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残念。
日本は、Cグループで、1分2敗。
グループ最下位で一次リーグ敗退が決まりました。
終わってみれば、やはりコートジュボーワール戦が全てだったような気がします。
1点先取したものの、逆転された2点めのゴールが入った瞬間のあのいやーな予感が、
結局最後まで払しょくされることはなく、それがそのまま最終的な、
ワールドカップカップの結果になってしまいました。
僕は、サッカーはあまり詳しくありませんが、Cグループの結果に関してだけ言えば、
他のグループであったような一切の大番狂わせも、サプライズもなく、
結果、世界の誰もが予想していた通りの順当な実力順に落ち着いたということになりました。。
要するに、出場国のどこもが、ありったけの本気を出してぶつかるワールドカップという舞台では
残念ながら、そう簡単には、奇跡は起きないのが順当ということ。
どうあがいても、今回は、あれが日本の実力でした。
運も、勝利の女神もへったくれもない。
今回は、他の国が、間違いなく日本より強かったというだけのこと。
実にわかりやすい結果だったと思います。
日本人には、こういう大きな舞台では、なぜか実力以上のサムシングエルスが、
味方してくれるに違いないという根拠のない、国民的「思い込み」がどこかに
あるような気がします。
だから、実力は、世界の47位(だったかな)でも、このグループならベスト16には
入れると、誰もが何となく思っていたような気がします。
しかし、やはりそれを「当て込む」のは、甘いということですね。
それは、世界が認めるメンタルの素晴らしさや、チームワークを持ってしてもです。
やはり、これは基礎実力があったうえで、はじめて評価されるべきもの。
いかにメンタルが優れていようと、竹やりで、爆弾を持った国には勝てません
そうとなれば、話は実に簡単。
要するに、日本選手は、神風が吹かなくても、勝利の女神が微笑まなくても、
アウェイであろうがなかろうが関係ない。
順当にやって、相手国に勝てる「実力」をつける。
結局これしかないという話です。
ザッケローニ監督は、退任するそうですが、次期日本を率いる監督に大きく期待します。
さて、この週末は、久々に、アラフィのお二人とカラオケのミーティングの予定です。
銀座のパセラで3人で盛り上がった後、新橋の「B」に繰り出して、洋楽カラオケという二本立て。
というわけで、今回は歌う曲を、前もって、決めてしまうことにいたしまします。
お気に召しましたら、いつものように、是非お好きなように絡んでくださいませ。
パセラが3時間ですから、歌う曲は10~12曲でしょうか。
「B」の方は、当日のお客様の数にもよりますが、5~8曲くらいかな。
さて、梅雨の季節ですから、今回のテーマは「雨」といたします。
個人的には、パセラでは、邦楽。「B」では、洋楽という振り分け。
というところで、僕の歌う分だけは、予めお二人にご報告しておいちゃいますので、
参考にして下さい。
第一部 パセラ
1. 山下 達郎 土曜日の恋人 196B14
さて、「降りだした雨が~」ときますから、これは雨の歌です。
しかも、土曜日の夜の歌。
懐かしのバラエティ「オレたちひょうきん族」のエンディング・テーマでおなじみの曲です。
土曜日のカラオケ・パーティの一曲目は、これでまいります。
本人のバージョンが見つからないので、お手本はこれで。
でも、けっこう似てます。
2. 斉藤 和義 カーラジオ 3110B7
この曲は、「雨」には関係ないのですが、僕としては珍しく、まっさらな新曲です。
先日、「山歩き」をしたときに、実はこれを一日中聞いておりました。
新曲はなかなか頭にはいらないのですが、さすがにこの曲は覚えました。(・・と思います)
アラフィミーティングで、カラオケ初お披露目。上手く歌えましたらお慰み。
3. 大滝 詠一 雨のウエンズデイ 23A12
ご存知、名作アルバム「A LONG VACATION」収録曲。
Youtube では、桑田佳佑と玉置浩二のデュエットというバージョンを見つけましたので
