公開は、1965年。
ですから、この作品を見たのも、「東宝チャンピオンまつり」の短縮リバイバル版。
1971年の春休み興行ですから、前作「三大怪獣 地球最大の決戦」よりも先に、こちらの作品を見ていたことになります。
今回は、地球を支配しようというX星人との攻防。
主役は、「ゴジラ」「モスラ対ゴジラ」に続きゴジラシリーズ三度目の抜擢・宝田明。
そして、ハリウッドから招いたニック・アダムス。
二人がコンビで宇宙飛行士を演じます。
ニック・アダムスは、ハリウッドでの芸歴がまるで思い当たらなかったので調べてみました。
するとなんと、ジェームス・ディーンの「理由なき反抗」、ウィリアム・ホールデンとキム・ノヴァックの「ピクニック」、ドリス・デイの「夜を楽しく」などに出演と判明。
これ実はみんな観ていますが、ちょっと印象にありません。
これは再見せねば。
日本未公開の「Twilight of Honor」では、アカデミー賞の助演男優賞にもノミネートされています。
そして、1968年に36歳の若さで、錠剤のオーバードーズにより死亡。
そうそう、東宝特撮では、「フランケンシュタイン対地底怪獣」にも出演していましたね。
両映画とも、相手役は水野久美。
彼女は、撮影中、かなりマジにプロポーズされていた模様。
ちなみに当時のニックは妻帯者です。
さて、X星人のボスには、ゴジラ映画の顔とも言える土屋嘉男。
アダムスキー型の円盤に乗って、地球にやってきて、ゴジラとラドンをさらっていきますが、まだUFOのという言葉は一般的でなく、「空飛ぶ円盤」の時代。
当時よくSF漫画を描いていた僕の漫画に登場する円盤は、すべてこの映画に登場する円盤をパクっていました。
今改めて見ると、X星人と地球人の会見シーンは、後のスピルバーグ監督「未知との遭遇」での、第三種接近遭遇シーンに、多少なりとも影響を与えていますよね。
さて、この映画で語っておかなくてはいけないのは、なんといっても、ゴジラの「シェーッ!」です。
「しぇーっ!」は、赤塚不二夫の漫画「おそ松くん」に登場するイヤミの決めのポーズ。
これは、完全に、映画を見にきている子供達へのサービスでしたね。
アメリカ公開の際は、さすがに「おそ松くん」はわからなかったので、このはシーンのゴジラは、「Dancing Godzilla」と呼ばれていました。
ゴジラの着ぐるみも、いつのまにやら、凶暴性は消え、目玉ギョロリの子供ウケするものに進化。
あの頃は、この映画の頃のゴジラが一番親しみがあって、かっこいいと思っていましたが、今大人になって改めて見直すと、やはり凶暴な初代ゴジラの方がいいなと思ってしまいます。
映画「ゴジラVSビオランテ」
1989年製作ということですから平成元年の作品。
公開当時は、僕はすでに30歳でしたから、怪獣映画からは一番遠ざかっていた頃。
今回初めて見ました。
監督は、畑違いの大森一樹。
昭和ゴジラに歓喜していた世代ですから、彼なりの思い入れもあったのでしょう。
冒頭で、破壊された新宿が出てきます。
これは、1984年に作られた「ゴジラ」のラストを踏まえていて、その続編という立ち位置。
ここで、採取されたゴジラの細胞と、バラの細胞が融合されて出来た、植物と動物の中間的な怪物がビオランテ。
バイオテクノロジーが大きく取り上げられたのは、大森監督が、医学部出身だからでしょう。
主人公は、三田村邦彦。
テレビの「必殺シリーズ」と「太陽にほえろ!」のジプシー刑事で名を挙げていました。
その恋人役のヒロインに元キャンディーズのスーちゃんこと田中好子。
「普通の女の子」から復帰して、女優業邁進中の頃。
同じ年に、今村昌平監督の「黒い雨」に出演していて、女優開眼。
すでに、スーちゃんのイメージではなくなっておりました。
「ゴジラとビオランテ。勝ったほうが、我々の敵になるだけ。」
渋いセリフを吐く、自衛隊の若き将校に高嶋政伸。
