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還暦を越えた親父で申し訳ないですが、広瀬すずのファンなのです。
是枝裕和監督の2作品「海街diary」「三度目の殺人」。
そして、李相日監督の「怒り」という、割とグッときた最近見た日本映画の全てに彼女が出演していました。
テレビ・ドラマは見ないので、彼女の出演作品で見ているのは、この3本だけなのですが、これが3本とも全てよかったんですね。
1998年生まれの、この若い若い女優の、キラキラ光る魅力が、沁み入りました。
ティーン・エイジャーなのに、どこかキラリと光る大人の魅力が内包された不思議な存在感。
高峰秀子、岡田茉莉子、岸惠子といった、日本の伝統的美人女優の系譜をしっかりと踏んだ芳香を放ちつつ、溌剌とした少女の瑞々しさも併せ持つバランス感。
この素材を活かす監督に恵まれた幸運もあるとは思いますが、大手企業はそれをしっかりとキャッチしていたようです。
名だたる企業の、コマーシャルには引っ張りだこの彼女。
映画ファンとしては、一度ご贔屓の女優が出来てしまうと、どうしても出演作品は追いかけてしまいたくなります。
そのタイトルを見れば、通常であればスルーしてしまうような本作も、広瀬すず主演ということになればやはり気になってしまいました。
本作は、チアダンスで全米制覇を成し遂げたという、福井県の自在の高校をモデルにした青春映画。
チアダンス部が四校しかないという福井県大会でもコケるような弱小チームが、わずか3年間で、本場アメリカの大会を制覇するまでに成長していくまでを描いています。
広瀬すずが演じるのは、天真爛漫な女子高生友永ひかり。
サッカー部に入った中学からのボーイフレンドをなんとか応援したいという理由でチアダンス部に入部します。
しかし、そこで待っていたのは、やたらとテンションの高い顧問教師早乙女薫子。
演じるのは天海祐希。
彼女の厳しい指導についていけないチームは、バラバラになりますが、ひかりと部長の綾美が、少しずつチームをまとめ上げていきます。
女優に惚れ込んで映画を見ている身としては、正直ストーリーはそれほど気にならないのですが、やはり「入れ込んでいる」分、感情移入はしていると見えて、気がつけば「想定内」の展開にも目はウルウル。
孫のような年齢の広瀬すずの成長に、しっかりと拍手を送っておりました。
なかなかいいシーンがありました。
バラバラになった部員を、ひかりと綾乃が、一人一人説得していくシーン。
夜のショーウインドウの前で、踊っていた仲間の一人を見つけた二人は、何も言わず、その背後に立って、一緒に踊ります。
セリフなしでも、彼女たちが心を通い合わせていくのが伝わってくるなかなかの場面でした。
最後は、早乙女が言う「誰も見たことのない景色」を見ることになるひかり達。
地元地域のお祭りでは、毎年ビデオ撮影を仰せ使っています。
何年か前のお祭りで、地元高校のチアダンス部を招いて、ステージで踊ってもらったことがあったのですが、カメラマンの特権で、彼女たちの溌剌としたダンスを、その時はナマでかぶりつきで見せてもらいました。
後で言われましたが、カメラの後ろで、スゴイ顔になっていたとの事。
すけべ親父にとっては、「誰も見たことのない景色」は、かなり恥ずかしいものだったかもしれません。反省。
アニー・ホール
1977年度のアカデミー作品賞に輝いたのが本作。
その他、主要4部門も獲得していますので、押しも押されぬ名作ですが、これを今まで見ていませんでした。
主演のダイアン・キートンは、もちろん「ゴッドファザー」で知り、かなりキワドイ女教師を演じた「ミスター・グッドバーを探して」は見ていましたが、本作は未見。
彼女は、本作の演技で、アカデミー主演女優賞を獲得しています。
