さて、関東ふれあいの道の埼玉県コース2番目は、「奥武蔵の古刹の道」です。
今回の出発は、西武線の飯能駅から。
我が社があるJR八高線の金子駅に車を止めて、JRと西武秩父線を一駅ずつ乗り継ぎます。
飯能駅から、散策の出発点である「小殿」まではバスで50分。660円なり。
駅のバスターミナルは、山歩きに向かう人たちが行列です。
みなさん、用意は万端。ウエアもバッチリ。
そこへいくと、僕は前回同様、ジーパンにシャツ。
トレッキングシューズの代わりに、仕事の安全靴。
おめえ、山をなめてんのかと怒られそうないでたち。
ちなみに、僕の会社は入間市にありますので、バスが走ってゆく道は、仕事でもよく回るところ。
しかしそんな場所でも、仕事から離れて、レジャーモードになっていると、また別の景色見えてくるから不思議です。
前回の、山歩きの終点であった、 「さわらびの湯」を通り越し、バスが「小殿」に到着したのは9時30分。
バス通りをちょっと歩くと、「竹寺入口」の案内が出てきます。
さあここからは、山道の始まり。
実は、今回用意してこようと思っていたのが、山歩き用のストック。
結局時間がなくて買いにいけなかったのですが、山道の入口で、僕のような「いきあったりばったり」の旅人のために、手頃な木片を切って、置いていてくれたのはうれしかったですね。
いい感じのストックがわりがありましたので、本日はこいつに一日付き合ってもらうことにしました。
さて、竹寺までの山道は、前回に匹敵するくらいの急な斜面。
いきなり今回のコースで最もハードな山道です。
10分も歩くと、たちまち汗びっしょり。
ただし、前回と違うところは、 iPhoneに現在位置の地図が表示されたこと。
ただし、山奥すぎて、地図に道は出てきませんので、使えないのは一緒。
しかし今回は、iPad に、パンフや地図をあらかじめダウンロードしておきましたので、これで確認しながら歩きました。
急な坂道を登り切って、山道を下り始めるとと竹寺の藁葺き屋根が見えてきます。
竹寺は、神仏混合の山寺。
明治元年の、神仏分離令からもれてしまったった、東日本唯一の寺だそうです。
まあ、日本の神社仏閣は、神だの仏だのというよりも、自然そのものに、畏敬の念をもってつくられてきたところがありますから、昔の人は、あまりこだわっていなかったんでしょうね。
竹寺から植林地が続く山道を1キロほど歩くと、豆口峠です。
村と村の境目にあるのが、「神送り場」。
昔の人は、ここで、疫病神を追い払ったんですね。
ここから、子の権現まで、杉、ヒノキの森林を2キロほど歩きます。
途中で、正丸峠に続く山道に進んでしまいそうになり、危うくコースアウトするところでしたが、気がついて戻りました。
子の権現に到着したのは11時。
このお寺の正式名称は、大鱗山雲洞院天龍寺。天台宗のお寺です。
足腰守護にご利益のあるお寺とのこと。
ですから、このお寺には、靴や草履が奉納されるんですね。
境内には、立派な特大の鉄製の草履と下駄があります。
さて案内に従って、展望台に登ると、晴れた日ならばスカイツリーまで見えると言う看板がありましたが、本日は残念ながら見えませんでした。
ここが、本日の散策ルートでは、1番高いところで、標高640メートル。
ここからは、一気に山を下るルートです。
登ってくる人に声をかけながら山下り。
下りる方がけっこう膝には負担がきます。
コケそうになること数回。
こっちは、ハアハアいっていますが、鳥たちは、ホーホケキョとのどかなものです。
山道を下り降りると、浅見茶屋。
古民家カフェという看板がありますが、名物はうどん。
それから、甘味類です。
この散策ルートを歩く人は、弁当持参でない限り、みんなここに立ち寄る感じです。
結構盛況でした。
僕が注文したのは、「ぶっかけうどん」750円。
うどんが出て来るまでは、そこそこ時間がかかりましたが、店内のクラシックな、調度品や昔のポスターを眺めながらけっこう時間はつぶせました。
特に、「ご自由にご覧ください」と、マガジンラックに置いてあった婦人雑誌にビックリ。吉永小百合がいやに若いなと思って手にとって見たら、なんと「1969年6月号」でした。
さて、ここまで下りてくれば、もうストックはいりません。
ストック代りの木片の杖は山に返してあげて、さらに、山を下ります。
ここまでくると、道は舗装道路もあり。「吾野駅」方面という案内を目印に歩きます。
西武秩父線の線路が見えてくると、ゴールはもう間近。
ルートマップをみると、散策ルートに東郷神社もありましたので、足はけっこうしんどい状態でしたが、エッチラオッチラ登ってみました。
東郷神社は、明治時代の軍神・東郷平八郎を祀る神社。
乃木希典や児玉源太郎なども祀られています。
東郷平八郎は、生前は、自分が神格化されることを頑なに固辞していたとのことですが、亡くなると、この世界史的英雄を顕彰するべきという声が全国からあがり、この地に創建されたもの。
軍服のまま神様になってしまった東郷さんとしては、さぞや照れ臭い思いで天国から、自分の銅像を見下ろしていたかもしれません。
さて、東郷神社を下りて来ると、午後2時30分。
もう一箇所あった古刹の法光寺は、電車の都合でパス。
「関東ふれあいの道」3番目のコースでも、通りますのでその時に立ち寄ることにします。
14時45分。゛西武秩父線「吾野駅」到着。
さて、 以上をもって、埼玉県の二つ目「奥武蔵の古刹の道」9.5キロは、無事に踏破。
歩き終わってみれば、前回の「水源のみち」と、ほぼ同じ距離を歩いたにもかかわらず、
足にはまだ余裕がありました。
体の衰えは、まず足腰からくるとは、よくいわれる話し。
僕は、根がズボラですから、仕事が終わってから、スポーツジムへ通うとか、家の周りをジョギングするなんて、まず出来そうにありませんが、休みの日に、ビデオカメラを持って山歩きをすることなら、毎週でもできそうです。
まだまだ、関東には、未踏の自然遊歩道がたくさんあるというだけで、オジサンとしてはワクワク。
老後に向けての「道楽」をまたひとつ見つけましたね。
さて、奥武蔵の山道には、目を引く自生の花もチラホラ。
都会育ちの中年おやじには、花の名前は、もちろんわかる由もありませんが、撮ってきた写真は帰ってから検索。
会社の近くの喫茶店のママもけっこう詳しくて、いくつかは教えてもらいました。
ユキノシタ。
ドクダミ。
こいつは、よくよく見てみたら、うちのマンションの生垣にも咲いてました。
ヘビイチゴ。
ヒペリカム・カリシナム。
これは、自生ではなく、竹寺の境内の花壇に咲いていました。
こうやって改めて見ると、四季折々の草花が咲き乱れる日本に折角生まれているのですから、還暦を迎える頃までには、道端の花の名前を、ソラでいえるくらいの粋な爺さんになりたいものです。
では、最後に、今回の散策を、13分の動画にまとめてみました。
よろしければ、ご覧くださいませ。
これを見れば、あなたも、「奥武蔵の古刹を訪ねるみち」を、元気に歩いた気になれるかも。
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