この撮影当時、彼は23歳でしたから、ちと若すぎたかも。
昭和ゴジラの後期に、子供たちのアイドルと化したゴジラに、大森監督もやはり忸怩たる思いを抱えていたのでしょう。
映画の展開は、明らかに大人向けの一般映画志向。
正義のゴジラに違和感を持っていた、当時の大人たちに向けて作られてはいましたが、興行的には前作を下回る結果。
もはや、昔の怪獣少年たちは、怪獣映画には、ときめかなくなっていたということでしょう。
「ウルトラシリーズ」に胸ときめかしていた少年としては、ビオランテの造形には、グッとくるものがありました。
「ウルトラQ」の第4話「マンモスフラワー」で登場したジュラン。
「ウルトラマン」の第5話「ミロガンダの秘密」に登場した植物怪獣グリーンモンス。
そして、「ウルトラセブン」の第2話「緑の恐怖」で、ワイアール星人に操られていた生物X。
思い出す限りの、ウルトラシリーズに登場した植物系怪獣ですが、バラの細胞を持ったビオランテは流石に美しい。(変態した後は、凶暴になりますが)
冒頭で、当時の初代東宝シンデレラ・ガールだった沢口靖子が特別出演。
2代目のシンデレラ・ガールとなった小高恵美は、この後、平成ゴジラシリーズにフル出演の、常連になっていきます。
映画「ゴジラVSビオランテ」
1989年製作ということですから平成元年の作品。
公開当時は、僕はすでに30歳でしたから、怪獣映画からは一番遠ざかっていた頃。
今回初めて見ました。
監督は、畑違いの大森一樹。
昭和ゴジラに歓喜していた世代ですから、彼なりの思い入れもあったのでしょう。
冒頭で、破壊された新宿が出てきます。
これは、1984年に作られた「ゴジラ」のラストを踏まえていて、その続編という立ち位置。
ここで、採取されたゴジラの細胞と、バラの細胞が融合されて出来た、植物と動物の中間的な怪物がビオランテ。
バイオテクノロジーが大きく取り上げられたのは、大森監督が、医学部出身だからでしょう。
主人公は、三田村邦彦。
テレビの「必殺シリーズ」と「太陽にほえろ!」のジプシー刑事で名を挙げていました。
その恋人役のヒロインに元キャンディーズのスーちゃんこと田中好子。
「普通の女の子」から復帰して、女優業邁進中の頃。
同じ年に、今村昌平監督の「黒い雨」に出演していて、女優開眼。
すでに、スーちゃんのイメージではなくなっておりました。
「ゴジラとビオランテ。勝ったほうが、我々の敵になるだけ。」
渋いセリフを吐く、自衛隊の若き将校に高嶋政伸。
この撮影当時、彼は23歳でしたから、ちと若すぎたかも。
昭和ゴジラの後期に、子供たちのアイドルと化したゴジラに、大森監督もやはり忸怩たる思いを抱えていたのでしょう。
映画の展開は、明らかに大人向けの一般映画志向。
正義のゴジラに違和感を持っていた、当時の大人たちに向けて作られてはいましたが、興行的には前作を下回る結果。
もはや、昔の怪獣少年たちは、怪獣映画には、ときめかなくなっていたということでしょう。
「ウルトラシリーズ」に胸ときめかしていた少年としては、ビオランテの造形には、グッとくるものがありました。
「ウルトラQ」の第4話「マンモスフラワー」で登場したジュラン。
「ウルトラマン」の第5話「ミロガンダの秘密」に登場した植物怪獣グリーンモンス。
そして、「ウルトラセブン」の第2話「緑の恐怖」で、ワイアール星人に操られていた生物X。
思い出す限りの、ウルトラシリーズに登場した植物系怪獣ですが、バラの細胞を持ったビオランテは流石に美しい。(変態した後は、凶暴になりますが)
冒頭で、当時の初代東宝シンデレラ・ガールだった沢口靖子が特別出演。
2代目のシンデレラ・ガールとなった小高恵美は、この後、平成ゴジラシリーズにフル出演の、常連になっていきます。
2019年6 月13日 (木曜日)
野菜を作ろう2019 梅雨入り
先週末に雨が続きましたが、野菜にとっては恵みの雨。