ウッディ・アレンも、本作でアカデミー監督賞を獲得していますが、「そんなもん。いらないよ」とばかりに、授賞式には出席せず、仲間とジャムっていたという有名な話。
彼が脚本主演をした「ボギー!俺も男だ」は、「カサブランカ」ファンとしては、外せない映画でしたので、覚えていますが、その他の彼の作品としては、「マンハッタン」と「カイロの紫のバラ」くらいしか見ていません。
まだまだ、彼の名作には、未見のものも多いので、ボチボチと見て参りましょう。
本作は、ウッディ・アレンの代表作と言ってもいい作品。
彼のコメディアンとしてのセンスがとにかく光ります。
ニューヨークを愛するアレンの都会的なセンスと、ラルフ・ローレンを思い切り自己流に着こなすダイアン・キートンのファッション・センスが、この都会に生きる大人の男女の恋模様の機微を、とても、知的でお洒落にしています。
「映画」という媒体で、「悪ふざけ」にならないギリギリのところで、とことん遊びまくるウッディ・アレン・タッチも、なんとも愉快で楽しい。
「第四の壁」を突如取っ払って、カメラに向かってウッディ・アレン演じるアルビー・シンガーが突然喋り出すシーン。
これ「古畑任三郎」でもやってましたね。
子供の頃の、アルビーの家へ、大人のアルビーと、アニーとロブが、普通の顔をして訪ねていくシーン。
イングマル・ベルイマン監督の「野いちご」に、こんなシーンがあったかも。
別れ話で混乱したアルビーが、道ゆく人に次々と語りかけて行くシーン。
テラスで会話をするアニーとアルビーの会話に、その会話とは裏腹なアルビーの本音が字幕で入るシーンにはニヤリ。
映画館で二人が並んでいるシーンでは、後ろで唾を飛ばして映画の蘊蓄を語る男に文句をつけたアルビーが、その男の話の中に出てきた人物を、突如その場に登場させて、男にダメ出しをさせるシーン。
そんなのありかと思いながらも、ニンマリでした。
映画という虚構そのものを「笑い」にしていくウッディ・アレンのギャグが冴え渡ります。
「遊び感覚」とはちょっと違いますが、今では誰もが知っている俳優が、チョイ役で出ているのも楽しめました。
ポール・サイモンは、レコード・プロデューサー役。
クリストファー・ウォーケンは、自殺に取り憑かれているアニーの兄役。
パーティのシーンでは、ワンカットだけ、ジェフ・ゴールドブラムが出演していました。
あの顔はすぐにわかります。
「シャイニング」のシェリー・デュバルもわかりました。
分からなかったのが、映画館で並ぶシーンのエキストラの中にいたというシガニー・ウィーバー。
「エイリアン」で、ブレイクする2年前の彼女です。
「ハゲ」「チビ」「オタク」「神経質」という、情けなくもモテないキャラを、徹底的に笑い飛ばすウッディ・アレンの、自虐的ギャグ。
それでも、ダイアン・キートンのようなチャーミングな女性と「いい関係」になれるのは、(実際に二人は付き合っていました)、単に彼の知性の賜物。
「いい女」は、極上の知性に弱い。
同じように、モテ要素の少ない身としては、せめて読書でもして、知性を磨くことにいたしましょう。
先日見た映画が「暴力脱獄」。
映画の感想は、本ブログでも書きましたので、ここでは省きますが、卵のビックリするようなシーンがありました。
主人公ルークが、なんとゆで卵を刑務所内で、1時間で50個食べられるかどうか賭けをするシーン。
ルークは、それを達成することで、陰鬱な刑務所のムードを盛り上げていくのですが、その時のセリフ。
「卵は、15分以上茹でて硬めに。」
1時間で50個食べようとは思いませんが、僕もかなりのゆで卵好きです。
そして、同じくハードボイルド派。
黄身まで、しっかりと茹で上がっているのが好みです。
これは、味の問題ではありません。扱い勝手の問題ですね。
まず、中途半端な茹で具合の半熟卵は、殻を剥くときにイライラします。
剥いた殻に、卵の白身がくっついて剥けてしまって、ゆで玉子の正味が徐々に減っていくのが切なくなります。それに、時間もかかる。
