今大会メダル第一号は、15歳の少年でした。
男子ハーフパイプで、平野歩夢選手が銀メダル。そして、平岡卓選手が銅メダル。
同種目では、初のメダル獲得ということになりました。
コメントを聞く限り、オリンピックの魔物「プレッシャー」をいとも簡単にいなし、
普段通りプラスアルファの演技を、あの大舞台でやってのけたのは、
アッパレというべきでしょう。
18歳の高校生平岡選手も、決勝1回目9位の出遅れを、見事にカバー。
これもアッパレ。
古いオリンピックファンだと、あの3本の日の丸が上がった
札幌オリンピックのスキージャンプのノーマルヒルを思い出し、゜
最年少ということなら、バルセロナオリンピックの200m平泳ぎの岩崎恭子選手の
14歳を思い出します。
さて、このヤングパワーの活躍がが、この後のオールジャパンのメダル獲得
ラッシュの引き金になりますか。
ヤング平平コンビお見事!!
ソチオリンピックの女子モーグルの決勝を見ました。
5度目の五輪出場となる上村愛子でしたが、前回バンクーバー大会と同じく4位。
最後は悲願のメダルを取らせて、有終の美を飾らせてあげたかったところですが、
しかし、メダルは取れずとも5大会連続入賞の記録更新の方が、
最終的には、彼女らしかったのかなと思います。
採点競技ですから、勝負の行方は運にも左右されます。
あの競技方式で、決勝で最初にすべるのも不運でした。
しかし、そんなこととは関係なく、あの大舞台で、自分にできる
最高の滑りをしたということが、あの笑顔になりました。
あの滑りをして、ゴールに飛び込んだ瞬間から
得点がどうなるかとは関係なく、涙がこみ上げてきたといっていましたから、
自分としては、大納得の4位だったのでしょう。
お母さんと、声を上げて、笑顔で手を振りあう姿は感動的でした。
さて、上村選手は残念でしたが、ソチオリンピッ最初のメダリストは誰になるか。
ますます、目が離せません。
さて、拙いイラストですが、ついでにもう一枚。
上村愛子選手の雄姿です。
あらまあ。
ロシアがやってくれちゃいましたね。
開会式でのハプニングです。
空中に浮かんだ5つの雪の結晶が、輪に広がって五輪になるという演出だったのですが、
この結晶の一つが輪にならずに、四輪になってしまいました。
観ている方は、途中から、あ、これは失敗だなと気がついたのですが、
会場で中継していた、NHKのアナウンサーは、これに対して、その場ではノータッチ。
「あ、これは、どうやら、一つが輪になりませんね。四輪になってしまいました。」
とは、アナウンスはしてくれませんでした。
おそらくは、目の前に展開している大チョンボを、どういじったらいいものか、
アナウンサーには、そのフォローのセリフが咄嗟には出てこなかったんでしょう。
「いや、これは、そういう演出かもしれない。
ここで下手に失敗と中継してしまって、そうでなかったら、こっちの大チョンボだ。」
慎重に。慎重に。」
そんなことが頭をめぐっているうちに、躊躇してしまったのかもしれません。
結局この場では、そのチョンボは、まるでなかったことのように、プーチン大統領を迎える場面に
進行してしまいました。
五輪では、開会式での、こんな大規模な演出ミスは、そうはないでしょうから、
間違いなくこのシーンは、オリンピック史上に名を残す迷シーン?になると共に、
今大会最初の名シーンとなりました。
さて、二週間にわたるオリンピックの決戦の火蓋は、切って落とされました。
メダル候補の選手たちのインタビューを聞いていると、みんな「楽しんできます。」なんて
おっしゃっていますが、あのゆとり世代の若者たちが、スポーツをやると、
こういうコメントなるんだなあというのがオジサンの感想。
まあ、その結果がどうなるかはお楽しみです。
さて、日本はいくつのメダルがとれますか。
期待しておりますので、頑張ってください。
楽天イーグルスの田中将大投手が、7年総額1億5500万ドルで契約合意して、
ニューヨーク・ヤンキースへの入団が決まりました。
背番号は、「19」だそうです。
田中投手といえば、やはり記憶に鮮烈なのは、甲子園での斉藤投手との死闘。
決勝引き分け再試合の末、最後は、自らが立った打席で、斉藤投手に打ち取られた
劇的な幕切れ。
あの当時は、早稲田実業の斉藤投手の方に、スター性を感じたものですが、
彼が大学へ行っている間に、マー君は、とんでもない大投手になっていましたね。
ももいろクローバーのファンを公言するなど、大のアイドル好きだそうですが、
この件に関しては、是非奥様のコメントを聞いてみたいところ。
ロンドン・オリンピックが終了して、はや一週間。
残念ながら僕は、お仕事で、ゆっくりと見ている時間はなかったのですが、
期間中、ブルーレイ・レコーダーには、しっかりと働いてもらって、
感動のシーンも、そうでないシーンも、すべて録画。