ナスもキュウリも色艶よし。
来週あたりからは、ぼちぼち収穫できそうです。
こちらもキュウリですが、これは地方モノで、加賀の太キュウリ。
ヘチマみたいな、お化けキュウリになるので楽しみです。
こちらは長芋。
これは、今シーズン初めて定植しました。
蔓がいい調子で伸びています。
これ以上高い支柱はないので、この先は、横に誘引していく予定。
こちらは、黄色と緑のズッキーニ。
緑の方は、食べ頃の大きさになっていましたので、とりあえず収穫。
持ち帰って、早速料理。
オリーブオイルで炒めてソテーにしました。
これはカボチャ。
通常、広い面積を確保して、蔓を横に這わせますが、ここに植えたカボチャは、横に伸ばすスペースを確保できなかったため、試しに支柱を立てて上に誘引してみました。
実が大きく重くなりますので、果たしてこれでもちますか。
ちょっと心配ですが、無事に収穫できますかどうか。
ニラのグーンベルト。
多年草ですので、この場所で、同じ苗から何回も収穫できる優れもの野菜。
冬越しのものを、本日収穫しました。
茎を残しておけば、それがまたそのまま成長してきます。
コストパフォーマンス抜群の野菜。
前回は、ニラレバにしましたが、今回はすでにベジタリアン宣言をしているので、ニラ玉。
味付けは、顆粒の鶏ガラと醤油。
早速明日のお弁当です。
イタリアンパセリも収穫できましたので、オムレツとペーストを作成。
日本のパセリより癖がなくて、サラダにもなりそう。
これから収穫が一息つくまでは、飲み物も畑のハーブから。
カモミールも収穫。
車の中も、持ち帰った部屋の中も、甘い香りが漂ってニンマリです。
2019年6 月 2日 (日曜日)
映画「ゴジラ」
順不同で「ゴジラシリーズ」を鑑賞しています。
ここで、そもそもの原点。
昭和29年に公開された、シリーズの記念すべき第1作目「ゴジラ」を見直してみることにしました。
僕がゴジラを映画で見たのは、そのほとんどが、子供の頃よくやっていた「東宝チャンピオン祭り」での短縮版リバイバル。
「モスラ対ゴジラ」「キングコング対ゴジラ」「怪獣大戦争」「三大怪獣 地球最大の決戦」
この辺りはすべて、それで鑑賞。
「ゴジラ」と「ゴジラの逆襲」の初期二本は、モノクロ映画。チャンピオン祭りでは、上映されなかったので、見たのは、ちょっと後になってからでした。おそらくテレビでしたね。
記憶では東宝チャンピオンまつりは、当然のごとく、子供の観客が多く、大人は保護者としての付き添いがほとんど。
実は父親はけっこう映画好きでしたので、僕はけっこう連れて行ってもらえましたが、この「ゴジラ」は、公開当時は、大人が普通に一人で観に行ったと言っていました。
ゴジラは、もともと子供向けの映画ではなかった。
今はこちらも十分に大人なので、今回はその目線で見てみることにしました。
まずは、ゴジラの着想のきっかけとなったのが、当時社会問題になっていたビキニ環礁の核実験。
このときの水爆の放射能が原因で、ゴジラが誕生したという設定。
この核と放射能とゴジラという関係性は、その後のゴジラ映画にも引き継がれてはいますが、確かにその扱い方は、一作目のゴジラが最も濃厚です。
当時社会問題にもなっていた「第五福竜丸」事件は、その設定にもしっかりと描きこまれています。
そして、この第一作には、他のゴジラ作品には、ほとんど見られない、恋愛模様が描かれています。
しかも、主人公・宝田明とヒロイン河内桃子、そして、この映画で一世一代の演技を見せた科学者・芹澤を演じた平田昭彦なよる三角関係。
そして、この三角関係が、ラストの感動への大きな伏線になっていきますから、これは重要なポイント。
監督の本多猪四郎は、これはきちんと描きたかったはず。
というか、もともとこの監督は、そのあたりもきちんと描ける監督なんですね。
ちなみに、前回見た、「怪獣総進撃」も監督は同じ本多猪四郎です。
