ちょっと映画を見たくなったなという時に、チョイスする作品は、なぜか新作映画よりもクラシック映画に偏るのは、自分が歳をとったからでしょうか。
しかし、クラシック映画とはいっても、自分の細やかな映画リテラシーに、まるで引っかかってこない映画であれば、これはもはや僕にとっては新作映画に等しいわけです。
Amazonプライムには、そんな映画史の片隅に追いやられたような無名なクラシック映画を、無料で紹介する特定枠があるようで、これは僕のようなクラシック映画好きなニッチな映画ファンをかなり刺激してくれます。
温故知新。今の時点から改めて鑑賞すれば、古い映画にもそれなりの楽しみはあるもの。
そんなわけで今回は、終戦直後に作られた、フランス製のフィルム・ノワールを鑑賞してみました。
本作は1947年にフランスで公開された作品です。
主演はルイ・ジューヴェ、スザンヌ・デレア、シモーヌ・ルモン、ベルナール・ブリエ。
残念ながら、知っている俳優は1人もいませんでした。
但し、ルイ・ジューヴェだけは、学生の頃の愛読書であった和田誠氏の「お楽しみはこれからだ」の中で、氏のイラストとともに、かすかに記憶の片隅にあったのみ。
しかし、フランス版のwiki によれば、第二次世界大戦後のフランス映画界では高く評価され、1947年のヴェネツィア国際映画祭で国際賞を受賞しているとの事。
映画の先進国であるフランスでは、本作は、複雑な人間関係と緊張感あふれるストーリーが評価され、現在でもクラシックとして広く愛されているようです。
この映画が制作された1940年代後半、フランスは第二次世界大戦からの復興期にあり、社会には不安と厳しい現実が残っていました。
映画の背景にも、そうしたフランスの闇と光が映し出されており、クルーゾー監督が、戦争の影響や人々の葛藤を描くことで、戦後のフランス社会の内面に深く切り込んでいます。
この映画は、当時のフランス社会における道徳や価値観の変化を背景にしながら、陰鬱で複雑な人間模様を丁寧に描き出しています。
映画を見る限り、当時のフランスの庶民は、基本的に警察を嫌悪しており、捜査には協力的ではありません。
そのくせ、何か起これば、あんたたちは警察を頼ると、ルイ・ジューヴェ演じる警部は苦々しく吐き捨てています。
出演俳優に知っている名前はありませんでしたが、この監督の名前だけは知っていました。脚本も担当しています。
フランスのアルフレッド・ヒッチコックと言われた名監督。
その名はアンリ=ジョルジュ・クルーゾー。
彼はサスペンスと心理劇を得意とする名監督で、『悪魔のような女』や『恐怖の報酬』といった作品でその評価を確立しました。
もちろん両作品とも見ていますが、共に超一級の娯楽映画です。
この二作品は、映画史の中でも一定の評価を得ている作品として、ともにリスペクトを込めて後にリメイクされています。
本作はそれ以前に作られている同監督の長編映画第三作目。
この作品においてクルーゾー監督は、殺人事件に振り回される人間の内面を丹念に描写し、フランス映画界における彼の地位を不動のものとしました。
特筆すべきは、やはり主演のルイ・ジューヴェ。
彼のキャラクター造形が、物語にリリシズムを与えています。
「刑事コロンボ」「古畑任三郎」よろしく、事件の概要が出揃ったところでの登場になりますが、その存在感は圧倒的です。
この人は、舞台俳優としての確固たる実績があり、彼の存在感は本作のリアリズムとドラマ性を高めています。
シュゾット・モーリスやベルナール・ブリエもまた、当時のフランス映画を支えた名優であり、何も知らないのは、今の映画ファンたちだけで、当時はそれなりに注目された映画であったわけです。
物語は、音楽ホールの歌手であるジェニーが、ある殺人事件の容疑をかけられるところから始まります。
彼女の夫であり、気弱で嫉妬深い音楽家モーリス、2人の友人である写真家のドラ。
そして刑事アントワーヌ・モランの四人の関係が、事件を通して複雑に絡み合っていきます。
ジェニーはドラに「私が殺した」と映画前半で告白しているので、形式としては倒叙ものと分類されそうですが、映画は最後に意外な展開を・・・・
舞台となる薄暗い警察署や劇場の裏側は、映画全体に重苦しい雰囲気を作り出し、終戦直後のフランスの空気感を表現していそうです。
しかし、個人的な感想を言わせてもらえば、クルーゾー監督が、主演女優に魅力的な俳優を起用しなかったのは悔やまれるところ。
やはり、女優は映画の華です。
そう思いながら、映画の資料をAIで検索してもらったところ、主役のスザンヌ・デレアは、当時の監督の恋人であったと言う事ですから、これは致し方ないかもしれません。まあ恋は盲目と言いますから。
ちなみに、後に監督の妻となったヴェラ・クルーゾーは、個人的には好きな女優でしたね。
公開当時、この映画は観客や批評家から熱烈に支持され、クルーゾーの傑作として称賛されたそうです。
ヴェネツィア国際映画祭で国際賞を受賞したのは前述の通り。
クルーゾーの冷徹で緻密な演出が、ヒッチコックにも匹敵するサスペンスの巨匠としての評価を与えています。
クルーゾー監督の演出が、ヒッチコックを嫉妬させたと言うのは有名な話。
本作は現在でも、フィルム・ノワールの代表作として評価は高く、映画ファンにとっては必見の作品とされています。
アメリカではこの映画が見直されて、2002年に限定上映されています。
未見でニッチなクラシック映画の中にも、まだまだこんな面白い作品が埋もれているとわかると、なんだか楽しくなります。
ところで、個人的に妙に引っかかった点をひとつ。
殺人を疑われる夫婦の友人ドラです。
彼女は、殺人罪で警察から疑われる2人を必死に守ろうとします。
殺人現場に行って、証拠隠滅まで図ろうとするわけです。
気になったのは、彼女がそこまでする動機です。
映画の中では、さりげなくジェニーに対して「あなたが好きだから」と言っているのですが、これが妙に引っかかりました。これってもしかして・・・
そう思って注意していると、ジェニーの夫に対しても、ドラはゆったりと、タバコをふかしながら意味深にこんなこと言っています。「私って普通じゃないから。」
クルーゾー監督が、確信犯的に、本作にLGBTQを仕込んでいたとすると、この時代を考えれば、本作はかなり先駆的作品であった可能性が高いですね。
そうであれば、まさにフランス映画の面目躍如でしょう。