大晦日になって、とんでもない訃報が飛び込んで来ました。
大瀧詠一死去。
先ほど、今年の歌い納めをしたばかりでしたが、急遽追悼カラオケ。
彼の、「A LONG VACATION」は、まさに僕にとっては青春の一枚でした。
30年以上たっても、いまだに色褪せない彼の傑作アルバムです。
では、そのアルバムから、6曲カラオケ・メドレー。
心よりご冥福をお祈りいたします。合掌。
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大晦日になって、とんでもない訃報が飛び込んで来ました。
大瀧詠一死去。
先ほど、今年の歌い納めをしたばかりでしたが、急遽追悼カラオケ。
彼の、「A LONG VACATION」は、まさに僕にとっては青春の一枚でした。
30年以上たっても、いまだに色褪せない彼の傑作アルバムです。
では、そのアルバムから、6曲カラオケ・メドレー。
心よりご冥福をお祈りいたします。合掌。
さて、大晦日です。
この一年も、人の迷惑顧みずにカラオケ三昧してまいりましたが、今宵で歌い納め。
去年の暮は、「一人紅白歌合戦」をやりましたが、今年は、日米対抗のオールデイズで、
歌合戦をやってみましょう。
ただ歌うのでは面白くありませんので、年度別に並べてみました。
どこからをオールデイズというのかは、わかりませんが、スタートは、
僕の生まれた年1959年からにして、1972年までの13年間を一区切りにしてみました。
日本で言えば、昭和34年から昭和47年まで。
僕は、0歳から13歳ということになりますが、もちろんリアルタイムで聞いていたというのは、
歌謡曲で、小学校の後半になってからですよね。
それ以前の曲は、宴会好きだった、ウチの親戚たちの歌っているのを聞いてのを
覚えていたのでしょう。
まだ、カラオケもない時代でした。
みんな手拍子と、合いの手で歌ってましたよね。
洋楽に目覚めるのは、さらにその後になりますから、ここに出てくるオールデイズは、
みんな、高校大学時代に、さかのぼって聞いています。
ですから、僕の場合は、オールデイズと歌謡曲は、それぞれ聞いていた時期が違うのですが、
今回この時間軸を揃えて歌ってみると、これはこれでなかなか面白かったですね。
それでは、ショーの始まり。
年度別日米オールデイズ歌合戦です。
1959年(昭和34年)
1960年(昭和35年)
1961年(昭和36年 )
1962年(昭和37年)
1963年(昭和38年)
1964年(昭和39年)
1965年(昭和35年)
1966年(昭和41年)
1967年(昭和42年)
1968年(昭和43年)
1969年(44年)
1970年'(昭和45年)
1971年 (昭和46年)
1972年(昭和47年)
さて、最後になりましたが、SingSnap が、iPhone でも歌えるようになりましたので、
アウトドア・カラオケを試してみました。
外に出てみたら、思わずビートルズのこの曲が歌いたくなってしまいましたね。
"I've got a feeling" by sukebezizy
気持ちよかったなあ。
癖になりそうです。
以上持ちまして、2013年度の歌い納めでございます。
来年も、カラオケ道邁進!!