でも、あの映画には、本作のような人間ドラマは描かれていませんでした。
もちろん恋愛模様などは皆無。
東宝は、映画の観客が、次第に子供に移行してきた流れで、そのあたりを封印したのか。
あるいは、東宝からの指示で、子供向け娯楽映画に徹したのか。
本多監督は、十分に作家性を持つ力量のある監督でしたが、あくまで会社から出された条件の中で映画を作るという職人監督に徹した人でしたので、黒澤監督のように、自分のやりたいことを前面に押し出すということはしませんでした。
故に、昭和ゴジラ後期の、子供向け路線演出が、彼の本意であったかどうかはわかりません。
けれども、オリジナルゴジラ路線をその後も踏襲して行ったら、ゴジラ人気が続いたかということもわかりません。
怪獣映画の中に、果たして、大人向けの人間ドラマは必要かという問題は確かにあります。
特撮怪獣映画のファンは、破壊し対決する怪獣が見たい。
それ以外の要素は無用。つまらないドラマは、映画を白けさせるだけ。
そう言われればそうかもしれません。
でも、僕が「ウルトラマン」よりも、「ウルトラセブン」により感情移入できた理由は明白でした。
ウルトラマンにはなくて、ウルトラセブンにあったものは、まさに人間ドラマ。
もっと言ってしまえば、主人公モロボシ・ダンと、アンヌ隊員の恋愛模様でした。
最終回「史上最大の侵略」での、ダンとアンヌの別れのシーン。
あれは、完全に恋愛ドラマの演出でした。
怪獣目的で見ていた怪獣少年の僕には、ビックリドキドキ。
けっこう、ませたガキでしたから、強烈に印象に残っています。
閑話休題。
とにかく、ゴジラ第一作には、人間ドラマも、しっかりと描かれ、それが、ラストのカタルシスにまでつながっていたということです。
これは今回見直しても間違いないところ。
このあたりは、きちんと本多猪四郎の手腕と言えます。
怪獣映画のマエストロ本多猪四郎は、もともと大人の映画も撮れる監督だったということです。
そして、もう一人、この映画を大人の鑑賞に耐えうる作品にしている功労者は、やはりこの人。
古代生物学者・山根博士を演じた志村喬です。
東京を破壊するゴジラを撃退しようという対策本部に対して、貴重な研究材料を失いたくないと胸を炒める学者の苦悩を、さすがの演技力でリアルに表現。
彼がいうセリフ。
「200万年前ジュラ紀から白亜紀にかけて生息した海生爬虫類から、陸上獣類に進化する過程の中間生物であり、大戸島の伝承に倣ってこれをゴジラと呼称する」
出てきた途端に「ゴジラ」と叫ばれていた他のゴジラ作品とは違って、映画の中で、きちんとゴジラの呼称を説明するのは、僕が見た昭和のゴジラ映画の中では本作だけ。
(全作見ていないので、もしかしたら平成以降のゴジラにはあるかも)
些細ですが、こんな細かいところが、行き届いていたのが第一作でした。
主演は、まだまだ青二才の宝田明。
しかし、映画の美味しいところは、この志村喬と平田昭彦が持って行ってしまいましたね。
映画の最後のセリフも山根博士。
「人類が核実験を続ければ、きっと第ニ第三のゴジラが現れるだろう。」
しびれます。
志村喬は、「ゴジラ」と公開が同じ年の「七人の侍」にも出演していますから、この年の彼はたいしたものです。
改めて見直すと、このゴジラは、「大人の鑑賞に耐えうる」作品ではなくて、もともとは「大人が鑑賞するために」作られた映画 だったということ。
それから、もうひとつ。
それは、改めて見直してみると、ゴジラの登場シーンは、おもったより少なかったこと。
特撮シーンの割合は、その他の映画に比べて、それほど多くはない。
先日見た「ゴジラ・モスラ・キングギドラ 怪獣総攻撃」は、出てくる怪獣も多いので、これでもかこれでもかというくらい特撮スペクタクルシーンのオンパレード。
観客が怪獣を見にくるのが「怪獣映画」なのですから、演出方向としては、それで間違いではないのでしょう。
