「ゾウの巨大な脳を人の頭蓋骨に押し込むようなものだ。」
「ただ頭の中がひどくやかましくて、大きなゾウがずっと泣き喚いているような気分なんです。」
本文中にある重要登場人物のセリフです。
さて、この人物の頭の中では、いったい何が起きているのか。
白井智之氏の作品としては、去年「名探偵のいけにえ」を読んでいます。
この作家のお家芸といえばなんといっても多重解決。「名探偵のいけにえ」では、クライマックスで、何重にも真相が上書きされる展開にシビレましたが、本作でもこの手法が徹底的に追求されています。
どちらもロジカルな謎解きと、読者の予想を裏切る衝撃的な結末が特徴。
特に「最後の真相」に到達したときの読後感や、パズルのピースがはまるような感覚が共通しています。
特殊設定と異様ともいえる世界観は本作ではさらにグレードアップしていました。
物語の主人公は精神科医・象山(きさやま)晴太。彼は女優の妻と二人の娘に恵まれ、一見幸せな家庭を築いていますが、「どんな幸せな家族も、たった一つの小さな亀裂で崩壊する」と常に不安を抱えています。
象山は、家庭の平和を脅かす恐れのある人物は、次々と殺していくサイコパスでした。
ある日、象山は謎の薬シスマを手に入れたことをきっかけに、人知を超えた殺人事件に巻き込まれていきます。
本作の最大の特徴は、複雑かつ巧妙なトリックと、謎が謎を呼ぶ入れ子構造(マトリョーシカ的展開)にあります。物語の中で使われるトリックは、従来のミステリーで見慣れたものを再構築し、読者の予想を裏切る展開を次々と紡ぎ出して行きます。
本作は、読者の共感にはあえて背を向けて、あくまで論理的な理解を重視して展開していきます。
そして、複雑に絡み合う謎は読者を混乱させます。
登場人物のサイコパス的な倫理観が徹底して描かれており、人間を道具のように扱う描写や、グロテスクなシーンも多分に含まれます。
このため、あえて万人受けする作品は目指さず、倫理観や感情移入を重視する読者に不快感を与えることを意識的に選択しています。
.本作は、現実世界から一歩も二歩も踏み出した、SF的ともいえる異次元ワールドへと読者を誘います。
量子論の難解な世界解釈にも果敢に踏み込んだ複数のトリックや仕掛けが物語全体に張り巡らされ、先の展開を読むことはまず不可能。
古典ミステリーを読み漁ってきた者としては、ことごとくミステリーの常識を破る展開にあたふたとしっぱなしでした。
情けない話ですが、物語の後半になると、頭の中は終始パニック。
なるほど、ここまで特殊設定をつきつめないと、これからのミステリーに未来はないのだと納得した次第。
白井智之は、東北大学法学部を卒業しています。在学中はSF・推理小説研究会に所属していました。
2014年に『人間の顔は食べづらい』でデビューし、綾辻行人から「鬼畜系特殊設定パズラー」という称号を与えられていますが、なんともこれが言いえて妙。
彼の作品は、特殊な舞台設定や破天荒かつ不道徳な世界観を意図的に取り入れ、げぼ、内臓露出、人体破壊といった露悪的表現で読者を恣意的に挑発。その神経を逆なでさせてきます。
そして、もう一つ忘れてならないのが、グロテスクと対をなす、その緻密な論理構成です。
この両輪が絶妙に絡み合う構成が、本作最大の魅力といえます。
本作で作者が、果敢に挑んでいるのは、量子論における多世界解釈と、本格ミステリーの融合です。
恥ずかしながら、わかりもしないのに、量子論の入門編は何冊か読んでいます。
しかし、現代量子論には、まだ解明されていない謎が山積。
世界中の天才物理学者たちが、日夜頭をエレファント状態にして、その真相を解き明かそうとしていますが、いまだその深淵な世界は謎のまま。
つまり量子論そのものが壮大なミステリーなんですね。
量子力学では、粒子は観測されるまで複数の状態(重ね合わせ状態)で存在しています。
従来の「コペンハーゲン解釈」では、観測した瞬間に「波動関数が収縮し」、一つの状態だけが現実になると考えます。
しかし多世界解釈では、「波動関数の収縮」は起こらず、観測のたびに宇宙が全ての可能性に分岐し、それぞれの結果ごとに新しい世界(宇宙)が生まれると考えるわけです。
かの有名な「シュレーディンガーの猫」という思考実験があります。
ある特殊状況の箱の中にいる猫は、生きている状態と死んでいる状態が重ね合わさっているというわけです。
観測すると、「猫が生きている世界」と「猫が死んでいる世界」の両方が分岐して存在し、観測者もそれぞれの世界に分かれるというのが量子論の世界。
つまり観測ごとに宇宙は分岐し、全ての可能性が実現される多世界解釈が成り立つというわけです。
それぞれの分岐した世界は互いに干渉せず、他の世界の自分や出来事を知ることはできない。
多世界解釈は、現実や自己のアイデンティティとは何か、という哲学的な問いも投げかけてきます。
現在のところ、分岐した他の世界を直接観測する方法はなく、あくまでも理論的な解釈の一つとされています。
