すいません。見栄を張ってしまいました。
「おじさんは、こんな本も読んでいるんだぞ。」
ただそれがいいたいがために、本書の電子書籍版を購入。
理解は出来なくても、読むことなら出来るぞというわけです。
本書の元ネタになっているのは、YouTube番組「ReHac-リハック」が、カリフォルニア大学バークレー校の教授野村泰紀氏を講師に迎えて収録した「ビジネスマンのための物理学入門」4回シリーズです。
それぞれ90分程度の講義内容は以下の通り。
第一回 古典物理学
第二回 相対性理論
第三回 量子力学
第四回 宇宙
ガリレオ・ガリレイから始まり、最新素粒子理論に至るまでの、500年にわたる物理学発展の歴史をたった4回の授業ですべて網羅するというムチャブリ企画の物理学概論的番組ではありましたが、これが意外にも楽しめました。
もちろん、数式などが出てくると、理系オンチの頭脳回路はたちまちパニックをきたすのですが、それでも、「ああ、そういうことだったのか」と、還暦を超えて初めて合点がいったという物理学上の既存事実もチラホラあり、この動画は、これまでにも何度となく繰り返し視聴してきた動画ではありました。
本書はその動画の内容を、「文字お越し」したものがベースになっているということなので、動画を見ているものなら多少は理解できるのではないかと思った次第。
本書は、見方を変えれば、購入した本に、著者自身による解説動画が聞けるプレミアム・サービス付きということになります。
最近は、著者による解説動画というプレミア付きの本が、通常販売価格よりも高額で販売されるというケースもありますので、その解説動画が無料で見られるれる本書は、ある意味で格安であるともいえます。
なにはともあれ、とにかく野村教授の動画での話っぷりはとても魅力的でした。
「物理学は、実はこんなに面白い」というパッションが終始出まくっていて、僕のような物理オンチの首根っこをつかまえて、深淵な物理沼に引きずり込もうという気概に溢れていました。
熱を帯びてくると、その眉毛の吊り上がり方が半端じゃないわけです。
超一流のキャリアをお持ちの方なのに、そこいらにいるオッサン・オーラが終始にじみ出ていて、まったく偉そうじゃないのがこの先生の最大の魅力。
野村氏は、ご本人が言うところの「知名度アゲアゲ作戦」を最近始められたようで、SNSでの発信はもとより、物理系YouTuber とのコラボ動画にも多く出演されています。
そんなこちらの視聴傾向を学習した僕のスマホでは、野村氏の登場するYouTube番組がアップされれば優先的に紹介してくれるようなアルゴリズムになっているので、柄にもなく、物理系番組を見る機会も増えているというわけです。
そうなれば、最新物理学の知見が、理解できる出来ないとは関係なく、自然に頭に刷り込まれていていくという感覚はありましたね。
F=ma やE=mc2 は理解できなくても、アッカンベーをしたアインシュタインの顔や、シュレディンガーの猫のイラストは、普通に脳裏に刻まれていくわけです。
この動画シリーズに感化されて、野村教授の前著「なぜ宇宙は存在するのか」も拝読し、僭越ながら読書レビューも挙げさせてもらっています。
これを再読してみましたが、実は大いに反省しております。
物理オンチのコンプレックスが、爆発してるんですね。
最近は、AI という強力なパートナーを得たことをいいことに、ろくに理解をしていないにもかかわらず、さもわかったようなふりをして、偉そうなことを書きまくっています。
赤面羞恥。
恥の上塗りをしないように、今回はAI に頼らない原寸大の読書レビューをお届けすることにいたします。
まず、天動説が常識だった時代に、星の軌道を具に観察した結果、動いているのは地面の方だと訴え、近代物理学の扉を開いた16世紀の物理学の巨人たちには敬意を表するべきでしょう。
これが古典物理学のスタートです。
ガリレオ、コペルニクス、ケプラーたちは、近代科学を「神の手」から解き放った功労者として、重要な貢献をしてくれています。
