5月最後の日曜日、会社の野菜畑に行ってまいりました。
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5月最後の日曜日、会社の野菜畑に行ってまいりました。
「黄金バット」は、もともとは昭和初期の紙芝居がルーツ。
紙芝居は、昭和の前半、まだテレビもなく、映画館にもそうそう行けなかった子供たちが自分の小遣いで手の届く唯一といっていいエンターテイメントでした。
ちなみに僕は、高度成長期真っ只中の昭和の34年生まれ。
ですから、僕の子供の頃には、もうすでに各家庭にはテレビはありました。
僕は、6歳まで、東京のダウンタウン大田区平和島に住んでいました。
でもまだあの辺りには、紙芝居のオジちゃんが来てくれていましたね。
ですから、リアルタイムの紙芝居興行には、ギリギリ間に合った世代です。
縁日のある夜の神社の境内に、自転車の荷台に紙芝居キットをくくりつけたオジチャンが、駄菓子を買った子供たちを集めて、自作(おそらく)見せてくれました。
ただ、その演目が「黄金バット」だったかどうかは不明。
時代劇だったような気がします。
実は、僕は紙芝居を自分で作ったことがあります。
小学校の五年生の時、当時の人気漫画「いなかっぺ大将」をモチーフにした作品でしたね。
これは友達よりも、親族に喜ばれました。
自分で作ったもので、人を喜ばせるという、今の道楽にもつながる原点がこれだったかもしれません。
「黄金バット」はその後「少年画報」での連載を経て、1950年に一度映画化されています。
そして、東映による二度目の映画化がこの作品。
1966年製作ですから、映画少年だった僕は見ていてもよさそうなのですが、これはまったく記憶にありませんでした。
おそらく今回が初見。
主演は、珍しく髭の千葉真一。
彼の記憶は、僕としてはTBSのドラマ「キーハンター」からですね。
この映画の記憶はありませんでしたが、実は「黄金バット」の記憶はあります。
それは、この翌年に放映された、アニメ版の黄金バットです。
あのトレードマークとなった、高笑いもこのアニメでの鮮烈な記憶です。
敵の首領ナゾーが叫ぶ謎の雄叫びが「オーンブローゾー」。
これは、はっきりと覚えていたので、この映画を見ながら、それがいつ出るかいつ出るかと構えていましたが、アニメの前年につくられたこの映画版では最後まで出てきませんでした。
あれは、アニメ版からのオリジナルだったようです。
このアニメのスタッフが手がけた2作目が「妖怪人間ベム」。
子供心には、「妖怪人間ベム」の方が、「黄金バット」よりも、強烈な印象がありました。
さて、映画です。
50年以上も前の子供向け映画の特撮映画です。
こちらが大人になったからといって、その甘い設定や特撮技術に野暮なツッコミを入れるようなことはよしましょう。
こういう昔の映画を見るときの楽しみ方のコツは出演者です。
「え? あの人がて出るじゃん」
これですね。
主演の千葉真一は当時27歳。
東映の「仁義なき戦い」あたりからは、この正義のヒーローのイメージはかなぐり捨ててしまった彼。
しかし、この映画では、まだ正義の味方。
でも日体大出身の彼の十八番であるアクションは少なく、むしろインテリ系の役でした。
それからパール研究所の少女隊員役で高見エミリー。
僕らの世代では懐かしい名前です。
彼女はあの頃の、少女雑誌の表紙をかなりの頻度で飾っていた女の子でした。
あの「リカちゃん人形」のモデルだったことで有名。
17歳で、鳩山邦夫と結婚して、芸能界から引退しで政治家夫人になってしまったのにはビックリでした。
同じく研究所の所員に、中田博久がいました。
この人は、この映画の翌年に「キャプテン・ウルトラ」を演じています。
そうそう、映画の冒頭に、青島幸男が警官役で出演していました。
その他、僕が印象に残ったのが、敵の怪人の一人ケロイド役の沼田曜一。