そこへいくと、15分以上茹でた卵は、殻剥きに関しては、ほぼストレスなし。
卵の薄い膜ごと、正味の欠損もなく、短時間で剥けて、これが快感でさえあります。
やはり卵の殻は、ツルリンと剥けないといけません。
半熟卵の殻がきれいに剥ける裏技でもあるなら、食べる分には特に文句があるわけではありませんが、それがない以上は、ハードボイルドの優位は個人的には、ほぼ揺るぎません。
目玉焼きにする場合もしかり。
黄身が半熟でトロリとしている人が好きな方も多いと思いますが、これで食べると、どうしても黄身が皿にこぼれます。
何しろ食い意地が張っているもので、たとえ少量でも残すのはいや。
誰も見ていなければ、皿まで舐めたくなってしまいます。
ハンバーガーの半熟卵も具合が悪い。パクりとやると、黄身が破れて、気がつけば衣服に黄身がトロリ。
すぐに拭いて落としても、しばらくするとこれがまた浮き出てくるいやらしさ。
やはり、卵は、個人的には、半熟はNGです。
しかし、リスクを背負って食べるのが嫌なだけで、半熟卵自体が嫌いなわけではありません。
思い出すのが、1984年の映画「家族ゲーム」
森田芳光監督作品で、松田優作がハードボイルド路線から一転して、地味な家庭教師を演じて、新境地を開いた作品。
この映画の中で、父親役の伊丹十三が、朝食で、母親役の由紀さおりに半熟のゆるい目玉焼きを要望するシーンがあります。
そして、彼はその目玉焼きの半熟の黄身に、口をタコにして直接吸い付いてチュウチュウとやります。
それがとても幸せそうで、とても印象に残っていました。
誰も見ていなければ、あれはちょっとやってみたい食べ方です。
その伊丹十三が、今度は監督として作ったのが「たんぽぽ」。
「ラーメン・ウエスタン」と呼ばれたグルメ・エンターテイメント映画です。
この映画の中で、映画のストーリーとは関係なく挿入されていたのが、役所広司と黒田福美演じる訳あり男女のホテルでのラブシーン。
ここで登場するのが、生卵の口移しという、なんともエロティックなシーン。
それを交互にやっている間に、二人の口の周りがネットリと濡れてきます。
こんなシーンは、その後にたくさん見たアダルト・ビデオでも、見たことがありません。
これも機会があればやって見たいところ。
しかし、こればかりは、ハードホイルドのゆで卵では、絵になりませんな。
(ちなみに、クックパッドを見たら、半熟卵の綺麗な殻の剥き方が乗っていました。これは知らなかった)
新日本の路地裏 佐藤秀明
小学校2年までを過ごしたのが、東京大田区大森の京浜急行線平和島駅あたりです。
駅の改札を出て、国道1号線を渡った商店街の中の本屋が我が家でした。
子供の頃は、その商店街を含む、3〜4ブロックが「世界」の全てのようなもの。
特に言われていたわけではなかったけれど、環七を超えて、その向こうのブロックにまで、「あそび」の範囲を広げることは滅多にありませんでした。
それでも、神社の境内には、「紙芝居」もやってきましたし、三原通りには、十日にいっぺん縁日がありましたし、あの頃は、ちょっと歩けばすぐそこに海岸線があって、佃煮工場の匂いを嗅ぎながら、東京湾も眺められました。
メンコで遊ぶちょっとした広場も、女子の遊びの定番だったゴムダン・チームとスペースを共有できましたし、缶蹴りもできたし、かけっこ競争をするコースも、しっかり確保できたました。
隣が玩具屋だったので、欲しいものが買えるというわけではありませんでしたが、店先で目の保養も出来ました。
遊び盛りの小学校低学年児童でしたが、それ以上遊び場所を広げたいとは思いませんでした。
後に、我が一家は埼玉県に引っ越すことになるのですが、それから時が経ち、大学生になってから、ちょっとノスタルジーに駆られて、この平和島界隈にフラリと遊びに行ったことがあります。