地動説は、いまや小学生でも知っている科学の常識ですが、あの宗教の権威が絶大だった時代に、科学の目のみでこれを導いた功績は大きいと言わざるを得ません。
そして、この先達たちが命がけで導いた理論をもとに、古典物理を完成させた天才が、アイザック・ニュートンでした。
彼が導き出した古典物理学における運動法則は三つ。
慣性の法則。運動の法則。作用反作用の法則。
そして、ニュートンといえば、何といっても万有引力の法則です。
この画期的な法則は、地球を飛び出して、宇宙空間でも成立する超優れものでした。
ニュートンの功績により、もはや物理学は、学問として完成したかに見えました。
F(力)さえわかれば、この世のすべての運動は予測可能と沸き立ったのが、19世紀も終わりの頃。
しかし、このニュートン力学に対して、ノーを突きつけてきたのが光の速さでした。
光速を厳密に計測できる技術が発達してくると、光の奇妙な性質がクローズアップされてきたわけです。
なんと、光速はどのような慣性系であっても、その速度が一定というこの事実。
つまり高速で移動している人から見ても、止まっている人から見ても、光の速度だけは変わらないというわけです。
ニュートン力学においては、速度は観測者の運動状態に依存するというのが基本でした。
この矛盾を解決したのが、アルベルト・アインシュタインでした。
1905年に彼が発表した特殊相対性理論は、光の速度がどんな運動状態でも一定なら、伸縮しているのは時間と空間の方だろうといったわけです。
この発想の転換は、地動説にも通じるエポック・メイキングなものでした。
そして、アンシュタインは、ここから10年をかけて「特殊相対性理論」に重力の要素を加えた「一般相対性理論」を完成させます。
重力の正体は、質量をもった物質が引き起こす空間の歪であると説明したわけです。
彼のアイデアは、ある意味でとても直感的でした。
しかし、一般相対性理論の方程式の帰結として、アインシュタイン自身にも信じがたい事実が導かれます。
それは、一般相対性理論が正しければ、宇宙は「静」の状態にはない。
膨張するか、収縮するかのどちらかの状態にあるはず。つまり動いているというわけです。
これを受け入れられなかったアインシュタインは、自らの方程式に宇宙項を加えて、人為的に宇宙を「静」の状態にしてしまったんですね。
アインシュタインほどの天才でも、直感的に受け入れられない事実は存在したというわけです。
しかし、これにはとんでもないオチがついていました。
なんと、一般相対性理論が発表されてから14年後の1929年に、アメリカの天文学者がエドウィン・ハッブルが、宇宙背景放射の観測から、実際に宇宙が加速膨張しているという事実を明らかにしたんですね。
アインシュタインは、これを受けて、自分の方程式から宇宙項をはずし、「我が人生最大のミステイク」と述べています。
そしてこの発見をもとに、導かれたのがビックバン宇宙論です。
今現在宇宙が膨張しているのなら、反対に時間を遡れば、最初の宇宙は小さな点だったはずというわけです。
超巨大な宇宙スケールを語るとき、一般相対性理論は、強力なツールとなりました。
さて、ここで時間を少々巻き戻します。
ニュートン力学は、運動の法則だけではなく、電磁気にも及んでいました。
この分野で貢献したのは電磁誘導を発見したファラデーでしたが、最終的に電磁気学として理論をまとめ上げたのはマックスウェル。
そして、その理論の帰結として導かれたのが、光の正体は実は電磁波であるという事実でした。
電磁波には、短いものから長いものまで、様々な波長が存在します。
その波長の中の、目に見える部分が光の正体というわけです。
可視光のなかで一番波長が短い部分は紫色に見えます。
ですから、ここよりも波長が短くなる部分を紫外線と呼ぶわけです。
紫外線が目や肌にダメージを与えるのは周知の事実。
電磁波の波長が短くなればなるほど、人間には深刻な影響を与えます。
紫外線よりもさらに短くなったものをX線といいますが、これはレントゲン写真を撮るには有効ですが、長く当たっているとDNAが損傷を受け、ガンのリスクも高まります。