ただし、本当に上手な作り手は、それはしないはず。
「ジョーズ」のスピルバーグ監督然り。
「エイリアン」のリドリー・スコット監督然り。
ゴジラのお手本になっている「原子怪獣現わる」然り。
(この映画は、ゴジラの前年製作)
「大アマゾンの半魚人」然り。
このあたりにも、ゴジラが、広く海外の大人の観客たちにも認められた秘密がありそうです。
ゴジラは、アメリカでは「King of Monster」
アメリカには、元祖特撮映画のヒーロー「キングコング」がいるにもかかわらず、この称号をいただけるのは、実に名誉なことです。
映画「怪獣総進撃」
11大怪獣総登場。
怪獣オタク少年には、夢のような映画です。
なのですが、この映画を、僕は劇場に観に行っていません。
1968年公開の映画ですから、僕は小学三年生。9歳です。
当時は、ガメラに入れ込んでいたので、そのせいだったか。
しかし、この映画を見てきたクラスメートたちは、みんな口々に映画の興奮を語りあっています。
「いやあ、これは観ておくべきだったかな。」
そう思った頃には、もう映画館での公開は終了。
今のように、TSUTAYA や GEO に行けばDVDを借りられる時代ではありません。
結局、この映画を改めてみたのは、だいぶ大人になってから。
おそらく、ビデオを借りて、見たような気がします。
そのせいかどうか、子供の頃の「東宝チャンピオン祭り」で見た、その他のゴジラ映画のような興奮はありませんでした。
確かに、怪獣は勢ぞろいするのですが、どうも、怪獣が多く登場すればいいというものでもなさそうです。
1968年当時は、映画はすでに斜陽。
子供の僕らには、わざわざお小遣いを叩いて映画館に行かなくても、もうすでにテレビで、「ウルトラマン」や「ウルトラセブン」がタダで見られた時代。
おそらく東宝も、これくらいの企画をぶち上げないと、子供たちを映画館に呼べないという危機感があったのでしょう。
小笠原の島に、怪獣たちを集めて管理しているという設定。
スピルバーグの「ジュラシック・パーク」のアイデアは、案外この辺りからきてるかも。
Wiki を調べていたら、この映画は、企画段階では、「怪獣忠臣蔵」というタイトルだったそうです。
なので、地球を侵略しようとする宇宙人の名前が「キラアク星人」。
つまり、悪役・吉良上野介の名前から拝借したとのこと。
映画の主演は、東宝特撮シリーズの常連だった久保明。
でも本格的な主演は、「マタンゴ」とこの映画がくらいじゃないでしょうか。
特撮に予算をとられて、ギャラの高い役者は使えなかったのかも。
それでも、円谷プロのテレビシリーズは欠かさず見ていたので、脇役には知っている顔がゾロゾロ。
これはけっこう楽しめました。
ムーンライトSY-3号に登場する主人公の上官に佐原健二。
この人は「ウルトラQ」の主人公。セスナのパイロット万城目淳です。
怪獣のコントロールセンターの所員には黒部進。
こちらの方は、ご存知、「ウルトラマン」のハヤタ隊員。
それから、本作のヒロイン真鍋杏子を演じた小林夕岐子。
この人も、「ウルトラセブン」で見かけました。
第9話の「アンドロイド0指令」で、宇宙一の頭脳を持つというチブル星人に操られる殺し屋アンドロイド少女「ゼロワン」
普段はマネキン人形で、モロボシ・ダンを命を狙うという役。
これは、けっこう印象に残っていたので覚えていました。
今回、Amazon プライムで久しぶりに見直しましたが、やはり、子供の頃にはわからなかった色々な事情もわかって見直すと、それはそれでいろいろと楽しめましたね。
ただ、ちょっとキングギドラが弱すぎた。
多勢に無勢そのまんまで、登場してきてすぐにやられてしまって、ちょっと「いじめ」にも見えてしまいました。
最後に、「ファイヤードラゴン」という炎の塊みたいな怪物が登場してきましたが、あれはどうでしょうか?
