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まずは、購入してきた苗を、マルチの上に置いてレイアウト設計。
むかって、一番右側の畝は、ハーブを揃えました。
スペアミント3本。
レモングラス2本。
レモンバーム2本。
スウィートバジル2本。
ローズマリー2本。
ストロベリーミント。
ローマンカモマイル2本。
イタリアンパセリ。
オレガノ・ケントビューティ(初)。
オレンジカモマイル(初)。
セージトリカラー(初)。
アップルミント。
ジャーマン・カモマイル。
そして、その隣の畝。
パッション・フルーツ。
タラノキ(初)。
チョロギ(初)。
キワーノ(初)。
ぺピーノ・ロイヤルカスタード。
いちごセリーヌ(初)。
らくなりイチゴ(初)。
ピーマン京波3本。
パプリカ赤。
パプリカ黄色。
明日葉。
青紫蘇。
オクラ島の唄(初)。
さといも7本。
その次の畝。
ズッキーニ緑2本。
ズッキーニ黄色2本。
加賀太キュウリ。
鹿ケ谷カボチャ。
打木赤皮甘栗南瓜。
加茂ナス。
さといも7本。
そして、一番左の畝。
スイカ小玉赤。
すいか小玉黄色。
姫冬瓜。
長芋10本。
以上ですが、その他に今回は、果物の木の苗も購入してきました。
世に言う「桃栗3年柿8年」
どの果実も収穫までには、何シーズンがかかりますが、今まで果物は、我がチームではほとんど扱ってこなかったので、ここらで、一丁つきあってみようかという気になりました。
購入しきたのは以下の6本。
ちょっと、深めに穴を掘り、周囲の雑草を詰め、腐葉土で蓋をして、苗を植えます。
洋梨。
栗。
桃。
檸檬。
柿。
林檎。
6本の異なる果樹に見事果実がついてくれるかどうか。
楽しみではあります。
というわけで、本日の苗植え作業は無事終了。
実はまだ、この地域最大のホームセンター「ジョイフル・ホンダ」にいっていません。
次回の野菜畑作業前には、一度行ってまだ植えていないものを中心に見てくるつもり。
とにかく、定番野菜は師匠が作ってくれています。
それならばと、僕のエリアでは、失敗覚悟で実験的野菜にトライするのがチームの暗黙の了解。
それが、僕の性格にもあっています。
さて、今年はまたどんな新しい野菜たちに出会えるか。
いよいよ、本格的に、2019年の野菜シーズンがスタート。
平成の最後の日曜日に植えた苗の収穫は、令和元年夏です。
おっと、メロンがない!
さて、いよいよ2019年の野菜づくりが本格的にスタート。
準備完了の畑に、いよいよ苗植えです。
この時期までには、定年退職をしているはずでしたが、社員の思わぬ交通事故で、やむなく延期。
人手不足ですので、これはいたしかたなし。
彼が復帰してくるまでは、日曜以外は休みなし。
そこで、本日の日曜日は、早朝から畑へ出かけて、せっせと定植作業してまいりました。
今日中にやっておかないと、次の日曜まで畑には来られません。
そうそう、つぎの日曜日はもう令和ですね。
早朝、畑に到着すると、すでに師匠のエリアは、苗植えが完了していました。
さすが、仕事が早い。
もうひとつのビックリは、今朝の寒さ。
なんと、早朝には、畑の地面に霜が降りていました。
遅霜というやつです。
これがあるから、定植は、ゴールでウィークまで待とうというのが、チームのお約束。
すでに、植えてあった苗に、被害は無かったろうか。
幸い、太陽が昇るとともに、気温は上昇。
昼近くには、暑いくらいでしたので、なんとか大丈夫でしょう。
まずは、太陽光のパネルの下。
ここは、青梅市の区分では、生産緑地に指定されている場所。
農業以外はしてはいけない場所です。
この太陽光パネルも、ここで野菜を作るという約束で許可が下りたもの。
この場所以外の畑は、シーズンによっては、休ませることもできますが、ここはだめ。
毎シーズンちゃんと野菜を作らないといけません。
まずは、今年もここから苗植えスタートです。
アーチを作った畝には、定番のキュウリとツルインゲン。