他の怪人とは、明らかに頭一つ抜けたキャラを演じていました。
あの「ダークナイト」で、ヒース・レジャーが演じたジョーカーを彷彿とさせる演技は注目。
それから出演者ではありませんが、印象に残ったと言えば、黄金バットの登場シーン。
あのサイレント時代のドイツ映画の傑作「カリガリ博士」が下敷きにあったらしき演出。
そういうネタ元を見つけていくのもこの手の映画の楽しみ方。
古い懐かしい映画を見て、意外な俳優を見つけたり、新たな再発見をするという映画の楽しみ方もあります。
たとえ、笑ってしまうような演出の穴をみつけてもそれはそれ。
もちろん、黄金バットのように「アハハハハ」なんて笑うような失礼なことはいたしませんて。
これまた懐かしい忍者映画。
見てました。見てました。
もちろん見ていたのは、ドラマ版ですが、赤影に関しては、少年サンデーに連載されていた漫画も見ていました。
原作は、横山光輝。
漫画の連載時には、「飛騨の赤影」というタイトルでした。
この横山先生は、あの当時の僕の「神様」でしたよ。
だって、彼の描く漫画には、ことごとくハマっていました。
最初はもちろん「鉄人28号」。
それから、「ジャイアント・ロボ」「魔法使いサリー」「バビル二世」。
ずっと後の「三国志」なんかも、読んでましたね。
横山先生の忍者物でいうと、この「赤影」の前に、「伊賀の影丸」がありました。
忍法「木の葉隠れ」の影丸です。
連載された漫画は、すぐにコミックになりましたので、これは何度も読み返しておりました。
面白かった。
確か、「伊賀の影丸」は、人形劇として、放送されていたんだよなあ。
ちょっとWiki してみたらありました。
TBSで製作されていますね。
この、「伊賀の影丸」の下地がありましたから、その流れで「仮面の忍者赤影」も漫画から入りました。
そして、テレビ放送が始まったのが1967年から1968年にかけて。
柿沢少年は、8歳から9歳。
漫画のイメージからは、かなりかっ飛んだ実写版でしたが、子供にとっては特に問題なし。
ガマガエルの怪物などは、漫画の原作にはなかったんじゃなかろうか。
なんだか、戦国時代の設定の割には、ハイテクな兵器がたくさん出てきて、子供心に苦笑いしてました。
赤影を演じたのは、坂口祐三郎。
かなりのイケメンでしたが、その精悍なルックスも、仮面で隠してしまっているので、顔の印象が薄いのは可哀想でした。
青影を演じたのは、金子吉延。
この映画の中では見られませんでしたが、彼が打つ相槌。
「がってん、がってん、しょうち。」
小鼻に指をあてて開きながら言う「だいじょうぶ。」
これは、よく学校でみんなでやりました。
この赤影の翌年には、「河童の三平 妖怪大作戦」で、堂々主演。
記憶のあるところだと、ウルトラマン 第15話「恐怖の宇宙線」。
彼の描いたイタズラ描きが、二次元怪獣ガヴァドンを出現させていました。
東宝映画「キングコング対ゴジラ」にもチラリと出演してました。
何回も見た映画ですから、覚えているのでしょう。
白影は、牧冬吉。
彼も、「河童の三平 妖怪大作戦」で、甲羅の六兵衛を演じていたので、記憶にバッチリ。
「隠密剣士」などにも出演していましたが、柔道少年だった僕としては、「柔道一直線」の嵐先生役が一番印象にあります。
この赤影に代表される東映の特撮は、 東宝の円谷プロの特撮、「大魔神シリーズ」に代表される重厚な時代劇特撮に比べると少々、クォリティが落ちるというのは、子供の目から見ても明らかでした。
東映のターゲットは、完全に子供に絞られていたのでしょう。
この映画も、「飛び出す冒険映画」と銘打った3D映画。
映画の中で、出演者が度々、メガネをかけるように観客に促します。
当時の観客は一斉に、入場の際に配られた3D用の紙製のメガネをかけるのですが、根が素直ではない柿沢少年は、メガネを付けないでスクリーンを見ていた記憶があります。