こちらを紹介しておきます。
お気に召しましたら、デュエットといきますか。
4. かぐや姫 加茂の流れに 441B10
これも京都の雨の情景です。ご存知でしたら、お二人で「かぐや姫」など、いかがでしょうか。
ショーヤンと坂崎さんの、コーラスなど参考にして見てくださいませ。
5. 佐野 元春 麗しのドンナ・アンナ 1054B3
今回の佐野元春は、アルバム「サムデイ」収録の、この名曲でまいります。
これも、雨の街を走る車が舞台。
6. 竹内 まりや 雨のドライブ 1052A2
この方の声は、女性としては、けっこう低いので、オリジナルキーで歌うなら歌えそうです。
7. Mr.Children 雨のち晴れ 208A18
ミスチルの雨の歌はこれで。
8. 柳 ジョージ&レイニーウッド 雨に泣いてる~WEEPING IN THE RAIN~
[UGAスタ録] 1325A23
この音源は、テレビの録画のようで、少々画面が乱れますが、演奏はなかなかかっこいい。
9. モップス たどりついたらいつも雨ふり [JOY生演奏] 2884A29
作者の吉田拓郎も歌っていますが、やはりこの曲は、モップスバージョンでまいります。
10. 八神 純子 みずいろの雨 [JOY生演奏] 2866B16
キーがかなり無謀ですが、これはオリジナルのキーでやっちゃいます。
11. さだ まさし with 佐田 玲子 あなたを愛したいくつかの理由 100A42
さて、本日の「さだ」は、yumirinko さんにデュエットをお願いしたこの曲。
ご紹介した Youtube は、岩崎宏美とのデュエットでしたが、CD では、妹の佐田玲子と
歌っていますね。よろしくお願いします。
さだまさしは、カラオケでもさんざん歌ってますが、この曲は、初となります。
12. 花は咲くプロジェクト 花は咲く 1573B7
すいません。第一部の最後は、是非この曲を一緒に、歌って下さいませ。
NHK 製作のこのPVには、いまさらながら感動しております。
いい曲です。
http://youtu.be/pJtbQvk9WdU
第二部 新橋「B」
さて、「B」では、洋楽でまいります。
テーマは、同じく「雨」。
1. Rain Beatles SC703-12
2. Have You Ever Seen The Rain <雨を見たかい> Creedance Clearwater Revival
3. Laughter In The Rain <雨に微笑を> Neil Sedaka
4. Singin' In The Rain <雨に唄えば> * 出来れば、ジーン・ケリーの映画に近いバージョンで。
5. The Rain The Park And Other Things <雨に消えた初恋> Cowsills
6. Rainy Days And Mondays <雨の日と月曜日は> Carpenters
7. Raindrops Keep Falling On My Head <雨にぬれても> B.J. Thomas
というあたりにしておきますが、もし「B」で、お客様が少なくて、まだ歌う順番が回ってくるようなら、
ぜひ歌いたいのがこの曲です。
というわけで、「からみどころ」がある曲でも、ない曲でも、いつものように、
お好きな様に、参加していただければ幸いです。
今回の予告編は、リストを見ながら、当然自分では充分に歌えるつもりで上げたのですが、
Youtube の動画で改めて聴いてみると、いやいや、記憶が、かなり怪しい曲もあります。
あと一週間。
お二人の前で、あんまり恥ずかしいことにならないように、お手本をちゃんと
聴いておくことにいたします。
以上、アラフィのお二人へ、ブログにて、業務連絡でした。
それでは週末に、お会いしましょう。
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投稿情報: 午後 10時34分 カテゴリー: カラオケ | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
