映画「デトロイト」
「BLACK LIVES MATTER」という運動があります。
「黒人の命も大切」というようなニュアンスでしょうか。
アメリカの国家的課題である、人種差別問題。
これは、アメリカの歴史とともに、長く暗く横たわっている問題です。
この問題は、やはり単一民族国家の日本人には、感覚として理解できないところも正直あります。
日本にもある部落差別などとは、少々異質の問題でしよう。
つい先日も、あの普及の名作「風と共に去りぬ」の動画配信が、人種差別的作品であるとして停止されたというニュースがありました。
きっかけとなったのは、ミシガン州のミネアポリスで、起こった事件。
黒人のジョージ・フロイド氏を、警官が膝で首を押さえつけるという不適切な拘束方法で死亡させたという事件です。
その現場の状況は、複数のスマホで撮影され、ネット上に拡散されました。
これをきっかけに、ミネソタ州では暴動が発生。
抗議の輪は、世界中に広がり、これには黒人だけでなく多くの白人たちも参加しました。
アメリカでは、白人警官による黒人への暴行事件が、大変多いと聞きます。
アメリカにおける黒人の人口比率は、1割とちょっと。
その黒人たちが、白人警官によって殺される件数は、年間およそ300件だそうです。
警官たちは、その理由について、正当防衛をあげることが多いのだそうですが、実際に殺された黒人の武器保持率は30%ほど。
多くの黒人は、丸腰の状態で殺されているわけです。
驚くべきは、その警官たちの有罪率。
これが、なんと1%。
黒人を殺した、多くの警官は無罪になっているというわけです。
どうしてそんなことになってしまうのか。
この問題の根っこにあるのは、やはり陪審員制度。
黒人を殺した警察官を裁く陪審員が、全員白人なんてことは今までもザラにあったそうです。
というのも、白人警官を弁護する弁護士側には、陪審員の選択に「ノー」をいう権利があるというのには驚きです。
つまり、弁護側は、陪審員の中に、黒人がいなくなるまで、拒否し続けることができたわけ。
それに、大陪審という制度もあります。
これは、一般市民から選ばれた人が、事件を起訴するか、不起訴にするか決めるという制度。
日本では、検事の仕事ですね。
これに、白人が多く参加していたら、どうなるか。
黒川検事長裁きが横行するのは、当然。
殺された黒人被害者の遺族は、涙を飲むしかない。
アメリカ人のみんなが、「十二人の怒れる男」のヘンリー・フォンダではないわけです。
こんな事実もあります。
正当防衛を主張したい警官の方は、常に複数のナイフを携帯していたりするそうです。
なんのためか。
実は、そのナイフを、現場で相手に持たせるように煽り、持ったら即座に射殺する。
こんなことが、アメリカでは頻繁に行われていたようです。
アメリカ全体の凶悪犯罪は、我が国に比べれば、まだまだ多いのは事実。
銃の乱射事件などは、まだまだ後を立ちません。
しかし、実はその件数は少しずつではありますが、確実に減って来ているのだそうです。
ところが、全体では犯罪件数は減っていても、実数が減らないのが、白人警官による黒人殺害事件。
この辺りに、アメリカにおける、この問題の根深さがあります。
例え、どんなに証言があってたとしても、白人警官の暴挙を、裁判では認められずに、不条理を噛み締めていた黒人たち。
しかし、時代は変わっています。
ジョージ・フロイド氏の事件も、当初警察側は、「逮捕にあたって、物理的な抵抗をしたから」と主張していましたが、ところがどっこい、今回は複数の目撃者がスマホで動画を撮影していました。
そして、そのカメラの眼の前で、「息ができない」と言いながら、動かなくなっていくフロイド氏の映像が、あっという間に世界を駆け巡ります。
彼が動かなくなっても、膝をあげようとはしなかった警官の姿は、克明に映像に残りました。
戦争を経験していない多くの人々にとっては、おそらく初めてリアルで見る「人が死んでいく」映像だったのではないでしょうか。
これ以上の、動かぬ証拠しありません。
これがあっては、もはやどれだけ有能な弁護士も、白人警官を無罪にすることは不可能。
人種差別問題は、新たなフェーズに入ったということでしょう。
この事件に携わった現場にいた四人の警官は、全員懲戒免職になったそうです。
はたして、それで済むのかという問題はありますが・・
さて、人種差別問題を扱った数ある名作の中で、僕が一番心に残っているのは、1962年に作られた「アラバマ物語」。
絵に描いたような勧善懲悪が難しいこのジャンルの映画の中にあって、この映画は実に見事でした。
多民族国家のアメリカで、本来あるべき正義の姿をきちんと描いていました。
弁護士を演じたグレゴリー・ペックは、一世一代の名演技。
「ローマの休日」の彼よりは、深く印象に残っています。
それ以外の映画だと、「ミシシッピー・バーニング」や、「夜の大捜査線」なども見ていますが、かなり重々しいエンディングでしたね。
