「イヤミスの女王」という称号がこの作家にはあるそうです。
根がスケベなものですので、てっきり「いやらしいミステリー」だとばかりおもっていたら、これは「読んだ後でイやな気持ちになるミステリー」とのこと。
要するに「後味の悪い読後感」を読書に提供するミステリーを総称してそういうのだうです。
ハッピーエンドには食傷気味のミステリー・ファンもいるというのはわからないでもありません。
「暗い気持ち」にさせられるのは承知の上で、この人の作品を読んでいるというファンは少なくないようです。
この著者の本を読むのは今回が初めてだったのですが、Wiki でチェックしたところ、知らず知らずのうちに、この人の作品を原作にした映画やドラマは、見ていたことが判明しました。
映画でいうと、松たか子主演の「告白」「白ゆき姫殺人事件」
ドラマでいうと、「Nのために」「夜行観覧車」「贖罪」
どの作品も、面白かったので印象に残っているのですが、見終わって「イヤ」な気持ちになったかというと、そんなこともなかった記憶です。
確かにどの作品も、イジメや家庭崩壊など、人間生活のダークサイドをテーマにしていますが、エンターテイメントとしてよく出来ていました。
共通していたことは、どの作品も主人公が女性であること。
そして、女性目線からの繊細でビビットな心理描写が秀逸であったこと。
もちろん、映像作品は、その宿命として、原作よりもより一般受けする物語に、変更されてしまうもの。
どれだけ原作が「イヤミス」であろうとも、ラストはなんらかの光明が射すカタチにされてしまうのが普通です。
つまりは、彼女の映像化作品は、往々にして、湊かなえ色が薄められる結果になっていることは想像がつきます。
その意味では、本当に「暗い気持ち」になりたい真性「イヤミス」ファンは、映像化作品を見るよりは、彼女の発表する小説を手に取るということになるのでしょう。
さて、本作は、彼女が作家10周年を迎えるにあたり、出版社から出された「お題」を引き受ける形で書かれた作品なのだそうです。
本作の結末は、このお題に沿って考えられたものだそうです。
なるほど、そういう形で書かれるミステリーもあるんだと、ちょっと感心してしまいました。
そして、もうひとつのチャレンジは、作者は、作家生活10年目ではじめて、男性が主人公の小説を執筆することになったのだうです。
作家生活10年目というと、そろそろ職業作家としての自信もついてきて、いろいろなハードルを越えてみたくなる時期なのかもしれません。
僕は、図らずも湊かなえ初読書作品で、彼女にとってのチャレンジ作品に当たったわけですが、彼女の初男性主人公作品には、それほど違和感はありませんでした。
それよりも、むしろ彼女は、僕のような男性読者(もちろん若い頃のですが)を想定してこの小説を構想したかのような気にさえなりました。
彼女は、小説を書くときにはまず、登場人物のプロフィールや、性格設定を練りこんでから執筆をはじめるとのこと。
これをしっかりと作りこんでから執筆にかかると、登場人物がいつの間にか、自由に動き出して、筆が進むのだそうです。
本作の主人公は、深瀬和久。
事務機メーカーの営業マンです。
子供の頃から大人しく、運動が苦手で友人が少なかった彼は、自己肯定感が低く、人付き合いが苦手。
家庭の事情で進学校に通えず、コンプレックスを抱えているという設定です。
彼の趣味はコーヒーで、彼の淹れるコーヒーは、友人仲間にも職場でも、すこぶる評判がよく、これが彼にとって、唯一の自己肯定感を確認できる特殊技能となっています。
そして、このコーヒーを通じて、彼に初めて出来た彼女が越智美穂子。
しかし、その彼女のもとに、ある日突然一通の封書が届きます。
そこに書いてあったことは、
「深瀬和久は人殺しだ。」
美穂子は、深瀬に詰め寄ります。
そして、深瀬は彼女を失いたくない一心で、唯一心当たりのある過去の「ある事件」について語り始めます。
大学4年生だった深瀬は、仲間に誘われて、仲間の一人の別荘での「思い出作り」に参加します。
しかし、主催者だった仲間の一人がトラブルに巻き込まれ、遅れてくることに。
一行がバーベキューに舌鼓を打ち、アルコールのピッチも上がったところに、遅れていた仲間が、別荘の最寄りの駅から「迎えにこい」と電話をかけてきます。彼はこの別荘の提供者です。
免許を持っている二人には、すでにアルコールが入っています。
すったもんだがあった末、一人がそれを承知で重い腰を上げます。
免許を持っていなかった深瀬は、詫びのしるしにと、その彼に自分の淹れたコーヒーのポットを持たせます。
一人車のキーを握った彼は、実は酒が飲めない体質でした。
それは、深瀬も同様で、それを聞かされていなかった他の仲間からは、非難されてしまいます。
せっかくの楽しい宴が、しらけるというわけです。
場の空気が壊れることを憂慮した彼は、結局飲めない酒を口にしてしまいます。
電話はその後でかかってきているので、他のメンバーは、それを承知で彼を送り出してしまったわけです。
しかも、彼はまだ免許を取ったばかりでした。
ここまで読んできて、これから起こるであろうことを想像すると、個人的には、読み終える前に、すっかり「いやーな」気持ちになってしまいました。
なぜか。
申し遅れましたが、僕は30年間運送会社に勤めておりました。
実は、その職業がら、酒にまつわる「いやな」なエピソードは、そこそこ経験していたんですね。
そして、僕自身も深瀬や、車で仲間を迎えに行った彼同様、アルコールは全く飲めませんでした。
なので、この辺りの描写は、かなり身につまされました。
