オール・タイム・ベストにランキングされるような名作で、未見の映画はないか。
Amazon Primeで発見しました。
これDVDでも持っているのに、何やってるんだか。
人生を66年も過ごしてきてしまったロートル映画ファンとしては、近年世間を賑わしたような話題作よりも、そんなクラシック映画の方がどうしても気になってしまうのはお許しいただきたいところ。
映画というエンターテイメントがこの世に生まれてから150年近い歳月が流れています。
その中にどんな傑作が隠れていようと、そもそもがすべての作品を見ることなど不可能。
評判や自分の直観で、見る映画がチョイスされることはやむを得ないわけです。
残りの人生、映画鑑賞に割ける時間も限られてきました。ならば、出来ればハズレは避けたいところ。
もちろん映画には、相性というものもあります。
名だたる映画評論家がどれだけ絶賛しようと、自分の好みには合わないという作品も存在するのは事実。
けれど、映画という娯楽は、どんなお偉いさんがどんな評価をしようと、基本的には自分がどう感じたかがすべて。
そこは、自分の感性に正直でありたいとは思います。
しかしそうはいっても、今現在評判の映画よりは、過去にそれなりにきっちりと評価が確立されている映画の方が、ハズレの確率は少ないだろうと考えるのはあながち間違ってはいないでしょう
温故知新ともいいます。今まで見逃してしまっているクラシック映画でも、案外今の目から見れば新鮮に映るという作品もありますし、なるほどこの映画が、後のあの映画に影響を与えているのだと発見して、嬉しくなってしまうことも。
さて前置きが長くなりましたが、本作もそんな一本でした。
この作品は、ブロードウェイの大女優マーゴ・チャニング(ベティ・デイヴィス)と、彼女の熱狂的な若いファンであるイヴ・ハリントン(アン・バクスター)の関係を描いています。
イヴは一見控えめで純粋そうに見えますが、実は野心的で冷酷な一面を持ち、マーゴの信頼を得て次第に彼女のキャリアや人間関係を脅かしていきます。
物語は、演劇界の華やかな表舞台と、裏にうごめく嫉妬や野心、裏切りを鋭く描き出していきます。
クラシック映画の知識なら、まだまだYouTube動画で、「映画コメンテイター」と称している若者諸氏には負けないと胸を張りたいオールド映画マニアですので、本作が第23回アカデミー賞で作品賞を含む6部門を受賞し、映画史に残る名作とされていることは当然承しています。
そればかりでなく、監督であるジョセフ・L・マンキーウィッツは、本作において、前年の「三人の女性への手紙」に続いて、監督賞、脚本賞を2年連続で受賞していることも。
これを成し遂げているのは、長いアカデミー賞の歴史の中でも彼だけです。
少なくとも、その評価においては、オールタイム・ベストのランキングでは、ほとんど常連となっていることは、鑑賞前からしっかりと情報としてインプットはされていました。
ただ、白状してしまいますと、本作については、長い間大きな勘違いをしていました。
それは、本作に端役で出演していたマリリン・モンローの存在です。
本作での彼女の役は、無名の新人女優の役。
モンローの人気は、1953年の「ナイアガラ」で披露したモンロー・ウォークでブレイクするのですが、この映画撮影当時のマリリンは、映画の役同様に無名でした。
しかし、後になって本作を紹介するスチールで使われていたのが、主演のベティ・デイビスでもなく、アン・バクスターでもなく、ほとんどが、マリリンの登場するシーンばかりだったんですね。
映画の内容が、演劇界でのしあがってゆく女性の物語であることは承知していたので、これが完全にマリリンのイメージとダブってしまいました。
その役を演じているのは、アン・バクスターであることは、文字情報としてはわかっていましたが、それがビジュアル情報としては、マリリン・モンローと完全にすり替わっていました。
もちろん、アン・バクスターも美しい魅力的な女優です。
思えば、ヒッチコックの「私は告白する」にも出演していましたし、その顔を知らないわけではなかったはずですが、やはりマリリン・モンローのビジュアル・イメージは強烈でした。
後のマリリンの活躍を知ってしまえば、たとえ公開当時はそうでなくとも、本作の解説に、まだ初々しい芳紀23歳の彼女の登場シーンを使わない手はありません。なんといっても、本作の出演者の中で、最も知られた顔が彼女でなのですから。
同じように、端役のマリリンがクローズアップされてしまった映画として、本作と同年に作られたジョン・ヒューストン監督の「アスファルト・ジャングル」がありましたが、この作品も、出番の少ないギャングの愛人役のモンローのスチール写真が、後の映画紹介では多用されていました。