こういう演出も、東映らしいといえば東映らしい。
他の映画会社の作品では見たことないなあ。
1969年といえば、映画はだんだんとテレビに食われて、斜陽に拍車がかかってきた頃。
映画業界も、あの手この手と必死だったのでしょう。
東映は、「子供相手」では、先細りと判断し、この後、時代劇ポルノ路線、ヤクザ映画へと舵を切っていきます。
そして、僕たち子供のエンターテイメントは、完全に映画館から、お茶の間のテレビへと移ることになります。
映画業界は、青影のように、「だいじょうぶ」という訳にはいかなくなっていきましたね。
Amazone Prime で、なんとも懐かしい映画を見つけました。
「忍者部隊月光」
これは、映画ですが、僕が子供の頃に胸躍らされたのはドラマ版。
1964年から、1966年まで、全130話が放送。
僕がちょうど5歳から7歳にかけての、子供真っ盛りの頃。
見てました。見てました。
そして、今の子供たちが、「妖怪ウォッチ」や「アンパンマン」(例えが適切でないのはご勘弁を)に、ハマるがごとく、しっかりとこのドラマには、子供心をつかまれておりました。
原作は、タツノコプロの創始者・吉田竜夫の漫画。
しかし、この漫画の記憶は、ほとんどありません。
「少年キング」連載でしたが。、僕の当時の愛読書は「少年マガジン」と「少年サンデー」まで。
「少年キング」までには手が回りませんでした。
Wiki によれば、原作漫画は、第二次世界大戦の頃が舞台で、主人公は子供たちとか。
これは、まったく記憶にありません。
タツノコプロの漫画で、僕の記憶に登場するのは、あの「マッハGO!GO!GO!」以降のこと。
やはり、「忍者部隊月光」といったら、僕らの世代では完全にこのドラマの記憶です。
忍者部隊のあのヘルメット。白い刀。そして、手裏剣。
これは、当時ビニールソフトやプラスチック製でグッズが販売されていたので、きっちり揃えました。
そして、これをそろえられた子供たちだけが出来た遊びが、「忍者部隊月光」ごっこ。
こういう遊びをするとき、僕はたいてい隊長役をゲットしてしまう、したたかな子供でした。
あの、「待て」「行け」「集まれ」のかっこいいボディアクションも、みんな僕がやらせてもらいました。
そして、あの手裏剣。
これは、さすがに危険すぎて売っていませんでしたが、僕は「遊び」となると俄然盛り上がる少年でしたので、近くの鉄工所のゴミ箱をあさって、鉄の端切れを拾ってきて、これを隊員に配布。
手裏剣代わりにしていました。
今考えると、ぞっとしますが、この鉄の端切れは、うまいこと投げると、木製のものには、スコンスコンと気持ちよく刺さるんですね。
今だから白状してしまいますが、近くの三菱グラウンド(当時の浦和市上木崎)の裏の雑木林などで、よく投げて遊んでいました。
幸いけが人は出なかったからよかったようなものの、今考えてみると、まったくおっかないことをしていたものです。
さて、映画の方は、1964年の東映製作。
ドラマがオンエアされた年ですね。
Wiki してみますと、1964年の「東映まんが大行進」の中の一本として封切られています。
ですから、これ、間違いなく、大宮の東映の映画館で観てますね。
併映は、「鉄人28号」「狼少年ケン」「エイトマン」ですから、間違いありません。
あの当時、子供の頃に見たドラマですから、今更野暮なツッコミをするのはよしましょう。
子供心にでも、ワクワクさせられたのですからそれで上等。
こういう昔のドラマを見るときの楽しみのひとつは、「おーあの人が出ていたのか」という再発見。
主演は、水木襄で、東映のニューフェイスだった俳優。
同期の俳優が、佐久間良子、室田日出男、山城新伍。
この人は、このドラマの主演が、人生の花でしたね。
映画だけで見れば、彼にとってはこれが最後の出演作でした。
その後の出演で僕が覚えているのは、円谷プロ製作ドラマ「恐怖劇場アンバランス」の「猫は知っていた」
