2013年製作のWOWOWドラマ。
木嶋佳苗という名前を憶えているでしょうか。
当時は、かなり騒がれ、メディアでも報道されましたね。
結婚詐欺の常習犯で、その挙句の果てに、婚活サイトで知り合った三人の男たちを殺害したという毒婦。
裁判の結果、死刑を宣告されました。
その彼女による首都圏連続不審死事件から着想を得たフィクション作品がこれ。
とにかく、この小太りで不細工なアラフォー女が、男たちにもてたというわけです。
定職も持たないのに、男たちに貢がせたお金で、都内のかなり高級なマンションに住んでいたというのだから女というのはわからない。
貢いだ男たちは、やはり彼女になんらかの魅力を感じていたのでしょう
いろいろと考えさせられる事件でした。
さて、ではこれをいかにドラマにするのか。
複雑な人間を描くのがドラマなのですが、実はドラマには、実に明快で簡単な法則が一つ。
それは、ビジュアルに魅力のある美男美女が主演でなければ、視聴率は取れないということ。
いかに木嶋佳苗が話題性にあふれた素材であるとはいっても、やはり彼女のビジュアルでは、当然ながらドラマの視聴率は取れません。
でも、そんな彼女を、視聴率を取れる美人女優に演じさせたら、内容が内容なだけに、それこそあまりに嘘くさい。
見ている方がシラけます。
ではどうするか。
なるほど、考えましたね。
そこでこのドラマでは、ヒロインを二人登場させます。
一人は、かつてみんなから美人と言われた女の子。
それが交通事故で、顔面に傷を受け、人生が一変してしまう。
父親との近親相姦などの末、自分の過去の痕跡を消して、東京ら出て行く際に、整形手術を受けます。
彼女が医者に言うセリフ。
「ブスにしてください。」
もう一人の女性は、美人の母親に生まれたのに、ちっとも美人ではなく育った女の子。
そのことで辛酸を舐めた彼女もまた整形手術を受けます。
母親の写真を出して、彼女が医者に言うセリフ。
「この人をもっと綺麗にした顔にしてください。」
このまったく対極的な女性二人を、木嶋佳苗の事件に絡めて、女性たちにとっての大きな問題である「美しい」「醜い」というテーマにドラマは切り込みます。
これって、意外に、今までありそうでなかったテーマでした。
そもそもすへてのドラマに共通して言える嘘が、ひとつ。
それは、登場人物がみな不自然にビジュアルが魅力的なこと。
もちろん実際には、そんなことはあり得ないわけです。
視聴率を取るにはやむを得ないのですが、やはりこれが、明らかにドラマからリアリティを奪っていると僕は思っています。こちらからすれば、そんな美男美女が、そう何人も揃うわけがないだろうとう話です。
しかしそうはいっても、ブスが主演のドラマが視聴率を取るとも思えません。
では、このドラマの場合はどうするか。
なんといっても、その「美」と「醜」がテーマとなるドラマです。
キャスティングがキーポイントになるのは必至。
そこで、オファーされたのが寺島しのぶ。。
彼女のキャスティングが絶妙でした。
不細工で小太りのアラフォーという設定を壊さずに、その上で視聴者の関心も損なわないビジュアル。
それがこの役には求められるのですが、彼女は見事にクリアしました。
とにかく、ブスというオファーを断らないのですから、彼女もまた役者としての肝が座っています。
彼女の母親は、言わずと知れた藤純子。現在は、また女優業にもカムバックして、名前改め富司純子。
往年の東映大人気任侠映画「緋牡丹シリーズ」のお竜さんです。
女だてらに片肌脱いで、ヤクザな男たちを向こうに回し、大立ち回りを演じる、小股の切れ上がった姉御。
僕よりもう少し上の世代のおじいちゃんたちが夢中になった東映の看板美人女優でした。
そんな母親をもつ彼女もまた、「美しい」「醜い」ということに関しては、敏感な少女だったかもしれません。
「私は、母親のように華はない。」
彼女がそう思っているかどうかはわかりません。