夏になればここは、グリーンカーテンになります。
それから、ネギ、茄子、トマト、かぼちゃ、スイカ、去年僕が作ってうまくいったミニ冬瓜もありましたね。
それから、モロヘイヤ、青しそ、オクラなどもありました。
これは、レタスです。
レタスは、成長が早く、畑では一番最初に収穫できる野菜。
これは、もうひと区画増やして、追加定植する予定。
これは、スイカです。
今回は、どんどん蔓が伸びるスイカに対して、広いスペースを用意できなかったようで、他の野菜の迷惑にならないように、師匠が柵を作っていました。
なるほど、この手があったか。
こちらは、とうもろこし。
ある程度、成長したら、獣害防止のために、柵で囲います。
去年は、残念ながら、ハクビシンにやられました。
こちらは、ツルムラサキ。
これは、サラダにも、おひたしにもなる万能青物野菜。
我が畑では定番です。
この他、多年草のエリアでは、ミョウガの芽も出始めていました。
ニラは、すでに収穫可能な状態。
葉っぱだけを、刈り取れば何度でも成長して収穫が可能な便利な野菜です。
さて、そんなわけで、師匠担当の毎年定番の野菜は、無事に定植完了。
本日は、僕が担当するエリアの定植です。
毎年、定植をする前の日は、会社から自宅までの間にある、すべてのホームセンターの園芸センターをハシゴします。
出会える苗の顔ぶれは、実は毎年違うんですね。
カインズ・ホーム、ビバホーム、シマホ、セキチュウなどなど。
マイカーの後部座席に、ズラリと揃った今年の苗の顔ぶれです。
苗の顔ぶれは、パート2で。
「クリスマス映画なら『34丁目の奇跡』は、見ておくべきでしょう。」
春たけなわなのに、季節外れで失礼。
Amazone Prime で、この作品を鑑賞。
学生の頃は、浴びるように映画を見ていました。
なので、クリスマスのシーズンになると、町山智浩や松崎健夫にでもなったつもりで、(昔なら淀川長治さんかな)、友人たちには偉そうにこんなことを言っていました。
とにかく、アメリカ人は、この映画が大好き。
クリスマスのシーズンになると、どこの家庭も、この映画か、もしくはフランク・キャプラ監督の「すばらしき哉、人生!」のどちらかを見ていると言われるほど。
のちに何度もリメイクされています。
この映画はもちろん、ストーリーも知っていましたし、出演していた女の子が、当時まだ8歳だったナタリー・ウッドだったということも知っていました。
1947年度作品で、サンタクロース?を演じた。エドモンド・グウェンが、アカデミー賞助演男優賞をとったことも知識としては知っていました。
ところがです。
それで、すっかり見た気でいたこの映画。
実は、今回が初見でした。
あらまあなんという事。
最近こういうことがよくあります。
映画は見ていないでも、その映画の情報や、スチール写真、そして、ハイライトシーンなどの映像に、長年にわたって数多く接しているうちに、いつのまにか映画本体を見た気になってしまっていたんですね。
ひどい時には、友人との映画談義になると、見てもいないのに、聞きかじりの評論までしていました。
基本が、知ったかぶりのええカッコシーですから、これはよくあったケースと推測されます。
おそらく、こういうクラシックな名画には、今回のようなケースが、もっとたくさんあるに違いないと睨んでいます。
冒頭の偉そうなセリフ。
これも、映画オタクのミエから、映画は未見のままで言っていたと思われます。
まったく、失礼をいたしました。
考えてみればそうです。
当時、名画座巡りをして鑑賞していた映画のほとんどは、いまにして思えば、女優のヌードやエロいシーンがあるかどうかが選択のポイント。
事前情報や、予告編や、タイトル及びテーマから、めっけもののエロいシーンがありそうな映画ばかりを追いかけていました。
従って、ファミリー向け映画やミュージカル、クラシック映画は、例えどんなに名作であろうと、お金を払って見に言ったのはごく少数だったはず。