「あ、この人月光隊長。」と、気が付いた記憶があります。
その他のキャストを見てみると、忍者部隊が所属する「あけぼの機関」の機関長に中山昭二。
この人は、ウルトラセブンのウルトラ警備隊のキリヤマ隊長です。
それから、敵方のバラモン役が「悪役商会」のドン八名信夫。
シュナイダー役が、後でクレジットを見るまで気がつきませんでしたが小林稔侍。
このドラマは、アメリカにも輸出されました。
アメリカでのタイトルが、『Phantom Agents』
「忍者部隊月光」のタイトルソングは、もちろんいまでもちゃんと歌えます。
それでは、みなさんご一緒に。
さて、苗植はほぼ完了。
今シーズンも、いろいろな野菜を手広く定植いたしました。
今回は、植えた苗が誰にでも一目でわかるように、全種類に看板をつけました。
まだ、苗が育ち始めたばかりでは、なかなか区別がつきにくく、どんな野菜が、どんなふうにできるのかはわかりにくいので、簡単な説明と写真つき。
半分は、苗を購入するときに一緒についてくるタグをラミネートではさんでそのまま看板にしました。
追肥のタイミングや、簡単な栽培方法なども裏面にあるので、こちらも勉強しながら、畑仕事を頭に入れられます。
会社の畑で、野菜作りをやらせてもらっていよいよ3シーズン目。
まだまだ、修業は足りないですが、だんだんといっぱしの、お百姓になってきた気分ではいます。
さて、こちらが、今回僕が担当するエリア。
野菜たちは正直です。
こちらが、なにも手間をかけなければ、収穫もそれなり。
忙しい中でも、かけた手間の分にだけ、彼らは正直に応えてくれます。
これは、前シーズンまででヒシヒシと実感。
限られた時間の中で、いかに野菜たちに手間をかけてあげられるか。
畑に行けば、いつでもやることはいっぱいです。
細かいことを言い出せは、限りがありません。
もちろん、師匠たちも含めて、素人百姓三人では、そのすべてをこなすことはできません。
素人農業ですから、それはやむなし。
ですから、畑に行ったら、三人それぞれの時間で、やれることをやれるところまでやる。
結局それしかありません。
そんな中で、出来た野菜は、当然ながら、スーパーの店先に並ぶ、綺麗に揃った野菜のようなわけにはいきません。
形も歪なら、大きさも凸凹。
到底、売り物にはなりません。
ところがどっこい、そんな野菜でも、採れたてをその日に食べれば、スーパーの野菜よりも、みんなおいしい。
つまり、大きさや形は、味には関係ないということは、この2年で学習しております。
素人農業ならばそれで十分。
だって、思い出してみてください。
僕らの子供の頃の八百屋は、みんな量り売りでしたよ。
サイズも形も結構バラバラな野菜を、秤にのっけて、いくら。
それを袋に入れて売ってくれました。
秤の針がちょっと振れないと、八百屋のオヤジは、
「ああ、ちっと足らんな。はい、じゃこれオマケしとくよ。」
すると、「あら。すまないねえ」と客。
こんなやりとりが店先で飛び交っていました。
どの野菜も、今のスーパーみたいに、綺麗にお行儀よく並んでやしませんでした。
でも、みんな美味しかった。
おそらく、野菜たちにしてみれば、勝手に大きくなりたいのに、こちらの都合で、大きさをそろえられてしまうストレスってあるんじゃないでしょうか。
見た目はきれいで、流通を考えれば便利ですけどね。
でも、おそらく不揃いの野菜の方が、ストレスは少ないはず。
今年3年目の素人百姓は、そうにらんでいます。
でも、自分たちの胃袋に入るのなら、結局それでなんの問題もありません。
そして、たくさん収穫できた野菜を、どう保存して、どう胃袋に納めるか。そして、どうお裾分けして喜んでもらうか。
これもまた、これからの楽しいベジタブル・ライフ。
自分たちの作った野菜で、自分たちも楽しみ、そして、差し上げた方にも、喜んでもらえれば、作り甲斐があろうというもの。