さらに短くなると、これはγ線となり、ここから先は放射能ということになります。
逆に、波長が長くなっていくと、人体への影響はなくなります。
可視光の中で、一番波長が長い部分は赤色です。
ですから、ここより波長が長くなる部分は赤外線ということになります。
波長の長い赤外線は、人体への影響はありませんが、空気を振動させますので、温度を上げるという作用をします。
この性質を利用したのが、電子レンジです。
そして、さらに波長が長くなると、周囲に対して物理的な影響はほぼない無害な電波になりますので、これはリモコンなどに使用されるわけです。
このように、放射能から可視光線を経て、リモコンの電波にいたるまで、そのすべての波の正体は、実は電磁波であったというわけです。
ここは、実はかなり眼から鱗でしたので、個人的には、新しい物理学の知見として、今回しっかりと脳にインプットされました。(こんなの絶対に中学高校の理科の授業で習った記憶なし)
さて、ところがです。
光の正体が電磁波、つまり波だとすると、どうしても説明できない現象がありました。
それが光電効果です。
これは、光が物質に当たると電子が放出されるという現象です。
光が波であるとすると、この現象は絶対に有り得ません。なぜそうなるのか。
ここで登場したのが、またしてもアインシュタインでした。
彼はこの現象を説明するのに、光は波であると同時に、粒子(光子)としても振る舞うことを示しました。
光は、波の性質と粒子の性質という相反する性質を、両方とも併せ持つというわけです。
この光電効果の論文は、1900年にマックス・プランクによって産声を上げた量子仮説を、決定的に後押ししました。量子力学はこの学説により、一気に物理学のメジャーに躍り出ます。
実はアインシュタインが、ノーベル賞を授与されたのは、特殊相対性理論ではなく、光電効果の功績によるものでした。
当時の物理学者たちは、ミクロの世界においては、ニュートンの法則は、まったくといっていいほど通用しないという現実を突きつけられたわけです。
ここで量子仮説の誕生について少々。
マックス・プランクは製鉄業界からの要請により、黒体放射のスペクトルを説明するために、エネルギーが量子化されているという仮説を提唱しました。
この仮説は、エネルギーが連続的ではなく、特定の量子(プランクの定数)の倍数でしか存在しないという事実を明らかにしたものです。
量子とはつまり「とびとび粒子」だというのが量子論のスタートになりました。
ここで、さらにもう一度時間を巻き戻します。
時代は17世紀。イギリスから始まった産業革命は、次第に世界中に広まっていきます。
この産業革命を背景に、世の中から熱いまなざしを受けるようになったのが熱力学です。
ニコラ・カルノーが「カルノーサイクル」の概念を提唱し、効率的な熱機関の理論を確立。
ジュールが、エネルギー保存の法則(熱力学の第1法則)を確立。
ケルビン卿が、エントロピーの概念と熱力学の第2法則を提唱。
さあここで、三度アインシュタインの登場です。
アインシュタインは、エネルギーと質量が等価であるという有名な式 E=mc2 を導き出します。
いわゆる質量とエネルギーの等価性です。
この式は、エネルギーの大きさと質量の関係を示しています。
さらに、「特殊相対性理論」「光電効果」「質量とエネルギーの等価性」が発表されたのと同じ1905年に発表されたアインシュタインによる理論「ブラウン運動理論」は、統計力学の基礎を築きました。
統計力学は、熱力学の背後にある原子や分子のミクロスケールの動きを通じて、マクロな性質を理解しようとします。
つまり、現代物理の柱となる一般相対性理論、量子力学、統計力学のすべての分野で、その発展の元になる決定的な理論を発表したアインシュタインは、物理学の歴史においては、特筆すべき天才中の天才といっても過言ではないでしょう。
しかし、自分が切り開いた分野にもかかわらず、アインシュタインが生涯首を縦に振らなかったのが、その後に物理学の一大ムーヴメントになっていった量子力学です。