あれなら、ファイヤへードラゴンの下りはなくして、もう少し、キングギドラに華を持たせてあげたかったところです。
2019年6 月 1日 (土曜日)
野菜を作ろう2019 サンチュ
サンチュが絶好調。
師匠のゴーも出ましたので、早速お持ち帰り。
サンチュといえば、焼肉ですが、ベジタリアンに復帰したばかり。
早速、クックパッドを検索して、肉は使わないサンチュ大量消費メニューを検索。
見つけたのが、「サンチュと春雨の和え物」
春雨もちゃんとストックがありましたので、これにトライしました。
サンチュはざっくり一口大。
春雨は、キッチンバサミで5cmくらいにチョキチョキして茹でます。
茹で上がったら、水切りして、サンチュと合わせます。
そして、調味料は、ナンプラー、穀物酢、ごま油、そしてコチジャン。
素材はレシピの分量よりかなり多めにありましたので、味付けの適量は目見当。
レシピでは、これに納豆を混ぜるのですが、納豆はワンパックしかなかったので、ボールを分けて、もう片方は、ツナ缶で和えてみました。
サンチュは、クセがなくて、たいへん料理映えのする青物野菜。
来週いっぱいぐらいの作り置きはできました。
畑の野菜が切れていた冬の間は、食い意地に逆らえずに、いろいろと肉料理にも手を出しておりました。
そうすると、その食生活はじわじわと体重に影響。
ここ最近は、去年の夏の平均体重を、軽く3〜4kg上回っておりました。
充実した老後は健康だけが頼り。
これからは、畑の野菜が順番に旬を迎えていきます。
しっかりと、野菜中心の食生活を立て直して、体重だけでなく、血圧や血糖値も抑えていきたいところ。
これからは、素材もふんだんに収穫を迎えてきますので、料理の腕前もしっかりと向上させてまいりましょう。
2019年5 月30日 (木曜日)
読書「超訳 老子」
老子は、中国春秋時代の哲学者といいますから、紀元前の方。
当時の中国は、文化においても、経済においても、世界のトップリーダーでした。
老子は、道教の始祖として、神格化されている人物。
若い頃は、この方よりも、孔子の著した「論語」の方が馴染みはありましが、先日読んだ荘子と合わせた「老荘思想」に触れてみると、年老いた我が身には、俄然、こちらの方がしっくりきます。
比べてみると、やはり孔子の起こした儒教は、いってみれば、都市の論理という気がします。
都市というのは、人間の理性で作り出した空間。
人の理屈で成り立っている場所です。
従って、如何にして、理性を律し、コントロールしていきながら、人間社会の秩序を守り、理想的なものにしていくかといういくのかというのが中心になる学問。
孔子様は、しっかり学問を修めて、頑張って、立身出世しなさいよとおっしゃるわけです。
そりゃあ、日本の武家社会には、受け入れられるわけです。
いってみれば、儒教は、これから社会に出て活躍していく若者たちの学問といっていい。
確かに、学校の教科書向きです。
それに対して、老子のいうことは、まったくその対局。
無為自然。
自然のあるがまま、運命のあるがままを素直に受け入れなさいとおっしゃる。
要するに、そんなに気張りなさんなという教え。
欲の皮を突っ張っても、決して幸福にはなれませんよという話です。
要するに、儒教とは対局の学問。
聖人というものは、足るを知る。
どれだけの財を成しても、お墓までは持っていけないわけです。
地位も名誉も、自然の営みの中では、取るに足らないもの。
そんなものに振り回されず、必要以上のものは、持たない暮らしをよしとせよという話です。
60歳を超え、これから老いと向き合う身としては、これはやはり共感させられます。
どう逆立ちしても、物質的に恵まれた老後は、送れるような贅沢な身ではありません。
ならば、物質的なものには振り回されず、せめてメンタルの面をしっかりと現実に揃えて、心くらいは豊かでいたいもの。