なまじ、経済サイクルになんか載せない方が、自然のものは、自然に楽しめるように出来ているようです。
さあ、今シーズンは、何がうまくいって、なにがうまくいかないか。
失敗はご愛敬。うまくいったら、それはまさに天の恵み。
そんな訳で、今シーズンの栽培野菜のラインナップは、動画でまとめてみました。
前回の動画と比べれば一目瞭然。
一週間もたてば、野菜はみるみる成長してきます。
これからは、目が離せません。
ちなみに、こちらは、トマトの脇芽かきの要領です。
トマトは、枝の間から出ようとする、脇芽をマメに取り除くことが、ここからのポイント。
そして、草むしりと水やり。
これが畑作業のメインになってきます。
畑のリーフレタスなどは、絶好調。
来週はもう収穫です。
さあ、楽しみ楽しみ。
突然、ザ・ピーナッツが歌いたくなってしまいました。
彼女たちのデビューは、1959年と言いますから、僕の生まれた年。
引退は1975年。
ですから、現役のキャリアは16年。
歌って踊れて、コントもできて、演技もできる。
今の女性タレントたちが、逆立ちしても及ばない、エンターテイメント性を、彼女たちは持っていましたね。
持っていただけでなく、レッスンの量もハンパじゃなかったというのは、伊東ゆかりや中尾ミエの証言。
才能があって、努力があれば、芸は磨かれて、光るという見本のような二人です。
芸能界におけるキャリアは多岐に及んでいる彼女たち。
でも、僕ら東宝怪獣世代にとっては、なんといっても「モスラ」に登場するインファント島の小美人。
映画の中で、彼女たちが歌う「モスラの歌」は、今でもそらで歌えます。
それから、忘れられないのは、あの伝説のバラエティ番組「シャボン玉ホリデー」。
あの番組は、まさに彼女たちのためにあったといっても過言でない。
歌や踊りだけでなく、クレイジー・キャツツの面々と、堂々と渡り合うコント。
「おとっつぁん、おかゆが出来たわよ」は、今でも覚えていますな。
ジュリーと結婚した、お姉さんの方の伊藤エミは、2012年に他界。
妹のユミさんも去年他界。
今頃は、天国で「シャボン玉ホリデー」してるでしょうか。
さて、一週間たってしまいましたが、もちろん先週も畑へ行ってまいりました。
まだ、苗を植えられるスペースがありましたので、先週同様、前日の土曜日は、園芸店のはしご。
先輩からは、僕の方の担当エリアで、カリフラワーとブロッコリーをやってといわれておりましたが、残念ながらその苗は見つからず。
まだやったことのない珍しそうな苗と、前シーズンまでで、上手くいった苗を中心にゲットしてまいりました。
春野菜の苗は、どちらの園芸店も、苗売りは今が盛り。
家庭菜園をやっている人はかなり多いようで、ホームセンターの園芸コーナーは、たくさんの人でした。
さて、ズラリと並べた苗はこちら。
マルチカッターで、畝のマルチに深めに穴をあけ、野菜用の培養土をいれてから、苗を植えます。
そして、苗の周囲の隙間に、再び培養土をいれ、苗の周りを手で丁寧に固めます。
水やりは、師匠には、ジョーロの頭はとってあげた方がいいと教わりました。
シャワーにして、水やりをするよりも、効率的に苗の周辺の土に、水を浸透できるとのこと。
まだ梅雨の季節にはなりません。
初夏のまぶしい日差しから、苗も水分不足になりがち。
この時期は、たっぷりと水やりをします。
さて、お次は、先週植えた苗で、背丈が伸びてきたもの、これから伸びていきそうなもの。
この苗が、倒れないように、支柱をたてて、そこに誘引します。
誘引は、師匠たちは、ビニールロープを使いますが、僕はカインズホームでせ仕入れた、この誘引用支柱キャッチを使用。
お恥ずかしい話、紐を結わくのがあまり得意ではありません。
去年は、それで誘引用紙テープを使用しましたが、今年はこれでトライ。
これならワンタッチで、簡単に誘引できるので、採用いたします。