要するに、「量子の世界では、観測のたびに宇宙が全ての可能性ごとに分かれ、無数の並行世界が存在する」というわけです。
さあ、この難解ながらも魅力的な量子論の代表的テーゼを、いかにミステリーに落とし込むか。
量子論を少々かじったミステリー・ファンとしては、まずはこのトライに拍手を送りたいところです。
はたして、量子論とミステリーの融合は可能か。
これは、本作の読みどころの1つですので、是非とも、本作を手に取ってご確認を。
もしも、ミステリー好きな量子物理学者が、多世界解釈をミステリーに落とし込もうとしたら、どんな作品が出来上がるかと考えてみます。
でもこれはおそらく、うまくいかないような気がします。多分専門知識が邪魔をするはず。
これは間違いなく自由闊達で柔軟な解釈と、適度なフィクションを織り交ぜるて話を膨らませることの出来る理系ミステリー作家の領分でしょう。
本作には、ストーリー上の重要なマクガフィンとして、シスマという怪しげな薬が出てきます。
これを一錠飲むと、人間の脳のカウフマン野に強烈な刺激を与えて海馬と接続し、数時間程度時間を遡れるという効果が表れるというのが本作のルール。
リサーチしてみましたが、もちろんシスマという薬物はありません。
そして、脳の中にもちろん海馬はありますが、カウフマン野は存在しませんでした。
こういった実在しないものを、ミステリーの素材に登場させることは、ミステリーのルールとしては基本的にNGです。しかし、ここでその是非を述べるつもりはありません。
どれだけ虚実入り混じろうとも、ミステリーはエンタメなのですから、要は面白ければすべてよし。
ミステリー小説自体がフィクションなわけですから、それを言うのは野暮というもの。
しかし、野暮ついでに、本作が、1928年にイギリスの推理作家ロナルド・ノックスが発表した「ノックスの10戒」に対してどれくらい抵触しているかチェックしてみましょう。
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1. 犯人は物語の始めに登場していなければならない。
本作は、複雑な伏線と後半の多重解釈が特徴ですが、犯人は序盤から登場しています。ただし、作中で「登場人物の真の姿」が隠されているので、間接的に違反と解釈される余地があります。
2. 探偵方法に超自然能力を用いてはならない。
本作は、量子論の理論のみを発展させた超常現象をトリックの核に据えているので、明らかに違反していると考えられます。
3. 犯行現場に秘密の抜け穴・通路が二つ以上あってはならない。
微妙。
4. 未発見の毒薬や、難解な科学的説明を要する機械を犯行に用いてはならない。
シスマが登場するので、これは明らかに違反。
5. 主要人物として「中国人」を登場させてはならない。
中国人は登場しませんが、タイ人は重要な役で登場。
6. 探偵は、偶然や第六感によって事件を解決してはならない。
そもそも探偵役が不在。
7. 変装して登場人物を騙す場合を除き、探偵自身が犯人であってはならない。
同上。
8. 探偵は、読者に提示していない手がかりによって解決してはならない。
問題なし。
9. サイドキック(ワトスン役)は、自分の判断をすべて読者に知らせなければならない。また、その知能は一般読者よりやや低くなければならない。
ワトスン役も不在。
- 双子や変装による一人二役は、あらかじめ読者に知らせなければならない。
一人二役どころか、本作では一人の人間が、四役に分裂します。
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とまあ、こんなところでしょうか。
この「ノックスの10戒」は、古典ミステリー黄金時代におけるルールです。
本作は「超常現象を推理の対象とする」という点で、明らかにこれに反旗を翻してはいます。
しかし一方で、本作品の魅力は「ルール破りから生まれる新機軸」にあり、ノックスの戒律をあえて無視することで、独自のグロテスク・SFミステリを成立させているとも言えます。
本作は、古典ミステリーの枠組みからあえて逸脱することで、それを超える現代的な実験作に挑んでいると解釈するのが妥当でしょう。
『エレファントヘッド』は、従来のミステリーの枠組みを解体・再構築した、極めて挑戦的かつ独創的な作品です。
昭和世代には絶対に書けない、新世代による新感覚ミステリーといっていいでしょう。
僕のようなコテコテの古典ミステリーファンには、なかなかシンドイ作品ではありましたが、読み応えは充分。
倫理観や描写の過激さから、好みが分かれる作品だとは思いますが、映画化されるよりも、ゲーム化される可能性の方が高いという気がします。
前期高齢者にとって、グロテスクRPゲームは、なかなかハードルが高そうですが、本作を読んだ以上は、もしこれが iPhone でプレイできるゲーム・アプリになったら、一度はトライしてみるかな。
ゾウっとするかも。