それなのに、映画情報誌は、隅から隅まで目を通していましたから、見た気になった未見の映画が、案外多いのもうなずけます。
もしくは、本当は見ているのに、忘れてしまっているか。
いずれにせよ、そんな若き日の偏った映画観賞の罪滅ぼしに、Amazone Prime では、未見の可能性のあるクラシック映画を中心に観賞しよう思います。
さて、サンタクロースは実在するか否か。
映画はこの問題をめぐって、法廷にまで話は進んでいきます。
そして、ラストは、あの「素晴らしき哉、人生!」にも通じる、実にアメリカ的な大円団。
世界中の親たちに申し上げましょう。
もしもあなたが、大人になるまで、サンタクロースは本当にいるんだと、自分の子供に信じさせることができたとしたら、そのときは是非申告してください。
その努力に免じて、金一封はつきませんが、表彰状を差し上げます。
1950年のアメリカ映画。
日本では、黒澤明の「羅生門」が公開された年。
主演は、ジョセフ・コットンとジョーン・フォンティーン。
まず、「旅愁」というタイトル。
洋画界のジンクスとして、漢字二文字の邦題にすると当たるというのがあるようです。
「慕情」「追憶」「卒業」「旅情」「哀愁」「黄昏」「情婦」「断崖」「十戒」
などなど。
いろんなジャンルがありますが、総じて恋愛映画多いという印象。
「旅愁」というと、日本には、この映画の以前から、広く歌われていた唱歌がありましたね。
「更け行く秋の夜旅の空の」というやつ。
この映画の現代が “September Affair” ですから、「秋」という文字に引っ掛けたのでしょう。
直訳すれば、「9月の出来事」みたいなことですから、これはなかなか、センスがある邦題をつけたと思います。
70年代に、西崎みどりが歌った「旅愁」という曲もありました。
ジョーン・フォンティーンは、1917年生まれですから、この映画の時は33歳。
彼女といえば、1940年のアルフレッド・ヒッチコック渡米第1作「レベッカ」の若妻役が印象的。
翌年には、同じくヒッチコック監督作品の「断崖」で、アカデミー主演女優賞を獲得しています。
Wiki して知りましたが、実のお姉さんがあの、オリビア・デ・ハビランドなんですね。
知りませんでした。
あの「風と共に去りぬ」のメラニーを演じた人です。
ジョセフ・コットンの方は、なんといっても、「第三の男」を思い出します。
オーソン・ウェルズの作品の常連。
その後、日本に来て、東宝の特撮モノにも出演していましたから、よく覚えています。
今回は、完全に色男役でしたが、彼のラブロマンスモノは、珍しいかも。
そういえば、コットンの妻を演じた女優。
映画の途中から、ずっと気になっていました。
どこかで見たことがある、この人。
映画女優ですから、もちろん当たり前なのですが、ジェシカ・タンディでした。
ヒッチコック監督の「鳥」で、ロッド・テイラーの母親役を演っていた人。
それから、もっとずっと後年の「ドライビングMissデイジー」で、アカデミー賞主演女優賞を獲得した方。
1989年の作品ですから、なんとその時彼女は80歳。
この映画はしっかりと見ていましたから、その印象が残っていて、この「旅愁」の彼女に引っかかったようです。
今このブログを書きながら、主題歌の “September Song”を、聞いていますが、音楽は当時の大御所ビクター・ヤング。
映画は、当時のヨーロッパでロケ。
ナポリやカプリ島などの観光名所もタップリ。
イタリア観光というと「ローマの休日」。
旅先で恋に落ち、男は既婚者というと「旅情」がありました。
これに、「運命のいたずら」という味付けをして、ラストはこの手のラブロマンスの定番。
安心して楽しめるクラシック恋愛映画でした。
2017年の作品。
監督は、矢口史靖。
この人は、「ウォーターボーイズ」とか「スウィング・ガールズ」を作った人。
コメディの人かなと思わせますが、取り上げる題材は、けっこうクセがすごい。
今回の、とりあげたお題はこちら。
