『三つ数えろ』(The Big Sleep)は、1946年に公開されたアメリカのフィルム・ノワールの傑作です。
監督はハワード・ホークス。
原作はレイモンド・チャンドラーで、主演はハンフリー・ボガートとローレン・バコール。
私立探偵フィリップ・マーロウ(ボガート)が富豪スターンウッドから依頼を受け、彼の娘カルメンが巻き込まれた脅迫事件を調査するところから物語は始まります。
マーロウが富豪宅を訪れると、のっけから登場し、マーロウにしなだれかかるカルメンは、いかにも危なげなお嬢様。
そして彼女の姉ビビアンに扮するのが、怪しげな謎の女モード全開のローレン・バコールです。
マーロウの調査で、まず浮かび上がったのが、古書店主のガイガー。
この男は裏社会に関与する人物であり、賭博や脅迫に絡んだ犯罪の陰で暗躍しています。
マーロウが彼の家までたどり着くと、中から突然鳴り響いたのは銃声と女の悲鳴。
中から飛び出してきた男たちが車で走り去ると、マーロウは家に飛び込みます。
するとそこには、銃殺されたガイガーの死体と、酩酊状態のカルメンの姿が。
カルメンは、支離滅裂なことを口走るだけで、とてもそこで何が起きたかを説明できる状態ではありません。
マーロウは、すぐにセットアップされていたカメラを発見します。
しかし、その中のフィルムは抜き取られていました。
フィルムには何が写っていたのか? ガイガーを殺して、逃げて行ったのは誰なのか?
マーロウはカルメンを保護すると、警察が来る前に、スターンウッド家に送り届けます。
この現場で何が起こっていたのかが、映画のラストで解明されることになるのですが、とにかく、そこに至るまでの人間関係がまあ複雑なこと。
よくぞ、これだけのプロットを、2時間弱の映画の中に詰め込んだなあと、まずは感心しました。
映画館で集中して見ていれば追える気もしますが、Amazonプライムだと思って油断していると、すぐにスピーディなハワード・ホークスの演出に置いて行かれます。
恥ずかしながら、わからなくなってくると何度か途中で戻って、見返してしまいました。
今は便利な時代になって、映画を見終わってから、ストーリー展開が理解できなければ、すぐにWikipediaであらすじをチェックできます。
これくらいの有名映画ならなおさらですが、本作に関しては、その「あらすじ」説明もかなりの長文。
鑑賞直後に読んでも、一回では理解不可能でした。
これをきちんと娯楽映画にしたハワード・ホークスは、やはり偉大。
ちなみに、マーロウに保護されたカルメンは、現場で酩酊状態と説明しましたが、これにはちょっと違和感がありました。
おかしくなっているのは間違いないのですが、酔っ払っているにしてはかなり不自然でした。
実は、チャンドラーの原作では、このシーンはもっとハードな場面でした。
カルメンは、薬物で意識朦朧の状態で裸にされ、そのヌードシーンを撮影されていたという描写になっています。
これなら、この写真をネタに、カルメンが脅迫されるというストーリーもすっと理解できます。
しかし、当時はヘイズ・コードで映画倫理に反する描写がガチガチに規制されているご時世です。
ヌードだけではなく、薬物使用を匂わせるという描写もご法度。
この時代はまだ、小説世界のハードボイルドを映画で表現するのには限界があったようです。
しかし、こういう映像化不可能な場面以外は、概ねチャンドラーの原作を忠実にテンポよく映像化して、フィルム・ノワールの空気感を巧みに表現したホークスの演出は評価されるべきでしょう。なんといっても、この映画を楽しませてくれたのは主演の二人の相性の良さです。
タフな私立探偵と、事件に絡む謎の美女という、フィルム・ノワールのお手本のような絵面が、これくらいしっくりとくるカップルはなかなか思い浮かびません。
二人の共演シーンは、どこをどう切り取っても絵になるくらい、フィルム・ノワールの映画としては自然なのですが、よくよく考えると、このカップルは実際は相当不自然なことに気が付きます。
まずは二人の年齢。
映画が公開されたのは1946年ですが、この時点でボガートは47歳。
ローレン・バコールは22歳。
冒頭でも説明した通り、本作は前年にはすでに完成していたといいますから、撮影当時のバコールは20歳そこそこ。
親子ほども年齢の違うカップルが並んで、映画的になんの違和感もないというのは、冷静に考えれば驚異的なことです。
今どきは、我が国でも「年の差」カップルならいくらでいますが、二人並べて映画的に違和感がなく成立するカップルとなるとほぼいないでしょう。基本的にどちらかが無理をしているように見えます。
ハンフリー・ボガートは、本作の時点では、すでにハードボイルド俳優としてその名声を得ていましたから、やはり驚嘆するべきは、相手役のローレン・バコールの驚異的な大人っぽさでしょう。
時代もあるでしょうが、煙草を男の前で燻らせる姿の、なんと堂々としていることか。
とても20歳には見えません。
比較する意味で、試しに、日本の芸能界の中で、今年20歳になる女性タレントの名前を、AIにピックアップしてもらいました。
芦田愛菜、本田望結、小林星蘭、谷花音、村重杏奈(ファクトチェックしていません!)