20代の頃は、こう見えてもセッセと、オリジナルの歌などをマメに作っておりました。
基本的には、歌詞から作っていくスタイルでしたね。
古いワープロで打った、昔に作った歌の歌詞集が出てきましたので、
そのままスキャンして保存。
全部お見せできるようなシロモノではありませんが、せっかくですので、
比較的出来のいいものだけいくつか紹介いたします。
まずこれ。
浴衣の女性。
紅い帯。
文庫結びの背中に内輪一本。
うなじにほつれ毛。
キンチョーの夏の小柳ルミ子のイメージだったかな。
これは、コードもしっかりとまだ覚えていました。
僕は、ピアノは出来ませんが、この曲は、グランドピアノの伴奏のみで歌うイメージです。
この曲は、NHKの「みんなのうた」でつくりました。
もともとは、一番下の弟の、小学生の頃のノートの落書きから発想を得たもの。
今この詞を改めて読んでみて、歌ってもらいたいアーティストがパッと浮かびました。
スマップなんてどうでしょう。
歌い順は、是非みなさんで考えて見てください。
これは、ド演歌です。
頭にあったのは、古賀メロディの、悲しげなナイロンギターの響き。
このときはまだ、さいたま市はなく、文教都市「浦和」が、埼玉県の県庁所在地。
大学生のとき、赤坂のスナックで、ギターの伴奏のアルバイトをしていたことがありまして
演歌だったら、ほぼメロディを聴きながら、コードを追っかけられましたね。
この曲は、そのあいまに作った曲でした。
これは、1972年のアカデミー賞作品賞を受賞した「キャバレー」という映画を下敷きにしています。
作った当時、僕のアルバイトは、池袋にあったグランドキャバレー「杯一」のウェイター。
薄暗いホールのなかを、ホステスさんのかざすライターの灯をめざして歩き回り、
ビールやおつまみの注文を運んでいました。
カラオケのまだない時代でしたので、ショータイムには、ちゃんとバンドが入って、
生演奏。
「特別」がつくショータイムのときは、ビッグネームが登場。料金も高めで、した。
楽屋で見かけたことがあるのは、五月みどり、由美かおる、大信田礼子。
この曲は、いまだにメロディがつけられないでいる作品。
どなたか挑戦してみませんか?
両親が亡くなった後、ずっと実家に住んでいた弟夫婦が、引っ越しましたので、このタイミングで実家を処分することにいたしました。
そんなわけで、久しぶりに実家にいってみました。
残された荷物は、近いうちにすべて廃棄処分ということになりますが、やはり捨てられないのはアルバム。
写真の撮影自体は、父親の趣味でしたが、その撮りちらかした写真をマメに整理していたのが母親でした。
家族の写真だけでなく、親戚もろもろも、隣近所や、実家界隈のもろもろまで、丁寧に分けて保存してありました。
残っていたアルバムはすべて持ち帰り、すべてスキャニング。
アルバムは、思い切って処分してしまいました。
ここ何年かで、持っているすべての本を自炊で電子書籍化してしまいましたから、
今回は、その勢いですね。
弟たちからは、ブーイングも出そうですが、我々の老後も、これを共有して楽しめると
思えば、彼らも理解してくれるでしょう。
アナログのままでは、やはり劣化して、最終的には、捨てるしかなくなるのだと思います。
残るは、ビデオだなあ。これも、はやいところ、デジタル化しておかないと、そのうち見れなくなります。
子供の頃の柿沢少年について、母親から、あとでよく言われたのは、
「あんたは、ちょこまかしてて、リスみたいな子だったよ。」
まあ、これをどう受け取るかですが。
早口で、落ち着きがない、情緒不安定な子供という自覚はありましたが、
まあ、そこそこ、可愛かったということでしょう。
さあ、では、実家に残っていたアルバムの中から、僕の少年時代の写真を何枚か紹介しておきましょう。
僕は、父親にとっては、はじめての子供でしたので、彼にしてみれば、さぞや可愛かったことでしょう。
とにかく、僕の写真はたくさん残っていました。奮発して、ライカも買ったんだそうです。
ところが、僕の1年半後に生まれた弟の写真となると一気に激減。
わが父親が、いかに飽きっぽかったか。