人種差別という問題を正面から扱ったら、さすがなハッピーエンドは難しいでしょう
さて今回、Amazonプライムで見つけたこの映画はどうであったか。
「デトロイト」は、2017年のアメリカ作品。
新しい映画を見る時には、なんの情報も持たずに、出来る限り「真っ白な状態で鑑賞する」ということを意識しています。
やはり、今回のジョージ・フロイド氏の事件があったことことだけは踏まえた上で、この映画を鑑賞しました。
舞台は、タイトルにもなっているミシガン州のデトロイト。
五大湖の一つエリー湖の辺りにある、かつては自動車産業で栄えた町です。
時代設定は、1967年。
キング牧師が暗殺される前年の話です。
この年に、デトロイトで実際に起きた事件が、デトロイト暴動。
映画の冒頭では、この暴動の様子が描かれます。
そんな騒動の中、とあるモーテルに集まっていた黒人の若者の一人が、面白がって、警官隊たちに向かって、スターターピストル(ヨーイドンの音だけの鉄砲)を発砲。
いたずら心で慌てさせようとしますが、警官隊は即座に、モーテルを特定、突入していって中にいた黒人客たちを確保します。
そして、全員を壁に向かって並ばせ、殴る蹴る、もしくは銃で威嚇したりの暴行を加え、発砲したものと、使った銃の所在を吐かせようとします。
そんな中で、三人の黒人男性が射殺され、遺体の脇にはナイフが置かれ・・
女性は裸にされ・・
映画は、このモーテルで起こったことを、たっぷりと克明に映像化していきます。
さて、暴動の中、黒人を射殺した、この警官たちはいったいどうなるのか。
後半は、一転してこの事件裁判する法廷シーンになっていきます。
さて、アメリカの正義はどう描かれるか。
しかしながら、結末はやはり、警官たちは全員「ノット・ギルティ」
アメリカの現実をそのまま描いて幕を閉じます。
「ううん、このラストでは、まるでノンフィクション。
脚本家も芸がない。映画なんだから、もう少し、正義を前面に出せば良かったのでは。」
正直申して、ちょっと、そんなことを思ってしまいましたね。
ところが、ラストを見てビックリ。
この映画の登場人物たちの、実際の画像と、その後の経緯が次々に紹介されるんですね。
なんと、これは実話でした。
このモーテルの出来事と、その後の裁判は、実際にデトロイトで起きた「アルジェ・モーテル事件」のこと。
女性監督であるキャスリン・ビグローの演出の目的は、まさにアルジェ・モーテルで実際に起こったことを、出来る限り忠実に再現することでした。
映画が作られた2017年という年は、ちょうどデトロイト暴動が起こってから50年目にあたる節目の年。
まだ、この事件の当事者たちの多くは存命しています。
現場で起こっていた出来事の詳細を、彼らにリサーチしながら作られた脚本。
一言では語れない、一人の人間の中にある、善と悪、そして強いところ弱いところ。
この複雑さは、現場を知るものたちの証言があるが故に、見事に描かれていました。
これは、映画的フィクションを排して、事実を詳細に再現しようという目的があればこそ。
こういうことなら、脚本に映画的オチがなくても責められるものではありません。
「アラバマ物語」は、フィクションでした。
しかし、この映画で、もしそれをしたら、たとえ映画とは言え、事実を歪めることになります。
あったことを、そのまま事実として映画にする。
足し算も、引き算もしない。
実際存命の方もいらっしゃるので、権利の関係から、変更せざるを得ない設定も多少はあったようです。
しかし、事実に徹したからこそ、この作品の重みがあるということは間違いなし。
僕の持った感想自体が、少々オカド違いだったようです。
映画に、印象的なシーンがありました。
現場に応援に来た警官隊の隊長が、現場の状況を聞いて応援を拒否します。
隊長のセリフ。
「悪いが、人権の絡む問題に、関わりたくない。」
デトロイトといえば、モータウンの地元。
この映画に登場する、ザ・ドラマチックスも実在のソウル・グループです。
ポップで洒落たモータウン・サウンドですが、やはりその裏は、人種差別の複雑な問題が潜んでいる。
そう思って聴くと、また味わいも違ってきます。
ソウル・ミュージックの発祥の地がデトロイト。
デトロイトの商店の店先には、決まってかかっている看板があります。
映画にも出てきました。
それは、黒人経営者だけではなく、多くの白人経営者の店先にも多数。
この看板を掲げていると、暴動が起きても、そのターゲットになりにくいのだそうです。
その看板に書かれている言葉は、「SOUL BROTHER」
「私の店は、黒人と同胞。我々は兄弟。」
ソウル・ミュージックの名前はここから広がっていくことになるのですが、彼らのレコードを買った多くが白人であったことを考えると、やはり複雑です。
自動車産業で栄えたこの街は、大手自動車メーカーに去られた後で衰退し、今ではもう、みるも無残にゴースト・タウン化しています。
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