恥ずかしながら、名前と顔が一致したのは芦田愛菜嬢だけで、残りのお嬢さんたちは、その顔を知りませんでした。
一応ネットで検索して容姿は確認いたしましたが、どちら様も可愛いアイドル顔。
煙草なんぞブカーッと吸う姿がネットにアップされようものなら、その瞬間からファンを失くしそうなお嬢様たちばかりでした。
ロリータ化が進んだ日本の芸能界では、バコールのような大人の佇まいの20歳はまずいないだろうと断言できますね。
オジサンの世代は、20歳の山口百恵も、中森明菜も知っていますが、大人っぽさにおいて、バコールには遠く及びません。
ちなみに、この映画の撮影時、ハンフリー・ボガートとローレン・バコールは夫婦になったばかりでした。
二人の出会いは、バコールのデビュー映画となった「脱出」です。
この作品の撮影時、彼女はまだ19歳でしたが、この天下のハードボイルド俳優を相手に堂々と渡り合っていました。
25歳の年齢差がある二人ですが、この作品で意気投合し、撮影終了後に結婚しました。
その意味では、この二人は公私ともに相性が良かったということでしょう。
この結婚の後、バコールはボギーと死別するまで添い遂げています。
違うのは年齢だけではなく、身長も同様でした。
モデル出身のバコールは、174cmの高身長でしたが、ボガードは173cm。
ハリウッドで主演を務める映画俳優としては、かなりの低身長です。
本作の映画の冒頭では、いきなりカルメンにそれをいじられるシーンもありましたね。
プライベートで二人並んだ姿を確認すると、ボギーの顔の大きさは、バコールの二倍くらいあるわけです。これも下手をすればギャグです。
それくらい、年齢も体型もアンバランスな二人が、映画の中で並ぶと、何の違和感もなくシーンに収まっています。
そして、それをスチールとして切り取れば、紛れもなくクラシック名画の名シーンとして、今も輝いているわけです。
ビビアンの登場シーンのほとんどで、彼女はマーロウに対して、流し目で見上げるような強烈な視線を送っています。
その目力の強烈さは、「ザ・ルック」と言われるほどで、この時代の彼女の代名詞にもなっています。
これは彼女の大人っぽさの源泉でもあります。
想像するに、まだ20歳そこそこの娘が、この大物俳優と共演するにあたっては相当な緊張感を強いられていたはずです。
それが表情に出ないように精一杯虚勢を張った彼女なりの自己表現が、あの強烈な視線になり、彼女のトレードマークになったと考えても不思議ではありません。
デビュー作「脱出」でボガードと共演した後の、ローレン・バコールにとっての2作目は、スパイ映画「密使」でした。
彼女がこの作品で共演したのは、フランスの名優シャルル・ボワイエ。
年齢はハンフリー・ボガードと同じくらいですが、ボギーに比べれば、かなりの色男です。
しかしこの作品は興行的には失敗しました。
まだこれからというローレン・バコールの映画女優としてのキャリアを守るために、急遽彼女がキャスティングされたのが本作でした。
そして、以降は夫であるボガードの共演作品を通じて、彼女の映画女優としてのスタイルが確立されていくことになります。
夫婦にも相性の良さはありますが、共演俳優にも何か見えざる相性が存在することは間違いないようです。
その意味では、この二人は、公私の両方において相性の良かった稀有なカップルだったと言えそうです。
映画では、大人の男女を演じていた二人ですが、娘ほども年の違うこの相方に対して、ボギーはいつも「ベイビー」と呼んでいたといいます。可愛くてしょうがない様子が伝わってきます。
いつも苦虰をつぶしたような表情の、悪役出身のニヒルなガイが、二回りも年下の若妻に相好を崩している姿を想像すると、なんだかちょっと楽しくなってきます。
プライベートでのローレン・バコールのボギーへの視線が、ちょっと気になります。
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