いつまでも、座りごごちのいい椅子にあぐらかくことなく、都会は、その椅子ごと若者たちに任せて、老人たちは、自然へ帰ろうと老子は言ってますね。
ここ数年間、野菜づくりをしながらひとつ学習したこと。
人間が、ああだこうだ、いじりまくった野菜は、そのまま放置すると最後は腐ります。
けれど、自然のままで手を加えなかった野菜たちは、腐らずに、自然の中で最後は枯れていきます。
希望としては、爺いは爺いらしく、上手に枯れていきたいもの。
でもまだ今はちょっと無理かな。
我が煩悩は残念ながら、健在だなあ。
2019年5 月28日 (火曜日)
映画「ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃」
怪獣オタクでしたので、ゴジラシリーズは、「ゴジラ対ヘドラ」までは、全て見ています。
しかし、「平成ゴジラ」シリーズは、こちらもいい大人になっていましたので、ちょっとついて行けませんでした。
昭和ゴジラも、後半はだんだんと「子供の味方」「正義ヒーロー」路線になってきて、まだ自分は子供であったわけですが、次第につまらなさを感じてきていましたね。
「怪獣大戦争」で、ゴジラが「シェーッ」をするところあたりまでは、喜んで見ていたのですが。
でも、ゴジラは、やはり、凶暴でなければ面白くない。
申し訳ないが、あまり子供人気にはすり寄って欲しくない。
昭和ゴジラ世代としては、ずっとそう思っていました。
この映画の監督、金子修介は、僕よりもちょっと上の世代。
おそらく、昭和ゴジラに胸躍らせた少年の一人だったと思われますが、おそらくその想いは共通していたようです。
本作のゴジラは、その想いにしっかり応えてくれました。
さて、平成ゴジラシリーズ終了後の、第三期はミレニアムシリーズ。
その3作目。
ゴジラ映画としては通算第25作目です。
2001年の作品。平成13年です。
もちろん、この映画は劇場でリアルタイムでは見ていません。
今回、Amazon Prime で、初見。
映画評論家の町山智浩氏が、「WOWOW映画塾」で絶賛していたので、これは見ねばなるまいという気になりました。
金子修介監督は、平成ガメラシリーズの3部作を撮った人。
この方はもともとゴジラが撮りたかったそうなのですが、ガメラ映画で実績とキャリアを積んでから、満を持してのゴジラ映画ということになりました。
町山氏に言わせれば、金子監督が「好きなように、思う存分」撮ったというゴジラ映画。
やはり、ポイントは、ゴジラを原点に戻して、徹底的に、悪の権化にデフォルメしたこと。
なんといっても、この映画のゴジラは、「白目」ですから。
見るからに凶悪そのもの。
愛嬌のかけらもありません。
そして、その設定もすごい。
太平洋戦争で、海に散っていった全ての戦死者の英霊の無念の思いがゴジラを蘇らせたというもの。
我々が命をかけて守った日本のこの堕落ぶりはなんだ。
若者たちの無軌道ぶりはなんだ。
この怨念が、ゴジラに乗り移ったというわけです。
そして、このゴジラに立ち向かう怪獣たち。
こちらは、すべて日本の守護神という設定。
あのキングギドラも、この映画では、ゴジラから大和の国を守る日本神話から蘇った怪獣。
たしかに、キングギドラの頭は、龍や麒麟といった古来の伝説の生物のそれですので、宇宙怪獣と言われるよりも、こちらの設定の方がそのフォルム的にはしっくりきます。
さて、ゴジラ打倒の刺客として、まず登場するのが地底怪獣バラゴン。
僕がこの怪獣を初めて見たのは、1965年の「フランケンシュタイン対地底怪獣バラゴン」
少年真っ盛りの頃に見ましたが、これは好きな作品でした。
最後は、フランケンシュタインに頭上高く差し上げられて、投げ飛ばされていました。
