僕にとっては、クラシック映画の魅力を教わるバイブルであったのが和田誠の「お楽しみはこれからだ」です。
本作の存在を知ったのは、このシリーズの Part 2 でしたね。
ですから、大学生の時からそのタイトルだけは、頭の片隅にインプットされていて、映画情報誌ぴあの名画座情報にその名前を見つけたら、関東一円どこでも出かけていくつもりではいました。
しかし、残念ながら本作を上映してくれる映画館はなく、その後知る限り、テレビでの放映もありませんでした。
(もしかしたら、僕が見逃していただけかもしれませんが)
ただ、それ以後も、映画雑学系の本では、時折このタイトルは見かけました。
本作は映画評論家や映画ファンの間で高く評価されており、和田誠氏の他にも、川本三郎氏、小林信彦氏ら著名人もその魅力を絶賛。
最近では、ホイチョイプロの馬場康夫氏、三谷幸喜氏も、この映画の魅力をYouTube動画で語っていましたね。
映画のランキングでは、なかなか見かけることのない作品ですが、こういった映画見巧者の目に留まる玄人受けする作品だったようです。
その隠れた傑作のタイトルが、Amazon プライムに上がっていてビックリ。
ほぼ忘れかけていましたが、ここであったが100年目です。しっかり鑑賞させていただきました。
あらすじも見所も、先輩諸氏の解説により、すでにわかってしまっている前情報先行での鑑賞でしたが、それでも十分に楽しめました。
なるほど、おっしゃる通り、サスペンス映画の秀作という評価に偽りなし。
「絶壁の彼方に」の原題は、"State Secret"。直訳すれば「国家機密」ということになります。
この邦題がつけられたのは、本作のクライマックスにスリリングな山岳アクションが用意されていたからでしょう。
本作は、1950年にイギリスで製作されたサスペンス・スリラー映画。監督・脚本はシドニー・ギリアット。
とにかく、この映画からは、ヒッチコックの香りがプンプンするんですね。
この監督、1930年代には、イギリスでサスペンス映画の脚本を書いていたといいますから、絶対にヒッチコックとの接点があるに違いないと思ったら案の定です。
調べてみたら、ヒッチコックのイギリス時代の傑作「バルカン超特急」の脚本を書いていました。
サスペンス映画としては、キャロル・リード監督の「ミュンヘン行き夜行」の脚本も手掛けていて、この方面ではなかなか知られた人物だったようです。
主演はダグラス・フェアバンクス・ジュニア。もちろん、この人の親父さんは、チャップリンらと共にユナイト映画の創立者としてその名を連ねたダグラス・フェアバンクス。
共演にグリニス・ジョンズ。
この方は残念ながら、この映画でしか知りません。
なかなかチャーミングな方ではありましたが、ヒッチコック映画に登場するような絶世の美女というわけではなかったのが、本作がいまいちメジャー作品になり切れなかった理由だったかもしれません。(申し訳ない)
その他、「ベン・ハー」や「アラビアのロレンス」でも顔を見かけたジャック・ホーキンス。
「ピンク・パンサー」シリーズのドレフュス警部役でおなじみのハーバート・ロムらが名を連ねています。
物語の舞台は第二次世界大戦後のヨーロッパ。アメリカ人外科医ジョン・マーロウ博士(ダグラス・フェアバンクス・ジュニア)は、イギリス滞在中に東欧の架空国家「ヴォスニア」へ招待されます。
名誉ある「ケプラー金メダル」受賞と新しい外科技術の披露が目的とされていますが、実際はヴォスニアの独裁者の手術を依頼されるためでした。
しかし、手術の患者はヴォスニアの独裁者ニヴァ将軍であり、しかも表向きのニヴァ将軍は替え玉であることを知ってしまいます。
手術は一時的に成功したかに見えましたが、独裁者はその後容態が急変して死亡。国家の体制維持のため、独裁者の死は極秘とされます。
事実を知ったマーロウ博士は、口封じのために命を狙われる運命に。
危険を察した博士は、ヴォスニアの秘密警察に追われる身となります。
その後、彼はショーガールのリサ・ロビンソン(グリニス・ジョンズ)の助けを借りて、必死の逃亡劇を繰り広げるという展開。