作業は、何事も、道具から入るタイプ。
ホームセンターの園芸コーナーにいけば、なにか使えそうなものはないかと、いつもチェックに余念がありません。
それから、もう一つ見つけてきた秘密兵器。
育苗に最適 !「苗帽子」
デリケートな植えたての苗は、虫や鳥、それから雨風などの外敵から守らないといけません。
苗の保護は、本来ならこううやってやるのが正解。
これは、師匠がスイカの苗を保護したもの。
やってみると、これが意外と手間がかかります。
なので、これも新兵器を使用いたします。
苗帽子は、苗にかぶせて、両脇をピンで抑えるだけ。
てっぺんに穴が開いているので、支柱があっても大丈夫ですし、そのまま水やりもできます。
全部の苗にかぶせると予算がかさみますので、まずは、高価な苗を中心に使用。
繰り返しの使用も可能ですので、まずは今年は様子見です。
さて、それでは、今回僕の担当エリアで植えた苗をご紹介。
まずはサラダ用のレタス関係。
リーフリタス。
ベビーリーフ。
そして、韓国の焼肉でおなじみサンチュ。
石倉ネギ。
ロケット(ルッコラ)。
赤じそちりめん。
アシタバ。
京野菜 加茂なす。
加賀野菜 太きゅうり。
素人メロンころあま。
苗を移動して、
京野菜 鹿ガ谷かぼちゃ。
加賀野菜 打木赤皮甘栗南瓜。
高麗人参。
ペピーノロイヤルカスタード。
にんにくジャンボ。
行者ニンニク。
パブリレッド。
パプリオリンジ。
以上。
ここまでが、僕の今年の担当エリアに植えた苗。
さて、次に、師匠たちの担当エリアに飢えられた苗を見ていきましょう。
お隣の畑から。
このエリアは、太陽光パネルを設置した下になります。
坊ちゃんカボチャ
黒皮赤肉タネナシ大玉スイカ3xブラックジャック。
スイカ紅小玉。
黒皮赤肉ラグビー形スイカ 銀のたまご。
茄子 千両二号。
庄屋大長ナス。
トルコ白ナス。
米ナス。
魅惑のナス 緑の極み。
カラーピーマン赤。
カラーピーマン黄。
ピーマン。
甘長トウガラシ。
ゴーヤ。
ツルインゲン。
キュウリ接木夏すずみ。
リーフレタス。
あまいコーンEX。
モロヘイヤ。
青葉。
トマト桃太郎。
プチトマト レッドチェリー。
うす皮ミニトマト キラーズ。
さつまいも 紅あずま。
ニラ グリーンベルト。
そして、今シーズンは、去年スイカを育てたスペースは、お休み。
今回はここまで。
それでは、今回の詳細は動画でどうぞ。
今マイブームになっているのが古典落語。
特に、古今亭志ん生にハマっています。
主に、車の中で聞いているのですが、妙に心が落ち着きますね。
渋滞などで、イライラしている時は最高です。
「そんなに、あわてなくてもよござんしょ。」
師匠にそんな風に言われている感じ。
もっともです。
古今亭志ん生は、五代目古今亭志ん生。
古今亭志ん朝の親父さん。
中尾彬の奥様である池波志乃のおじいちゃんでもある人。
もちろん、僕は現役時代の志ん生の落語は知りません。
志ん生師匠は、昭和48年に満83歳で亡くなっています。
僕が彼の芸を知ったのは、弟の持っていたDVDが最初。
彼がどこでそれを仕入れたのかは知らないのだけれど、一度見て見事にハマってしまいましたね。
実は、そのDVDに本人は出演していません。
演じる声は本人のものなのですが、演じているのは山藤章二のア二メ。
「ラクゴニメ」シリーズの1本でした。
なにせ映像資料の少ない人。
貴重な録音に、当時の彼の芸を知る山藤氏が、「この芸のエッセンスを残したい」という想いから製作したものだそうです。
古今亭志ん生は、東京の人。
シャキシャキの江戸っ子。
江戸っ子の一番典型的な特徴は、「ひ」が発音できずに、「し」になってしまうこと。
「ひさしぶり」は「しさしぶり」。
「ひなまつり」は「しなまつり」といった具合。
これ、実はうちの父親がそうだったんですね。
父は、サザン東京ダウンタウン大森育ち。生粋の江戸っ子で、見事に江戸弁でした。
