さて、1969年です。
後に、洋楽に目覚めてから遡ると、この年は色々とエポックメイキングな年だったのですが、そんなことは、当時小学校4年生だった少年には、知る由もありません。
この歳になってくると、歌謡曲への興味はグッと膨らんできます。
もちろん、歌える曲も、一気に増えて38曲。
中には、今まで、カラオケで一度も歌ったことのないような曲もちゃんと覚えていて、「流行歌」のパワーを感じますね。
この歳になって来ると、我が家にも歌謡曲のレコードが並び始めます。
大ヒットした「黒猫のタンゴ」は、自前のレコードだったような気がしますが、我が実家の本屋に住み込みで働いてくれていた青年が、歌謡曲の大ファンだった影響は大きかったようです。
彼の部屋には、「明星」「平凡」の付録ポスターや、レコードのジャケットがそのまま貼ってありました。
ちあきなおみの「雨に濡れた慕情」、アン真理子の「悲しみは駆け足でやってくる」、新谷のりこの「フランシーヌの場合」など、結構大人っぽい渋い歌が彼の好み。
これらの曲がすんなり歌えたのも、彼にレコードをたっぷり聞かされた影響でしょう。
そして、このあたりからグッと歌謡曲にのめりこめたのには、この前年暮れから放送が開始されていたフジテレビの「夜のヒットスタジオ」の影響が大きかったと思います。
司会は、この当時は、前田武彦と芳村真理。
月曜夜の10時からという放送でしたが、子供はそろそろ寝る時間にも関わらず、学校の宿題もせずに起きていて、大人たちに混じって、しっかり毎週見ていましたね。
「モグラのお兄さん」小林大輔によるコンピューター相性占いで、中村晃子、いしだあゆみらが号泣したのも覚えていますし、小川知子が当時の恋人だったレーサーが事故死したニュースを伝えられて、泣きながら「初恋のひと」を歌ったシーンも、リアルタイムで記憶しています。
この当時の歌謡曲を、ビジュアルとして記憶しているのには、この大長寿番組の影響は相当大きかったと思われます。
それまでは、レコード歌手などという人たちは、得体の知れない、遠い空の上の人という存在でした。
しかし、この番組の司会者たちの自然体でのアプローチから引き出される歌手たちの当たり前の人間性が妙に新鮮で、見ていてなんだかワクワクした記憶があります。
夜と朝のあいだに (ピーター)
三百六十五歩のマーチ (水前寺清子)
白い色は恋人の色 (ベッツィ&クリス)
夜明けのスキャット (由紀さおり)
恋の奴隷 (奥村チヨ)