終了して1週間後の今日も、せっせと、ディスクに、タイトルを付けて、ダビングしておりました。
まあ、すべてをゆっくり見るのは老後でしょうかね。
とにかく、オリンピックオタクなものですから、NHKアーカイブなみに、この記録を持っているだけでも、
かなり幸せな気分。
ブルーレイディスクにして、50枚くらいになりますな。
オリンピックとなると、ビデオの時代から、テレビ放映のものは録画していたのですが、
やはり限界があって、こうやってライブ映像をあまさず記録できるようになると感慨もひとしお。
今回の日本は、金メダルこそ少なかったのですが、おしなべて、幅広い競技で健闘したのでは
ないでしょうかね。
ちょっと前なら、かすりもしなかったような競技での頑張りが印象的でした。
そして、今や日本のカラーともなりつつあるチームワークと絆。
そうです。世界の皆さん。
我が日本は、力を合わせると、一人ひとりが、自分の力以上の力を発揮するんです。
覚えておいて下さいませ。
では、そんな中から、iPad でお絵描きしたイラスト10連発。
2012年ロンドン・オリンピック。
開会式を前に、いきなりテンションが上がる勝利が飛び込んできました。
ワールドカップとユーロの優勝で、ここのところ、世界サッカーの潮流になっているスペイン。
この優勝候補筆頭のチームに、文句なしの勝利をもぎ取ったのだからたまりません。
スポーツの醍醐味のひとつである番狂わせ。
当時の観客、メディア、そしてスペインチームにとっては、予想外の結果だったかもしれませんが、
勝った当の日本チームの面々を見ていると、やるべきことをきちんとやった結果と
たんたんとしたもの。(ゴールを決めた大津だけはウルウルしてましたが)
浮ついている様子もなく、意外な様子もなく、これがまぐれでも奇跡でもないよという風情は
ちょっとたいしたもの。
気は早いですが、結果予測。
そして、次のモロッコ戦とホンジュラス戦は、2-0 か、 3-0 で日本チーム。
勝ち点9で決勝トーナメント進出。
今回の日本チーム、ベスト8はいきますな。
がんばれ。日本。
将来へのチケットは、このピッチに落ちているぞ!
この大会の完全録画を目指して、SONY のBRデッキを購入したわけです。
とりあえず、「おまかせ録画」機能を駆使して、放送された全試合は録画できているはずなのですが、なかなかBRヘダビングする時間が取れなくて、この連休で一気にとりかかりました。
録画したのは、SRモード。
一試合2時間が、およそ6Gですから、BRの25Gには、3試合分は収まる計算です。
全64試合録画されていれば、22枚から25枚程度。
北京オリンピックのときは、DVDでNHK 放送完全録画を目指して、ダビング最終枚数が96枚。
これがけっこうしんどかったので、今回は、大容量のBRディスクで、スッキリとコンパクトに収めようという魂胆で、清水の舞台から飛び降りるつもりで、BRデッキを購入したわけです。
そんなの撮って、どうするの?とは、よく言われますが、これはもう道楽としかいいようがない。
たぶん、今の仕事をしているうちは、このディスクゆっくり見られる時間はないでしょう。
でも、これを自分で持っていて、見たいときにいつでも見られる状態に保管してあるということが、僕にとっては快感なんですね。
オタク道50年の「性」です。
ちなみに、我が実家は、本屋でしたので、おそらく、こいうものが、キレイに活字で整理されていて、並んでおいてあるという状態が生理的に好きなんでしょう。
本屋の息子に脈々と流れているDNAだと思っています。
オリンピックおたくでございます。
4年に一度のスポーツの祭典。
なにか、ワクワクしてしまうんですね。
はじまりはどこかといえば、もちろん1964年の東京オリンピックです。
当時の、僕は5歳。
当時は、大田区平和島に住んでいましたので、おじいちゃんに肩車してもらって、マラソンの折り返し点を黙々と通過していく黒い人(もちろんアベベ選手)に、わけもわからず手を振っという記憶があります。
そして、完全にハマったのはやはり1972年の札幌オリンピック。
このときは、完全にモノゴココロついておりましたので、この世紀のイベントには、中学生ながらに胸を熱くいたしました。
ハマッたらとことんいく。
この習性は、終生変わることはないようで、当時の僕は、実家が本屋であることをいいことに、オリンピック関係の特集雑誌を片っ端から読破。
あの70メートル級ジャンプの日の丸飛行隊はもちろんのこと、札幌大会のメダリストはほとんど暗記したんじゃないかな。
いまでもいえますよ。
フィギュア女子シングル銅メダルはジャネット・リン。
女子アルペン2冠は、スイスのマリーテレーゼ・ナディヒ。
男子スピードスケート3冠は、アルト・シェンク。
渋いところでは、男子バイアスロンのマグナー・ソルベリ。