でも、そんな母親を持ったばかりに、普通の家庭に生まれていれば、もつことのなかったコンプレックスに、彼女が苛まれていても決して不思議ではないでしょう。
彼女が女優になってからは、大胆なラブシーンのある映画にも多く出演。
母親は大反対したようですが、それはつまり母親が女優であれば絶対に受けなかった仕事ということ。
それを受けたというところに、やはり彼女なりの覚悟があったのだという気はします。
自分は母親と同じ舞台の上では戦えない。
そんな思いが彼女にはあったかもしれません。
ましてや、ブスの役なんて、絶対に普通の美人女優なら大スターならやりはしない。もちろん若い頃の母親が受けないことも当然。
ならば、私はやりましょう。
なにかしら、そんなモチベーションが、彼女が演じたこのドラマの主人公にも、心情的にリンクしていたような気がします。
彼女の他に、この役を引き受けるような女優っているかなと考えましたが、ちょっと見当たりませんね。
そして、その対極の、かつてブスだった女の子の方を演じたのは、普通に美人女優の木村文乃。
もちろん、綺麗な女優さんです。
しかし、役柄とは不思議なもので、やはりこの美しさは、整形後の顔というのがわかっていると、これもまた感情移入できないもの。
その意味では、彼女はこのドラマでは、その美しさが逆に仇になって、少々損をしている感じが否めません。
面白いドラマというよりは、興味深いドラマです。
昔から、よくある男に対する質問。
「性格の悪い美人と、性格のいいブス。どっちが好き?」
これに対しては、僕はいつでも躊躇なしにこう答えています。
「もちろん、性格の悪い美人。」
こちらのビジュアルは棚に上げて言わせてもらってますが、これはこの歳になってもまだ揺るがしがたい本音なので、おそらくもう一生変わることはないでしょう。
この先、自分の隣に美人ではない女性が寄り添っていることがあったとしても、それはあくまで妥協の結果ということです。
しょうがない。
世の中には、身分相応というものがあります。
その場合は、自分の器量を恨んで、ひたすら我慢するのみ。
美人妻に恵まれない、世の中の男の大半はそうなのではないでしょうか。
ですから、男の浮気は未来永劫なくならないことも確信しています。
これをコントロールできるのは、やはり理性だけでしょうね。
結婚というセレモニーは、そんな危うい男たちに、覚悟を決めさせる儀式であるとさえ思っています。
まあ、そんなことを言っているから、未だに独り身なのでしょう。
「美人は三日で飽きるが、ブスは三日で慣れる」
こんなこともよく言われますが、僕はこれにも眉唾。
なんだか、もてない男たちの負け惜しみに聞こえてしまいます。
ちなみに、現在の木嶋佳苗被告。
決定的な証拠がない中、検察側の地道な状況証拠の積み重ねと、本人のまるで反省していない言動などから、第一審からの死刑判決が覆されていません。
しかし、彼女はその死刑を回避しようとするどころか、反対に早期執行を願い出ているとのこと。
わかりません。どこか超然としています。
彼女は、収監されている東京拘置所を自身のブログで「小菅ヒルズ」と呼んでいます。
そして、彼女には支援者グループもあり、その差し入れが、また半端ではないとのこと。
そして、極め付けは、こともあろうに、獄中にいながら結婚・離婚・再婚までやってのけてしまったこと。
彼女がその容姿で、いまだにモテ続ける理由は確かに存在するのでしょう。
しかし、僕としては、その理由を理解したいとは思いませんが。
アマゾンPrime で鑑賞したので、昔のドラマなのかと思ったら、今年製作のドラマでした。
製作はテレビ東京。
こちらの原作は、コミック。
僕は、漫画はほとんど読まなくなってしまったので、流行りの漫画には疎いのですが、オリジナルビデオの「闇の帝王 銀と金」というパッケージは見たことがありました。
こちらの主演は中条きよしでしたね。
さて、ドラマの方は、リリー・フランキーが平井銀二を演じます。
主演の森田鉄雄を演じるのは、岩松壮亨。
