ペットボトルの分別は、面倒くさいと常々思っていたんですね。
もちろん、我が家でも、「燃えるゴミ」と「燃えないゴミ」の分別くらいはいたしますが、燃えないゴミの中で、さらに、「缶ビン」と「ペットボトル」の分別をしろということになると、ちと面倒くさいということになる。
自治会でまわってくる回覧には、ちゃんと「分別規定」も書いてありますので、自治会の役員などもやってしまった以上、無視するわけにもいかず、捨てるときには、しぶしぶ、燃えないゴミの袋をさらに分別しているわけです。
そんな時にふと読んだ本がこれ。
2007年のベストセラーを、Bookoff で、105円で買いました。
著者は、武田邦彦という東大出の先生。
けして、難しい内容の本ではなく、非常にわかりやすい文章でしたので、するすると読めました。
そしてまた、この先生がおっしゃることが、いちいち、目からうろこ。
こっちが、疑うことなく、信用していた、「環境問題のウソ」を、バザバサと暴いてくれたもので、おもわず、唸りながら読んでおりました。
だって、あの面倒くさい、ペットボトルのリサイクルのための分別が、反対に「環境にはかえってダメージを与えている」と、こうくるわけです。
こちらとしては、「武田さん。よくぞいってくれた!」と膝ポンものです。
しかし、ふむふむと読みながら、ふと、この先生をGoogle してみますと、なにやら、不穏な記事がノッているではありませんか。
曰く、
「センセーショナルなだけの、誤った主張」
「データは捏造」
そのアンチ武田の急先鋒は、山本弘という方。
SF作家で、ゲーム作家。こういう、トンデモナイ内容の本に物申すという学会も設立して活動している方です。
まあ、こういうことになると、武田氏の著作に感銘しかけたものとしては、こちらの主張も読んでみないと片手落ちだわいということになります。
それで、同じく Amazon で購入した本がこちら。
とりあえず、読んでみました。
さて、こちらの本を検証するにあたっては、以下の点にポイントを絞りました。
① 一事が万事的論調になっていないか。
つまり、ひとつ間違った点だけを、大きく取り上げて、だから全部間違いという主張になっていないか。
② オリジナルの人気にあやかって、これで売れればめっけものという色気が隠れてないか。
③ 武田氏への個人的感情が入り込む経緯はないか。
④ 重箱の隅を突っつくような内容ではないか。
で、見解を述べる前に、予め申し上げておきますと、この山本氏が時間をかけて、検証したであろうデータの信憑性などを確かめる気などは、私個人には、サラサラありませんということ。
そのジャッジは、あくまで、二つの本をサーッと読んだ、僕の読後の心証で決めるので、世間の判断とは、大いにズレルであろうということの2点。
ぶっちゃけた話が、最終的には、僕にとって、どちらが、読み物として面白かったかということになりますので、ご了承下さいませ。
で、前置きが長くなりましたが、結論から言ってしまいますと、やはり、僕としては、オリジナルの「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」に、とりあえずは、軍配をあげておくことにします。
どちらの主張が正しいかということは、結局のところ、僕にはわかりません。
要するに、僕レベルの頭には、武田氏の主張のほうが、山本氏の主張よりは、説得力があったということですな。
山本氏にはちょいと可哀想だったかもしれませんが、これは、僕が数字を読むセンスが大いに欠如しているコテコテの文系人間だという点が、大きく関係していると思われます。
だって、どんなに丁寧に、数字のおかしい点を主張されても、理解できないんだからしょうがない。
武田氏が、「これこれは、実に7倍です」という主張を、「いやそれはおかしい。ちゃんと計算すると4倍にしかならない」と説明されても、だから何なのという話なんですね。
7倍が4倍でも、論旨がおかしいという事にはならないだろうというのが僕の感想。
これが、4倍ではなく、実は4分の1だったいうなら話は別ですよ。
それだと、論旨そのものが間違いという話になりますから、それはちょっと問題ですが、どうも、そこまでの数字の故意のいじくりがあるようには思えません。
結論としては、山本氏が問題にする数字の怪しさはあるけれど、、それは、けしてデタラメではないという範疇のものというのが僕の心証。
まあ、おそらく、山本氏の指摘通りに、武田氏には、データへの無理解や誤解はあったことは否定しません。
あれだけ、丁寧にウラをとって、解説を加えた山本氏の努力は評価いたしますし、その内容に、個人的感情の手心が加わっているとも思いません。
おそらく、そのあたりには、山本氏も細心の注意を払われたことは想像に固くありませんので、疑いません。
まあ、しかし、結果として、山本氏の著作は、僕にとっては、それ以上のものではないということですね。
しかし、これだけ突っ込まれてしまうんですから、いかに、本が売れたからといって、学者としての武田氏の脇が甘いことは事実です。
さてさて、おかげさまで、環境問題については、読む方としては、俄然興味に火がついてしまいましたので、この後、後続の「環境問題はなぜウソがまかり通るのか2」「環境問題はなぜウソがまかり通るのか3」も読んでみることにしますが、もちろん、山本氏の主張も充分に踏まえるつもりです。
これに関連して、養老孟司氏の本も読んでみました。
まあ、この爺さんの、肩の力を抜いた、ボヤキ世の中批判は、僕はけっこう好きなんですが、この対談本で取り上げられている内容の骨子は、こと環境については、武田氏の言っている内容と、さほど違っているとは感じませんでした。
調べても、この両書が、特に書評で問題視されているということはありません。
両書には、同じ主張が、随所に見られました。
要するに、武田氏は、あの本を、しっかりとしたデータに基づいた、学術書という立場で出してしまったのが間違いでした。
あの本は、養老ジイサンのように、単に、学者のひとりごとエッセイ的なスタンスで出していれば、これほどまでに目の敵にされてしまうことはなかったんだろうと思いますね。
武田氏としては、あの本が、まさかあそこまで売れるとは、想定していなかったんだろうなあ。
学者が世に出す本としては、明らかに手を抜いてしまったツケは、キチンと払わされてしまったというところでしょうか。
てなわけで、我が家の問題に戻ります。
やはり、いまのところ、ペットボトルの分別はきちんとやっておくことにいたしますかね。