量子力学が解き明かす自然界の姿は、あまりに難解で不可思議でした。
その一つが「量子もつれ」です。
二つ以上の粒子が強く相互作用し、一度絡み合うと、どんなに離れていても一方の状態が他方に即座に影響を与えることです。
アインシュタインはこれを「不可解な遠隔作用」と呼びました。
「量子の重ね合わせ」現象も、我々の直観的イメージとはかけ離れた現象でした。
これは、量子はたとえ一粒であっても、複数の状態で同時に確率的に存在するという性質です。
例えば、シュレディンガーの猫の思考実験では、猫が生きている状態と死んでいる状態が同時に存在するという奇妙な状況を説明しています。
量子の存在は確率でしか表せないとするボーアたち量子物理学者を中心としたコペンハーゲン解釈に、アインシュタインは「神はサイコロをふらない」とし、「量子力学は未だ完成に至っていない」と最後まで抵抗しました。
ハイゼンベルクが量子論の論理的帰結として導き出した不確定性原理も不可解なものでした。
この原理によれば、粒子の位置と運動量を同時に正確に知ることはないということになります。
測定によって一方の精度が高まると、同時に他方の精度が低下し、双方が同時に確定することは不可能というのが量子の性質なわけです。
さらにもう一つ難解なのは、「量子のトンネル効果」です。
これは、 粒子が障壁を超えるために必要なエネルギーを持たなくても、あたかも障壁をすり抜けるように移動する現象です。もちろんその確率は、かなり低いことは事実ですが、少なくともゼロではないということですね。
これは、クラシックな物理学では説明できない現象です。
なぜそうそうなるのかは誰にも説明できませんが、これは実際に起こる現象として、半導体などの精密電流制御の技術に応用されています。
量子論に対峙してきた物理学者たちは、これらの不可思議な現象に対して、ある時期から理解することを放棄し始めます。
突きつけられた事実に対して、もはや「どうして」を考えても意味がないというわけです。
現実に精度の高い検証を繰り返しても確実に起こることがわかっているなら、それは、事実がそういうものとして理解するしかない。
導かれた方程式を解けば、常に確実な解を算出する以上、「どうして」を考える必要はない。
それは、その客観的事実に対して、人間の方に、それを直感的に理解するセンスがないだけのこと。
自然界が、実際にそれで回っている以上、四の五の言わずにそれを受け入れるしかないというわけです。
ニュートン力学が完成した頃、物理学にはもはやこの理論の応用しか残っていないと多くの学者が口をそろえていました。
ところがどっこい。自然界の真の姿は、ニュートン力学では、まったく説明のつかない摩訶不思議な世界だったわけです。
ではアインシュタインの相対性原理は、量子論とはまったく相容れない原理なのか。
特殊相対性原理にも、一般相対性原理にも、量子論の原理は一切内包されていません。
しかし、量子論がミクロの世界を扱った原理であるのに対して、相対性原理が扱うのは扱うのは、宇宙レベルのマクロの世界です。
スケール感がまるで違うために、それぞれの原理は、それぞれのスケールでは、お互い干渉することなく独立して効いています。
それで、今のところ問題がないのは事実です。
しかし、ミクロの世界とマクロの世界は、それぞれ独自に存在しているわけではありません。
スケールは連続的に繋がっているわけで、その境界線はシームレスです。
だとすれば、この二つの理論を統一する理論が存在しなければいけないということに、多くの物理学者たちは気づき始めました。
そして、まずは特殊相対性理論と、量子論を統合する統一理論がまもなく出来上がります。
これが「場の量子論」です。
場の量子論では、粒子は場の起伏状態と見なされます。
粒子の生成や消滅を説明できるだけでなく、粒子同士の相互作用を詳細に記述することができます。
(理解できるのはここまで)
さあ残るは、一般相対性理論と量子論の統一理論だということになるわけですが、これがなかなか一筋縄にはいきませんでした。