リリー・フランキーは、本職の役者ではありませんが、善良な市民も演じれば、凄みのあるヒール役もこなす器用な人です。
お話は、裸一貫からマネーゲームで、巨額な金を手にしていく青年の物語。
中でも、しびれるような展開で、手に汗握らせるポーカー編と、麻雀編が秀逸でした。
もちろん、そんな大金をかけてギャンブルをしたことはありませんが、いずれも遊んだ経験はありますのでそこそこ楽しめました。
ギャンブルは強くないという自覚がありますので、プライベートでは、極力近づかないようにしています。
おそらく、勝っているときよりも、負けたときの「引き方」が潔くないような気がするんですね。
まあ、その筋の人たちから見れば、完全にカモの部類に入るでしょう。
ですから、君子危うきに近寄らず。
クワバラクワバラです。
キャンブルには手を出さないで、こういうドラマを見て楽しむことにいたします。
2012年に放映されたWOWOW製作のドラマ。
主演は三上博史。
監督は、鈴木浩介。
好評を博した「下町ロケット」のスタッフで作った社会派ミステリー。
ベースにあるのは、巷を騒がせたBSE問題と、食品偽装問題でした。
国内ではじめてBSE感染牛がは見つかったのが2001年。
雪印食品、日本ハムの牛肉食品偽装が発覚したのが2002年。
ミートホープ社の食品偽装が発覚したのが2007年。
僕などは、食品偽装などされても、気づかないでたべてしまうクチですから、あまり被害者意識というものはないのですが、嫌な人は嫌なんでしょう。
実際、古い肉と新しい肉の味の差がわかる人なんて、おそらく一握りの食の専門家たちだけ。
大抵の人は、表示を見ないと、その真贋はわからないのだと思います。
それを提供する側もわかっているから、我が国の食品偽装は後を絶たない。
そういう業者の味方をするわけではありませんがも正直もうして、そのあたりのところ、日本人は潔癖すぎる国民という気がします。
あの賞味期限というやつも、正直どうなのという気はしています。
実際、生活レベルの実感では、賞味期限が少々過ぎたくらいで、食べられなくなる食品なんてほとんどありません。。
多少味の劣化はあるにせよ、ちゃんと胃袋には入る。
腹を下したりもしない。
貧乏性な僕としては、それがわかっていて、捨ててしまうのはどうかと考えてしまいます。
あれは「賞味期限」ではなく、「美味しく食べられる期限」です。
ならば、それを食べるか食べないかは、あとは消費者の自己責任。
それでいいのではないでしょうか。
だって、冷蔵庫に入れておくうちに、賞味期限が切れてしまったなんてことは多々ありますよ。
もちろんそうなったら、捨ててしまう人もいるのでしょうが、僕はまず捨てません。
口にして、大丈夫そうなら、味の多少の劣化は気にしません。
それで、お腹こわしても、もちろん文句はいいません。
それよりも、買ってきたものを、食べずに捨てるということの方に罪悪感を感じてしまいます。
お店の方でも、賞味期限が切れたら、廃棄処分にするところがほとんど。
ぼくはむしろ、そちらの方が問題なのではという気がしてしまいます。
だって、日本の食料自給率は40%に満たないわけです。
そんな国が、はたして、そんなもったいないことをやっていてもいいもんだろうか。
そんな気がしてしまいます。
これは贅沢と潔癖という名前の病気ではないか。
日本の食品業界が年間に廃棄する食品で、飢餓で苦しむ人をどれだけ救えるのか。
日本の食品業界は、美味しくて新鮮なものを安く消費者に提供するのが使命でしょう。
それはそれでいいです。間違っちゃいない。
でも、美味しくて新鮮なものは安くなくていいんです。
それが欲しい人は、ちゃんと高いお金を払うべき。
でも高いお金を払えない人は、美味しくなくても新鮮でなくても我慢する。
それが健全な市場原理というものです。
それを、安いものしか買わないくせに、いいものも欲しがるという消費者のわがままな声と消費活動が、生産者たちのモラルをいびつに歪めてしまうのです。
あんたたちにそれがわかるの?