それが、またこの6年後に生まれた弟の頃になると、俄然写真を撮り出します。
というわけで、次男だけは、いまだにブーブーいっています。
おじいちゃんと僕。
歌舞伎役者の声色をやったり、大河内伝次郎のモノマネをしたりと、
けっこう粋な人でした。
おばあちゃんと僕。
ちなみにこの本屋は、大田区の平和島の駅前にありました。
屋号は、「たまや」。そして、僕のおばあちゃんの名前が「タマ」。
電車でお出かけ。
電車に乗ると、いつもこうやって、窓から景色を眺めては、ニコニコしている子供だったそうです。
電話と少年。
この電話は、覚えてるなあ。お気に入りのオモチャでした。
ヨダレと少年。
この涎が垂れるまで、じっとカメラを持って構えていたであろう父親のネバリが実ったショット。
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続きまして、またまた iPad お絵描きギャラリーです。
ロートルながら、今の J-POPS にも、少しは馴染んでおこうと、毎月TSUTAYAに出かけて、
とりあえず、CD1枚分の、J-POPS のヒット中の曲を借りてきてプライベートCDを作成しています。
まあ、聞いていますというのは、あまり正解ではないな。
正確に言えば、作ったCDを並べて、一人で悦に入っているというところでしょうか。
とにかく、一応は聞くのですが、新しい曲を聞いても、昔のように、スーッと頭には入ってきません。
情けない話です。
最近の曲で、やっとカラオケでできるようになったのは、斉藤和義の「カーラジオ」くらいかな。
話のタネに、AKB48 でも仕込んでおこうかという気はあるのですかが、
これがどうしてなかなか手ごわい。
歌えるようにと聞いているつもりでも、いざ歌おうとすると、なかなか歌えません。
こういうのを、「年寄りの冷や水」と言われれば、それまで。
まあ、オジサンとしては、このJ-POPS のプライベートCDのケースに、道楽で描いている
アーティストのイラストでも見せて、「どうだい」というところで、
満足することにいたします。
それでは、ここ半年のJ-POP アーティストのイラストです。
AKB48
ももいろクローバーZ
サザン・オールスターズ
ゆず
安室奈美恵
きゃりーぱみゅぱみゅ
剛力彩芽
さて、iPad お絵描きギャラリーです。
ここのところ、ずっと、懐かしい日本映画のポスターのイラストをせっせと描いていました。
もともとが、映画オタクですから、これは、楽しかったですね。
そんな資料がどこにあるのかというと、図書館です。
ネットでも見付かることは見付かるのですが、ちょっと画像のサイズが小さすぎて、
お絵描きのお手本にはなりません。
ここ最近は、休みのたびに、図書館めぐりをして、資料の収集。
デジカメで、お目当てのポスターの写真を、バチバチと撮ってきました。
ちなみに、わが社は入間市にあるのですが、そのお隣が東京都の青梅市。
この青梅市には、かつて映画産業華やかりし頃に、映画館の宣伝用の看板を
描いていらっしゃった方が住んでいらして、青梅市が「町おこし」で、その方の
映画の看板を、町のあちこちに展示しているんですね。
どれも、昭和20年代から、昭和30年代かけての、邦画洋画の名作の数々です。
あそこを通るたびに、僕としてはニンマリしていました。
僕の少年時代は、昭和30年代後半。
世の中、だいぶテレビの時代にはなっていましたが、まだ、町のあちらこちらには、近くの映画館
のポスターが貼られていました。
子供ですから、もちろん、見られる映画は、怪獣映画と相場は決まっているのですが、
やはり、子供心にも見たいなあと思わせる、巧みなで刺激的なポスターはたくさんありました。
まだ、インターネットも、タウン誌もない時代です。
映画館に観客を呼ぶための最大の宣伝といえば、当時はやはりポスターしかなかったわけです。
今回改めて、当時の日本映画のポスターを眺めてみて思ったのですが、
いわゆるB級作品のポスターが元気なんですね。
たとえば、黒澤明とか、小津安二郎とか、監督の名前で観客が呼べるような作品は、
ある意味ポスターもおとなしいものが多い。