場の量子論が完成してからすでに100年以上の年月が経っているわけですが、いまだに物理学者たちの頭を悩ませ続けているのが、「量子重力論」の完成です。
しかし、決して前に進んでいないわけではなく、この分野の研究から、素粒子物理学が生まれ、この分野から最新の物理学の知見が続々生まれています。
様々な学者が知恵を振り絞った結果、野村教授の言葉を借りれば、「まるで針の穴を通す」ように、量子重力論が矛盾なく説明できる理論が登場します。
それが「ひも理論」「超弦理論」と呼ばれるものです。
つまり、物質の元となる素粒子は、一個の点ではなく、一本の線になっているというわけです。
素粒子の粒の一つ一つは、弦の振動で表せるというわけです。
どうして、点が線になると、すべてのことか解決するのかは、到底僕には理解できませんが、この理論には、意図したわけではないのに、最初からマルチバースの概念が含まれていることが分かってきました。
但し、この理論が成立するには、超弦理論は9次元の空間を要求してくるという高いハードルがあります。
はたして、この余剰次元問題をクリアして、超弦理論を、人類が待ちに待った量子重力論の統一理論として完成させることが出来るか。
これが完成すれば、宇宙の始まりの謎も、ブラックホールの謎も明らかにされるというわけです。
もちろん「重力はなぜ存在するのか」という、本書のタイトルにもなっている謎も解き明かされることになります。
物理学には、まだまだ分からないことがたくさんあります。
これは、すべてが理解されているという状況よりも、個人的には魅力的です。
これから、すべての真相が明らかにされるミステリー小説を読んでいる感じですね。
物理学500年の歴史を振り返ると、人間がその五感を通じて頭の中で発想した理論が、実験や観測の精度が上がることによって、覆ったり、より深堀されたりの連続でした。
そんな歴史の中で、人間が永遠不変の真理にたどり着いたものもあれば、いまだ格闘中のものもあります。
例えば、ダークマターがそうですね。
ダークマターの存在は、観測結果がそれを示唆しています。
ある銀河の外側部分の恒星が予想よりも速く回転していることが観測により確かめられています。
これは、観測できる物質の重力だけでは到底説明できません。
そこには、巨大な重力を持つ「暗黒物質」が存在していて、その重力が効いていないと説明できない現象です。
そして、ダーク・エネルギーという、人間にとっては未知のエネルギーが存在することもわかってきました。
その正体がなんであるかは、もちろんわかっていません。
しかし、その未知のエネルギーの存在がないと、宇宙が加速膨張をしているという事実の説明つかないというわけです。
エネルギー・ベースで計算した場合、全宇宙でダーク・エネルギーの占める割合はおよそ70%。
そして、前述のダーク・マターの占める割合はおよそ25%。
つまり人間が観測によって把握している宇宙は、全体の約5%にしか過ぎないという結論です。
人間にとって、全宇宙の実に95%は、未知のもので満たされているというわけです。
たかだか人間ごときが、深淵なる大宇宙の法則を理解しようなどとは、おこがましいのではないかという気にもなります。
しかし、そうはいっても、一体全体自然界はどういう理屈で動いているんだという好奇心は尽きることがありません。
もちろん、僕のような凡人には天才たちがやがてたどり着くであろう未解決の論理を、後追いして理解するしか出来ませんが、はたして、僕が生きている間に、この壮大なミステリー小説は完結されるのか。
たとえ、たどりついたとしても、そこにはあらたな難問が大きな口を開けて待っているのかもしれません。
ミステリーは、解決しない方が、面白さが続くものなのかも。
本書を読み、元ネタとなる「ReHac-リハック」の動画を何度となく見ることで、とりあえずはこの程度は語れるくらいの蘊蓄はゲットさせてもらいました。
僕は酒は飲めませんが、飲み会に呼ばれることはあるので、このネタは小出しに使わせてもらうことにします。
あまり眉を吊り上げて力説すると嫌われそうですが。