久しぶりのヒッチコック作品です。
中学生時代、「フレンジー」で洗礼を受けて以来、彼の作品の有名どころは、ほぼ大学生時代までに見終えています。
勝手にヒッチコキアンと自称していた都合上、彼の作品は、その評価がどうであれ、見れるものは全部見ておきたいと思っていました。
社会人になると、映画館にはほとんど行かない生活になってしまいましたが、WOWOWなどの衛星放送などではマメにチェック。
彼の作品がオンエアされれば、録画だけは欠かしませんでした。
ヒッチコックは生涯で53本の映画を監督しています。
なんといっても、サイレント時代から映画を作っていた人ですから、イギリス時代の23本の中には、なかなか手に入らない作品もあります。
今はもう見ることの出来ない作品もあるかとは思いますが、ヒッチコキアンとしては、出来る限り鑑賞しておきたいところ。
さて、本作もそんな一本でした。
「サイコ」「めまい」「裏窓」は知っているが、こんな作品は聞いたことがないという人も多いかと思います。
作られたのは1949年。彼が、1940年にアメリカへ渡ってから12本目の作品となります。
とにかく、この映画の不幸なところは、ヒッチコック本人が「失敗作」と認めてしまっているところにあります。
当時の「ハリウッドナンバー1の彼女(イングリッド・バーグマン)を手に入れて、得意になって思い上がっていたことがまちがいだっいだった。この映画は出発点から虚飾のカタマリだった」とは本人の弁。
1940年代を代表するトップ女優であるバーグマンを起用した上で、製作費さえ回収できないという興行結果だったわけですから、反省の弁も頷けます。
監督として、主演のバーグマンと同等のギャラを受け取っているヒッチコックでしたが、この作品に関してはノーギャラでやってもよかったと述べています。
初公開時は興行だけでなく、彼の作品としては評価も最悪。その理由は以下の通りです。
まず、観客が期待した(それまでの作品のような)スリラーの要素が少なかったこと。
(剥製の死人面は出てきますが)
ヒッチコック作品としては珍しくユーモアの要素もなかったこと。
そして、なによりも決定的だったのは、本作公開時に主演のイングリッド・バーグマンと、ロベルト・ロッセリーニとのが不倫関係のスキャンダルが報道されたこと。
バーグマンは、ロッセリーニ作品のネオリアリズモ作品を見て衝撃を受け、彼の作品への出演を熱望。
二人の不倫関係は、1950年の映画『ストロンボリ』の撮影をきっかけに始まりました。当時、バーグマンはスウェーデン人医師ペッテル・リンドストロームと結婚しており、ロッセリーニも既婚者でした。
この関係は、二人がともに既婚だったこと、そしてバーグマンがロッセリーニの子を妊娠・出産したことで、アメリカ社会に大きな衝撃とスキャンダルを巻き起こしました。
特にアメリカでは、教会団体や女性団体、政治家などから非難や上映中止運動が起き、コロラド州選出の上院議員エドウィン・C・ジョンソンが議会でバーグマンを「甚だしい悪影響」と糾弾する演説まで行いました。
このスキャンダルの影響で、バーグマンは数年間ハリウッドから締め出され、アメリカでの映画出演ができなくなったわけです。
「Under Capricorn」という原題は、単にオーストラリアを二分する南回帰線に因むだけでなく、「やぎ座のヤギが『肉欲』の象徴であることにも因んでいる」。
これは、作品のテーマである「三角関係」や人間関係の複雑さを暗示していると考えられ、この時期のバーグマンの不倫問題とも大いにシンクロしてしまいました。
『パラダイン夫人の恋』公開後に独立したヒッチコック監督の第一作は「ロープ」でしたが、本作はそれに続く第二作目。プロデューサーとして「興行的にあてたい」という思いはあったようです。
『汚名』『白い恐怖』に続き、イングリッド・バーグマンを主演として獲得したヒッチコックは、彼女を最大限に活かすために、あえてスリラーは封印して、歴史メロドラマを選択。
