かぎ煙草といわれても、日本ではあまり馴染みがないので、なかなかピンときません。
YouTube動画で、"Snuff"(かぎ煙草)で検索してみたら、イギリス紳士が、丸い小物入れのふたを開けて中のパウダーをつまみ、左手の開いた親指と人差し指の間にできる窪みに乗せ、そこに鼻をこすりつけて吸い込む映像を発見。
なんだか危ないクスリをやっているような、いかがわしさを感じてしまいましたが、どうやらこれが、最もオーソドックスな「かぎ煙草」の嗜み方のようです。
僕は煙草は吸いませんが、親戚一同は皆ヘビースモーカーでした。
もちろん皆、日本専売公社の紙巻きたばこを愛用していましたが、母方の祖父だけは煙管を使っていたのを覚えています。
吸っていたのは「桔梗」。いわゆる刻み煙草です。
煙管には彫り物もしてあり、子供の目から見ても高価そうでしたし、祖父も大事に使っていましたね。
かぎ煙草(嗅ぎタバコ、スナッフ)の起源は、ブラジルの先住民が挽いたタバコを嗅いで摂取していたのが最初だと言われています。
その後、1493年のコロンブスの第2回新大陸航海の際に、原住民が嗜んでいた嗅ぎタバコを記録し、それをスペインに持ち帰ったことで、ヨーロッパに嗅ぎタバコがもたらされました。
16世紀初頭には、スペインのセビリア市にヨーロッパ初の嗅ぎタバコの製造・開発所が設立され、その取引が独占されるようになります。
このように、かぎ煙草はアメリカ大陸の先住民の習慣がヨーロッパに伝わり、そこから世界へと広まっていったのが起源ということになります。
かぎ煙草が歴史上もっとも流通し、その文化が花開いたのは、主に17世紀から18世紀にかけてのヨーロッパです。
特に、フランスのルイ14世の時代から嗅ぎタバコの流行が始まり、貴族社会で急速に広まりました。
豪華な嗅ぎタバコ入れが流行し、宮廷人たちの間で嗜まれる様子が絵画などにも描かれています。
18世紀には、イギリスでも嗅ぎタバコが大流行しました。特にアン女王の時代(1702年~1714年)には「人間の鼻の究極の理由」とまで言われるほど人気を博しました。
ジョージ3世とその妻シャーロット女王(「スナッフィー・シャーロット」と呼ばれた)も熱心な愛好家で、ウィンザー城には嗅ぎタバコの在庫専用の部屋があったほどです。
当時はまだ喫煙具が発展途上であり、煙を出すタバコは屋内で敬遠されることがありました。
その点、かぎ煙草は煙を出さず、手軽に嗜むことができたため、社交の場での嗜好品として非常に適していました。嗅ぎタバコ入れの交換や、その中身の自慢なども社交の一環だったわけです。
豪華な嗅ぎタバコ入れは、その持ち主の富とセンスを示す重要なアクセサリーとなりました。
様々な素材や装飾が施され、職人技が競い合われました。
王侯貴族や上流階級の人々が率先して嗅ぎタバコを嗜んだことで、それが一種のファッションとして下層階級にも波及していきました。ナポレオン一世もその一人であり、彼の愛用も流行を後押ししました。
しかし、19世紀に入り、シガー(葉巻)や特に紙巻きたばこが普及し始めると、その利便性や手軽さから、かぎ煙草の需要は徐々に減少していきました。
かぎ煙草の需要に引導を渡したのは、第一次世界大戦です。
泥まみれる過酷な環境の戦場では、ファッションもステータスも関係なく、利便性の高い紙巻きたばこが重宝されたのは言うまでもありません。
ですので、ミステリーの黄金時代である1920年代から40年代にかけてのヨーロッパでは、すでに「かぎ煙草」の需要は下火だったということになります。
伝統を重んじるイギリスの上流階級の紳士たちの間で、嗜好品として、細々と嗜まれていたというわけです。
19世紀後半に活躍したシャーロック・ホームズは、たばこの灰の識別能力に優れていたということになっていましたね。
彼は140種類の葉巻と紙巻、刻みたばこの灰を識別出来るという設定でしたが、その中に「かぎ煙草」は含まれていませんでした。
本作のタイトルにある皇帝とは、もちろんナポレオン一世のこと。
ナポレオン一世がかぎ煙草(嗅ぎタバコ)を愛用していたという記録は多数あるようです
彼は、葉巻など煙の出るタバコは嫌ったものの、嗅ぎタバコは人並み以上に愛用したとされています。
孤島セントヘレナに幽閉されていた際も、日々の憂さ晴らしにかぎ煙草は欠かせない存在だったようです。
もちろん、そんなナポレオンですから、嗅ぎタバコ入れも超高級品を複数愛用していても不思議ではありません。
愛妻ジョゼフィーヌの肖像入り容器を遠征の陣中にまで携帯していたという逸話もあるそうそです。
また、18世紀から19世紀初頭のパリでは嗅ぎタバコが大流行し、様々な装飾が施された嗅ぎタバコ入れが作られ、ナポレオンの肖像が描かれたものも存在していました。