当時は、もちろんビデオなんてものはないわけで、この「アサヒグラフ」の別冊は、たぶん、大学に行くくらいまでは大事に持っていたんじゃないでしょうか。
時代は移り変わり、メディアも変遷。
自分でビデオデッキを購入できるくらいになると、オリンピック中継は、できる限り録画いたしました。
それでも、当時はBS放送なんてものはなく、NHKで、毎日のハイライトと、終了後の総集編くらいのテレビ放映しかありませんでしたが、それでも番組はセッセと録画。
しかし、当時はビデオテープ代も馬鹿にならず、撮っては消しの繰り返し。
今、残っているビデオテープのパックナンバーをみると、1988年のソウルオリンピックあたりから、3倍速で録画したものが棚には並んでいます。
ビデオの時代からDVDになり、ビデオテープは徐々にDVDディスクにとってかわり、前回の夏のオリンピック北京大会では、DVDディスクにして50枚程度を永久保存版として録画。
やっと、ハイライトやベストセレクション以外の生中継映像も、録画できるところまでこぎつけました。
そんなの録画してどうするんだと聞かれることは多いのですが、これはオタクの習性としかすいいようがない。
コククションして、棚にしまって、いつでも好きな時に見れるという状態にしてあることがたまらない快感なんですね。
まあ、老後はぜいたくもできないでしょうから、せいぜい撮りためたコレクションをひねもすのんびりと鑑賞することで余生を送ることにしましょう。
さればまた老後も楽しからずや。
さてさて、そうこうしているうちに、時代はDVDからブルーレイの時代になっております。
今回、このバンクーバーオリンピックに照準をあわせて、ブルーレイのデッキを購入したことは、先日のブログでご報告いたしました。
なにせ今回購入を決断したのが開会式の一週間前のことでしたもので、ろくに機能を確認する間もなく、ほとんどぶっつけ本番の録画作戦。
録画のモードをどうするかとか、「おまかせ録画」をどう設定するとかはほとんどいきあたりばったり。
しかしながら、バタバタとしながらも、オリンピックが終了してみれば、1000Gのハードディスクを、ほぼ使い切って、バンクーバー・オリンピックの完全録画に成功。
大容量のデッキではありましたが、このハードディスクに、どのモードで、どれくらい録画していくかというあたりでは葛藤もありました。
しかしなんとか、フルハイビジョンの半分のサイズであるSRモードで、今回はBS-1のハイビジョン放送も含めて完全収録。
ポイントとなる種目の放送は、フルハイビジョンのDRモードで録画いたしました。
さあ、オリンピック終了直後からは、けして安くないブルーレイディスクを大量に買い込みせっせとダビング。
おそらく、ブルーレイディスクにして、約40枚くらいでしょうか。
生のディスク代だけでおよそ10000円です。
モノズキだねえという声も聞こえてきくますが、本人はいたってご満悦。十分に必要経費内です。
やはり念願であった、「完全録画」の快感には変えられません。
さあ、人生80年、いつか、ゆっくりと鑑賞させていただきます。
さて、蛇足ながらもう少々語ってしまいましょう。
完全録画の野望は達成できたので、次にトライしたいのは、このブルーレイで録画した高画質ハイビジョンの映像(理論値で言うとデジカメの画素数にして200万画素相当)から、自分の好きな画像をキャプチャーして、A3の用紙にカラー印刷してポスターにするという野望。
それをラミネート加工してポスターを作成し、ちょっと、シミの浮き出てきた部屋の壁一面にする作戦。
しかしながら、僕のこの野望は現在のところ、「著作権」だなんだという壁に阻まれて、使用している機能制限付きのソフトでは、キャプチャーができません。
まあ、この壁はいずれ越えて見せましょう。
「自分で楽しむ道楽」なら、文句はありますまい。
まずは、日本選手の皆様、お疲れ様でございました。
通算5000勝達成記念イベントとして試合前に行われたセレモニーの際の、新旧巨人軍ナインのそろい踏み写真です。
この写真の前列は、V9戦士。後列は、現役ナイン。
さて、名前をあげてみましょうか。
前列向かって右から、セカンド土井正三、センター柴田勲、ショート黒江、サード原、監督・川上哲治、サードご存知長島茂雄、ライト国松彰、レフト(ライト?)末次、キャッチャー吉田、ピッチャー堀内恒夫。
さて、後列向かって右から・・・えーと・・とんでキャッチャー阿部・・クロマティ??・・高橋(守備はどこだっけ?)・・?
・・・・????・・・・・???
だめだ。わからん。
巨人ファンではなく、元巨人ファンということにしておいてください。
投稿情報: 午前 10時04分 カテゴリー: スポーツ | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)