今でこそ、下戸には完全な市民権が確立されており、宴会の場で無理やりの飲まされるようなアルコール・ハラスメントはなりを潜めました。
ノンアルコールのドリンクも、当たり前に居酒屋に置かれるようになっています。
しかし僕が若き日を過ごした昭和時代には、アルコールに付き合えないと申し出ることは、確かにかなり勇気がいることでした。
学生時代には、酒が飲めないことで、合コンやグループ・デートに誘われないことは避けたかったので、飲酒に関してはかなり無理した時期もあります。
しかし、人より早く酔っぱらって、「いいこと」がめぐってくるチャンスはまずないということは学習しましたので、それからは「飲まないでも酔っぱらっているように見える」という裏技を習得。
テンションをアゲアゲで、その場を盛り上げてさえいれば、そのハンデは帳消しになることを知るわけです。
しかし、飲めないのに、その場に流されて悪酔いし、結局墓穴を掘る友人たちも数多く目撃してきました。
当時はまだ、コンパの場に、車で来るような猛者学生は見かけませんでしたが、赤坂のクラブで弾き語りのバイトをした時には、フラリと現れて高級酒をクイッと2~3杯ひっかけ、ママと小一時間話して、平気で車で帰っていくという常連は何人か見かけました。
ママはニコリと笑ってこう言ってました。
「○○さんには、あの程度は飲んだうちに入らないのよ。」
あの頃は、お酒が飲めないと、大人の世界では相手にされないという空気が確かにあったことは事実です。
僕のような下戸は、確かに「飲める」ことに憧れましたし、無理もしました。
しかし、間違いなく時代は変わりました。
道路交通法が改訂されたんですね。
特に、2000年代初頭には飲酒運転による死亡事故が社会問題となり、厳罰化が進められました。
2002年の改正では、酒気帯び運転の基準値が引き下げられ、罰則も強化されました。
運送会社に対するアルコール検知の義務化は、2011年から始まりました。
これは僕自身がその担当でしたので、よく覚えています。
当初は旅客自動車運送事業や貨物自動車運送事業などの「緑ナンバー」の車両が対象でしたが、2022年4月からは白ナンバーの社用車にも拡大。
さらに、2023年12月からはアルコール検知器を用いたチェックが義務付けられています。
酒を飲んだ側だけでなく、今では、酒を飲ませた側にもペナルティがありますので、「飲んだら乗らない。乗るなら飲まない。」は、完全に国民のコンセンサスになった感があります。
アメリカ、フランス、イタリアなどに比べれば、我が国の酒酔い運転コンプライアンス遵守率が格段に高いのは頷けます。
閑話休題。
さて、話を小説に戻しましょう。
仲間を迎えに行った彼は、結局悪天候の夜の細い山道を運転中、運転を誤ってガードレールを突き破り、崖下に転落して死亡してしまいます。
彼が酒を飲めないことを承知で酒を強要し(事実上)、酒を飲んでいることと、まだ運転技術が未熟であることを承知で、仲間を迎えに行かせた4人は、はたして殺人罪に問われるのか。
これは現在の法律では、酒を飲ませただけでも飲酒幇助罪として、飲酒運転をしたものと同罪に問われ、その相手が事故で死亡した場合は、刑法の過失致死罪が適用されます。
本作の発表は、2015年ですので、世の中の空気が完全に「飲酒運転は絶対悪」になっていた時期。
当然、この仲間たちも、自分たちのやったことの犯罪性は充分に認知出来ている設定でしょう。
彼らは、事件の大筋はしっかりと説明しても、「飲酒」の件だけは、永久に隠ぺいすることを誓い合います。
このことは、自分たちさえ黙っていれば、あくまで不幸な事故として片づけられるはずだからです。
証拠となる死体は、崖の下で燃えてしまっているのだから。
(ちなみに、AI 調べによれば、現在の鑑識技術で、焼死体となった遺体からでも、アルコール検知は可能とのこと)
深瀬の彼女に届いたのと同じ文書は、他のメンバーの周辺にも送られていました。
いったい誰が、こんなことをするのか。
自分たち以外で、この秘密を知っているものはいるのか。
その人物の目的はなんなのか。
物語の紹介はこの辺りまでにしておきますが、このミステリーには、最後まで警察関係の登場人物は出てきません。
主人公深瀬は、自分のこの世でただ一人の親友と思っていた彼の、自分の知らない顔を訪ね歩きます。
その過程で、深瀬は最後に、とんでもない真実にたどり着きます。
その意味では、非常に犯罪色の薄いミステリーということになるのでしょうが、その分登場人物のさりげない日常は繊細に描写されています。
そして、その描写の中に、ラストへの伏線が、巧みに忍ばせてあります。
伏線は、さりげないほど効果的です。
本作にはシリアル・キラーが、複数の被害者を血祭りにあげていくようなミステリーとしての派手さはありません。ですが、そのかわりに、自分の周辺にもいそうな人物たちによる、いつ自分の身の回りで起きてもおかしくないシーンが丁寧に積み重ねられています。
その意味では、これまで読んだミステリーの中で、僕にとっては、もっともリアルな作品でした。
上質のミステリーは、日常生活の中でも立派に成立します。
作者のミステリー小説は今回が初めてではありましたが、本作は、読み終わってみれば、僕にとってはけっして「イヤミス」ではなかったということだけは申し上げておきます。
ちなみに、最後までわからなかったのは、本作のタイトル「リバース」の意味です。
「生まれ直す」という意味なのか、それとも「裏表どちらも可能」の意味なのか。
ここにどんなメッセージがあるのか。
理解できた方のコメントを、是非お待ちしておリバース。
さて、それでは、蜂蜜入りのコーヒーとやらを飲んでみることにしましょうか。