そこで、愕然としてのは、その寸法感が、当時の印象とはまるで違ったんですね。
なんだか、小人の国へやってきたガリバーのような感覚に陥りました。
駅前商店街だとばかり思っていた当時の住まいのある通りは、完全に路地でした。
そして、環七と第一京浜で仕切られた、当時遊び回ったエリアは、縁日が並んだ三原通り以外は、ほぼ全て路地。
自分は、このダウンタウンの路地の文化の中で育ったんだなと、その時初めて気がついたわけです。
その後、一人旅の「知らない町歩き」は、休日の欠かせない道楽になっていきますが、やはりお目当ては、琴線にグッと触れてくる、魅力的な路地裏探し。
今では、Google Map なんていう便利なアプリがありますが、基本は地図情報一切なしで、好奇心だけに任せて、無目的にブラブラ歩くのが一番心地よろしい。
特に「○○小路」やら「遊歩道」なんていう看板があると、必ず足を踏み入れるクセが付いてしまいました。
今住んでいる地元川越も、城下町の面影を残す界隈は、かなり魅力的な路地が多いのですが、「小江戸川越」として、やや観光地ナイズされすぎました。
やはり、個人的には、小洒落ていない、生活感丸出しの野生味あふれる路地裏が好みなんですね。
商店街育ちでしたから、狭い空間の店先いっぱいに商品をせり出した商店がひしめく路地や、看板作りのチープな個人商店がズラリと軒を並べているような風景は、今でも好きです。
都内ではだんだんと減ってきましたが、上野のアメ横を一本入った路地や、秋葉原電気街の片隅に、まだそんな猥雑で活気のある路地が残っています。
「美味しい」路地だらけで、たまらなかった町が、広島県の尾道市です。
あそこは、瀬戸内海に向かって、町全体が斜面になっているため、町全体が坂道と階段だらけ。到底車など、入っていけないところばかりです。
僕が、町を散策していた時も、宅配のオニイサンは、荷物を担いで走り回っていましたね。
そして、どの路地からも、その先に見える景色はオーシャン・ビュウ。
路地好きには、シビれる風景ばかりでした。
あの町なら、いつ行っても、間違いなく一日中歩いていられます。
あちらこちらを歩き回りましたが、ちょっとした高級住宅街を歩くと、整備されたような小径の入口に「私道につき立入禁止」なんていう、無粋な看板が立っていて興醒めすることがあります。
魅惑的な路地では、道を挟んだ向かい同士が、目が合えば、気軽に声をかけられるような親密感が必須。
小津安二郎の映画のように、路地を歩く人が、家人に向って、「やあ、今日もお暑うなりますで」なんて、気軽に声をかけられるアットホームな空気感が、あってこその路地文化です。
散歩する人が、路地の縁台将棋をチラリと覗いて、ふと足をとめ観戦する。
ふと見上げれば、その家の主婦が、忙しそうな顔で、窓枠に干した布団をパンパンと叩いている。
その脇を「銀玉鉄砲」を持った子供たちが、キャッキャと声をあげて、走り回る。
都会からは、もはや一掃された感のある世界ですが、そんな文化の中で醸成されていく感性というものもあるような気がします。
(この一枚だけ本書のものではありません)
本書は、そんな日本各地から選りすぐった魅惑の路地裏写真が満載の一冊。
路地裏好きには、なかなか楽しめる一冊でした。
風景が主人公の写真集ですから、人物はあまり写りこんでいませんでしたが、基本的に路地裏を魅力的にするのは、人間の気配と生活臭。
物静かな写真ではありましたが、どの一枚からも、そこにいるべき人たちのセリフの吹き出しが見えるような気がしました。
昭和34年生まれの、商店街育ちですので、ホーローの看板に囲まれて暮らしていたという印象です。
もうすでに、ホーローの看板は、その使命を終えて、都会からは姿を消して久しいところですが、ところがどっこい、まだ地方の人里離れた田舎道の木の塀には、ホーロー看板がしぶとく残っていて、「昭和老人」としては嬉しくなってしまいます。
