前の、雨の季節には、こんな短歌を作っていました。
・・・・・・・・・・・・・・・
六月
天気予報南の国の入梅に今朝の晴天体に吸い込む
コンビニの弁当にサラダひとつ添えバランス気にする四十独身
王様がそのまま町へ飛び出して我が家と同じノリでうろつく

いつからかモニターの向こうとこちらとの境を忘れた子供たちかな
自分らの頃はああではなかったと彼らを育てた人たちが言う

公園の木陰を夏まで艶やかに貴婦人の如く菖蒲彩り

見上げれば夏を孕んだ重き雲ベランダに出て風を待ちつつ

自転車のサドルを上るカタツムリ頂上手前で葉っぱに帰され

タンクトップ薄着の季節迎えればスタイル自慢が肩で風切る

梅雨空に夏の陽射しが勇み足雨の季節もそろそろ峠

梅雨寒にしまったジャケット着なおして缶コーヒーのホット買っている朝

ケーキセット亭主を肴に主婦たちが声弾ませるファミレスの三時

梅雨らしくそぼそぼと雨降りしきり紫陽花の花紫陽花らしく

選挙戦あちらこちらの掲示板つくり笑顔が花と咲く
紫陽花や候補者たちが夢の跡彼らの熱と我らの温度差

上底靴気持ちはわかるが見る方はその分の高さ差し引いており

だからほれほらあれだよと騒ぎ立てその一言が出ない悔しさ
こちらは、その一年後。
平成十三年の四月に読んだ短歌。
残念ながら、あまり進歩はないようです。
平成十三年四月
「愛してる」「綺麗だとても」「素敵だよ」ここぞとばかりにエイプリル・フール
春休み新しい顔の主たちひっそりと待つ鉄筋校舎
「なにかやる」虫の知らせが疼く日は「なにかやる」まで落ち着かずおり
鮮やかに花壇うめたる春の花クレヨンの箱開けたるがごとく
新年度抱えた問題まずは置きなにはともあれ気持ちはリセット
本能に刷り込まれている悪魔たち「意志」という剣使えてこそ人
パソコンの機嫌に一喜一憂し使っているのか使われてるのか
トラクター農作業する老人の携帯着信「島倉千代子」
チューリップ画用紙一面描かれた子供たちの絵のように咲き
春爛漫鉢植え占めるパンジーや物影に咲く菫らもまた
校庭でキャッチボールする父と子の傍らに咲くたんぽぽの花
客来ればカウベルが鳴る喫茶店珈琲の湯気とライラックの香
月明かり境内に上る石段で語らう二人見守る木蓮
梅の花いつのまにやら葉緑に旬過ぎてからちょっと後悔
春盛り海に繰り出す季節まで乙女の減量静かに始まる
ジャケットを肩にかけたり抱えたり手荷物ふえる春の午後かな
ベランダでパンパンパンと布団打つ主婦のストレス埃となりぬ
ラッシュアワー泳ぐ視線の行き先は合わさぬようにそれぞれの場所
ITがすすみアナログ管理職パソコン以外のトラブル探し
「マジキレタ」もう一人自分用意して罪をかぶせる言い訳であり
その昔「シラケの世代」も四十越え「マニュアル世代」にはっぱをかける
新首相人気もやる気も認めようでもその笑顔まだ早過ぎや
祭日の朝そぼそぼと雨が降り一仕事増える新聞配達
ゴールデンウィーク繰り出す家族連れ運転しているパパだけ笑わず
平成十二年頃は、我が家では介護老人を一人抱えておりました。
十三年前の、自分の感性を懐かしみながら、あの頃に作った短歌を紹介します。
四月
春の声調子にのって半袖はおもわず縮まる花冷えの午後
看板の笑顔の女優に声かけて渋滞前の県道を行く
「ありがとう」その一言がうれしくて春の雨なら濡れていこうか
つけまつげくわえ煙草でメイクきめ女子高生が生足で行く
桜散る野に菜の花がチラホラリ春うららかに主役交代
目を盗み差し入れの寿司カレーパン頬ばる我が家の介護老人
春雨に打たれ艶めくリンドウの息飲むほどの萌ゆる紫
自治会の花見の宴を楽しめる年をとるとはこういうことかな
街行けばコルクの上から見下ろされつまづくのを見てニヤリと笑う
暗闇にユラユラ浮かぶ火の玉は皆携帯のアンテナの先
天気予報はずれの初夏の通り雨家までちょっとで笑うしかない
見てくれといわんばかりの装いでじっと見てたらさっと隠され
朝昼の温度差上着二枚分着てきたものが足りない家路