「もしも、日本中の電気、水道、ガスが止まったら・・」
一家(そして日本中)を突然襲ったこのパニック。
最初は笑えていたものが、次第に笑えなくなる展開。
こういう映画にありがちなのは、このパニックの原因をとりあげて、右往左往する人を描きながら、社会に警鐘を鳴らすというパターン。
しかし、この映画は、それにほとんど触れません。
東京を捨て、一家四人自転車でただひたすら、妻の実家のある鹿児島に向かうサバイバル道中を描くのみ。
そのリアルさをだすために、映画は全編ロケ撮影。
スタジオ撮影やCGは、一切使用していません。
豚も、川も、虫も、通天閣も、みんな本物。
突っ込もうと思えば、怪しい設定はポロポロとあるのですが、そこは小日向文世の決死の熱演に免じで、野暮はいいますまい。
母親役の、深津絵里も、あいかわらず安定感と存在感のある演技。
長男と長女役は、オーディションで選ばれたそうです。
定年退職後は、田舎に引っ込んで農業で暮らす道を模索中。
今は、一人暮らしでも電気代が、たっぷり15000円のマンション生活。
映画同様、電気があって当たり前の暮らしで、体に染み付いている、「便利」を、田舎暮らしでどこまで捨てられるか。
けっこう楽しみな、老後です。
もしも、田舎暮らしをはじめて、都会から脱出してきた人が訪ねてきたとしたら、やはり、養豚場のオヤジを演じた大地康雄と同様、優しく迎え入れてあげることにしましょう。
そのかわり、草むしりはしてもらいます。
昨年公開の日本映画。
主演は、綾瀬はるかと坂口健太郎。
ファンタジーが不得手な日本映画としては、頑張りました。
映画愛に満ち満ちた作品ですね。
スクリーンの向こうから、こちらの世界へやってきてしまったヒロインと、映画華やかし頃の助監督との切ないラブロマンス。
そして、老人となった助監督を演じたのが加藤剛でした。
そうか、あの「砂の器」の和賀英良も、すでに80歳となっていましたか。
歳をとらない綾瀬はるかと、歳をとった彼が並んで歩く姿は、ちょいと感慨深いものがありました。
スクリーンの向こうと、こちらの世界が一緒になってしまうというファンタジーは、けっこうありますね。
このジャンルを得意としたのは、ウッディ・アレン。
1972年の「ボギー!俺も男だ」は、名作「カサブランカ」へオマージュを捧げた作品。
1985年の「カイロの紫のバラ」は、不幸な家庭生活を送る主婦ミア・ファローが、スクリーンの中に逃避していく物語。
この映画の元ネタかもしれません。
触れ合えない二人のキスは、ガラス越しというシーン。
これは、1950年の日本恋愛映画のクラシック「また逢う日まで」で、岡田英次と久我美子が同様に演じていました。
多感な頃に見た映画のヒロインは、今でも、歳をとらずに自分の心の中にいる。
「おもいでの夏」のジェニファー・オニール。
「小さな恋のメロディ」のトレイシー・ハイド。
「青い体験」のラウラ・アントネッリ。
「冒険者たち」のジョアンナ・シムカス。
映画の中での彼女たちの魅力にときめいた十代の頃の記憶。
それは、還暦を迎えたいまでも、その輝きを失っていません。
記憶の中の彼女たちは、こちらがどれだけ老いぼれても、当然ながら当時のスクーンの中のまま。
ズルイといえば、ズルイ。
そんな映画ファンなら、誰でも持っている気持ちを、上手にすくってくれた映画でした。
ホラー映画の金字塔「死霊のはらわた」は、1981年の映画でした。
これは、そのリメイク。
オリジナルを監督した、サム・ライミは、この映画のプロデュースもしていますから、正式リメイク版とでもいいましょうか。
ホラー映画における、ビッグアイコンを看板に使えるのですから、やはり得しています。
ファンは、見てしまいますね。
オリジナル版は、とにかく衝撃的でした。
あそこまで、強烈なホラーシーンを見せられてしまうと、怖いのを通り過ぎて笑ってしまうほど。