それが生産者たちの偽らざる声ではないでしょうか
「この牛肉は、新鮮ではないので、食品添加物を使用しています。なので格安です。」
そんな食品表示なんてまず見かけません。
でも、僕はむしろそちらの方がはるかに親切だと思いますよ。
いわゆる「ワケあり表示」が、こちらは、お金がないんですから、その理由に納得出来れば承知しようというものです。
それで下痢になったりしなければ、多少の味のけ劣化はいいよというところです。
日本は、現実問題、食品を輸入に頼っている国なのですから、食べ物に対して、もう少し謙虚であるべきだと思いますよ。
それを、お金さえ払えば、捨てようが捨てまいが、文句はないだろうという態度がそもそも不遜というもの。
安くてまずいもの、多少味が劣化してしまったものでも無駄にはしない。
そんな意識の方が、むしろ大切ではないでしょうか。
そして、そうなってしまった素材を、美味しく食べるにはどうすればいいか。
日本という国の立場を真摯に考えれば、むしろそういう技が、もっと出てきていいと思います。
そんなレシピがもっとあっていい。
僕などは、それこそ料理の醍醐味だという気がしてしまいます。
おっと、ドラマの感想のはずが、話は大きくそれてしいました。
失礼。
そうそう、このドラマ、BSEを出してしまう牧場の牧場主役で竜雷太。
彼が、牛肉を下ろす大手スーパーの社長に、小野寺昭が出演。
二人が顔を合わせるシーンはありませんでしたが、僕の世代の視聴者にはニヤリでしょう。
あの「太陽にほえろ!」のゴリさんとデンカですよね。
2012年製作のWOWOWドラマ。
わお、さすが三谷幸喜。これをやってくれていましたか。ニンマリです。
なにがニンマリか。
なんといっても、このドラマの特筆するべきことは、完全ワンシーン・ワンカットで撮られているということ。
これに尽きます。
三谷幸喜は、やはりこの「完全」というところに、こだわったんでしょうね。
ワンシーン・ワンカットで思い出されるのが、あのヒッチコック監督の名作「ロープ」。
1948年の作品です。
ヒッチコックという監督も、こういう挑戦は嫌いではないタイプの監督です。
「ダイヤルMを廻せ」では、3D映画などにもいち早く挑戦しています。
この「ロープ」は、あの当時で、映画丸々一本ワンシーン・ワンカットに挑戦した意欲的作品。
やるならこの人でしょう。さすがヒッチクック。
しかし、これ厳密に言うと「完全」ではありませんでした。
映画の冒頭。タイトルバックの流れるシーンは、部屋から通りを見下ろすショット。
タイトルロールが終わると、そのカメラは、殺人の起こる部屋の窓へパン。
悲鳴が聞こえるところでカットが部屋の中へ変わります。
ですから、ヒッチコックの「ロープ」は、正確に言えば、「ワンシーン・ツーカット」で撮られていました。
さらに、もっともっと、厳密に言ってしまいますと、当時の映画用のカメラは、フィルムが15分程度分しかはいりません。
なので、技術問題として、この映画の尺73分のワンカットというのは当時の映画撮影方法ではまだ無理でした。
そこでヒッチコックは、出演者の背中とか蓋の大写しで、画面が一瞬真っ黒になるカットを意図的に入れて、そこでカメラのフィルムを入れ替え、観客には、ワンシーン・ワンカットに見えるように工夫していた訳です。
もちろん、ヒッチコックファンなら、これは常識。三
もちろんそれを三谷監督が知らない訳がない。
なので、彼は「ワンシーン・ワンカット」の「完全」にこだわったのでしょう。
ヒッチコックの頃には無理だったことが、カメラの進歩で今では可能になった。
ならば、それをやるなら僕しかいないだろう。
三谷監督がそう思ったかどうかは、定かでありませんが、そんな気概がこの作品の全編ににあふれていました。
得てして、自由に撮れる映画よりも、いろいろと制約のある映画の方が、作り手は知恵をしぼるもの。