歌いはじめは、新橋ブルースで、「オールデイズ四季の会」のイベントに参加。
楽しみです。
今はもうそんな言い方はしなくなってしまいましたが、
僕の世代では、「グラマー女優」と聞くと、もうなんだかそれだけで、胸がときめいてしまいます。
ティーンエイジャーの頃、浴びるように見ていた洋画ですが、
白状しますと、お目当ては、そのグラマー女優たちの魅惑のバストでした。
当時は、もちろんAVなんてありませんでしたから、そんなグラマー女優たちの、
ギリギリの肢体をスクリーンに追いかけては、ドキドキしていたもんです。
日本の女優では、「グラマー」を売りにした女優は、なかなかいなかった時代です。
僕を魅惑のバストで、スクリーンに釘付けしてくれたのは、もっぱらハリウッド女優か、
もしくはイタリア映画の女優たちでしたね。
まずはこの人。
ラクウェル・ウェルチ。
僕にとっては、グラマー女優の代名詞とも言えるのがこの人。
鮮烈だったのは、「恐竜100万年」の彼女。
映画の内容は、覚えていないのですが、ビキニ・コスチュームのセクシー原始人を演じた
彼女の肢体だけは、しっかりと目に焼き付いていました。
このイラストは、「100挺のライフル」の彼女。
「ミクロの決死圏」の彼女の、ウェットスーツも色っぽかった。
そういえば、「ショーンシャンクの空に」では、当時の彼女のポスターが、
効果的に使われてましたよね。
この人は、ジェーン・マンスフィールド。
この人のバストは、ちょっと凄まじかったですね。
おいおいという感じ。今ならさしずめ、爆乳女優でしょうか。
映画も、当然この魅惑のバストを前面に押し出した、エロティック・コメディが専門でした。
でも、僕が作品として記憶にあるのは、「女はそれを我慢できない」くらいかな。
映画よりも、映画雑誌のグラビアでの印象の方が強いですね。
50年代に活躍したハリウッド女優ですが、60年代に34歳の若さで自動車事故で他界。
ハリウッドの50年代のセックスシンボルといえば、やはりこの人。
マリリン・モンロー。
この人は、映画デビュー前に、一度ヌード写真を撮っていますが、最後の映画となった
(未完成でしたが)「女房は生きていた」でも、再びヌードを披露。
このイラストは、そのシーンです。
個人的には、やはりビリー・ワイルダー監督の映画の彼女が好きですね。
「お熱いのがお好き」「七年目の浮気」は、上質のコメディ。
モンローは、演技派を目指したりもしましたが、やはりなんといっても彼女の魅力は、
コメディ映画でこそ光りました。
この人は、ジェーン・ラッセル。
モンローと共演した、「紳士は金髪がお好き」もありますが、この人の代表作は、なんといっても
あの大富豪ハワード・ヒューズが製作した「ならず者」でしょう。
ヒューズは、とにかく、この人のバストを、如何に魅力的に撮るかに、
徹底的にこだわりました。
まさに、巨乳という呼び方がしっくりくる強烈なバストでした。
この人は、アーシュラ・アンドレス。
ご存知、初代ボンドガールです。
ハニー・ライダーという役名でした。
この人は、「アンドレス」という名の通り、その後も、数々の映画で脱いで肢体を披露。
「レッドサン」という、アラン・ドロンとチャールズ・ブロンソンと三船敏郎が豪華共演した
映画でもチラリとヌードを披露。予期していなかったのでドッキリしてしまいました。
けっこう年齢がいっても、サービス精神あふれる女優でした。
ジーナ・ロロブリジータ。
この人は。イタリアの女優です。
強烈にインパクトの有る顔立ちで、超グラマー。
セックス・アピールは、相当なものでした。
50年代の女優ですから、まさかヌードというわけにはいきませんが、
「ノートル・ダムのせむし男」のエスメラルダ役の彼女は、色っぽかったなあ。
ピーター・オトゥール。
2013年12月14日没。
この方はなんといっても、「アラビアのロレンス」ですが、僕としては、
「何かいいことないか子猫ちゃん」や「おしゃれ泥棒」などの、いかにもアメリカ的な
ヤサ男を演じた彼の印象が強かったですね。