どーんと、監督の名前だけわかるようにしてあれば、わかっている観客は、それだけで
映画館に足を運びます。
しかし、そうでない、キワモノ企画、エログロ路線のB級C級作品は、
ポスターの中に、観客を刺激するありとあらゆるテクニックをてんこ盛りに詰め込んで、
ポスターを見た人の一人でも多くを妄想させて、近くの映画館に足を運ばせようという
作り手の策略が見て取れます。
しかし、その涙ぐましい努力が、今こうやって、ポスターとして並べて見ると、
見慣れた名作名画のポスターよりも、俄然面白いんですね。
特に、お色気企画の映画のキャッチコピーなんて、今でもそのままAV作品で
使えるような傑作コピーがたくさん出てきます。
というわけで、今回のイラストは、当時のキャッチコピーも、そのまま乗せることにしてみました。
拙い画力ではありますが、往年の映画全盛時代の雰囲気が伝わればお慰み。
映画好きの方は、是非、お楽しみくださいませ。
これは小津安二郎監督の名作です。
1951年の作品。昭和26年ですね。
ちなみに、「麦秋」は、英語で書くと、"EARLY SUMMER"
ですから、初夏のことです。ちょうど今頃のことなんですね。
小津監督も、この頃になると、もう押しも押されぬ大巨匠。
この映画の中には、その小津監督としては珍しいクレーンによる移動撮影が
取り入れられたシーンがあります。
二人が芝居をしながら、砂丘を歩くシーンでしたが、とにかく構図にこだわる小津監督が、
砂丘の高低で構図が変わるのを嫌って、クレーンで二人の歩くスピードに合わせて
ゆっくり上下しながら移動撮影したというシーンでした。
僕ごときのイラストでは伝わりませんが、ポスターにも芸術の香りが漂います。
こちらは、1965年の山本薩夫監督の「スパイ」。大映作品です。
この映画は、未見です。
このポスターで初めて知りましたが、ちょっと小川真由美のいい女っぷりが伝わってきて
ワクワクしますね。
怖い顔をしているのは、田宮二郎。後に猟銃で自殺したのは、ご存じの通り。
「クイズ・タイムショック」の司会でも、有名でした。
これも大映作品。同じく1965年の作品。
主演は、若尾文子。
どうです。このゾクゾクするキャッチコピー。
映画は見ていませんが、若尾文子さんの、艶めかしい、あられもない肢体を
勝手に想像してしまいます。
映画を見てしまえば、おそらくは、「なんだ、こんなもんですか」ということになるのでしょうが、
それでも映画館に足を運ばせた時点で、これはポスターの勝ちです。
こちらは、1964年の日活映画。
主演は、加賀まりこ。
日活もこの頃になると、もう石原裕次郎や小林旭のスターシステム映画では、
やっていけなくなって、いろいろなスタイルの映画を模索し始めた頃。
そして、迷走しながら、最終的には、ロマンポルノへと行き着くわけです。
これは、まったくの未見。1957年の作品。
このポスターを見るまでは、その存在すら知らなかった映画です。
でも、今見ても、こんなDVDがあれば、ちょっと手に取ってみたくなるタイトルです。
で、調べてみたらAmazon で、見つかりました。
しかし、値段はちょっとお高い。コアなファン向きなんでしょう。
この辺の作品が、WOWOWあたりで、ズラリとオンエアされないかしら。
それをやつてくれれば、毎月3000円の視聴料も高くありません。
主演は、前田通子という女優さん。グラマー女優という「説明書き」がありました。
この時代では、この手の作品の常連だった女優さんだったようです。
キャストを眺めて、もう一人、知っている名前を見つけました。三ツ矢歌子さん。
イラストでいうと、左隅で、こちらをきっとにらんでいるのが、彼女です。
すでに亡くなられていますが、この人の若い頃の、写真を見ると、どことなく
藤原紀香に似ていますね。
これは東映作品。
若山富三郎というと、僕にとっては、「白蛇抄」の、エロ坊主役が強烈でした。
あの映画では、小柳ルミ子と、ドロドロの情事を繰り広げるわけですが、
おそらくは、そのキャスティングには、このあたりの映画でのイメージがあったのでしょう。
キャストを見ると、「菅原文太」「「藤山寛美」「京唄子」なんていう名前もあったりで、