老後は、田舎暮らしを考えているので、現役時代から、あちらこちらと山歩きには頻繁に出かけていたのですが、錆びて色ハゲしても尚残るホーロー看板は、広告というよりは、もはや昭和の時代にタイムスリップさせる「風景」になっている感があります。
本書は、川越市立図書館で借りてきたもの。
子供の頃よく見かけた看板には、思わずニヤリとさせられてしまいますが、こんなにも色々な看板が作られていたのかと感心することしきり。
インターネットもない時代、メーカーの営業員たちは、一日何枚というノルマを背負って、あちこちの民家に頭を下げては、一枚一枚看板を貼っていった、そんな時代です。
我が実家は本屋で、商店街の中にありましたので、遊び回る場所至るところに、ホーローの看板はありましたね。
やはり一番覚えているのは、タレントもの。
テレビのコマーシャルも覚えていますが、NHKの朝ドラで一躍全国区になった浪花千栄子といえば、「オロナミン軟膏」
由美かおるの「蚊取り線香アース渦巻き」。
水原弘の「ハイアース」
松本容子の「ボンカレー」(テレビドラマ「くれないお仙」は見てました。)
大村崑の「オロナミンC」
この辺りは、ホーロー看板の王道中の王道。
今でも、見かける頻度が一番高いのはこのあたりでしょうか。
こちらは、「本造り黄桜」の三浦布美子。
この人は、映画にも出演していましたが、浅草の芸妓だった人。
酒屋の脇の壁に、貼ってあった記憶です。
我が家は、本屋兼文房具店でしたから、文房具の看板は、あちらこちらに貼ってありましたね。
メーカーの担当営業者が、貼っていったものです。
商店街の中で、よく見かけたもの。
ホーローというのは、金属に施す、エナメル塗装技術のことを言うのだそうです。
漢字で書くと「琺瑯」となり、これでは何のことだかわからないので、「ホーロー」と呼ばれるようになったとか。
物によっては、相当な値段がつくお宝になっているものもあるようで、コレクターたちの間では、もはや文化財扱いになっているのだとか。
僕は、コレクションするまでの趣味はないですが、それでも眺めていれば、当時の記憶が蘇って、ノスタルジーには浸れます。
現物はなくても、本書一冊あれば、結構楽しめそうです。
さて、父親の方の古いアルバムとなると、これは従兄弟の家に残っていました。
父親は、7人兄弟の3番目で長男でしたが、その一番上の姉の長男宅ですね。
この従兄弟も今はもう他界していますが、古い写真が残っているというの聞きつけて、スキャナーを抱えて出かけて行ったのを覚えています。
古い写真フェチとしては、生唾モノの写真がたんまり残っていて、うれしくなってしまいましたが、とりあえず一番古そうなものがこの一枚。
凛々しい軍人姿の1番右が祖父。
そして、一番左が、祖父の長女のご主人になった人。つまり僕の叔父さんです。
この二人が戦友仲間で、「内地に帰ったら、お前は、俺の一番上の娘の亭主になれ。」という約束が戦場で交わされ、その約束通り、二人は結婚したのだそうです。
祖父と叔父が従軍したのは、太平洋戦争ではなく、その前段階にあたる支那事変。
盧溝橋事件が勃発したのが、昭和12年のことですから、この写真はおそらくその前後の頃と思われます。
背後の壁に描かれている文字からも、ここが中国らしいことがわかります。
祖父は、コックだったと聞いています。
子供の頃の記憶で、時々作ってくれる祖父のカレーは、小麦を炒めるところから始める本格的なものだつたのを覚えています。
そして、この一番上の叔父は、従兄弟の証言によれば、当時かなり高価だったライカのカメラを所有しており、当時の一般的な家庭よりは、家族写真が豊富に残されていたようです。
この1番上の叔母は、昭和37年に、若くして他界しているのですが、兄弟たちの証言によると、「高峰秀子みたいな、綺麗な人だった」とのこと。