彼をスクリーンで一番最初に見たのは「ラマンチャの男」でした。
ご冥福をお祈りいたします。合掌。
大島渚。
2013年1月15日没。
この人は、どうしても「朝まで生テレビ」の激情家の印象が強くなりますが、
やはり映画監督として一流の人でしたね。
「戦場のメリークリスマス」や「愛のコリーダ」などがのインパクトが強いですが、
松竹ヌーベルバーグの旗手と呼ばれた、若きの作品群が、僕は好きですね。
特に「青春残酷物語」や「太陽の墓場」は強烈でした。
心よりご冥福をお祈りいたします。合掌。
藤圭子。
2013年8月22日没。
ご存知、宇多田ヒカルのおっかさんですね。自殺でした。
彼女のデビューは、1969年の「新宿の女」でしたから、リアルタイムの記憶はあります。
最大のヒット曲は、「圭子の夢は夜ひらく」。
60年安保のときの、学生たちの心の歌は西田佐知子の「アカシアの雨がやむとき」でしたが、
70年安保のときの学生たちの心の歌は、この曲でした。
そういえば、前川清と奥さんだったこともありましたね。
心よりご冥福をお祈りいたします。合掌。
夏八木勲。
2013年5月11日没。
野性味あふれる俳優でしたね。
生涯に300本以上の映画やドラマに出演しましたが、僕の中で一番印象的だったのは、
あの「八つ墓村」の落武者の役。
村の神社のお堂に並んだ生首のひとつがこの人で、カメラに向かって「ウガーッ」
あの映画を見た時は、二十歳くらいの時でしたが、かなりビビリました。
ご冥福をお祈りいたします。合掌。
三國連太郎。
2013年4月14日没。
まあ、日本の映画界においては、名優中の名優。
その代表作は枚挙に暇がありませんが、晩年の「釣りバカ日誌」のスーさんは、
味がありました。
「飢餓海峡」などの重厚な演技も見応えがありましたが、
僕の記憶で一番強烈なのは、あの「復讐するは我にあり」で、
倍賞美津子の巨乳を風呂場で、背後からムンズとわし掴みしたシーン。
心よりご冥福をお祈りいたします。合掌。
12代目市川團十郎。
2013年2月3日没。
歌舞伎役者でしたが、テレビドラマにも多く出演していました。
しかし、残念ながら、この方の作品はあまり見ておりません。
息子の市川海老蔵には、相当振り回されていましたが、それでこの頭になったんでしたっけ?
心よりご冥福をお祈りいたします。合掌。
大鵬幸喜。
2013年1月19日没。
32回の幕内優勝は、未だに破られていない、この人の打ち立てた金字塔。
僕の世代は、「巨人・大鵬・玉子焼き」でしたから、この人への思い入れは強いですね。
とにかく、負けたところを見たことがない。
僕の記憶にある、この人の負けた姿は、対貴乃花戦だけ。
彼はその翌日に、引退しましたから、彼の最後の相撲でした。
心よりご冥福をお祈りいたします。
さて、師走に入って、いろいろとあわただしくなってまいりましたが、
いけるうちにいっておけということで、関東ふれあいの道埼玉県の8番目のコース
「秩父盆地を眺めるみち」を歩いてまいりました。
私ごとながら、賞与もいただき、iPhone 4S と iPad 2 もなんとか2年使って、
元も取ったろうというところで、前日の土曜日にニンマリしながら新機種に
買い換えてきたばかり。
予定では、日曜日は1日がかりで、データの移動とカスタマイズにかける予定でしたが、
これが思ったよりも早く完了し、日曜の朝には、ほぼ使える状態になりまして、
それではと、山歩きを決行。
今回のコースの案内を見れば、意外に楽勝そうなコースで、ちょっと遅めの出発でも
なんとか間に合いそうでしたので、セットアップしたばかりの、iPhone 5s と iPad Air を
リュックサックに入れて、出発することにいたしました。
今回のコースのスタートは、前回同様、秩父鉄道・皆野駅。
東武東上線の終点・寄居駅から秩父鉄道で皆野駅まで向かうというアクセスです。
今回は、朝の出発時に、団地のバス停に向かう道で思わぬ人とバッタリ。
かつて、自治会の役員を一緒に務めたことのある瀧本さんです。
見れば、僕と同じように、一目見て、ウォーキングをしますよといういでたち。