リメイク版でも、特殊メイクや特撮は、前作を踏襲しながら頑張っているのですが、やはりこちらとしては比較してしまいますから、それはつらいところ。
よほど、秀逸なアイデアがないと、前作越えは出来ません。
スプラッターシーンでは、チェーンソウが多用されますが、これも「悪魔のいけにえ」という先駆的映画があります。
でもそれでも、ファンは見てしまいますけどね。
すでに、続編が作られているそうです。
シリーズ物で、3作を一挙に鑑賞。
監督は、ジェームズ・ワンという中国系のオーストラリア人。
この名前どこかで観たことがあると思ったら、あの「ソウ」シリーズの監督。
(2作目以降はプロデューサー)
あの映画シリーズは、かなりエグい描写で、ヒットしました。
ああいう映画で当たると、やはり作り手は、だんだん作家としての色気が出て、「キワモノ」からは脱皮したくなる模様。
このシリーズも、ホラー映画の体はとりつつも、そこにドラマ性を盛り込み、家族愛などを強調し、暴力描写やスプラッター演出はーも、「ソウ」に比べれば控えめ。
でも、やはりその分、ホラー映画としての迫力にはかける印象。
監督の気持ちもわかりますが、ホラー映画ファンは、やはり感動したいのではなく、ゾゾっとしたいんですよ。
やりたいなら、ホラー映画という保険は取っ払ってやってみては。
ホラー映画は、やはり映像のインパクト勝負。
どんなにお金をかけても、目新しい演出のアイデアがないなら二流になります。
「ソウ」は、「おお、この手があったか」というアイデア満載でした。
やはり、その方面の才能をお持ちなら、変に一流監督など目指さずに、ホラーに徹したほうがよろしいかと。
2009年日本公開のアメリカ映画。
監督主演は、クリント・イーストウッド。
この時の彼は、79歳。
彼が演じたのは、フォードの工場で50年働いてきたガチガチの頑固オヤジ、コワルスキー。
グラン・トリノというのは、1972年から1976年にかけて作られたフォードの車。
これぞアメ車と言うドデカい車。
しかし、1978年のオイルショック以降、この手の、派手で燃費の悪いアメ車は、トヨタなどの日本車に主役の座を明け渡していくことになります。
彼の息子が、トヨタのセールスマンという設定にニヤリ。
というわけで、このグラン・トリノは、アメ車の最後の輝きを放つ車、言ってみれば、強いアメリカの象徴でもあるわけです。
それを、自分で組み立て、ピカピカに磨き上げているイーストウッド演じるのが本作の主人公。
かつては高級住宅地だったこの街も、自動車産業の斜陽により、だんだんと荒廃していき、たくさんの政治難民が移住してきて、治安も悪くなってきています。
コワルスキーの家の隣に引っ越してきたのも、アジア系の移民でモン族の一家。
人種差別バリバリのコワルスキーは、これが面白くない。
「ニップ」「チンク」「グーク」などの、アジア系移民に対する差別用語を連発。
(この為映画はR指定)
不快感をあらわにしています。
しかし、その家の息子と交流していくうちに、次第に彼の気持ちに変化が。
アジア系のギャングに、仲間に入るように脅迫される息子。
その彼を助けるために、そのギャング団の前に立ちはだかって、ゆっくりとジャケットの胸元に手を入れるコワルスキー。
映画「ダーティハリー」を知っている人なら、この脇からは、44マグナムが出てきてドキューン。
しかし、彼は、この映画では引鉄はひきません。
これがラストへの重要な伏線になります。
「荒野の用心棒」「ダーティ・ハリー」シリーズなどで、映画の中では、銃で人を殺しまくってきたイーストウッド。
銃社会のアメリカでは、ジョン・ウェインとイーストウッドは、強いアメリカの象徴でした。
しかし、「許されざる者」あたりからは、彼の映画は、完全に暴力否定路線。
かつての自分の映画への贖罪が、後年の彼の映画のメッセージになっていますね。
この映画では、特にそれが顕著。
感動的な映画でした。
「主役はこれが最後。」
そう言っていたイーストウッド。
でも、80歳を超えても、まだまだやってます。あっぱれ