結果、いい映画ができるという例はたくさんあります。
主演二人の実力が、またそれを可能にしたとも言えましょう。
三谷監督の脚本も秀逸ですが、見ている方は、物語進行そのものよりも、映画をワンカットで撮る様々な工夫にいちいちニヤリ。
「反則」があったら突っ込んでやろうというような気持ちで見ていましたが、映画は見事にラストシーンまで完全ワンカット。
見事でした。
なにか、ギネスの審査員になったような気分で楽しんでいましたね。
コメディ映画でありながら、ワンカットを気にして見ていると、なにやらドキュメントを見ているような気分にもさせられました。
さて、そこで次に気になること。
では、はたして、このドラマの中で、どこまでが脚本で、どこまでがアドリブなのか。
今度はそれがやたら気になりだしました
入念なリハーサルは繰り返したと思われますが、はたして撮影がそのとおりにいったのかどうか。
しょうがない。もう一度みるとしますか。
2012年製作のWOWOWオリジナルドラマ。
原作は東野圭吾。
主演は長澤まさみ。
主題は、クローン人間。
なので、彼女が一人三役。
イギリスで、クローン羊のドリーが誕生したのが1998年。
原作が書かれたのが1994年ですから、テーマとしてはかなり先取りしていました。
さすがは東野圭吾。
人間のクローンは、いずれは技術的には可能になるんでしょう。
しかし、それが出来ることと、実際に作るのとは大違い。
なにせ人間です。ことはやはり神の領域。
そこには、やはり倫理という問題が大きく横たわります。
しかし、それが出来るのならば、やはりやりたくなるのが人間のサガ。
それを作った後で、どんな問題が起きてくるのかというところまでを、冷静に推考をしきれないでしょう。
だったら、研究自体をやめてしまえということになりますが、人間の知的探究心はそう簡単には抑えられない。
クローンのオリジナルのおばさんも、長澤まさみが演じましたが、その彼女のセリフ。
「あなたたちは化け物、薄気味悪い。」
おいおい、そこまで言うかよという気もしましたが、はたして実際に、自分のクローンを目の前にしたら、そう冷静にしていられるのか。
どんなに、理性を駆使して理解しようとしても、本能的に湧いてくる感情は案外そんなものかもしれません。
いずれ、科学の力で人間のクローンができる時代は来るのでしょう。
では、それはいったいどんな社会なのか。
いろいろ考えてみますが、僕にはちょっと想像がつきません。
そんな彼らと冷静に付き合っていけるくらい、人間が成熟した大人であればいいのですけれど。
残念ながら、そういう人ばかりではないでしょうね。
2014年にオンエアされたWOWOW製作のドラマ。
ドラマのオリジナル脚本なのですが、ベースになった事件があります。
2000年に起きた旧石器捏造事件。
民間の考古学研究団体「東北旧石器文化研究所」の副理事長を務めていた藤村新一という人がこのドラマのモデル。
自前の石器を、発掘現場に埋めている姿を、毎日新聞にスクープされてしまったんですね。
この人、発覚するまで、かなりの捏造をしていました。
学者たちが期待するような石器を、どんどんと発掘するので、ドラマの主人公同様「神の手」なんて言われていたそうです。
しかし、あまりにうまくいって、自分の名声もあがるので、調子になりすぎたようです。
それがばれて考古学者が彼を告発しましたが、現行法では、これは犯罪にはなりにくい行為。
不起訴にはなりましたが、社会的制裁は重くのしかかってきたようです。
その精神的苦痛から離婚。そして、解離性同一性障害を発症して、自ら指を切断するなどという行為にも及びました。
これが本当にあった話。
とまあ、そういう人物をモデルにした主人公を演じたのが大泉洋。
なので、「善良」路線の彼が、そんな悪人をそのまま演じるという訳にはいかないのでしょう。