ヘレン・シンプソンの同名小説を原作に選んだのも、その抒情性が、バーグマンの魅力を引き出すと考えたからでした。
しかし、本作の撮影中の二人の関係はかなり険悪だったようです。
この頃のバーグマンは、「傑作以外には出たくない」というほど、自分の演技力に対して絶対的な自信を持っていました。
彼女は、女優として、自分の演技力で、映画を傑作に押し上げたいという向上心に燃えていましたが、ヒッチコックはけっしてそれを望んではいませんでした。
彼は「モンタージュに演技させる」というくらい、編集で映画を見せる達人。
バーグマンのようなオーバーアクトは、編集の素材として必要としていなかったわけです。
ヒッチコックはバーグマンの演技を気に入らず、バーグマンもヒッチコックの撮影技法や演技指導について不満を抱いていたため、撮影現場は「喧嘩が絶えなかった」といいます。
バーグマンはヒッチコック独特の「長回し演出」について、「11分間もカメラはわたしを追い回し、最初から最後まで喋りっぱなしだった。まるで悪夢だった」と述懐しています。
また、バーグマンが演技で納得できない点をヒッチコックと話し合おうとした際、ヒッチコックが彼女に放った一言は、映画の中のセリフよりも有名になりました。
「イングリッド、たかが映画じゃないか」
本作の舞台となるのは、19世紀のオーストラリア・シドニー。
イギリス総督の甥チャールズが、一攫千金を狙って流刑地シドニーを訪れ、犯罪者上がりの有力者フラスキーの妻、ヘンリエッタと知り合うところから物語が始まります。
チャールズは、元流刑囚でありながら成功したビジネスマンであるサムソン・フラスキー(ジョセフ・コットン)と知り合い、サムの屋敷に招待されます。
そこでチャールズは、サムの妻であるレディ・ヘンリエッタ(イングリッド・バーグマン)と再会します。
(バーグマン登場は、映画開始から22分後)
ヘンリエッタはかつてアイルランドでチャールズの姉の友人だった貴族でしたが、現在はアルコール依存症で社交界から避けられています。
屋敷の家政婦であるミリー(マーガレット・レイトン)は、ヘンリエッタを破滅させようと画策。
このあたりの不穏な感じは、「レベッカ」のダンバース夫人を髣髴させて不気味です。
やがて、ヘンリエッタはチャールズに、サムとの過去を打ち明けます。
サムとの過去に隠された、意外な秘密とは・・
バーグマンは、のっけから精神不安定状態で登場。いかにも神経がすり減っていて悲壮感漂う演技は、あの名作「ガス燈」を髣髴とさせます。
しかし、その演技に気合が入っていればいるほど、空回りしている感は否めません。
グレース・ケリーも、ティッピ・へドレンも、ヒッチコック作品のヒロインは、クール・ビューティが基本です。
さて、ヒッチコック作品のお約束は本人のカメオ出演。
本作では2回確認できました。
一つ目は、本作の冒頭。総督のレセプションを聞く男。もうひとつは、総督官邸の外階段にいる3人のうちの1人。
これは、是非ご確認あれ。
正直申して、数々のヒッチコックの名作傑作を知る身としては、いかにもヒッチコックらしくない本作の評価は、やはり低くはなってしまいます。
元罪人の夫を演じたのがジョセフ・コットンではなく、バート・ランカスターだったらどうか?
主演が、イングリッド・バーグマンではなく、ジョーン・フォンティーンだったらどうか?
テクニ・カラーではなく、モノクロ撮影だったらどうか?
いろいろと考えてしまいますが、最終的な結論はこういうことになってしまいます。
このテーマで、このキャストで撮るなら、監督はアルフレッド・ヒッチコックでなくてもよかったかも。
でも大丈夫。失敗作には、失敗作なりの楽しみ方だってあります。
どんな作品であろうと、愛しのヒッチコックが撮った作品なら、ヒッチコキアンはどこまでもついていけます。
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