モンローのせいで、本作では割を食ってしまったアン・バクスターですが、本作ではちゃんとアカデミー賞主演女優賞に、ベティ・デイビスと共にノミネートされています。
調べてみましたが、長いアカデミー賞の歴史の中でも、一つの作品から、主演女優賞二人がダブル・ノミネートというのは本作のみ。
しかし、話題にはなったものの、これが裏目に出て、アカデミー会員による投票では、票が割れてしまい、二人とも受賞はかないませんでした。
ベテラン女優マーゴを演じたベティ・デイビスが受賞していれば、彼女のキャリアの中では、三度目の受賞。
アン・バクスターのプロダクションが、かなりのプッシュをして、ノミネートにねじ込んだ経緯を知ると、ここは素直に、ベティ・デイビスに華を持たせて上げたかったところです。
この作品の撮影時、ベティ・デイビスは42歳。
彼女の役者人生を匂わせるような役を逆手にとって、女優にとっては死ぬほど怖いはずの、「老い」にも正面から立ち向かっていました。
月並の美人女優なら、老醜をさらすことに耐えられないのが普通でしょう。
しかし、ドンと肝の据わったこのベテラン演技派女優は、「私は人形じゃない。私の演技を見て。」といわんばかり。
のっけから、普通なら見せたくはない、楽屋での「化粧落とし」顔をさらして、1930年代にはアメリカ中から愛された美人女優であることをいとも簡単に放棄。
完全に、マーゴ・チャニングになり切って、圧倒的な貫禄を見せつけてくれました。
しかし、こちらとしては、後の「何がジェーンに起こったか?」における、まるでホラー映画のような彼女の鬼気迫る醜悪メイクでの狂乱演技を知っているだけに、ここはニンマリ。
あの役に至るまでの通過点として、大いに納得のいく演技でした。
本作は、マーゴの代役を演じたイヴが、それで評判をとり、次第にマーゴの地位を乗っ取っていくというストーリーでしたが、実はマーゴを演じたベティ・デイビスも、本作のキャスティングは、最初にオファーされたクローデット・コルベールの怪我による代役でした。
ベテラン女優たちが尻込みする中、脚本を読んで興味を示したのが彼女だったとのこと。
結果として、彼女の後期のキャリアをさらに広げる作品になったことは、衆目の一致するところでしょう。
マンキーウィッツの脚本は、シニカルでウィットに富んだセリフが随所に散りばめられており、どの登場人物にも印象的な台詞が与えられています。
パーティのゲストを知って、マーゴが言うセリフ。
「シートベルトを締めて、荒れた夜になるわよ」
特筆すべきは、主要キャストの誰もが立体的に描かれていること。
どの人物も共感と反感が同居するキャラクターとして描かれていることが、この人間ドラマをより奥深いものにしています。
主人公マーゴとイヴの関係を軸に、人間のエゴ、野心、老いへの恐怖、嫉妬、裏切りといった普遍的なテーマを、単なる善悪の対立ではなく、多面的かつリアルに描き分ける脚本はやはり秀逸。
単なるバックステージものや女同士の火花散る内幕劇にとどまらず、時代や場所を超えた普遍性を持つ人間ドラマに昇華されています。
物語全体が「栄光の虚しさ」や「人間関係の本質」を浮き彫りにする構造も巧み。
業界批判と社会風刺の先進性も、今見るとドキリとさせられます。
本作にはもちろん露骨な性描写はありませんが、1950年当時としては珍しく、女性の野心や業界内の権力構造、ジェンダー問題を辛辣に描写。
日本の芸能界の露悪な事件が後を絶たない昨今、この映画を見ながら、有名タレントたちによる露悪なニュースがフラッシュ・バックしたことは否めません。
どんなことがあっても、さもありなんです。
本作が提示した、現代にも通じるテーマ性は、時代を超えて評価されるべきだと大いに感じ入った次第。
ベティ・デイビス、アン・バクスター、マリリン・モンローの他に、もう一人顔を覚えていた女優がいました。
それは、マーゴの古き付き人のバーディを演じたセルマ・リッター。
この人は、ヒッチコックの「裏窓」で、主演のジェームズ・スチュアートの家政婦を演じていた人です。
この映画が好きなこともあり、家政婦役としては、個人的には、「レベッカ」におけるジュディ・アンダーソンと双璧の印象です。
このバディと、マーゴの絡みで面白いセリフがありました。
和田誠氏の「お楽しみはこれからだ!」を意識して、マーゴが舞台でつけたガードルが小さいとバーディに文句をつける場面での二人の会話。
「これをはいてあなた、2時間半も芝居をする身にもなってよ!」
「わたしなら2時間半かけてもはけないわ」
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