捏造はしてしまったけれど、それは考古学への愛情と、尊敬の念かしらてしまったこと。
やむなし。
ドラマは一応そんな体裁を整えてつくらないと、ドラマにはならない。
モデルの藤村氏は捏造現場をスクープされてしまいましたが、このドラマの主人公は、その後にちゃんと嘘偽りない発掘をして、そこで、自らその過去の捏造を告白。
これなら許せるでしょうという展開にはしましたが、やはり捏造は捏造。
どうしても、個人的には、主人公に感情移入は出来かねました。
さて、このドラマのヒロインの方は、松雪泰子。
相変わらず綺麗な女優さんですが、いつの間にか彼女もう44歳。
このドラマの撮影当時で40歳。
一皮剥けないとこの後は苦しいかも。
そろそろ、彼女扮する徹底的な悪女というのも見てみたい。
もう、やってるのかな。
まあ、余計なお世話です。
以上。
「リアル鬼ごっこ THE ORIGIN」
2013年に制作されたテレビドラマ。
映画、テレビ、コミック、ゲーム、ドラマと、今の巷を席巻するすべてのメディアを股にかけた作品。
何度途中放棄しようと思ったかしれませんが、全13話見てしまった以上感想は述べなくてははなりますまい。
還暦間近のオジサンなどに、見てもらおうなどとは思っていないといわれればそれまで。
まあ、こちらの感性の低下か。
あちらのクォリティの低さか。
はたまたその両方か。
とにかく、形の上では、SFで、3000年の未来の話なのだけれど、とにかく設定がすでにB級のそれ。
国のトップが「王様」というのも子供っぽければ、SF的なビジュアルは、高層ビル街にかかるアーチのような居住空間のみ。
このドラマをあえて、3000年に設定する理由が見つからない。
いいじゃないの。
安倍総理が、成長戦略の一つとして、「リアル鬼ごっこ」が提案したというのでもね。
とにかく、知っている俳優が出てこなかった。
まあ、最近の映画やドラマを、こちらはほとんど見てこなかったたぜから、文句は言いますまい。
でも、知っている俳優が一だけ人いました。
どう理解していいのかわからないコメディ・リリーフで、ワンシークエンスだけ出演の竹中直人。
完全にブチ切れた怪演を披露してくれましたが、なんで彼がそのシーンにいるのかまるで不明。
申し訳ない、完全に笑いそびれました。
主役の男の子・佐藤翼を演じたのは、本郷 奏多。
はじめてお目にかかかりました。
彼の妹・佐藤愛役は、清水 富美加。
このお嬢さんは、Wiki したところ、つい先ごろ、「幸福の科学」なる宗教団体へ出家されて、芸能界を引退されたことが判明。
とにかくまったくオジサンにとっては、未知のドラマでしたね。
まあ、こちらの知らないは置いておくとして、作品群が、各メディアを縦断してウケているということは事実らしい。
これはもう、こちらの「面白い」と、巷の「面白い」が完全にかい離しているんだという事実を重く受け止めるしかありますまい。
こちらの感性が、今の世の中の標準ではないということ。
まあ、しょうがない。
でも、映画版を感としているのが園子音だと知ってビックリ。
おいおい、あの「冷たい熱帯魚」で、強烈なエログロハードスリラーを見せてくれたあの監督が映画版担当?
あの脂の乗り切った旬な監督にとって、この素材は、それほどおいしいというわけ?
ますますわからなくなりました。
感想もへったくれもありませんが、こりゃ映画版も見なければなりますまい。
2014年放送のWOWOWドラマ。
原作は、池井戸潤の同名小説。
「空飛ぶタイヤ」「下町ロケット」など、いまのところ、彼の原作ドラマ化でははずれがないですね。
池井戸潤は、元銀行マンですが、今回のドラマはまさにその銀行が舞台。
スポンサーに媚びへつらうことのないWOWOWならではの、ドラマ作り、で今回も楽しめました。
主演は織田裕二。
この人は、久しぶりに見ました。
いつ以来?
