「七人の侍」は、トリビア的エピソードにことかかない作品です。
すべてのことが、それまでの日本映画からみれば規格外。
制作費も当時としては破格の2億円。
脚本も、著名な脚本家三人による共同執筆というスタイル。
上映時間も、3時間20分と、通常の映画のまるまる2本分。
黒澤監督は、この映画を作ろうとした動機をこう語っています。
「日本の時代劇はみんな淡白。
僕は、観客に、鰻丼の上にカツレツを乗せて、そのまた上にハンバーグを乗せて、その上からカレーをぶっかけたようなご馳走を食べさせたかった。」
そんなわけで、この映画には、映画のいろいろな要素がてんこ盛り。
最初、3ヶ月で終わるはずだった撮影は、延長に延長。
やがて、1年になろうとしてもまだ完成は見えてこないという状況です。
業を煮やしたのは、東宝のオエラ方たち。
何度となく、予算オーバーの製作中止を黒澤監督に言い渡しますが、その情熱と馬力で、撮影を続行してきた監督。
ならば、ここまで撮影したフィルムを編集して見せてみろという会社側の命令。
この状況をある程度、予測していた黒澤監督には、このための秘策がありました。
実は、監督は、このときまで、ラストの決戦のシーンを1カットも撮っていなかったんですね。
もしこれを中途半端に撮っていたら、このフィルムを使って、不本意のまま、映画を完成させ、公開するといわれることは必至。これだけは、完全主義の黒澤監督としては絶対に承服できなかったというわけです。
「七人の侍」に、ラストの決戦シーンは不可欠。
これがなくては、もちろん映画にはなりません。
黒澤監督は、このラストの決戦だけがない、「七人の侍」を、東宝のオエラ方たちのためだけに、編集をして試写させます。
すでに、季節は2月冬。いまにも、大雪が降り出しそうな頃。
「編集には、1週間はかかります。この間に雪でも降ったら、撮影はさらに遅れて、製作費は膨らみますよ」
これは、黒澤監督の会社側への捨てセリフでした。
さて、運命の試写の後、オエラ型はその足で会議。
彼らは、監督の前に戻ってこう告げます。
「わかった。製作費は出そう。思う存分にやってくれ。」
おもわず、してやったりの黒澤監督。
そして、その夜、東京に大雪が降ります。
黒澤邸には、この夜、スタッフが集合して、酒盛り。
そして、この後、全員で除雪作業がはじまり、凍てつく2月の空の下で、6代のポンプ車を現場に持ち込んだあの豪雨の合戦シーンの撮影がはじまります。
この大プロジェクトを絶対にゴールまでたどり着かせる。
やはり、この大傑作を世に送り出した原動力は、黒澤明という人の、執念と馬力だったといえましょう。