そして、志ん生師匠とは同世代になる、僕のおじいちゃんが、それに輪をかけた江戸弁でした。
だから、志ん生師匠のパフォーマンスを聞いてると、まずこれにニヤリです。
父親の弟妹たちは、いち早く標準語を獲得していましたが、我が父親だけは結局最後まで江戸弁。
そんな家族でしたから、古今亭志ん生の江戸弁落語には、最初からどこかシンパシーを感じていました。
そして、我が父親は、落語家・古今亭志ん生の現役時代をリアルタイムで知っている世代。
我が父は、よくデートで寄席に行っていたと言っておりました。
古今亭志ん生の落語の話を、よく親戚のおじさんたちが、おじいちゃんを交えてしていたのを、横で聞いていた記憶があります。
古今亭志ん生が、何度となく酔っ払って、ろれつが回らない状態で高座に上がっていたこと。
そして、あろうことか、客の見ている前で居眠りをしてしまうこと。
そして、彼の芸を愛する客たちもそんな志ん生を、怒ったり、起こすような野暮なことはしなかったこと。
そんな彼にまつわる伝説的なエピソードは、落語を見ることはなくても、子供の頃にどこかで刷り込まれていました。
彼の落語がテレビで放映される機会はいまやほとんどありませんが、今はネットの時代。
彼の往年の落語の録音が、数多くYoutube で拾えるんですね。
いい時代になったものです。
その録音を片っ端からゲット。
これを聞きながら、気になったネタや、ちょっとオチが理解できなかったネタを、復習するために。「古典落語全集」全6巻も購入。
iPad に仕込みました。
三枚起請。
火炎太鼓。
あくび指南。
粗忽長屋。
芝浜。
子別れ。
まあ、いずれも、江戸の町民文化華やかりし頃から、受け継がれてきた古典落語。
歴代数多くの落語家たちの珠玉のパフォーマンスが残っていますが、やはり志ん生師匠の語り口は、素人が聞いてもわかるくらい一味違うんですね。
とにかく、この人は、「笑いの神様」によほど気に入られたのでしょう。
お囃子に乗って、高座に上がって、よっこいしょと座る。
もうそれだけで、客席から笑いが溢れている。
そんな落語家はそうはいません。
彼と同時代に活躍した名人・桂文楽。
彼の落語は、一分の隙もなくみっちりと作り込まれた精密機械のような落語だったと言います。
完成度が高く、なんど演じてもブレがない。
名人と言われる人の落語はそうであるべきかもしれません。
そこへいくと、志ん生の落語は、まるでその正反対。
彼の破天荒な人生をそのまま映し出したようなパフォーマンス。
出来がいいも悪いも、その時の状態次第。
音楽で例えるなら、桂文楽は、いわばスタジオ・ミュージシャンのプロ。
古今亭志ん生は、ライブのプロ。
そういうことになるのでしょう。
6代目三遊亭圓生がこんなんことをいっています。
「志ん生とは道場の試合では勝てるが、野天の真剣勝負では斬られるかもしれない」
志ん生の落語には、なんの計算もなく、捨て身出でたとこ勝負を意図的に仕掛けているスリルがあるんですね。
つまり彼が上がった高座が、いつでも彼と観客の一騎打ちの戦場になっている。
「さあさあ、どうくる?」。
演者と観客が、お互いそんな心持ちで、その場の空気を作っているわけです
これが、彼の落語の最大の魅力といえましょう。
そんなわけで、古今亭志ん生は、僕にとっては唯一無二の落語家。
そういえば、ひとつ思い出しました。
黒澤明監督が、映画「どん底」を作る前に、古今亭志ん生を呼んで、スタッフやキャスト全員に彼の 落語を聞かせたんだそうです。
理由は、彼の落語で、映画の描く当時の空気を感じ取ってもらいたいということ。
一流の人は、一流を知るということでしょう。
中に何人かは、この臨時落語独演会に参加しなかった人いもたそうですが、それはちょっとシンショウが悪い。
お後がよろしいようで。
もう、なんですか。
また、やってるんですか?