たぶん僕の見た直近の彼は、「踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!」が最後だったかも。
このドラマでの、彼の役どころは、銀行の審査部。
企業融資を審査する部署ですね。
その彼が、銀行上層部の企業癒着と戦いながら、正義を貫くというのがドラマの骨子。
今回も圧倒的なリアリズムで、奇跡の大逆転までを一気に見せます。
それにしても、この織田裕二という役者は、口をへの字に曲げる演技をやらせたら天下一品だなあといつも思っていました。
その彼の口元への字演技は、今回のドラマでも、絶好調。
その演技で、耐え忍ぶ姿を延々と見せて、「もうだめか」というところからの、大逆転へ向かう展開。
これは池井戸潤作品の常ですが、わかっていてもやはり感動的。
そしてもう一人。
主人公の敵役になったのが、銀行企画部の高嶋政伸。
彼の場合、プライベートで、いろいろなスッタモンダがあって、高嶋ファミリーのブランドである「善良」のイメージは崩壊。
しかし、彼はこれを逆手にとって、役者としては、悪役キャラにシフト。
これで見事に息を吹き返し、俳優業を生き延びています。
元々彼のあの吊り上がった眼はヒール向きなんですよね。
おいおい、銀行員が、そんな「恐ろしい顔」をするかよと突っ込みたくなるくらいの強面の悪役に徹しています。
これは、彼のお父さんにもお兄さんにも、出来なかったキャラ。
彼の役者としての生きる道はこれだろうなあ。
頑張ってくださいませ。
2011年にフジテレビ系列で放映されたドラマ。
このシリーズは、特別版も含めて、すべて見たつもりでしたが、この一本だけ漏れていました。
それを今回のアマゾンプライムのラインナップから発見。
いつものようにiPad で鑑賞いたしました。
ありがたやありがたや。
もう、作られてから4年たちますが、やはり一作だけ見ていないというのは気になるものなのです。
主演の仲村トオル、伊藤淳史に加えて、今回のもう一人の主役は、AI。
これは、「死亡時画像病理診断」のこと。
昔から、刑事ドラマの定番は、「死人に口なし」
しかし、このAiは、死亡の際の、死体のスキャン映像を通じて、犯罪を記録し、死因の特定に役立てようというシステム。
当然、医療側と警察側の思惑は微妙にぶつかり混迷。
しかし、そんな時に、Aiの調整スタッフが、機械の調整中に殺されます。
これが今回の事件の始まり。
さあ、犯人はだれか。
病院側にいるのか。警察側にいるのか。それとも患者にいるのか。
今回はほかのシリーズに比べて、警察を描く割合が高くなっています。
警視庁の情報統括室長に高橋克典。
なにか絡んでいそうでもあり、そうでなくもあり。
ドラマ主演クラスのビッグネームですから、まあまあ、そういう扱い方になりますね。
さて、AIは、オートプシー・イメージングの略。
日本でのAI が抱える問題は、ほぼドラマにある通り。
死体解剖は、日本の場合は資格を持つ監察医の不足で、東京23区以外の地域では、十分に行われていない現状。
始まったばかりの医療システムで、まだ十分なエビデンスがない状況であること。
故に、診断ミスから、冤罪を産む可能性があること。
また逆に、医療ミスが、明らかになってしまうケースも多いこと。
このなんともドラマになりやすい要素を、シナリオは卒なく取り入れていきます。
これに、冤罪事件をひとつ、縦軸に絡めて、視聴者の興味を引っ張る展開。
気になる俳優が一人いました。
高橋扮する斑鳩の懐刀として、フットワークよく、事件周辺を走り回る、危険なにおいプンプンの特命広域捜査官・宇佐美を演じる福士誠治。
どこかで見たなと思ったら、つい最近見た(放送は2013年)「女くどき飯」の第一話に出てましたね。
またどこかでお見掛けすることもあるでしょう。
それから、主演の一人伊藤淳史は、「モリノアサガオ」の技官役よりも、こちらの方がやはりしっくりくるかんじ。
おさらくそれは、仲村トオルのアクの強さを中和する役どころを、このドラマでは、うまく演じているからでしょう。