さて、いよいよ、「関東ふれあいの道」埼玉県のコースも最終コースとなりました。
13番目のコースは、「高原牧場を通るみち」
秩父七峰を縦走する17.1キロのコースです。
アクセスは、西武線の秩父駅。
到着が7時25分。
ここから、三沢経由皆野駅の西武バスに乗って、「高原牧場入口」で下車。
およそ30分位です。
ここは、5番目のコース「大霧山に登るみち」のゴールで、6番目のコース「美の山公園を訪ねるみち」のスタート地点でもあったところ。
本日はまず、ここから、粥新田峠までは、5番目のコースで下りてきた道を上がっていきます。
そこまで、3.4キロ。
ちなみに、粥仁田峠は、室町時代から、関東平野と秩父を結ぶ要所だったところ。
昔この辺りは湖で、その湖の大蛇を弓で退治したという北野道本の伝説も残っています。
伝説といえば、この辺りには、いたるところに、日本武尊の伝説が残っていますね。
日本武尊は東夷平定の帰路、甲斐(山梨県)の酒折宮から、武蔵(秩父、奥多摩、奥武蔵)を通って上野(群馬県)へ向かい、「碓日坂」を越えて信濃へ入ったという記述が日本書紀に残っています。
この道筋にあたる、秩父・武蔵・奥多摩地方では、山岳信仰や修験者の影響もあいまって、日本武尊に因む神社が数多く設立されています。
粥仁田峠という名前も、神話の伝説の神様が、大霧山にでも腰掛けて、ここでお粥を煮て食べたなんていう神話でも残っていそうな名前じゃないですか。
さて、粥仁田峠を過ぎると、秩父高原牧場が広がってきます。
高原だけあって展望は抜群。
この日は晴天ということもあり、秩父連山はもとより、遠くは信越の山々までが一望
「ふれあい牧場」まで来ると、日曜日ということもあって家族連れが多かったですね。
牧場の中は、出入りフリーで、のどかに牧草を食べながら、日向ぼっこをしているヤギたちをナマで間近で見ることが出来ます。
さすがに、牛達は柵の向こう側でしたね。
さて、実は、この日5月18日は、「第2回外秩父トレイルラン43」のイベントとぶつかっていました。
要するに山岳マラソン大会です。
スタートは、寄居の町役場。ここから、ゴールの「ゆうパークおごせ」までの43キロを、それぞれのペースで走ってくださいというイベント。
タフなコースを走りきると、ごはんの提供と2施設どちらかで入浴できる特典付きとのこと。
このランニングコースが、今回の「高原牧場を通るみち」のトレッキングコースと、ほぼすっぽりかぶっていました。
僕は、いつものように、ハンディビデオカメラを手に持って、走ってくる参加者とは、逆走するかたちで歩いていたのですが、どうやら、そのかっこうが、大会関係者ビデオ記録班にでも見えていたようで、ランナーたちにやたらと声をかれられまくり、ひたすら苦笑い。
しかし、途中からは、こちらも、ほぼその気になってカメラを回していました。
主催NPO団体「小江戸大江戸トレニックワールド」の登りがあちこちに立っていて、コースの道案内になってくれました。
二本木峠から、愛宕山あたりまではヤマツツジの群生地域。
その中を走ってくる彼らを見ながら、一句。
さて、愛宕山から、皇鈴山まで歩いてくるとほぼ11時位。
大会は、11時までですので、このあたりからは、また静かな山に戻ります。
この皇鈴山から登谷山にかけでが、今回のコースの最高到達点。
最高標高といっても、680m位。
しかしそれでも、展望は抜群です。
関東平野の向こう側には、遠く上越日光連山の大パノラマが展開されます。
武甲山、大平山から、雲取山、白岩山、飛龍山。山梨の甲武信岳、三宝山。
秩父の両神山の肩越しに見える、信越方面の赤岳、天狗岳。
目を凝らせば、浅間山や草津白根山までもが展望可能です。
さて、ここまで歩いてくると、後は下りですので、楽になります。
さて、登谷山から1.4キロ歩くと、釜山神社。
釜山神社は秩父往還の要所、釜伏峠に鎮座する古社。
秩父への入口を守護するように、新旧数多くの狼狛犬が境内に鎮座しています。
コミック系キャラみたいな、お犬様もいれば、リアルなホラー系もいたりで、その造形はバラエティ。
伝説や古文書等によりますと、第9代開花天皇の皇子、日之雅皇子命が武蔵野国を巡幸した際に、釜伏山・奥の院において祠を建て旅の安全と国内の平定安康を祈ったのが、始まりといわれています。
その後、日本武尊が巡幸した際に、この神社に立ち寄って山頂において神様に供える粥を釜でたかれ、この釜を神体岩上に伏せ願望成就の祈りをしたと伝えられています。
このことから「釜伏山」「釜山神社」の名が付けられたといわれています。
これがこの地名の由来。
やはり、ちゃんと、粥仁田峠とつながった神話が残っていましたね。
そして、日本名水。
昔、ここを通りかかった日本武尊が喉の渇きを覚え、岩肌に剣を振るうと、この泉が湧き出したとの伝説があるのがこの名水。
この泉は日本水(やまとみず)と呼ばれ、いかなる日照りの時でも、絶えることはないといわれています。
釜山神社から、また1.4キロ歩くと、塞神峠。
塞神峠は、ちょうど、秩父と外秩父を隔てる比企山稜の尾根上に位置します。
そして、やはりここも、民間信仰の中で生まれた塞神をまつる地。
このあたりは地名で言えば、白鳥村大字風布。
峠の道はそれぞれ通学、役場通い、買い出し等土地の人々に密着し、生活していく上で大きな役割を果たしていました。
そして、このあたりが中心になったのが明治時代に起きた秩父事件。
秩父事件は、秩父地方の農民を中心とする3千余名が、高利貸、役場、警察などを襲撃した武装蜂起事件。
民衆は、やがて1万余に膨れ上がり、郡役所、裁判所、警察署などもを占拠したという血なまぐさい事件。
中心となったのは「秩父困民党」。
こんな静かな山道を歩いていると、この地のどこにそんなエネルギーが潜んでいたのかは、ちょっと想像もつきません。
塞神峠を過ぎると、後は山道を下って、長瀞駅に下りて行く行程。
荒川までは、5.3キロありますが、下り道なのでそれほど苦にはなりません。
国道140号線まで下ってくると、金石水管橋を渡って荒川を渡ります。
橋の上から見下ろせば、オートキャンプ場に来ている子供たちが、水着ひとつで川遊び。
その向こうを、長瀞ライン下りの舟が、ゆっくりと下っていきます。
長瀞駅到着は、ちょうど午後二時。
というわけで、関東ふれあいの道、埼玉県の最終コースは、ほぼコースアウトすることもなく、無事踏破。
埼玉県コースは、これで終了です。
この一年間で、山歩きは、完全に僕の新たな道楽になりました。
遠くまで出かけて行かなくても、自分の身近にも、まだまだ楽しませてくれる自然があるのは嬉しい事です。
埼玉県は踏破いたしましたが、関東一都八県全体で言えば、「関東ふれあいの道」のコースは130。
まだまだ楽しめます。
さて、最後に一句。
では、完成したばかりの動画です。