これも未見ですが、今更ながら、ちょっと見てみたい一本。
さあ、こちらは、ご存じ健さんの名シリーズの一本。
たぶん、これは見ています。
ただ、この「網走番外地」シリーズは、「新」が付くシリーズも含めれば18本作られており、
東映のドル箱映画。
キャストも同じ役者が出ていることが多かったので、いろいろな作品がごちゃごちゃに
なってしまっていて、「これ」というシーンが、ちょっと思い出せません。
僕にとっては、シリーズ全体で一本の映画みたいな印象です。
よく言われることでしたが、健さんの映画を見て出てくると、男たちはみんな、
肩で風を切って歩いて映画館を出てくるといわれたものですが、
僕が見たのは、もちろんリアルタイムではなくて、衛星放送を録画したDVDでした。
これも、まったくの未見映画。昭和33年の新東宝の作品です。
この映画には、スタッフにも、キャストにも、知っている人がほとんど出来ません。
どこからどう切っても、B級映画という香りムンムンの映画ポスターですね。
しかし、どうしてどうして、むしろ、それだからこそ、この頃の新東宝の作品のポスターには、
僕のようなミーハー志向の映画オタクにとっては、たまらないテイストの
映画ポスターがこれでもかと出てきます。
まあ、そのあたりは、いずれ、拙いイラストで。ご紹介していくことにいたしましょう。
小学校3年の春から、サラリーマンになるまでの、およそ15年ほどを、JR与野西口駅前で、過ごしました。
昭和41年から、昭和57年くらいまでですね。
西暦で言えば、1966年から、1982年まで。
御存知の通り、与野駅西口は、区画整理事業後、まるで様変わりしてしまっています。
今、ここを訪れても、駅前に関してだけいえば、僕が住んでいた当時の面影は微塵もありません。
あそこに住んでいたものとしては、複雑な思い。
僕のブログでは、うちに残っていた写真で、当時の与野駅西口を紹介したこともあるのですが、
今回は、試しにネットの画像検索で、「与野駅西口 昭和」と入れてみました。
すると、僕がブログででアップした写真の他に、僕が住んでいた以前の与野駅界隈の写真もヒット。
おもわず声を上げてしまいました。
レトロ写真オタクとしては、これは嬉しい限り。
ちょっと紹介しておきましょう。
まずこれ。
これが、おそらく昭和20年代の、国鉄(当時)与野駅から撮った与野駅西口駅前通。
向かって右側に見えるのが、「興文堂」。
本と文房具を扱っているお店です。
これが、僕の実家「いずみ書店」の前身。
この時代は、僕の祖母の妹の旦那さん(ややっこしいね)が店主をやっていました。
さて、この写真をじっくりと眺めて、僕がおもわず「おっ」と声を上げたのが、向って左側の、
我が「興文堂」のほぼ正面に、かすかに屋号が読める丸い看板です。
これが「百蘭」という、中華そば屋の看板。
ここのラーメンがとにかくメチャクチャ美味しかったんですね。
じつは、僕がそれに気がついたのが、このラーメン屋がまだ昭和の時代に店をたたんでから後のこと
というのも、子供の頃は、ラーメンといえば、僕はここのラーメンしか食べたことがなかったわけです。
ですから、そもそも、ラーメンという食べ物は、こういうものだと、僕自身は、ずっと思っていた。
それが、この「白蘭」がある日突然、店を閉めてしまい、「アンデス」というパン屋さんに
なってしまいました。これはショックでしたね。
以後は仕方なく、あちこちの中華そば屋に足を伸ばすようになり、いろいろなラーメンを
経験していくことになるのですが、これが、どうにもおいしくない。
というか、「白蘭」のラーメンは、完全にその他のラーメン屋とは、まるで別次元の味でしたね。
しかし、それに気がついた時には、すでに、「白蘭」はなし。
ここから、今でも続く、僕の「美味しいラーメン」探しが始まりました。
それ以降続けた「おいしいラーメンツアー」で、僕は征く旅の先々で、おいしいラーメンを
探し続けましたが、この「白蘭」のラーメンに届くラーメン屋は未だ巡り合わず。
その中でも、味で、かなり肉薄したのは、荻窪にある中華そば屋「春木屋」でした。