山岳地帯の断崖絶壁を越えるスリリングな逃避行が展開されますが・・・。
異国で事件に巻き込まれた主人公の逃避行を描いたサスペンス映画というと、ヒッチコック監督の「引き裂かれたカーテン」や、ロマン・ポランスキーの「フランティック」が頭に浮かびますが、両作品がこの映画の影響を受けているのは確実でしょう。
本作後半の絶壁を命がけで越える終盤の山岳シークエンスは、後のクリフハンガー(崖っぷちサスペンス)作品の先がけになったのは確実。
満員のロープウェイで、乗務員が広げた新聞に大写しになっているリサの写真を客たちに気づかれないように隠すスリリングなシーンなどは、いかにもヒッチコックがやりそうな演出でしたし、この時代ではかなり珍しいカーチェイスも登場。
リサと二人の逃避行は、サスペンス映画としてなかなかよく出来ていました。
しかし、本作には、ヒッチコックもキャロル・リードもやっていない秀逸な演出がひとつあります。
それはなんと、この架空の国ヴォスニアの言語を、この映画のためにまるまる作ってしまったことです。
このために、言語学者たちが集められたといいますから、これは手がかかっています。
そして、映画ではこのヴォスニアン語をもとにして、街の看板なども統一されているという徹底ぶり。
つまり、この映画では、主人公が逃げ込む街の中の人々は、皆この言語を喋っているわけです。
日本人ですから、はじめはこの状況が呑み込めませんでしたが、ヴォスニア語を喋る人たちの字幕が出ないことで、だんだんと主人公の置かれている状況が理解出来ました。
これにより、ヴォスニアの人たちとコミュニケーションの取れない状況で、主人公たちが逃げ回るというサスペンスが際立ってくるという仕組みです。
それほど製作費がかかっているようには見えないのですが、一国の言語を創作して、それを出演者にも特訓して、映画の中でリアリティをもって喋らせるというわけですから、それ相応のコストがかかったことは想像に難くないところ。
聞く人が聞けば、ドイツ訛りのイタリア語に聞こえなくもないそうですが、少なくとも日本人の耳で聞いても、全くの出鱈目を喋っているようには聞こえませんでした。
ヨーロッパを舞台にしたアメリカ映画では、ドイツ人もイタリア人も普通に英語をしゃべると言う暗黙のルールに慣らされてしまったところがありますが、その不自然さに改めて気がつかされたと言う点でも、この映画はなかなか新鮮でした。
監督シドニー・ギリアット自身が語るところによれば、ヴォスニア国は、特定の現実の国を直接モデルにしたものではなく、観客の立場や政治的な視点によって「スペイン(左派の観客)」や「当時のユーゴスラビア(右派の観客)」を連想させるよう意図的に曖昧に設定された国なのだそうです。
ギリアット監督は、第二次世界大戦直前に読んだ新聞記事から着想を得て「追跡スリラー」を作ろうと考え、当時の東欧やバルカン半島の独裁体制や秘密警察国家の雰囲気を反映させた舞台装置としてヴォスニアを創作したとのこと。
この国は完全な共産主義国家ではなく、独裁体制下のバルカン諸国(特に当時のユーゴスラビアやティトー政権)を思わせる警察国家として描かれています。
おそらくは、ヒットラーのナチス政権も多分に意識されていたはず。
このリアリティをあげる上でも、この架空言語は、大いに効果的だったといっていいでしょう。
本作は、YouTubeでも、全編99分のフルサイズの動画がアップされていました。
今この映画をリメイクするとしたら、もっとド派手なアクション映画になっていることは間違いのないところ。
しかし何事もその原点を知っておくことは大事なことです。
この映画を見て、その後本作に影響されているであろう映画をどれくらい挙げられるかは、あなたの映画知識のバロメーターになるかもしれません。
温故知新。今から75年前の作品だからと言ってクラシック映画を侮ってはいけません。
クラシック映画には、クラシック映画の楽しみ方があります。
文句のある方は、ヴォスニア語で。
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