聞けば、僕の向う寄居駅の手前の小川町駅まで行かれるとのこと。
同好の士たち80人ほどで、嵐山周辺をトレックキングするのだそうです。
瀧本さんとは、Facebook でも、「友達」つながり。
定年退職されてからは、趣味の写真を、まめにアップされていたのは知っていましたので、
そんなこんなの話をしながら、小川町まで楽しい時間を過ごさせてもらいました。
さて、いつもより遅い出発でしたので、皆野駅に降り立ったのは、9時26分。
次のバスまでは、小1時間ありましたので、今回はタクシーに乗って、スタート地点の
「風戸入口」バス停まで向かうことにしました。
万歩計を仕込んで、山歩きをするようになると、なんかタクシーは邪道のような
後ろめたい気持ちにもなりましたが、帰りのバスに乗り遅れると、後がないという
コースでしたので、今回は1700円のタクシー代は必要経費と判断。
スタート地点「風戸入口」バス停到着は、9時40分。
さて、今回のコースは、今までのコースの中では最短。家族向けのゆるいコースです。
風戸入口バス停から、猿岩を経て、破風山(はっぷさん)まで登り、立札峠から
水潜寺を経て、札所入口バス停まで下りてくるという4.3㎞のコース。
最高到達地点も標高645mで、寄り道せずに歩けば、2時間弱で歩けてしまう内容です。
バス停から登ってすぐのところにあるのが、満願湯。
ここは、温泉は温泉でも湯舟はありません。
源泉をボトル売りをする自動販売機が並んでいるという温泉。
日曜日の午前中でも、車を販売機の前につけ、トランクを開けて、
温泉を入れたボトルを積み込んでいる人がたくさんいましたね。
そんな光景を横目で見ながら進んでいると、垣根越しに、
「山歩きの方ですか。この先は行き止まりですよ。山歩きのコースは、
あの家の車庫の隣に入口の案内があるから、そこから上がってください。」
あわてて、そこまで戻ると、確かに、「関東ふれあいの道」の看板がありました。
あぶない、危ない。危うくしょっぱなから、コースアウトしてしまうところでした。
歩き始めると、すぐに「風戸の鏡肌」という案内板。
ちょうど、このあたりを走っているのが「風戸断層」です。
鏡肌というのは、この断層活動で、岩と岩が擦れあって、ちょうど鏡のように、
光沢が出来た岩肌を指していいます。
これはもちろん、案内板のウケウリ。
白状しますが、せっせと歩くのに夢中で、この鏡肌は、気がつけば通り過ぎ、
画像も映像も撮り忘れ。
もうひとつ言ってしまえば、途中のポイントであった、「猿岩」も、通りすぎてしまいました。
この辺りに群生するヒカゲツツジの旬の季節は、四月から五月。
アセビが可憐な白い花をつけるのは三月。
本当ならば、そういう旬な季節を選んであるけばいいのでしょうが、
我が山歩きは、僕の人生のように「いきあたりばったり」がモットー。
冬の枯れ葉に埋もれた山道で、そんな季節の花たちが、咲いている光景に思いを馳せるのも
またそれはそれで趣があります。
さて、そんな山道を2.5キロほど登ってくると、本日の山歩きの最高到達点・破風山の山頂です。
ここで標高が626.5メートル。
この山の山頂からは、秩父盆地が一望できます。
本日は快晴で、見晴らしは最高。
それほど高い山ではありませんが、人里と秩父連山のコントラストはそれなりに趣があります。
山頂から見える秩父連山は、左から二子山、武川岳、武甲山、蕎麦粒山。
一番高いのは武甲山で、標高1295メートル。
削り取られたその山肌が、秩父セメントになっているわけです。
さて、ここからは下り。
500メートルほど下るとすぐに札立峠。
この先は、麓にある、秩父札所34番目の水潜寺に続く「巡礼道」になっています。
ちょっと昔までは、笈摺姿に、菅笠、手っ甲、脚絆に、草鞋を履いた巡礼が歩いた山道を、
トレッキングウエアに身を包んだオバサマたちの一団が笑い声も高らかに歩いていきます。
山道を1.3キロほど下ると、ほどなく水潜寺。
本堂の前にたつと、百観音御砂と彫られた足形があります。