僕はこの叔母との個人的思い出は一切ないのですが、どうしてもその写真が見たくて、わざわざ従兄弟の家まで出かけて行ったというのが本当のところ。
従兄弟の家で、遺影になっていたのが、この一枚です。
確かに、当時の三児の母にしては、どこか原節子や高峰秀子などの銀幕のスターに通じるような気品があるのは伺えます。
祖父は、どこか伴淳三郎にも似た、コメディ・タッチの人なのですが、わからないものです。
さて、祖母の方で残されていた一番古いと思われる写真がこちら。
祖母姉妹の隣に座っているのが、僕から見れば曽祖母ということになります。
画像から推測するしかありませんが、明治生まれの祖母の娘時代ということになりますから、こちらも、少なくとも昭和10年代くらいの写真ということになると思います。
そして、こちらが、祖父と祖母のツーショットとしては、一番古いもの。
おそらく三女の結婚式の時の写真と思われますので、これは昭和30年代のものです。
さて、父親の写真として残っているもので、一番古いと思われるのはこちら。
この姿から推察すると、学生時代でしょうか。
父親の最終学歴は、兄弟たちの証言によれば、当時はなかなかの花形であった航空学校。
飛行機乗りではなく、エンジニア育成校みたいなところで、今でいえば、専門工業高校みたいなところでしょうか。
だとすれば、これも戦前のものだと思われます。
後ろに写っているのは、国会議事堂?
そして、こちらは昭和30年代初め頃、東京都大田区梅屋敷の実家に勢揃いした、祖父祖母と兄弟五人の集合写真。
ちょうど連載が始まった頃の「サザエさん」のムードが漂っています。
この頃の父は、石油カルテックスという会社で、社用車の運転手をしていて、この兄弟たちの証言によれば、時々会社の高級外車で帰宅して来ては、彼らを乗せて羽田あたりまでドライブに連れて行ってくれたと言っていました。
父はその後、脱サラして、埼玉県浦和市(今のさいたま市)で、本屋の店長になりますが、父が引っ越してきた当時の、京浜東北線の与野駅西口駅前の一枚がこれ。
実は、僕の実の母親は、僕が3歳の時に、乳がんで亡くなっています。
そんな事情で、父がこの本屋で修行をしている間、僕と弟は、祖父と祖母に預けられて、大田区の平和島に住んでいました。
祖母が営んでいたのも、同じく本屋。
父親が、本屋の店長として独り立ちするまで、本屋のノウハウをコーチしてくれた女性は、やがて僕らの新しい母親になることになります。
弟には、この頃の記憶はまるでないようですが、僕は微かに、祖母から「明日からは、おばさんではなくて、ママと呼ぶんだよ。」と言われたことを覚えています。
古い写真を丁寧に保存してくれていた母には、今更ながら感謝しています。
金環触
1975年に公開された政治映画です。
監督は、山本薩夫。
原作は、石川達三の小説です。
民政党という架空の政党名が使われていますが、もちろん自由民主党のこと。
昭和39年から、昭和40年にかけての日本政界が舞台です。
この時期は、「所得倍増計画」を実現させた名宰相・池田勇人が喉頭癌で死去し、彼が指名した後継者・佐藤栄作の長期政権がスタートした頃。
演じた俳優(久米明、神田隆)も、かなりその風貌に寄せていました。
この時期の政界の水面下で進行していたのが「九頭竜川ダム汚職事件」。
この事件に関わっていた実際の人物が、本作の登場人物の、おおよそのモデルになっています。
仲代達也演じる星野康雄は、池田内閣時に官房長官を務めた黒金泰美がモデル。
この人は戦後の混乱期に、高利貸しとして成り上がった森脇将光というフィクサーとの黒い関係で、失脚しますが、この森脇をモデルにした、石原参吉という曲者老人を演じたのが宇野重吉。
すきっ歯の入れ歯を装着しての怪演は、本作では一番印象的でした。
高利貸しでありながら、独自の情報網を駆使して、政界の裏情報にも通じているという設定は、ほぼ実際の森脇をなぞっています。