そのバラゴンが、この映画では、日本を守るため、新潟から地底を移動してゴジラに挑みます。
しかし、バラゴンは健闘むなしくあえなく憤死。
頑張ったのに、タイトルには名前も出してもらえず、可哀想でした。
次にゴジラに挑んだのは、南海のインファント島からではなく、鹿児島県の池田湖から出現したモスラ。
商店街から、このモスラを見上げる姉妹が前田愛と前田亜季。
もちろん、ザ・ピーナッツが演じた小人姉妹を意識したキャスティングでしょう。
しかし、実際に姉妹の二人ですが、そのシーンのみの出演で、残念ながら「モスラの唄」は、歌ってくれませんでした。
そして、富士の樹海の氷穴から目覚めたキングギドラ。
バラゴンも含めたこの三体の怪獣は、すべて「護国聖獣」という設定。
つまり、本作ではこちらが正義の味方です。
ここに、自衛隊ならぬ防衛軍も絡んで、四つ巴の大怪獣バトルが展開していきます。
映画のヒロインは、新山千春。
役名は立花由里。
これは、あの「ウルトラQ」で、桜井浩子が演じた女性カメラマン「ユリちゃん」から頂いたかなと思いあたりニヤリ。
冒頭で、宇崎竜童演じる立花准将が説明していますが、この映画は、昭和29年に制作された、第1作目の「ゴジラ」だけを事実として踏まえています。
ですから、その後に作られた、ゴジラ映画の世界は、なかったことになっているという設定。
つまり、ゴジラは凶暴なままです。
民宿のトイレで小便をしている温水洋一は、見上げた瞬間ゴジラに踏み潰され、「ゴジラを殺したら可哀想」なんていっている篠原ともえは、病院の病室にいながら、ゴジラの尻尾の一振り。
とにかく、その殺戮と破壊は容赦ない。
「ネタバレ」するなという方は、まず先に映画をご覧くださいませ。
金子監督なりのこだわりは、随所に散見します。
ゴジラに襲われる焼津の漁協には、あの「第五福竜丸」のポスター。
ゴジラの背ビレが光って、放たれるのは放射能噴射。
遠くの小学校からは、そこにキノコ雲が見えます。
かとうかずこ演じる小学校の先生はおもわず、呟きます。
「原爆?」
ゴジラが、水爆実験の影響で出現した放射能怪獣であることは、周知の事実ですが、これだけ直接的な描写はいままであるようでなかったですね。
ラストでは、帰還した立花准将が、かけよる娘の由里に対してこういいます。
「来るな。残留放射能をまだ計測していない。」
このあたりのリアルさは、昭和ゴジラシリーズにはありませんでした。
「モスラ対ゴジラ」では、ガイガーカウンターが登場していましたが、みんな普段着でした。
ゴジラに破壊された防衛軍の戦闘爆撃機。
爆発する戦闘機という描写は、これまでのゴジラ映画にもありましたが、その残骸が地上に落ちて民家を破壊するなんていうシーンもありました。
これも、いままであるようでなかった描写。
わざわざ、セットを立てて、このシーンのために破壊していましたから、このあたりは、金子監督のこだわりでしょう。
とにかく、今も昔も日本の特撮は、なんといっても着ぐるみが基本。
ミレニアム・シリーズともなれば、昭和時代にはなかったいろいろな特殊技術の進歩はそれなりに感じましたが、やはり一番シビれたのは、精巧に作られたジオラマを、重量感たっぷりにのしのしと歩く怪獣たちの絵面。
これは、僕にとっては、今も昔も変わらない怪獣映画最大の魅力です。
子供の頃から一貫して、夢に出てくる怪獣シーンは、すべてこれでしたね。
僕のような、旧ゴジラ・オタクのみならず、新世代の大人たちの鑑賞にも十分耐えうる作品になるように意識して作られた本作。
なのに、なのにですよ。
惜しむらくは、公開当時の併映作品が「とっとこハム太郎 ハムハムランド大冒険」
うーん。
これはなんとかならなかったか。
ね
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