ここには百観音の御砂が納められていて、この上に立って、
西国阿弥陀如来、坂東薬師如来、秩父千手観音の三体の御本尊を拝めば、
日本百観音巡礼の功徳が得られるといわれているそうですが、
基本的に僕の場合は、バチ当たりの人生を送ってきましたので、それは期待しません。
讃佛堂内の左側に、オビンズル様が坐しています。
この仏像は、通称「撫でぼとけ」。
自分の体の悪いところを撫でて、その手でオビンズル様の同じところを撫でると
病気が治るといわれております。
仏像がピカピカに光っているのは、大勢の人たちになでられてきたからでしょう。
参拝の山ガールたちもしきりに撫でていましたが、もちろん、仏像は「セクハラ!!」などとは
いいません。
水潜寺を出れば、終点の「札所入口」バス停はすぐそこ。
予定よりも、早く到着してしまいましたので、バスが来るまでにあと1時間。
持ってきたパンフレットをみて見ました。
このあたりの観光の見所で目を引いたのは、日野沢三滝。
秩父華厳の滝、上空滝、不動滝の3つの滝です。
これはカメラに収めたいと思いましたが、さすがに残り1時間で3箇所をめぐるのは無理。
どれかひとつとも思いましたが、ビデオを編集する身になってみると、
中途半端ではかっこがつかないので、今回は断念して、
「水と緑のふれあい館」で温泉につかることにしました。
入場料500円とタオル200円。
ここで、しっかりと山歩きの疲れを取り、バス停まで歩いたところで本日ここまでの
万歩計のカウントは、11079歩。
晴天に恵まれた初冬の山歩きは、終了。
さて、埼玉県に13コースある「関東ふれあいの道」。
年内に、もう一コースくらい歩けますかどうですか。
では、いつものように、僕が歩いた4.3キロの道程を動画に編集いたしましたので、
初冬の秩父を、僕と一緒にあるいた気になってみてください。
やはり、2013年の顔のトップバッターは、まずこの人でしょう。
安倍総理大臣。
2つの国政選挙で大勝して、ねじれを解消。
野党のドタバタと、アベノミックスの波に乗っかって、いまや政敵はなしの状態。
2013年は、支持率も確保して、ノリノリのまま終わろうとしていますが、
この人の正念場は、来年の消費税増税後。
ここで、ここまでの彼の「運」は、全部使い果たすような気がします。
本当の実力が問われるのはそこから。
さあ、2014年まで、この勢いが持ち越せるか。
2013年のNHKの連続テレビ小説で、大当たりしたのが「あまちゃん」。
主演は、能年玲奈。
このドラマに、小泉今日子や、薬師丸ひろ子が出ているのは知っていましたが、残念ながら
僕はこのブームには、完全に乗り遅れました。
ただ、同年代の友人の多くが、このドラマにハマっているのを見て、
このブームが、タダゴトではないことは、ひしひと感じておりました。
暮れに、再放送もするようですので、録画して見てみることにします。
「じぇじぇじぇ」ってなんです?
TBS のドラマ日曜劇場「半沢直樹」。
主演は、堺雅人。
このドラマは、たまたま全10話を録画いたしておりましたので、全部見ました。
「倍返しだ」のシーンにも、世間並みに、溜飲したクチです。
視聴率でキムタクを越えた男の、快進撃は、来年も続きますか。
この人は、予備校の講師。林修先生。
「今でしょ」は、今年は巷にあふれてましたね。
こういう人が、1年の顔になるのですから、相変わらず、
コマーシャルの威力は大きいということ。
そして、こんなイラストを描いている僕は、「ヒマでしょ」。
2013年の大きな出来事は、2020年のオリンピック招致。
IOC総会での歴史に残る名スピーチをしたのは、滝川クリスタル。
「オ・モ・テ・ナ・シ」は、全世界の人の心に届きました。
2020年東京オリンピックの金メダル第一号はこの人といってもいいかもしれません。
一緒にプレゼンをした猪瀬東京都知事は、ここに来て、不正献金問題で、
バタバタしていますが、この人の笑顔は、2013年の顔になりました。
イラストは、すべて、購入したばかりの、iPad Air ト、僕の右手の人差し指で描きました!!