「造船疑獄」でも「グラマン疑惑」でも、この時期の政権を告発する重要な事件の証拠として注目された証拠が「森脇メモ」でした。
もう一人、重要な人物として、本作においてスポットが当たっていたのが、三國連太郎演じる神谷直吉議員。
この役のモデルになっていたのが、この時期「政界の爆弾男」という異名をとった田中彰治衆議院議員。
当時の政権与党のスキャンダルを、国会の場で舌鋒鋭く追及し、その名を上げた人。
しかし、かなり問題の多い人物で、そのネタを元に多くの政治家を恐喝したり、時にはマッチポンプで事件を捏造。最後は「黒い霧事件」で、失脚しました。
本作では、石原老人から得た情報をもとに、「福流川ダム建設」に関する汚職事件を国会で追及するシーンが詳細に描かれていますが、ベースになっているのは、実際にあった「九頭竜川ダム汚職事件」。
池田内閣への巨額の献金を前提にして、請負施工業者である鹿島建設と、当時の電源開発が結託して、不正入札を行ったとされる事件です。
この事件では、内閣秘書官と、この事件を公表しようとしたジャーナリストが、謎の死を遂げて、結局事件はうやむやになります。
この辺りも、本作では、実際の事件を忠実になぞっていきますね。
ここ最近は、畑作業をしながら、よくYouTubeの国会中継の音声を聞いていますので、この辺りの展開はなかなか面白く見れました。
実際に、この当時の国会中継を見ていたわけではありませんので、これがどれくらい現実に即した描写なのかはわかりませんが、少なくとも、今の政府の国会答弁のように、聞いていることをはぐらかし、煙にまくことに終始する「ごはん論法」では、映画の脚本にはなりません。
「虚偽答弁」は、今も昔も一緒なのでしょうが、少なくとも、映画のセリフであれば、そこにも一定の論理性とスジは求められます。
しかし、これは、今の国会答弁には皆無。
追求することに、政府が答えたくないという場合、答弁の言葉は、絶望的に非論理的空回りに終始します。
もしもこの先、今の政界のスキャンダルである「モリカケ」「桜を見る会」「総務省接待疑惑」が、映画の題材になる場合、国会での追及場面が、果たして、どんなシナリオになるのか。
それは、ちょっと興味があるところです。
しかし、それにつけても、今の国会における政府答弁の不毛さは、目を覆うばかり。
何を質問しても、聞かれてもいないことを延々と喋り、最後は、天下の宝刀「いずれにしても」を連発して、最終的に答えを有耶無耶にする答弁手法。
「個別の案件には答えを差し控える」「仮定の質問には答えられない」というあのお決まりの隠蔽答弁。
今の国会質疑を聞いていて、こちらが学べること言えば、質問に対して、いかに嘘にならないように言葉を選びながら、しかし聞かれたことには一切答えないという、「はぐらかしスキル」のみ。
国会答弁としては、どれも口先だけのレトリックを駆使した官僚たち超一流の作文なのでしょうが、残念ながら、あれは映画のシナリオとして聞くと、まるで使い物になりませんね。
あの答弁を文章に書き起こして見れば、それは明瞭だと思います。
とにかく、質問には答えているようで、言っていることは意味不明。
言葉のやりとりとしては、ちくはぐで、まるで噛み合わず。
そんな不毛な質疑を、天下の国会議事堂で、国民たちの血税を使ってやっているわけですから、悲しくなります。
いつの時代も時の政府の不正は、なくならないもののようです。
本作のように、そこにメスを入れる硬派な社会派映画は、少なくとも昭和の時代には、製作されてきました。
令和の時代になると、時の政権に切り込む社会派作品としては、藤井道人監督の「新聞記者」があります。
いい映画でした。
もしも、あの作品に、国会質疑のシーンがあったら果たして、どんな脚本になっていたか。
それは少々興味があるところ。
しかし、もしもあったとしたら、そこだけは、コメディになっていたかもしれません。