しかし、それでも残念ながら、僕にとっては「白蘭」のラーメンには届きません。
白蘭の大将は、その後、お弟子さんに暖簾分けしているとは聞いていたので、
いつか死ぬまでには、なんとかあの味を探し当てて、あのラーメンを、もう一度食べてみたいと
心秘かに思っている次第。
ついでに申し上げておきますと、「白蘭」は、ラーメンだけでなく、餃子も、焼きそばも、
カツライスも、すべて絶品でした。
中でも、僕が特に好きだつたのは、「ワンタンメン」。
ランチ前になると、母親が忙しくて、食事の支度ができない時には、
いずみ書店全従業員と、僕たちお子様分の丼を持って、よく白蘭に足を運んだものです。
さて次。
これが昭和38年くらいでしょうか。
「興文堂」は、「いずみ書店」と名前を変え、当時としてはまだ珍しかった、鉄筋コンクリートの
ビルに変身しております。
「主婦の友」「三菱鉛筆」の横看板が見えるビルですね。
僕は、ずっとあのビルの3階に住んで、そこから、与野駅周辺を眺めていました。
当時はまだ、雑居ビルで、2階には家具屋。
1階には、保険屋さんなどの事務所もありましたね。
いずみ書店はまだ6坪程度の小さなお店でした。
そして、最終的にこのビルに、いずみ書店だけが残ったのが、昭和40年代。
この写真では、我が実家「いずみ」の看板と、2階の家具屋の看板が確認できます。
この写真で見る限りは、そこそこの人出ですが、当時、与野駅は、浦和と大宮という
埼玉県の看板都市に挟まれて、ひっそりとした佇まいでした。
しかし、かつて、与野駅と大宮駅の間に広がっていた、国鉄大宮操作場の広い敷地が、
今や、埼玉副都心に大変身。
与野駅西口にあった、我が「いずみ書店」も取り壊され、平成の時代になると
モダンなビルが立ち並ぶ都会に様変わりしてしまいました。
さて、そんな与野駅西口の歴史を刻む写真の中から、もう一枚紹介しておきます。
これです。
これが、昭和の時代、与野駅周辺に、たった1館だけあった映画館「与野文化劇場」。
この写真の頃は、昭和33年。
ですから、僕の生まれる前の年の画像です。
それですでに、この朽ち具合ですから、僕が頻繁に「ガメラ」シリーズを見ていた頃は、
もっと惨憺たる状態でした。
椅子のスプリングは飛び出ているわ、天井は抜けて空がのぞいているわ、
窓ガラスは割れたままだわ、
もちろん映写機も、相当ガタが来ていたようで、上映が中断することもしばしば。
入場料は、当時子供料金が、50円から70円だったと思います。
見たい映画がかかると、怪獣映画限定で、親から100円玉ひとつもらって、
お釣りの30円で、ポップコーンとサイダーを買って、1日中、繰り返して見ていましたね。
大映の映画の他にも、新東宝や松竹の映画も見た記憶があります。
そんなわけで、この与野文化劇場で、かかる映画は、与野駅西口界隈の
あちこちに、ポスターが貼られていました。
当時は、もちろんインターネットも、タウン誌もない時代。
映画の情報は、もっぱらこの街角のポスターが、メインソース。
中には、絶対に、子供がみることは許されないような、際どいタイトルの映画ポスターも。
関根恵子主演「成熟」。浅丘ルリ子主演「女体」。渥美マリ主演「いそぎんちゃく」
ませたガキであった、柿沢少年は、そんなポスターを食い入るように眺めながら、
自分も早く大人になって、この映画を見たいと思っていたものでした。
そうそう、実は、この大人の映画のさわりを見て、ドキドキしたのも、この与野文化劇場の
暗闇の中。
そうです。予告編ですね。
正直に白状しますが、僕が「ガメラ対ギャオス」と「大魔神」の併映を朝から晩まで、
何度も見ていたのは、本編よりも、この予告編見たさでした。
まさか、我が両親も、予告編が目的で、息子が映画館に通っているとはつゆ知らずだったでしょう。
ですから、今でも、あの当時の映画ポスターを見ると、AVをみるよりもはるかに
胸がワクワクドキドキしてしまいます。
先日は、そんな映画ポスターの資料を探しに、図書館まで出かけてきた次第。
今セッセと、そのポスターのイラストを製作中で、けっこうドツプリハマっています。
これは、次回のブログで、紹介することにいたします。