小説を読んだのは、久しぶりでしたね。
しかし、ここまで描きたかったら、これはもう小説にするしかなかったろうと思います。
登場人物や、社名、地名が微妙に変えてありますので、読む方としては、それを実在の「あの人」「この人」に置き換えて読みすすめるわけですが、福島原発事故以降の新聞やニュースの情報を自分なりに展開して想像ていることが、そのまんま圧倒的なリアリズムで展開されますので、読んでいるうちに小説であることを忘れてしまいそうになりました。
この本の前に読んでいた、「利権の復活」の著者古賀茂明氏などは、そのまんまの実名で登場してきて、思わずニヤリ。
著者は、現役キャリア官僚ということですから、元官僚の古賀氏と、そのあたりは、あうんの呼吸なのでしょう。
登場人物の中に、なんとか原発を再起動したい省内の不穏な動きをマスコミにリークして、逮捕されてしまう若手の官僚が出てきましたが、この本の著者は、この小説を発表したことで、それに準ずる目にあうことはないのでしょうか。
ちょっと心配になります。
フクシマの事故から何も学ばず、自分たちの私利私欲のためだけに、おざなりの原発安全基準を免罪符にして、巧に老獪に反原発勢力をひとつひとつ潰してゆき、原発を再稼動していく既得権者と政府。
そして彼らの高笑いもやまないうちに、それに天誅を下すように、起こるべくして起こった原発のメルトダウン。
最終章まで読み進み、最後に僕の脳裏を駆け巡っていた言葉を、この際、顰蹙を覚悟で言わせてもらうことにします。
「ザマーミロ!」
12月7日の土曜日。
恒例の川越グリーンパーククリスマスツリー点灯式が行われました。
いつものように、ビデオ撮影を頼まれましたので、午後ちょいと会社を抜け出して
カメラを回してまいりました。
参加した子供たち(大人たちも)には、もれなく、喫茶「RIBON」のマスターから
マドレーヌと、お菓子の大盤振る舞い。
僕もいただきましたが、子供たちが上手そうに食べているので、
カロリーも糖分も多いなあと思いながらも、ガッツリいただきました。
おいしかったですよ。
それでは、どさくさにまぎれて、せっかくですから、クリスマス・ソングを歌ってしまいましょう。
特選邦楽クリスマスソング以下5曲。
まずは、山下達郎の定番のこの曲。
クリスマスといえばユーミン。僕が好きなのはこの曲。
こちらは、佐野元春のクリスマス・ソング。
これは、桑田佳祐とユーミンがホストを務めた
クリスマス特別番組の中で、参加アーティスト全員で歌われた曲。
もちろん、ユーミン作詞、桑田佳祐作曲。
こちらは、さだまさしの曲で、クリスマス・ソングには
珍しい時事問題を絡めた熱唱型。
動画はこちら。
この映画は、高畑勲監督14年ぶりの新作だそうです。
先月公開したばかりのアニメ映画。
実は僕は、アニメ映画はあまり詳しくありません。
スタジオジブリの作品も、ほとんど見ていない状況。
この映画も、たぶん見ることはないような気がします。
ではなぜ、このイラストを描いたかと言いますと、
実は僕は「ココナラ」というサイトに登録しておりまして、時々そこからイラストの依頼を
貰うのですが、これもそこからのご注文。
依頼主は、webサイトで使用したいとのこと。
まあ、どこかで見かけたら、おお、あの「sukebezizy」の描いたやつだな思ってくださいまし。
ただ、元がアニメの画像ですと、イラストとしてリメイクするとどうしても
コピーの貼付みたいになってしまうので、そこは構図でちょいと工夫してみました。
通常は参考資料映像を映画のDVDからキャプチャーして使用するのですが、
この作品はまだ手元にはありませんので、ネットで出回っている何点かの
宣伝画像を組み合わせて描いてみました。
コピー貼り付けではなく、ちゃんと、iPad と、僕の右手の人差し指で作成した
手描き作品でございます。