そりゃ、「short cut」では、褒めちぎりましたよ。
そのトライはさすが、三谷幸喜。
ワンシーンワンカット映画に果敢に挑戦した、脚本家魂を絶賛いたしました。
でも、それが評価されたと言っても、これは、そう何回もやってはいけません。
あのヒッチコックだって、ワンシーンワンカットに挑戦したのは、彼の長いキャリアの中であの「ロープ」一度きり。
そして、あのトライは、あの一度きりだったからこそ、今でも評価されているわけです。
ワンシーンワンカットという映画の作り方は、普通に撮影していれば、普通にできる演出の多くを犠牲にしています。
その代わりに、カメラを止めないことから発生する、現場の緊張感をすくいあげている演出。
舞台演劇を多く演出してきた三谷監督だからこそのこだわりがあったのでしょう。
見ている方としても、ワンシーンワンカットゆえの、多少の演出の無理は、最初の一回なら我慢できました。
でもですよ。
これを続けてやるとなると、見る方も学習します。目が肥えてきます。
当然今度は、このワンシーンワンカットでないといけないという演出上の必然性があるのかという話になります。
でも、「大空港」というタイトルからこっちが勝手に連想してしまう、パニックアクションシーンは一切なし。
ただ、ひたすらローカルの松山空港のグランドスタッフ竹内結子と、ワケあり家族とのスッタモンダを、これでもかこれでもかと見せてゆく展開。
生瀬勝久、戸田恵梨香、オダギリジョー、香川照之といった芸達者を並べて、ドラマを盛り上げてはいますが、やはり見ている方としては、前作「short cut」ほどの緊張感は維持できず。
もちろん、飽きさせてはいけないと、三谷監督の脚本は、あの手この手のハプニングのてんこ盛り。
まるでジェットコースター。
でも、これがよくなかった。
やり過ぎですよ。明らかに。
そもそも、こんなにいろんなことが、たった二時間弱の中で起こる道理がない。
しかも、地方空港という限られたスペースで。
前作「short cut」にはあった、リアリティが、このドラマでは完全に消滅していました。
役者も、通常のドラマ撮影の何倍もの緊張感を強いられた中での熱演には間違いなかったんですけどね。
撮影スタッフにおいては、それ以上の緊張感があったはずです。
もういいと思いますよ。
この企画はこの辺で。
但し、ワンシーンワンカットは、やはり演出としては、見応えがあることは事実。
やりすぎない程度に、ここぞという場面でトライしてみてください。
最後に一言。
でも、このドラマの、竹内結子はよかったなあ。
前から好きな女優さんでしたが、さらに一層ファンになりました。
この手法は、誤魔化しがきかない分、役者の魅力を引き出すにはいいのかもしれません。
さて、次は、なにか彼女の出演作品を見ることにしますか。
ワンシーンワンカットではないやつをね。