しかし、本作に登場するかぎ煙草入れは、本文中の文章をもとに、AI にイラストにしてもらうと、これはもう、ほとんど当時の紳士たちが愛用していた懐中時計にしか見えません。
懐中時計は、ヨーロッパでは16世紀ころから使われ始めているので、おそらく時計と兼用のかぎ煙草入れが相当数作られていたことは想像に難くありません。
ならばいっそ本作のタイトルも、「皇帝の懐中時計」でよかったのではと思ってしまいますが、確かに「皇帝のかぎ煙草入れ」の方が、ミステリーのタイトルとしては、センスがありそうです。
さて、本作は1942年に発表されたディクスン・カーにとっては23作目となるミステリー。
ディクスン・カーといえば、「密室」や「不可能犯罪」、「怪奇趣味」といった要素が特徴的な作家です。
しかし本作には、密室や超自然的な現象、不可能犯罪といったカーらしいトリックは登場しません。
むしろ、物理的なトリックよりは、心理的なトリック、すなわち「人間の記憶や証言の不確かさ」を巧みに利用した、ディクスン・カーにしては、少々趣の異なるミステリーになっていました。
カーの作品としては、「ユダの窓」「三つの棺」という極上の密室トリックを駆使した二作を読了していますが、個人的には、彼の十八番ともいえる分野の両編よりも、シンプルなプロットで構成された本作の方が肌に合っていました。
本作には、カー作品の名探偵であるギデオン・フェル博士やH.M卿(ヘンリー・メリヴェール卿)は登場しません。探偵役は、精神科医のダーモット・キンロス博士。フェル博士やメルヴェール卿よりはやや地味かもしれません。
本作は、主人公イヴをめぐる恋愛模様や人間関係の葛藤、サスペンスが大きな比重を占めています。
イヴと元夫ネッド、婚約者トビイの三角関係や、女性の心理描写に重きが置かれており、ラブサスペンスとしての側面が強調されています。
美女をフューチャーしたサスペンスに無類の才能を発揮するヒッチコックが本作を映画化したら、おそらくは上手に撮ってくれそうな素材です。
ですから、サスペンス作品よりはミステリー派で、不可能犯罪の謎解きを得意としたカーとしては、新境地といったところかもしれません。
登場人物が比較的少なく、物語自体も整理されていてシンプル。
その分、心理描写にたっぷりとページを割き、読者をミスリードし、「騙す」ことに重点が置かれています。
物語は、主人公である美貌で裕福な女性イヴ・ニールが、新しい婚約者トビー・ローズと婚約した直後に始まります。
ある夜、イヴが自宅の寝室にいると、離婚したばかりの前夫のネッド・アトウッドが忍び込んできて、復縁を迫ります。
しかし何とその場で、イヴは向かいのローズ邸でトビーの父親である骨董品収集家のモーリス・ローズ卿が殺害されたこと、そして茶色の手袋をはめた犯人らしき人物が部屋から出て行くのを目撃してしまいます。
しかし、イヴの部屋に前夫がいたため、彼女は殺人容疑をかけられても、身の潔白を証明できない窮地に陥ります。
警察のゴロン署長は、現場に残されたいくつかの物的証拠に基づいてイヴが犯人であると主張。
その物的証拠の中には、骨董品のガラスのショーケース内にあった「血痕の付着したダイヤとトルコ石の首飾り」が含まれており、これが元の位置ではなく、血が付いた状態で床に落ちていたこと。
ネッドを見つからないように逃がすため、イヴは寝巻のまま屋敷の外に出ますが、女中のイヴェットに鍵をかけられてしまいます。
しかし、イヴはネッドから回収した鍵を持っていたので、その鍵で邸内に入り、階段から転げ落ちて負傷したネッドの血がついた寝巻を拭き取ているところをイヴェットに見られてしまいます。
そして、なんとイヴの寝巻には、モーリス・ローズの殺害現場で破壊された「かぎ煙草入れ」の破片までが付着していました。
イヴはあまりにも「完璧な状況証拠」によって絶体絶命の窮地に追い込まれることになります。
読者としては、物語の冒頭の叙述からイヴが犯人ではないと分かっているにも関わらず、イヴが犯人でなければ有り得ないほどの状況証拠を提示されて、一気に物語に引き込まれていきます。
アルフレッド・ヒッチコックは、濡れ衣を着せられる「間違われた男」をサスペンスフルに描くのを得意としましたが、本作はそれでいえばさしづめ「間違われた女」。
サスペンス映画ではちょくちょく見られた設定ですが、本格ミステリーの設定としては、なかなかお目にかからなかったものなので、主人公が殺人犯と疑われて窮地に立つというミステリー小説は、個人的には意外に新鮮でした。
さて、犯人は誰か。
毎度長ったらしいレビューで恐縮ですが、この読書レビューと、AI に描いてもらったイラストにも、その伏線を忍ばせたことだけはお伝えしておきます。
コメント